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12/12

12´ 城壁外での乱戦

 石畳の道路脇の一角に、鋳鉄製の重い蓋がある。

 衛兵と住民が合わせて四人がかりでその蓋をこじ開けると、地下水路特有の冷たく湿った空気が吹き上がってくる。水の音が、暗い穴の底から聞こえてきた。


「導水筒、接続!」


 別の衛兵が、倉庫から引き出してきた大きな銅製の長い筒を持ってくる。先端が複数に分かれた、複雑な接続部を持つその道具を、地下水路の口へ差し込む。刻み込まれた模様が、接続の瞬間に一度だけ淡く光った。

 レバーを引いて水路と導水筒の接続部の弁を開く。

 地下から、ごぼごぼという音がした。

 次の瞬間、筒の先端から、高圧の水が白い霧となって噴き上がった。


「放水!」

 衛兵が叫ぶ。


 二人が筒を肩で支えながら向きを変え、宿舎の上階へ向けて水を放つ。霧状の水が炎に触れ、激しく蒸気を上げた。白い水しぶきが、橙の炎を押しつぶしていく。

 一本だけでは足りない。別の場所の蓋も開けられ、もう一本の導水筒が接続される。そして三本目。


 高い放物線を描いた水が、炎の中心を押し返していく。轟音が静まり、代わりに激しい水の音が夜の街に響いた。時折、炎が水に抗うように激しく燃え上がるが、三本からの水量には勝てなかった。上階の窓から見えていた炎が、少しずつ、少しずつ、小さくなっていく。


 宿舎から離れた場所で、それを見ていた俺たちは、その光景を遠目に眺めていた。

 地下から引き上げられた水が、魔道具の仕組みで放水されて、街の炎を消していく。この街が長い時間をかけて作り上げただろう仕組みが、今夜もちゃんと機能している。

(……この街、すごいな)


 こういうインフラがあるから、戦いが終わっても、街が死なない。そういう積み重ねの上に、ルミナスは立っているんだと思った。


 消火が進む中、宿舎の周りには続々と住民が集まってきた。

 避難から戻ってきた人々がランプを片手に宿舎の前で立ち止まり、焦げた壁と水煙を眺めながらざわついていた。


 夜の暗さで、俺たちのことに気が付かなかったようだった。しかし、しばらくすると、住民の一人が目を細め、俺の隣にいる男を見た。

「……あれは」

 声が漏れた。


 白銀の鎧をまとった男。

 だが、「白銀の鎧」と呼んでいいのかどうか。

 鎧の胸板には無数の亀裂が走り、表面は錆と煤で覆われている。左腕の鎧は消え失せ、露わになった皮膚に黒ずんだ線が幾筋も走っていた。立っているだけで相当に消耗しているのか、剣を支えに肩で息をしていた。それでも彼は、倒れなかった。


「……何が……何があったんですか! アランレイス様!!」

 住民の女性が、声を上げてこちらへ走ってくる。


 その声に引き寄せられるように、周囲の人々の目がアランレイスに集まる。

 住民たちが駆け寄ってきた


 アランレイスが「ボロボロになっている」ということが、住民たちには想像できないことだったのだ。この街の剣聖は、いつだって完璧だった。傷つくはずのない男が、今、剣を支えに立っている。



「……少々、大変な夜だったよ」

 アランレイスは、口の端を上げた。笑っているのだろうが、その顔には隠しきれない疲弊が刻まれていた。瞳は澄んでいる。だが、その体がどれほどの消耗を抱えているかは、近くで見れば一目瞭然だった。

「し、しかし……その左腕は……!」

「後でいい。今は街の状況を確認しなければ」

「アランレイス様、まず聖療院に!」

「誰か衛兵を呼べ!」

 複数の声が重なる。ざわめきが場を揺らした。

 アランレイスは少しだけ考えてから、頷いた。


「……そうだね。だが、その前に、今夜のことを皆に説明しておきたい」

 周囲が、静かになった。


 アランレイスの声は、低かったが、端にいた民衆まで届いた。

 さきほどの襲撃は聖導教団によるものだったこと。目の前の宿舎まで聖導教団の手先が来たこと。そして。


「俺は、教団の断罪官と一対一で戦うことになった。だが、俺一人では決着をつけられなかっただろう」


 アランレイスの視線が、俺の方へ動いた。


「この街に来たばかりで、俺が御用聞きとして雇った若者がいる。ヨースケ、と言う。俺のすぐ傍で戦いを見ていた彼が、相手の使っていた魔道具の仕組みを見抜き、術を破ってくれた。その手助けがなければ、俺はあの断罪官に敗れていた」


