6´ 俺の異世界初日を脅かす連中、聖導教団
アランレイスは瞬時に剣を掴み、その眼光を鋭く研ぎ澄ませた。
「ヨースケ、テオと皆を連れて丈夫な食料貯蔵庫へ。シェリア、私と共に来てくれ ……バルカスらよりも話の通じない連中が、ルミナスの門を叩いているようだ」
「アランレイス様、まさか……!」
「ああ。あの異様な魔力の流れ……間違いない。『聖導教団』だ」
彼のつけている首飾りは魔力を感じると魔力によって様々な光り方をするようだった。今は危険信号を発するように明滅している。
アランレイスの表情が、これまでになく険しくなる。
「連中は拉致した黒曜魔導団の魔導師たちから無理やり魔力を搾り取り、魔道具の動力源にしている。……人を道具として扱う、狂った連中だ」
低く吐き捨てるような声だった。 その言葉を聞いた瞬間、俺の中にあった「異世界で御用聞きをして日銭を稼ぐだけの生活」は、 音を立てて崩れ去った。
飛竜とかはいても、生活を脅かすような魔王みたいな存在はいないもんだと勝手に思い込んでいた。
手の中には、まだ温かいルルの実。 ポケットには、紅蓮の竜王のカード。 さっきまでは、それだけで何とか生きていける気がしていた。
だが今、この世界には、人を平然と“搾取”して道具のように扱う危険な連中がいる。
「……別に、勇者とか主人公になりたいわけじゃない」 自分に言い聞かせるように呟く。
「でも……居場所をもらった分くらいは、働かないとな」 震える足で立ち上がり、俺は隣で怯えるテオの小さな手を、強く握り締めた。
宿舎はその石造りの外壁を、夕日に照らされ暗い朱色に染めていた。
宿舎の扉からは、中にいた騎士たちが一斉に出てきて、方眼紙のように美しく整列した。 先頭には私服ではなく美しい白銀の鎧を着たアランレイスが引き締まった表情で立っている。
「これは恐らく聖導教団の襲撃だ。評議会の指示は出ていないが緊急時につき出兵は私の権限で行う」
アランレイスが厳しい表情のまま続ける。
「襲撃は北門からと思われる。我々の部隊は中央広場を通り抜け正面から防衛、撃退にあたる」
アランレイスが言い切ると、兵士たちは一斉に剣を天に向けて掲げた。夕日を反射した刃が、幾重もの光となってちらちらと地面を照らす。
「この鉄扉の奥の食料貯蔵庫は強固な作りになっています。皆さん避難してください!」
宿舎の使用人の一人が指揮をしている。 俺はテオを連れてその食糧倉庫に逃げ込んだ。
石造りの冷たい壁に囲まれた貯蔵庫は、外の喧騒を遮断するように静まり返っている。
「ちっ、また聖導教団の襲撃か。ここしばらくは来なかったから安心しきっていたらこれだぜ、堪ったもんじゃない。国はいつになったら奴らを殲滅してくれるんだ」
避難していた使用人らしき壮年の男が悪態をつく。 男の顔は恐怖で引きつり、手に持ったランプがガタガタと音を立てていた。
「アランレイスなら、きっと大丈夫だろ」
俺は自分に言い聞かせるようにそう言った。 彼はこの街の英雄だ。負けるはずがない。
日が傾き始め、空の端が紫色になってきていた。
中央広場を突き抜けた先の大通り。北門の近くでアランレイスの部隊と聖導教団がお互いがギリギリ目視できるほどの距離を挟んで向かい合っている。
「総員、構えろ」
アランレイスの声は静かだった。怒鳴りもせず、震えもしない。それがかえって、隣に立つシェリアの背筋を伸ばさせた。
対する教団は、白い法衣を纏った四百人ほどの集団だ。全員が同じ顔つきをしている。感情がない、というより、感情を捨てた顔だ。その両手に、奇妙な形の武器を抱えていた。弓でも銃でもない。三本の矢を同時に装填できる複雑な機構を持った、長い筒のような代物だ。
「――放て」教団の集団の先頭に立つ男が言った。
