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3´ 剣聖アランレイス

 恐る恐る目を開けると、そこには青いグラデーションの髪をなびかせる一人の男の背中があった。

 白銀の軽装鎧ライトアーマーを纏い、鮮やかな蒼いマントをひるがえした男。首には青い宝石のようなものが繋がった首飾りをしている。


 その手にある長剣は、飛竜ワイバーンの巨体を羽虫でも払うかのように軽々と弾き飛ばしていた。


「……え?」


 飛竜は地面を転がり、怯えたように翼を震わせる。

 男がただ一歩、踏み出した。


「この場にお前の餌になるようなものはない。去れ」


 静かだが、逆らうことを許さない絶対的な拒絶。

 飛竜は先程までの凶暴な様子が嘘だったかのように畏縮し、地面を這うようにして、ぎこちない羽ばたきで空へ逃げ去っていった。


「みんな、俺が来たからには安心してほしい。……それにしても、また飛竜の『ゾルデ』か。困ったものだね」


 青年はその恵まれたイケメン顔を、怯える民衆の方へ向けて爽やかに微笑んだ。

 その場にいる全員が、まるで救世主でも見るかのような熱い視線を彼に送る。


「……け、剣聖、アランレイス様……っ!」


 さっきまで俺をぶん殴ろうとしていたドワーフが、打って変わった態度で、もはや拝むようにして腰を抜かしながらその名を呼んだ。


「アランレイス?」

 この極限状態だというのに、俺の脳内では『アブラカスみたいな名前だな』なんて、のんきな感想が浮かんでいた。


 そんな俺の視線に気づいたのか、彼はふっと口角を上げた。

 その微笑みは驚くほど柔らかく、さっきまでの圧倒的な威圧感が嘘のようだ。


「怪我はないかな? 派手に転んでいたようだけど」


 彼は俺の泥だらけの手をためらうことなく取り、グイと引き起こしてくれた。

 その手のひらは、数多の戦いを感じさせるほど硬く、しかし驚くほど温かかった。


「あ……あぁ、はい。……あの、助けてもらって、ありがとうございます」

「見ない格好だけど、旅の人かな? 良かったら、この街には無償の聖療院せいりょういんがある。もしどこか痛むなら、無理をせずそこへ行くといい」


 あまりの眩しさに、俺は目を細めた。

 透き通った瞳。

 俺のような得体の知れないジャージ姿の男にさえ、彼は対等な人間として接している。


「聖療院、か……。ありがとうございます。でも俺、あいにく一文無しで。この街にも来たばかりだし、治療費どころか、今日の寝床も怪しいんです」


 俺が正直に(というか、もはや開き直って)そう言うと、アランレイスは「おや」と少しだけ意外そうに眉を上げた。

 普通ならここで「ならさっさと街を出ろ」と門兵に突き出されるのが関の山だろう。

 だが、彼は違った。


「それは困ったな。来訪者を路頭に迷わせるのは、騎士の誇りが許さない。……そうだ、君。少しばかり、私の仕事を手伝ってみる気はないかな?」

「仕事……ですか?」

「ああ。といっても、剣を振るうような物騒なことじゃない。街の様子を見て回り、困っている人の声を聞く……いわば『御用聞き』のようなものだ。君みたいな街の外から来た人のほうが相談しやすいこともあると思うんだ」


 この人は、どこまで聖人なんだ。

 邪心があるようには見えない。ただ純粋に、困っている人間を放っておけない性分なのだろう。

 俺は二つ返事で承諾した。

 今日の飯すら危うい俺にとって、これは「蜘蛛の糸」以外の何物でもなかったからだ。


「話が早くて助かるよ。……そうだ、これから招集の時間だ。詳しい話は後でしよう。君を私の執務室まで案内させるよう手配しておくから」


 アランレイスはそう言うと、背後の兵士に何事か耳打ちし、風のように街の奥へと去っていった。

 嵐のような時間が過ぎ、広場には片付けを始める商人たちと、呆然と立ち尽くす俺だけが残された。



「……はぁ。まさか、あの方に拾われるなんてね」

 背後から、聞き覚えのある「淡々とした声」が響いた。

 振り返ると、そこには腕を組んでこちらを睨みつける少女――シェリアが立っていた。


「あ……さっきの」

「さっきの、じゃないわよ。あなた、広場から動くなと言ったでしょ。なんで飛竜に襲われてるのよ」

「いや、俺だってわざと襲われたわけじゃないし。ドワーフに絡まれて……」

「言い訳はいいわ。それより、アランレイス様から伝令が来たの。あなたを『特別預かり』として執務室まで連れてこいって」


 シェリアは信じられないものを見るかのように、俺を上から下まで眺めた。


「あの人はお人好しが過ぎるのよ。あなたみたいな、どこの馬の骨ともわからない不審な男を雇うなんて。……いい? 変な気を起こしたら、私の細剣レイピアが黙ってないから」

