4´ 見てろよ俺のインフェルノ・フレイム(不発)
ふと隣を見ると、シェリアが鋭い視線で男たちを射抜きながら、唇を微かに動かして何やら呪文のようなものを紡いでいた。そして、ハンドサインの様なものを作っている。
彼女の周囲の空気が、パチパチと静電気を帯びたように震え始める。
(なるほど、シェリアは魔法的なものが使える感じなんだな。なら、この世界に来た俺にも……!)
期待に胸が膨らむ。異世界転移といえば、隠されたチート能力がお約束だ。
俺は一歩前に踏み出し、自警団の男たちに向かって、かつて自室で鏡に向かって何度も練習したポーズで手のひらを突き出した。
「——我が右手に宿りし紅蓮の業火よ、今こそ敵を焼き尽くせ! インフェルノ・フレイム!!」
勢いよく突き出した右手。
「......インフェルノ・フレイム!!」
当然、何も起きない。
あまりにも何も起きなさすぎて、通りすがりの獣人の子供にまで変な目で見られた。
「お、おかしいな。中学生の頃からイメトレは完璧だったし、異世界に来たんだから俺にも魔法が使えるはずじゃ……」
俺は必死で言い訳を言った。
「……あははは! なんだ、この間抜けな奴は! エルフじゃねえのに魔法なんざ使えるはずねえだろ!」
自警団の一人が、腹を抱えて爆笑した。他の二人も、さっきまでの警戒心が嘘のように肩の力を抜いて冷笑している。
「エ、エルフじゃないのに……?」
なんだそれは、そんなの聞いたことないぞ、たいていの転生系の主人公はすごい魔法とか剣技とか使えるもんじゃないのか。
男が棍棒を手のひらで転がしながら、じりじりと距離を詰めてくる。魔法が使えない。その事実は、俺の「異世界ファンタジーへの淡い期待」を粉々に打ち砕いた。
「おい、シェリア! 魔法が使えないなら使えないって先に言えよ!」
「言おうとしたわよ! あなたが勝手に変なポーズで叫び出すから……! あぁもう、恥ずかしくて死にそう……!」
シェリアは顔を真っ赤にして、レイピアを構え直した。彼女の周囲に集まっていた魔力の残滓が、俺の醜態のせいで霧散しかけている。
「ま、いいさ。魔法も使えねぇ、得体の知れねぇ妙な衣をまとった男よ。まずはその生意気な口を塞いでやるよ!」
男が棍棒を振り上げた。魔法は出ない。格闘技の経験もない。あるのは、ポケットの中の財布と、スマホ、そして——。
「……っ、魔法が使えないなら、別の手を見せてやるよ!」
俺は再び、ポケットに手を突っ込んだ。
指先に触れたのは、あのトレカ。
——そうだ。あの門番の兵士たちがあれほど動揺した。この竜のカードは、この世界では想像以上のインパクトを持っている。
「見ろ! この竜が目に入らねぇのか!」
俺はホログラム箔の「紅蓮の竜王」を、渾身の力で男たちに突きつけた。
陽光を受けてカードが虹色に輝き、竜の鱗が複雑な光の渦を描く。男たちの目が、一瞬、眩しそうに細められた。
「な、なんだその光は……!?」
「竜が、動いて……!?」
——よし、効いた! 城門の兵士と同じ反応だ!