ヒューーという音とともに矢の雨が降ってきた。
「盾を重ねろ! 直接受けるな!」
アランレイスが叫ぶ。隊の前列が盾を連結させ、壁を作る。矢が着弾した。
バチバチと不気味な音が広がった次の瞬間、盾の表面が粉を吹いたように白くなり、端から崩れ始めた。
「なんだ……!? 盾が、溶けて……っ」
兵士の一人が絶叫する。落ちた矢の周囲の石畳が、まるで時間を早送りしたように砂へと変わっていく。触れたものを風化させる。それがあの矢の力だった。
「盾を捨てろ、持ち続けるな!」
アランレイスの声で、前列が一斉に盾を手放す。間一髪だった。直後、捨てられた盾が砂の山に変わって地面に溶けた。
「俺が道を切り開く。ついてこい」
白銀の鎧が、夕日の中で光った。
アランレイスは走った。真っ直ぐに、正面から、敵の密集地帯へ。向かってくる三本の矢を、彼は剣の一振りで空中から弾き落とした。次の三本も、同じように。その動きは速すぎて、隣にいるシェリアの目でさえ軌跡を追えない。
他の兵士たちもアランレイスに続いて突撃した。
敵陣に飛び込んだアランレイスは、一人、また一人と教団員を斬り伏せていく。剣が閃くたびに白い法衣が地面に倒れ、その周囲に空白が生まれる。まるで嵐が人ごみをかき分けてゆくようだった。
「やれる。やれる、押し返せる」
後方の兵士たちがそう思い始めた、その瞬間だった。
「『絶望の重石』を投下せよ」
教団の声が飛んだ。前列の教団員たちが黒い球体を一斉に投げる。アランレイスはひとつを切り、ひとつを蹴り飛ばした。しかし三つ目が、彼の背後にいた兵士の影に吸い込まれるように貼り付いた。
「ぐぁ……っ!?」
まるで身体の上に岩を積まれたように、立つことさえできない。メキッ、と防具の繋ぎ目が悲鳴を上げる音が響く。
「あ、足が……地面に吸い付いて……動けな、い……っ」
兵士は必死に腕を突こうとするが、指一本動かすことさえ叶わない。教団が使った『絶望の重石』影を物理的な重力で固定する呪具。
一人、また一人と、広場の石畳に縫い付けられていく。
仲間の無様な姿に、後方の兵士たちの間に「次は自分か」という恐怖が伝染し、陣形が目に見えて乱れ始めた。
「……まずいな」
アランレイスが歯をくいしばる。
彼一人の強さは疑いようがなかった。
実際、彼の周囲には、すでに幾重にも教団員の死体が積み上がっている。
だが、戦場は一人で完結するものではない。
部下たちは『絶望の重石』によって次々と動きを封じられ、防衛線には少しずつ綻びが生まれていく。
ひとつ穴を埋めれば、別の場所が崩れる。アランレイスは、そのたびに守るべき場所の取捨選択を迫られていた。
シェリアは歯を食いしばりながら、魔法で広域障壁を維持し続ける。
矢の雨を受けるたび、淡いブルーの膜が震えて空間がゆがむように見えた。
シェリアの額には汗が滲み、細い指先は微かに震えている。
「……このままでは」
彼女は呟きを飲み込んだ。
食料貯蔵庫の中は、嘘のように静かだった。
分厚い石の壁が外の音を遮断している。ランプの明かりだけが揺れ、避難してきた使用人たちは押し黙ったまま壁際に固まっていた。
テオが俺の袖を掴んでいる。小さな手が、細かく震えていた。
「アランレイスなら大丈夫だ」
俺は自分に言い聞かせるようにそう言った。
その時、足音が聞こえた。
貯蔵庫の外、鉄扉の向こう側から、複数の足音がゆっくりと近づいてくる。整然としていて、焦りがない。まるで最初から場所を知っていたかのような足取りだ。
「誰だ……?」
鉄扉のすぐ裏から声がする
「見つけたぞ。神定の書が示す、史を乱す不純物がここにいる」
声は静かだった。だがそれが、余計に怖かった。
