7´ 神託断罪官――クロノア=ディアヴェルト
アランレイスの呟きに応じるように、広場の縁にいた漆黒の集団が動き出した。
彼女たちは誰一人として、目隠しを外さない。
けれど、その足取りには一切の迷いがなかった。
教団の伏兵が、横合いから三連ボウガンを構えて飛び出してきた。
放たれた無数の矢が、死角から彼女たちの喉元を狙う。
だが、先頭を歩く女性は足を止めることすらしなかった。
指先をわずかに弾くと彼女の指先から漆黒の魔力が爆ぜた。 火花のように散ったそれは、意志を持つ影のように空中でうねり、迫りくる矢をことごとく叩き落とす。
「邪魔です」
彼女たちの歩みに合わせ、場の空気が冷たく澄み渡っていく。
迫りくる教団員たちが繰り出す剣筋も、魔道具による魔術の投射も、彼女たちの前では意味をなさなかった。
彼女たちの視界を閉ざす黒布。その奥に沈む瞳は、もはや物理的な光など追っていない。 捉えているのは、万物が放つ魔力の波形そのもの。
激戦の中心地、アランレイスのすぐ傍らまで悠然と歩み寄ると、彼女たちはぴたりと足を止めた。
降り注ぐ返り血の一滴すら、その漆黒の衣には付着していない。
アランレイスを幾重にも包囲していた教団員たちが、一瞬で、まるで最初から存在しなかったかのように吹き飛ばされた。
「アランレイス殿。これ以上の不浄を、我が同胞から魔力を搾り取る邪教徒どもに許すわけには参りません」
静かに両手を構えた。
次の瞬間、彼女たちの指先が一斉に、複雑な印を結ぶ。
途端、空から降り注いでいた『風化の矢』が、見えない絶壁に触れたかのように勢いを失った。
矢は弾かれたのではない。
半透明の黒く揺らめく膜に触れた瞬間、生命力を奪われたように乾ききり、ぱきりと音を立てて枯れ枝へ変わる。
そして、砂のように崩れ落ちた。
同時に、地面に縫い付けられていた兵士たちの影が、ふっと軽くなった。
(その強さは噂には聞いていたが、これほどとは……!)
目の前で一掃される敵陣を前に、剣聖と呼ばれたアランレイスでさえも、その圧倒的な「異質」さにわずかな驚きを隠せなかった。
「動けるか! 総員、反撃だ!」
アランレイスが叫んだ。
だが、その声を遮るように、先頭に立つ女性がわずかに顎を引いた。
「待ちなさい、アランレイス殿……。不自然です。これほど脆い『核』に、我々が惑わされていたとは……」
彼女は、広場に転がる教団員たちの死体へと指を向けた。
「……やはり、確信しました」
その声に驚きはなく、淡々と事実を突きつけるような響きがあった。
「アランレイス殿、貴殿が斬り伏せていたのは人間ではありません。魂の宿らぬ、ただの“動く人形”に過ぎないのです」
斬り伏せたはずの教団員の死体が、ゆらゆらと揺らいだ。
肉体は藁へ、白い法衣は泥へ。
薄っぺらい作り物めいた輪郭だけを残し、ばらばらに崩れていく。
「……人形か」アランレイスが低く呟く。
「最初から、別の場所に教団員を送り込むための囮だったというわけか」
「ええ」
女は頷く。
「しかも、貴殿も気づかぬほど精巧に。視覚を頼る者にとっては、これ以上ない厄介な術式。……ですが、私たちには通用しません」
黒曜魔導団のエルフたちはその掌を天へと向けると、直径10メートルほどの球形の巨大な魔法陣が展開する。それは、だんだんと速度を増して回転しだす。
離れてた場所で戦っていたシェリアの目の前の教団員が崩れた。
シェリアが目を見開いた。
「……そんな、幻影術だったっていうの? 私には見抜けなかった……」
動く人形の魔力は生きた人間と酷似するように調整されており、エルフでも識別は困難らしい。
エルフたちが腕を下ろすと球形の魔法陣は段々と減速し小さくなって消滅した。消滅する頃には、教団員だったものはすべて、藁と土に還っていた。
黒曜魔導団のエルフはアランレイスに見解を告げた。
「教団は最初から、広場で貴殿を釘付けにし、裏手へ本隊を差し向けるつもりだったのでしょう」
彼女は宿舎の方角を、正確に指し示す。
「真の狙いは、あちらです。……あれほど歪んだ魔力、相当の魔道具を持った者がいます」
「……まさかっ!」
予感は最悪の確信へと変わり、アランレイスは弾かれたように地面を蹴った。
幻影の残骸を足元に散らしながら、彼は広場を横切り、最短距離で宿舎へと走った。
一方、食糧貯蔵庫の内部。
テオを通気口へ逃がした直後、鉄扉を無理やり開けようとする轟音が響き、俺は奥歯を噛みしめた。この倉庫も時間の問題だ。
ここであの恐ろしい教団に捕まったら俺の異世界生活は終わってしまうだろう。
