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11/12

11´ 脱出

 赤黒いイヤリングを手の中に握りしめたまま、俺は貯蔵庫の天井を見上げた。

 奥の方から、くぐもった炎の音が迫ってくる。クロノアが叩きつけた黒い球体が引火させた火の手は、粉塵爆発の残り火と合わさって、すでに宿舎の上の階まで食い上がっているようだった。木や石が崩れる音が、断続的に頭上から降ってくる。


「早く逃げよう、ヨースケ」


 アランレイスの声が、俺の耳元に落ちてくる。

 剣を支えに立ち上がろうとした彼を見る。左腕は鎧が消え失せ、露わになった皮膚に黒ずんだ線が幾筋も走っている。時を進める術によってできたものだ。俺は彼が立ち上がれるように肩を貸した。


「……すまない」


 アランレイスは俺の肩を借りて立ち上がると、「ありがとう、あとは自分で歩かせてくれ」と言って歩いて行った。

 俺は肩から掛けたバッグがずり落ちていることに気づき、掛け直す。手の中のイヤリングを、とりあえずバッグの内側へと押し込んだ。血で汚れた指先が、布に触れた。


「皆さん、出ましょう! 早く!」

 俺は貯蔵穴に向かって言った


  貯蔵穴から這い出てきた使用人たちが、互いに肩を支え合いながら立ち上がる。鉄扉が引き剥がされた入口から、橙色の火の粉が舞い込み、廊下の先では炎が激しく揺れていた。熱気が押し寄せ、息を吸うたびに煙の苦味が喉を焼く。

 頭上で、みしり、とはりが軋んだ。

 アランレイスが貯蔵庫の棚に手をつきながら、浅く息を吐く。

 彼が視線を向けた先――廊下を挟んだ向こう側の宿舎の外壁は、先ほど彼が入って来た時の斬撃によって大きく爆ぜ飛んでいた。砕けた石材が床へ散乱し、その向こうに夜の空気が見える。炎に照らされた煙が、崩れた穴から外へ流れ出していた。


「……俺が崩した壁から出よう」

 アランレイスが先に歩き出す。それに使用人たちが続いた。


 一人、また一人と、瓦礫を跨いで外へ向かう。誰も喋らない。ただ、生きて外へ出るためだけに足を動かしている。

 俺は最後尾に回った。

  炎が廊下の天井を舐めるように広がっている。焼けた梁が、火の粉を撒き散らしながら崩れ落ちた。熱気が背中を押し、煙が肺の奥に張り付く。

 だが、通気口のことが気になった。

 俺は足を止め、振り返り、壁際の小さな穴へ向かう。

   ――テオは逃げられたのか?


「……テオ! テオ、いるか!」

 呼びかけながら、俺はしゃがみ込み通気口の中を覗き込む。

   だが、そこに小さな姿は見えない。

 通気口をつたって逃げられたのか?

   それとも、まだ出口までの途中に――。

 俺が声を張り上げようとした、その時だった。


「……ヨースケさん!」

 外から声が聞こえた。


 はっとして振り返ると、すでに外へ抜けたテオが、宿舎の壁にできた穴からこちらを見ていた。どうやら通気口の内部を通り抜け、先に外へ出ていたらしい。

「ヨースケっ!! 早く出てこい! 危ないぞ!」テオの隣にいるアランレイスが俺に呼びかける。


 すでに、食料貯蔵庫はあちこちから火の手が伸び、今にも崩れそうだった。

 俺は死の恐怖に煽られ、急いで貯蔵庫を飛びだした。


 外に出た瞬間、夜気が一気に肌を包んだ。日はとっくに暮れていた。空には薄暗い紫の残光が滲み、その向こうに星が瞬き始めている。


 俺たちは宿舎の壁の穴をくぐり抜け、正面から脱出した形になる。正面側の石造りの外壁は、上階の窓から盛大に火の手を上げていた。燃え上がった木枠が、バキンという大きな音を立てて折れ、火の粉が夜風に散らばる。


「全員、無事か」

 アランレイスが振り返った。使用人たちが次々と頷く。十人ほどが全員、揃っている。テオも、いる。


「ヨースケ、怪我は」

「……煙を吸いすぎて頭が痛いですが、歩けます」

 俺は答えた。本当は、体の節々が悲鳴を上げているが、それを言ってられる状況ではない。アランレイスの方が、明らかにずっとひどい。彼の左腕の皮膚は黒ずんでいる。鎧の残骸がぶら下がり、歩くたびにかちゃかちゃと情けない音を立てていた。


「少し離れたところまで移動する。ここは危ない」

 アランレイスが燃え盛る宿舎の壁を一瞥してから、ゆっくりと歩き始めた。


 俺もテオの手を引いて続く。背後で炎が鳴っている。風が変わるたびに、煙の柱が俺たちの方へ流れてくる。使用人の一人が咳き込み、隣の人間がその背中を支えた。誰も喋らない。全員が、足を動かすことだけに集中していた。



