8´ 粉塵爆発
アランレイスたちの話を聞きながら、俺は歯を食いしばって、周囲を見回した。
暗い貯蔵穴の底。指先が届く範囲に、麻袋が数個。中身は……固い。粉状だ。
――小麦粉? いや、異世界に小麦があるのか分からないが、とにかく何かの穀物粉か。
そしてもう一つ。さっき使用人が持ち込んだガラス製のランプが、穴のすぐ縁に置いてある。火がまだついたまま、ゆらゆらと揺れていた。
それを見た瞬間、脳裏にある知識が閃いた。
前にユー〇ューブのショート動画で見た、事故の科学を解説する動画。
――粉塵爆発。
小麦粉のような粉末を空気中に大量に撒き、そこに火を近づけることで起きる大爆発だ。粉の粒子一つ一つが酸素と接触し、一気に燃え上がる。
「……使えるか?」
自問する。貯蔵庫の空間は広い。扉は吹き飛んでいる。空気は十分にある。そして俺の手の届くところに、粉の袋と、火のついたランプがある。
「行くしかないな……」
隣にいた女性の使用人に、小声で言った。
「俺が飛び出したら、みんなで穴の底に伏せてください。絶対に上を向かないで」
女性は震えながらも、こくりと頷いた。
俺は袋の口を両手でしっかり握り、ランプの取っ手を指にかけた。
深呼吸。一回。二回。
木箱を肩で突き飛ばしながら、俺は穴から這い上がった。
俺は立ち上がると同時に、麻袋の口を天井に向けてぶん回した。穀物粉が、白い霧のように貯蔵庫全体へ舞い上がる。
「――アランレイス! 伏せろ!!」
「なんでしょう」
クロノアが初めて、純粋な疑問を顔に浮かべた。
「食らえ!!」
ランプを粉が最も濃く舞う中心へ向けて、全力で放り投げた。ランプが空中を舞う。
俺は叫びながら穴へ飛び込み、使用人たちの上に折り重なった。
ガシャン、と破砕音。
次の瞬間――ドォン!!
鼓膜が割れるような轟音が、貯蔵庫全体を叩いた。熱風が貯蔵穴までとどく。
「頭を下げて!!」
火柱が天井まで届き、石造りの壁が内側から震えた。
「……」
クロノアは爆発の瞬間、一言も発しなかった。
驚いたのは確かだろう。この世界に、炎と粉を組み合わせてこれほどの熱量を生み出す概念はおそらく存在しない。魔法でも魔道具でもない。ただの食材と、その場にあったランプが生み出した現象。
だが、動揺は一瞬だった。
「盾になりなさい」
クロノアは振り返りもせず、背後の教団員たちに静かに言った。
命令を受けた三人が、何の躊躇もなく前へ歩み出る。
爆風が、彼らを真正面から叩いた。炎が白い法衣を包み、肉を焦がした。
教団員たちは、声一つ上げなかった。
叫びもせず、逃げようともせず、ただ、燃えた。
まるで最初から、燃えることが決まっていたかのように。
クロノアは彼らの背後で、煤一つついていない姿で立っていた。
「……ふふっ。ずいぶんと愉快な攻撃ですね」
振り返った彼の顔に、嘲りはなかった。部下が死んだことへの怒りも、悲しみも、何もなかった。ただ純粋な感心だけが、薄い笑みとして口元に浮かんでいた。
「魔法でも魔道具でもない。あなたの故郷では、これがあたりまえの手法なのですか? ふふっ……愉快だ。世界の外れには、まだまだ私の知らないものがある。予定外の、面白い余興でしたよ」
だが、その言葉が終わる前に――。
「……礼を言おう、ヨースケ」
煙に満ちた入口から、低い声が響いた。
爆発の混乱を突き、アランレイスが踏み込んできた。白銀の鎧は粉煙で汚れ、右肩はすでに風化で崩れかけていたが、彼はそれを気にする素振りすら見せなかった。
「君の爆発のおかげで、連中の数が減った」
「……役に立ててよかった」
穴の底から、俺はかろうじて声を絞り出した。
「アランレイス殿」
クロノアが正面を向いた。
燃え焦げて床に倒れた教団員を一瞥もしない。まるでそこにあるのが、人間ではなく使い終えた道具であるかのように。
「あなたと剣を交えるのは初めてですね。楽しみにしていましたよ」
アランレイスが剣を正眼に構えた。
「お前は部下を使い捨てにして、何も感じないのか」
「感じますよ」
クロノアは穏やかに言った。
「世界の均衡を取り戻すための礎となった。大変、意義深いことです。彼らはその役割を果たした。なんと素晴らしいことでしょう」
クロノアの目が、じわりと細くなった。恍惚とした、薄気味の悪い光が宿る。
「――素晴らしいこと……か」
アランレイスの声が、一段低くなった。
「あなたも同じですよ、アランレイス殿。あなたが今ここで果たすべき役割が、きちんと定めに刻まれている。……ふふっ、それを考えると、胸が躍ります」
剣聖が踏み込む。
一歩目で石畳に亀裂が入り、二歩目で空気が圧縮されるように歪んだ。三歩目、剣が閃いた。横なぎの一撃。衝撃で貯蔵庫の壁が深くえぐれ、その威力を無言で証明する。
しかしクロノアは避けなかった。
右の黒い手袋を、刃の軌道へかざす。
キィン、と硬質な音が鳴り、アランレイスの剣が弾き返された。
「……っ」
「ふふっ、驚きましたか?」
クロノアが右手を柔らかく持ち上げた。黒い手袋の表面で、金の紋様が淡く発光している。