 住民たちの目が、俺に向く。

 俺は気恥ずかしくなって、目をそらした。


「……彼が、俺を勝たせてくれたんだ」


 アランレイスの声は、ただ、静かに事実を言うような口調だった。大げさな賛辞でも、感動的な語りかけでもない。そのぶんだけ、言葉が重かった。


「……昼間のあの若いのが?」

 住民の一人が、俺をしみじみと眺めた。壮年のドワーフの男で、顔に見覚えがある。昼間に露店の果実を散らかしてしまった、あの強面の男だった。

「剣聖様を助けた、ということか……」

「ただの流れ者じゃなかったのか」

「なんて勇気だ……」

 ドワーフの男が、太い腕を組みながら唸った。

「剣も魔法もないのに、そんなことができるのか。……たいしたもんじゃないか」

 ざわめきが、少しだけ違う種類に変わった。驚きと、困惑と、素朴な感心。

「えらいじゃないか、若いの」

 ドワーフが、俺の肩を大きな手でポンと叩いた。その重さに、俺の膝がわずかに沈んだ。

「本当にありがとう」

 続いて、近くにいた年配の女性が静かに言った。

 それだけだった。


 俺はこの街に来て、まだ一日も経っていない。名前を知っている人もほとんどいない。でも、見知らぬ人たちが「ありがとう」と言ってくれている。

 それがなんだか、本当に認められたように感じて嬉しかった。


 民衆の誰かが呼んだのか、衛兵が数人駆け寄ってきた。

 衛兵の一人が俺の傍に来た。

「ヨースケ殿ですね? 聖療院へご案内します。アランレイス様も、早急に手当が必要です」

 アランレイスが苦笑した。

「……そうだね。世話になってすまない」

「ほかの方々は、アランレイス様の宿舎の使用人の方々ですね、他の宿舎を一時的に手配します。彼が引率します」

 支配人の人たちと、テオは軽装備を着てランプを持った衛兵に連れていかれた。


 一方、俺とアランレイスは、ガラス製のランプを持った衛兵たちに付き添われながら聖療院の方へと歩き出した。衛兵の一人がアランレイスに肩を貸している。


 振り返ると、明かりを持った住民たちが倒れた木箱を直したり、石畳の破片を片付けたりしていた。看板を立て直す音がする。子供が、路地の端に残った藁の山を不思議そうに突いている。母親がその手を引いて、歩き出す。

 ルミナスの街は、戦場を抜けて、もう一度生活の場として動き始めていた。




 だが、城壁の外、ルミナスの平原は絶望に包まれていた。


 守備隊の陣形はすでに跡形もなく崩れ、兵士たちは数千の教団兵に飲み込まれるように散り散りになっている。孤立した守備隊副長ダグラスは、ひび割れた盾を構え、肩で荒い息をついていた。


「……くそ、これほどの数差では……!」


 三千を超えると推測される教団兵が、無機質な沈黙を保ったまま包囲を縮めてくる。どれほど切り伏せても、白銀の法衣をまとった軍勢は怯むことなく進軍を続け、大地を埋め尽くしていた。数に押し潰されるのは、もはや時間の問題だった。


 その時、血と硝煙にまみれた戦場へ、夜闇よりも深い漆黒の一団が降り立った。


「倒れるにはまだ早いですよ。あなた方が守るべき街は、まだ背後に健在です」

 凛とした、しかし氷のように冷たい声が響く。


 ダグラスが顔を上げると、そこには漆黒の衣をまとった女性――エクリア=レインと、彼女に付き従う十人ほどの魔導師たちが立っていた。


「……黒曜魔導団!来てくれたのか! だが、見ての通りだ! 陣は崩れた、この数の差ではどうにもならん!」


 黒曜魔導団は大陸最強の魔導士集団だ、もちろんダグラスもそのことは知っているが、この戦況を崩せるとは思えなかった。

 エクリアはダグラスの焦燥を一蹴するように、漆黒の目隠しの奥で戦場全体の魔力波形を透かした。


「数、ですか。……あなた方の目に見えている『嘘』に、怯える必要はありません」


 エクリアが静かに腕を上げ、前方を指し示す。それを合図に、背後に控えていた魔導師たちが一斉に戦場へと散った。


「嘘とはなんのことだ!説明してくれ!」

 ダグラスの叫びもむなしく、黒曜魔導団のエルフたちは去った。


「……ディーレ・パーラ・(偽りの体よ、)エグジトロン(土に還れ)

 一人の魔導師が詠唱し、眼前の教団兵へと掌を向けた。瞬時に、兵士の足元に漆黒の魔法陣が展開される。魔法陣から噴き上がった波動が兵士を飲み込み、泥と藁に還す。


 エクリア自身も、詠唱し聖導教団の兵の術式を解く。


ディーレ・パーラ・(偽りの体よ、)エグジトロン(土に還れ)

 エクリアの声とともに、教団兵たちの身体が崩れ落ちる。


 黒曜魔導団の魔導師たちがそれぞれの持ち場で魔法陣を展開するたびに、平原を埋め尽くしていた数千の軍勢が、次々と汚れた藁と泥の山へと戻っていく。グシャアという音が平原のあちこちで連鎖した。


「な……!? 人形……だったのか! 三千の軍勢が、もしや、全部……!」


 ダグラスが目を見張る。幻影の皮を脱ぎ捨てた後に残されたのは、本物の教団兵三百足らず。圧倒的な数という重圧が、一瞬にして霧散していく。


「幻影術と泥骸兵……。同胞から奪った『命』を、このような醜い使い方で……」


 エクリアの言葉には、抑えきれない怒りが冷徹なまでの静けさとなって滲んでいた。

 魔法陣によって術式を解除された泥骸兵たちは、もはや形を維持することすらできず、自重に耐えかねて次々と崩壊していく。


「副長殿、人形……泥骸兵の術式はすべて解き終えました。……勝てないとは、言わせません」


 エクリアの言葉に、ダグラスの瞳に再び火が灯った。彼は剣を握り直し、散り散りになっていた兵士たちへ向けてえた。


「全兵、俺に続け! こけおどしなんて姑息な真似をした腰抜けどもを、ルミナスの平原から叩き出すぞ!」


 形成は逆転した。

 兵士たちと黒曜魔導団は、後方で必死に術式を維持しようとしていた教団員たちへと狙いを定めた。


 彼らの剣が、魔法が、操作核となっていた教団の魔道具を粉々に粉砕する。


 戦場の騒乱が、急速に静寂へと変わっていく。

 その逆転劇と勝利に兵士たちは沸き立ち、歓声を上げた。

 エクリアは逃げゆく教団兵の背中を追うこともせず、泥と藁が散乱する平原を、漆黒の目隠しの奥からじっと見つめていた。


 長い夜が、ようやく終わろうとしていた。

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