扉の向こうに気配が集まる。続いて、重い金属音。分厚いはずの鉄扉が、ギギギと音を立ててじわじわと歪み始めた。
食料貯蔵庫のなかで人々の悲鳴がこだまする。
「逃げろ! テオ!」
……正直、頭の中はパニックで真っ白だ。さっきドワーフに千円札を突き出した時と同じ、悪い意味での「条件反射」が脳を支配しようとしている。
だが、情景反射なんかで助かる場面じゃないのは分かりきっている。俺は必死で思考を巡らせ、打開策を考えた。
俺はテオの手を引いて貯蔵庫の奥へ走った。通気口がある。人ひとりが通れる程度の狭い穴だが、今はそれしかない。
鉄扉が蝶番ごと引き剥がされる轟音が響いた。
広場では、状況が変わり始めていた。悪い方向に。
「アランレイス様! 北側が突破されました!」
報告が飛ぶ。アランレイスは振り返らずに剣を振るい、前から来る矢を弾き続ける。
「わかった。シェリア、東側を頼む」
「でも、アランレイス様が——」
「俺は大丈夫だ。行け」
シェリアは一瞬だけ唇を噛み、踵を返した。
アランレイスは一人になった。
周囲には教団員が三十、いや五十人。矢が四方から飛んでくる。彼は走りながら斬り、斬りながら走る。
一本の矢を剣で弾くと、その反動で身体を半回転させ、背後からきた矢を鎧の角で逸らし、すかさず次の一人の懐に飛び込んで剣を振る。
動きに無駄がない。舞っているようだ。息継ぎをする暇もないはずなのに、その顔は静かだ。
だが、美しい白銀の鎧の表面に、薄い錆のような変色が広がり始めていた。矢がかすった箇所だ。鎧が、少しずつ死んでいく。
「……っ」
アランレイスの顔に初めて疲労が滲んだ。
教団が次の手を打ってくる。今度は三連のボウガンのような武器を構えた十人が横一列に並び、一斉にアランレイスへ狙いを定めた。
「放て」
三十本の矢が、一点に向けて放たれた。
アランレイスは動いた。前に、だ。逃げるのではなく、姿勢を低くして突っ込んでいく。矢の密度が最も薄い、矢の軌道の真下へ。一本をかわし、一本を弾き、一本が白銀の肩甲にかすった。
カシュッ、と乾いた音がした。
錆が広がる速度が、一気に上がった。アランレイスの右肩を覆う鎧が、粉を吹きながら端から崩れていく。
それでも彼は止まらなかった。崩れかけた鎧の右腕で先頭の教団員の胸元を掴み、そのまま後列へと投げ飛ばす。連鎖して三人が倒れた。
「……強い」
シェリアが遠くから見守りながら息を飲んだ。
強い。疑いようがない。だが、このままでは——という言葉が、彼女の喉の奥で詰まって出てこなかった。
その時だった。
戦場の空気が、変わった。
騒然としていた場から、音が消えた。
教団員たちが動きを止めた。矢を放とうとしていた者が、その手を静止させる。
全員がある一点を見上げた。
アランレイスも、剣を構えたまま、同じ方向を向いた。
夕日が落ちかけた空の端、橙と紫が入り混じった光の中に、黒い影がいくつも浮かんでいた。
影は舞い降りてくる。音もなく、羽も持たずに、ただ重力を無視するように。
着地の音すらしなかった。
漆黒の衣装を纏った女性たちが、広場の縁に静かに立ち並んでいた。喪服のような黒い布は裾まで乱れひとつなく、彼女らの目はすべて、黒い眼帯のようなもので覆われている。
だが彼女たちは見えているように、いや、見えている以上のものを感じているような佇まいだった。
布の端から覗く耳の形が、彼女らがエルフであることを静かに主張していた。
誰も喋らなかった。
女性たちの先頭に立った一人が、ゆっくりと口を開いた。
「——汚らわしい」
声は冷たかった。冷たいのに、深い森の奥で響くハープのように澄んでいた。
「我が同胞の尊厳を踏みにじる邪教徒共よ」
アランレイスは剣を構えたまま、漆黒の集団を見る。
「……黒曜魔導団か」