「これは私が作りました。黒曜魔導団の方々から回収した魔力を素材に、時間をかけて鍛えたものです。あの方たちの魔力は、本当に上質ですからね」
それを聞いた瞬間、アランレイスの目が、これまでとは違う種類の怒りで細くなった。
「……拉致した魔導師から魔力を絞り出して、その手袋に封入したということか」
「封入? ええ、そうですね、その表現もありますね。ええ、おかげでこの通り、見事な出来栄えです」
クロノアは手袋を愛おしそうに見つめた。
「あの方たちも喜んでいることでしょう。こうして世界の均衡を守るために、役立てているのですから。ああ、なんと喜ばしいことだ、愛ある自己犠牲と言うんですかね」
「……黙れ」
アランレイスが再び踏み込んだ。
今度は斬るためではない。クロノアの懐へ飛び込み、手袋を構える間を与えないための動きだ。だがクロノアは半歩下がり、左手で空気を薙いだ。
次の瞬間、アランレイスの足元の石畳が黒く変色し、砂のように崩れ始めた。
「時間の操作ですよ。地面の時を、少しだけ進めました」
踏み込む足場が消える。アランレイスは空中で体を捻り、崩れた石畳を蹴って斜めに跳んだ。着地と同時に剣を振る。
クロノアは今度も、手袋でそれを受けた。
金の紋様がまた光る。
キィン。弾かれる。
「……っ、なぜ直接狙わない」
アランレイスが着地際、鋭く問いかけた。
「地面を砂に変えられるなら、俺の身体を老化させれば済むはずだろう」
「ふふっ、買い被りすぎですよ」
クロノアは手袋の金の紋様をなぞりながら、慈しむように笑った。
「石や木のような『意志なき物』の時間を早めるのは容易い。ですが、生命……とくにあなたのような覇気あるものの時間を進めるのはいささか集中が必要なのです」
アランレイスはクロノアが話している最中も攻撃の手をやめない。
「……っ」
「剣が当たりませんよ、アランレイス殿。この手袋は剣聖の斬撃すら受け止める。あなたが幾千の命と引き換えに磨いてきたその剣が、私の手袋一枚に届かない。……ふふっ、そう思うと、なんとも愉快だ」
「当てなくていい」
アランレイスが剣を引き、構えを変えた。剣先をわずかに下げ、体重を後ろへ。
「今の俺の剣技ではその手袋に敵わないかもしれない。だが、お前が言ったように、魔道具を使うには集中がいるはずだ」
クロノアの目が、わずかに動いた。
「――剣を当てる必要はない。お前が集中できない、認識のできない攻撃……」
「……ふふっ」
クロノアは笑った。だが、先ほどまでの余裕に満ちた笑みとは違い、その表情には初めて、微かな緊張が混じっていた。
「なるほど。では私も少し、本気を出しましょうか」
黒い手袋が、ゆっくりと持ち上がった。
穴の底から、俺はその光景を見上げていた。二人が動くたびに、貯蔵庫の空気が揺れた。
「お兄さん……」
隣で使用人の女性が、俺の袖を引いた。
声が震えている。けど俺は「大丈夫ですよ」と言えなかった。
大丈夫かどうか、分からないからだ。
アランレイスが踏み込む。剣が閃く。クロノアの手袋が受け止める。弾き返す。
その繰り返しの中で、アランレイスはじわじわとクロノアの集中を削っていた。正面から打ち込んでは引き、角度を変えて打ち込み、また引く。一撃一撃が当たらなくても、クロノアは防ぐたびに手袋へ意識を向けなければならない。
「ふふっ……ふふっ」
クロノアが笑い続けていた。
でも、その笑いの質が変わってきていた。楽しいのではなく、何かを噛み締めるような、異様な笑いに。
「素晴らしい。本当に素晴らしい。あなたはどこまでも剣聖だ。定めに刻まれた英雄だ。……だからこそ、あなたがここで果たす役割が際立つ」
言い終わると同時に、クロノアが腕を広げる。
「絶望の重石」
呟きとともに、クロノアの懐から投げられた、こぶしほどの大きさの複数のそれがアランレイスの陰に吸い込まれる。その数の多さ、それに度重なる疲労でアランレイスは避けきることができなかった。
アランレイスの足が一瞬、止まった。膝が微かに沈む。
その隙を、クロノアは見逃さなかった。
右の手袋から、黒い光の閃光がほとばしる。それは壁に触れた箇所から石を砂に変え、床を削り、すべての時間を加速させながらアランレイスへ迫った。
「アランレイス!!」
俺は思わず叫んでいた。
アランレイスは膝の重さを強引に振り払い、横へ跳んだ。黒い閃光が彼の白銀の鎧の縁をかすり、左腕の鎧が一瞬で錆の塊となって崩れ落ちた。
ドサリ。美しい鎧だったものが石畳に崩れ落ちる。
「……」
アランレイスは腕を一瞥した。鎧が消えた左腕の皮膚に、うっすらと黒ずんだ線が走っている。
「かすり傷で済んだようですね。非常に不服ですね」
クロノアが言った。
「次は、そうはいきませんよ」
「……ああ」
アランレイスが、ゆっくりと笑った。
剣を握る手に力が入る。傷ついた左腕を、真っ直ぐに前へ向ける。
「次は俺も、お前を斬る」
「ふふっ」
クロノアの笑みが、深くなった。
「ならば見せてください。その剣が、どこまで届くか」