 一方、街の内部では。

 黒曜魔導団の先頭を歩く長い銀髪のエルフ。

 ――エクリア=レインが、静かに腕を下ろした。

 漆黒の目隠しの奥で、たかぶった魔力の波形を追い続けていた感覚が、少しずつ静けさを取り戻していく。


「……やはり」


 散らばっていた「教団兵の死体」が、一つ、また一つと形を崩していく。

 白い法衣が泥へ戻り、その内側を満たしていた藁が零れ出す。崩れた人形の残骸が、床に広がる。石畳の上に、藁と泥と薄い幻影の残滓だけが残された。


泥骸兵でいがいへい。……しかも、これほどの精度で」

 エクリアの隣に立つ黒曜魔導団の一人が、呟いた。静かな声だったが、その奥に滲む感情は、怒りと呼ぶには足りない、もっと深く冷たいものだった。


「数も多いです」

 別の一人が続けた。

「そうですね」

 エクリアは短く答えた。


 泥骸兵は強力な術式だ。しかし、一体を作るためには、生きた人間の「時間」を消費しなければならない。その人間が生きるはずだった時間を、人形が動く燃料に変える禁術。使った人間は、その動作時間ぶんだけ寿命を削られる。


 これほどの数。これほどの精度。

 これだけの量の「消費された時間」がどこから来たのか、エクリアには瞬時にわかった。考えるまでもなかった。


「……我らの同胞を、どれほど使ったのでしょうか」

 仲間の声が、わずかに震えた。

 エクリアは答えなかった。

 答えるべき言葉が見つからなかったから、ではない。


 答えたら、この怒りに言葉の形を与えることになる。言葉になった怒りは、制御を失う。今はまだ、それをしてはならない。術式の解除が終わっていない。同胞への怒りは、仕事が終わってから、きちんと向き合う。



 正面から、白い法衣をなびかせた聖導教団の兵士たちが、怒号とともにエクリア=レインへと肉薄する。


 掲げられた剣が、日光と入れ替わり、出てきた月光によって鋭く光った。だが、エクリアは漆黒の目隠しの奥で、その兵士の「実体」を冷ややかに見据えていた。


 彼女が静かに地面に向かって掌を向けると、襲いくる兵士たちの足元を正確に捕らえるように漆黒の魔法陣が次々と展開された。


「……ディーレ・パーラ・(偽りの体よ、)エグジトロン(土に還れ)


 エクリアの声が響いた瞬間、魔法陣からどす黒い波動が逆巻くように噴き上がった。  

 魔法陣に踏み込んだ兵士たちの姿が、水面に映る影のように激しく歪み、次の瞬間、その「皮」が音もなく剥がれ落ちた。

 美しかった法衣は泥へと戻り、内側から剥き出しになったのは、おぞましい藁を芯にした泥の塊――泥骸兵の無機質な本体だった。


 術式を解体された人形たちは、振り上げた剣を振り下ろすことすら叶わず、崩壊していく。  

 グシャァ、と湿った音が、街中に連続して響いた。それはかつて教団に奪われた同胞たちの「時間」が、無残なゴミへと戻っていく葬送の音のようでもあった。


 エクリアは、止まることなく次の一団へと掌を向ける。

 襲いかかる泥骸兵を、魔法陣で一つひとつ丁寧に、しかし一切の慈悲もなく暴いていく。兵士の形をしていたものが、彼女の足元で汚れた藁と泥の山へと変わっていく。

 誰も声を上げなかった。  

 黒曜魔導団の女性たちは、一体ずつ、静かに、丁寧に。その「嘘」を解いていく。  

 その徹底した静けさこそが、言葉にするのも汚らわしいと感じるほどの、彼女たちの深く重い怒りを物語っていた。



 戦いの音が遠のいていくのを、ルミナスの民は扉の隙間から感じ取っていた。

 最初に外へ出たのは、大通りに面した石造りの長屋に住む老人だった。扉を細く開けて外の様子を伺い、矢の飛ぶ音も、白い法衣の影も見えないことを確認してから、ゆっくりと通りへ踏み出す。

 それを見て、隣の家の扉が開く。また一つ。また一つ。


 やがて、通りに人影が増えていった。

 商人が、倒れた看板を引き起こす。

 石畳の上に散らばった木箱の破片を、ほうきで丁寧に掃き集める女性がいる。子供が母親の後ろから顔を出し、宿舎の方角に上がる煙を指さして何か言っている。母親は子供の頭に手を乗せ、自分の前へ引き寄せた。

 その横で、石畳の上に無数に転がる藁の塊を、小柄な獣人の少年が不思議そうに見ている。


「火事だ! アランレイス様の宿舎が!」

 誰かが叫んだ。


 通りに出ていた人々の視線が、一斉に宿舎の方角へ集まる。橙色に揺れる炎が、石造りの建物の上階から天に向かって伸びていた。


「火が広がる前に消さないと!」

導水筒どうすいとうを持ち出せ! 早く!」


 衛兵の一人が大声で叫ぶと、それが合図になったように、人々が動き始めた。



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― 新着の感想 ―
世界観の設定がちゃんとあるんだなーって感じがして読んでいて面白いです!!
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