それに、テオ達を俺のせいで失って俺だけ助かったとしたら「守られるだけの役立たず」として、アランレイスに見放されて俺の居場所がなくなってしまう。
それだけは嫌だった。
敵の目的は分からないが、恐らく俺らのことを見つけて人質か何かにするつもりだろう。
俺はそこで作戦を考えた。
「あの、そこにある梯子をよこしてくれませんか」
俺は小声で言い、使用人に目配せした。
男は怯えた顔のまま、梯子を持ってくる。
それを受け取ると、俺はそれを静かに運ぶ。
俺は梯子を肩に担ぎ、天井にあった点検口のような出入口に無理やり立てかけた。
そして一番上に登ると、点検口の縁へ着替えたばかりの服の袖を引っかけ、勢い任せに引きちぎった。
「よし……」
袖の切れ端が、点検口に引っかかってひらりと揺れる。
これを見れば、誰でも「ここから抜けた」と思うだろう。
さらに俺は、ポケットからあのトレカを抜き取った。
異世界に来てから、唯一浮きまくっている一枚。
『紅蓮の竜王』。
俺はそれを、あえて点検口の真下に落とした。
からん、と小さな音がする。
俺はその場にいた全員の使用人たちを誘導し、鉄扉のある入口に最も近い床下の貯蔵穴へと滑り込んだ。
俺たちは身を低くし、その上から手近な木箱を乱暴に積み上げる。
直後、鉄扉が蝶番ごと引き剥がされる轟音が響いた。
「さあ、不純物を排除しましょう」
三、四人の白い法衣の男たち静かに入ってくる。
「……だれもいないようですね。とても不思議だ」
男のうちの一人がとぼけたように言った。
「天井の出口に服の切れ端が引っかかっています」
一人が『紅蓮の竜王』を拾い上げ、眉をひそめた。
「逃げてしまったようですね。すぐにでも追いかけましょう」
複数人が梯子を上る音が聞こえる。
うまく引っかかってくれたらしい。
(よし……今のうちに入口から――)
そう思った、その時だった。
「おやおや……。皆さん、そんなに急いでどこへ行くのですか?」
静かな声だった。
なのに、なぜか耳の奥が冷える。
貯蔵庫の中央に歩み出てきたのは、純白の法衣に黒い手袋を合わせた男だった。男は血のような赤黒いイヤリングをしている。
その長い銀髪はきっちりと後ろへ撫でつけられ、後ろで一本に編まれている。
金の瞳だけが、やけに穏やかに光っている。
聖職者のような気品がある。
だがその奥には静かな狂気が、ぬらりと沈んでいた。
「安心してください。あなた方は無意味に死ぬわけではない。世界の均衡を取り戻す礎となるのですから」
「断罪官様、不純物はこの天井の上へ行ったようですが」
梯子を上りかけていた教団員が言った。
「ふふっ……。いいえ、そうではありませんよ。壊れていきますねぇ。世界が正されていく音が聞こえますよ」
「ふふっ」と言いつつも不気味なほどに真顔の男――クロノアは、貯蔵庫の隅や天井など、一度も見ようとしなかった。
覗き込むようなその視線は真っ直ぐ、俺たちが潜む穴の上の木箱へ向けられている。
「定めに存在しない命が、今もここで呼吸している。……ああ、なんという醜悪。あなたが消えることで、世界は正常へ近づく。大変喜ばしいことですよ」
背筋が凍る。
見つかったなんてものじゃない。最初から場所が分かっているようだった。
クロノアが黒い手袋の指を、優雅に持ち上げる。
「見つける必要なんてありませんよ。この空間の『時間』を少しだけ急がせてあげましょう。定めにない命は、すぐに土に帰るでしょう。……喜んで受け入れなさい」
指が鳴らされる。
その瞬間だった。
貯蔵庫と廊下を挟んだ位置にある宿舎の壁が蒼い閃光と共に内側へ爆ぜ飛んだ。
粉塵が舞う中、白い光の向こうからひとりの男が踏み込んでくる。
「……私の大切な使用人と客人に指一本触れさせはしない」
剣を正眼に構えた、この街の剣聖アランレイスだった。
「……おや、アランレイス殿。ふふっ、実にいい……実にいい悲鳴が聞こえそうだ」
クロノアが初めて、異様なほどに口角をつり上げて笑った。
アランレイスが、わずかに眉をひそめる。
「……なぜ、俺の名前を知っている」
その問いに、クロノアは肩を揺らして笑った。
「おやおや。自己紹介が遅れましたね」
黒い手袋をした掌が、胸元に添えられる。
クロノアは不気味なほど礼儀正しく会釈をして言った。
「わたくし、神託断罪官――クロノア=ディアヴェルトと申します」
イヤリングが鈍く光った、金の瞳が細くなる。
「自分が殺した生き物の名前を記録するのが趣味でして。もちろん、あなたのお名前も存じておりますよ。……“予定”に入れておりますから」