「わかってるよ。というか、俺も必死なんだ」

「……ふん。ついてきなさい。この街の案内も兼ねてあげるわ。アランレイス様の判断で、今回の招集も行かなくてよくなったしね」

「ツンデレなのか……?」


 彼女は相変わらず冷たいが、その歩幅は、俺がついていきやすいように少しだけゆっくりになった気がした。

 石畳の道を歩きながら、シェリアは街のルールや、アランレイスがいかに高潔な人物かをと説明してくれる。


「……いい? 基本的にこの街『ルミナス』は自由だけど、最低限のルールは守ってもらうわよ。まず、ギルド・タグを持たない余所者なんだから、日没までに一時滞在許可証を取得すること。それから、あなたには関係ないかもだけど、街中での許可なき魔法の使用は厳禁。違反すれば即、地下牢行きね」


「地下牢か……就活の最終面接よりはマシかな。行ったことないけど」

「……あなた、さっきから何を言ってるの? あと、これだけは忘れないで。アランレイス様はこの街『ルミナス』にとって、ただの剣士じゃないの。あの方の存在そのものが、この街の誇りであり、平和の象徴なの。アランレイス様の下で働くうえで、もし、あの方の名に泥を塗るような真似をしたら……私がこの手で排除するから」


 その横顔を見ていて、俺はふと思った。

 この世界に来て、最初に俺を助けたのは彼女で、次に救ってくれたのはアランレイス。

 だったら、俺にできることは、彼らの「御用聞き」として、この世界をもう少しだけマシにすることなんじゃないか。

 そんな「異世界生活の指針」めいたものを考え始めた矢先――。


「――おい! 待てっ! 泥棒だ!」


 前方、細い路地が交差する角から、怒鳴り声と共に小さな影が飛び出してきた。

 それは、ボロボロの布を纏った獣人の少年だった。

 彼は脇に何かを抱え、必死の形相でこちらへ向かって走ってくる。


「……っ、またあいつらね!」


 シェリアが鋭く目を細め、腰の細剣に手をかけた。


「知り合いか?」

「『ウンブラの鼠』よ。最近、アランレイス様が導入した『平民救済法』を逆手に取って、商店から品をかすめ取る輩が増えてるの。……あいつらを放置すれば、アランレイス様の政策が批判される原因になるわ」

「剣聖なのに立法できるのか……。この世界に三権分立的なものはあるのか?」


 シェリアが踏み出そうとした瞬間。

 少年の背後から、三人の筋骨逞しい男たちが現れた。

 彼らは自警団の服を着ているが、その目は正義感というよりは、獲物を追い詰める下劣な愉悦に光っている。


「逃がさねぇぞ、半獣のガキが! 『ルミナス街法』に従って、その腕ごと切り落としてやる!」

「待ちなさい!」


 シェリアが凛とした声で制止する。


「シェリア様……! これは、街法違反を犯した輩への正当な処置です。邪魔立てはご遠慮願いたい」


 男たちの一人が、下品な笑みを浮かべてシェリアを睨み返した。

 どうやら彼らは、アランレイスの直属の兵士ではなく、古い慣習をもった別派閥の自警団らしい。


「法に従うなら、まずは衛兵所に連行するのが筋でしょう。その場で腕を落とすなんて、今のルミナスでは認められていないはずよ」

「ハッ、アランレイス様が持ち込んだ『甘っちょろい新法』のせいでこういう輩が出るんだ。あんなもん、正式な認可が下りちゃいねぇんだよ……。おい、やれ!」


 男が抜き放った剣が、鈍い音を立てて少年の頭上へ振り下ろされる。

 少年の瞳が、絶望に塗りつぶされた。


「……っ、やめろッ!」

 思考より先に、身体が動いていた。

 反射的に足元に転がっていた空の木箱を、渾身の力で男のほうへ蹴り飛ばす。


 ガッ!


「がはっ!? てめぇ、何様のつもりだ!」


 狙いが逸れ、剣先が石畳を虚しく叩く。

 その隙を見逃さず、少年は俺の脇をすり抜けて路地の暗がりへと消えていった。


「……あなた、バカなの?」

 背後からシェリアの呆れた、しかしどこか焦ったような声が聞こえる。

「どっかで聞いたセリフだな」


 俺の目の前には、顔を真っ赤にして激昂する三人の自警団員。

「てめぇ……アランレイス様に味方しているつもりか知らねぇが、今の行為は公務執行妨害、そして犯罪者の隠匿だ。タダで済むと思うなよ?」


 状況は最悪だ。

 アランレイス様に救い上げられたのも束の間、俺はこの街の「平穏」の裏側に巣食う、厄介な連中の逆鱗に触れてしまったらしい。

 だが、逃げ去る瞬間のあの少年の目は、さっきドワーフに締め上げられていた時の俺と同じだった。


「……この街のルール説明、まだ途中だろ? シェリア。こういう時はどうすればいいのか、教えてくれよ」


 俺はジャージのポケットで震える手を隠しながら、精一杯のハッタリをかまして笑ってみせた。


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