物理的な威力はない。だが、この世界の人間にとって「角度によって竜の鱗が色を変える」という現象は、魔法の力的な何かとしか映らないらしかった。
就活で「御社が第一志望です」と嘘をつき続けてきた俺の演技力は、今この瞬間のためにあったのかもしれない。
「これは俺の国に伝わる高位のものだけが持てる身分証明書、『竜封じの札』だ! この竜は、俺が解き放つ命令を下せば、今すぐここから飛び出してくるぞ! お前たちを一飲みにする前に、手を引いた方が身のためだ!」
「ま、まさか……!? 竜を封じた召喚具か! あの竜の目がこちらを睨んでいる……!」
ハッタリだ。100%デタラメだ。
だが、「城門の屈強な兵士が腰を抜かしかけた」という実績がある以上、これが通じないはずがない
——俺はそう信じ込むことにした。
「シェリア、今だ! 隙だらけだぞ!」
「……あーもう、めちゃくちゃよ! 分かったわ!」
シェリアのレイピアが、青白い光を帯びて鋭く突き出された。
シェリアがレイピアを突き出したかと思ったら次の瞬間、空中に閃光が走り自警団の奴らを3メートルほど吹き飛ばした。
石畳に叩きつけられた彼らは、内臓を揺さぶられたような呻き声を上げながら、這々の体で立ち上がる。
「覚えてろよ、アランレイスの飼い犬共が!」
「自警団の本部に、シェリアが怪しげな異国の召喚士を連れて来たと報告させてもらうからな!」
彼らは尻尾を巻いて、路地の奥へと逃げ出していった。
ひとまず路地に平穏が戻った。
「……ふぅ。……で、あなた。今の、何?」
シェリアが冷ややかな視線を俺に向けてきた。レイピアを鞘に収める動作はしなやかだが、その指先はまだ微かに震えている。
「いや、何って……ただのハッタリ。さっき城門の兵士がトレカであれほど動揺したから、同じ手が通じると思って」
「トレカ…? いや、そこじゃなくて。ウンブラの鼠を庇うために何であそこまでしたのって聞いてるの! 何をしたかわかってる? 自警団の奴らが本部に報告しに行けば、次はもっと厄介なのが来るわ」
「そんなの……俺が聞きたいくらいだよ」
俺がそうこぼすと、シェリアは吐き捨てるように溜息をついた。
「とにかく、あいつらが話に尾ヒレをつけるより先に弁明に行くわよ!」
彼女に腕を引かれるまま、俺たちは入り組んだ路地を駆け抜けた。だが、街の中心部に近づくにつれ、空気の重さが変わっていく。
街の中心にそびえ立つ時計塔から、重苦しい鐘の音が響き渡った。それは先ほどの「招集」の鐘よりも低く、不吉な余韻を残している。
「……最悪。緊急喚問の鐘よ。あいつら、もう手を回したのね」
シェリアに急かされるように連れて行かれたのは、街の統治を司る「白亜の公堂」だった。そこはアランレイスのいた爽やかな広場とは違い、冷たい大理石の壁と、裁判官のような黒い法衣を纏った老人たちが並ぶ、息の詰まるような場所だった。
「シェリア・エリス。前へ出よ」
壇上の中央に座る、禿げ上がった頭を光らせた老人——評議会の重鎮、バルカスが冷徹な声で告げた。その傍らには、先ほど俺が木箱を蹴り飛ばした自警団の男たちが、首に大げさなギプスを巻いて立っている。
「……はい」
シェリアは唇を噛み締め、俺を背後に隠すように一歩前へ出た。
「シェリア、貴殿はアランレイス殿の直弟子でありながら、公務中の自警団を負傷させ、さらには正体不明の『召喚士』を街に引き入れた。この訴えに相違はないか?」
「……報告は事実を捏造しています。彼らはアランレイス様の掲げる新法を無視し、亜人の少年に不当な私刑を行おうとしていました。私は騎士の義務として、それを——」
「黙れ! 現場の裁量に介入し、街の秩序を乱したのは貴殿の方だ!」
バルカスが手元の木槌を激しく叩きつけた。
「さらに、その男が持つ竜の札……! 自警団の報告によれば『竜を召喚する禁忌の召喚具』だそうではないか。そのような禍々しいものを公然と提示し、法執行官を脅迫した罪、到底看過できん」
「それは……ただの彼のハッタリで……!」
シェリアの声が、公堂の喚問場を支配する重圧にかき消されていく。彼女の拳は白くなるほど強く握りしめられていた。俺のついたデタラメが、彼女を反逆者扱いにまで追い詰めている。
「この不審者は即刻、地下牢へ。そして、このような危険人物を独断で雇い入れ、あまつさえ庇護下に置こうとしたアランレイス殿の監督責任についても……厳しく追及せねばならんな」
バルカスが冷酷に口角を上げた、その時。
「——私の不在中に、随分と賑やかな審議が行われているようだね」
重厚な扉が音を立てて開いた。




