『預言』の崩壊 -『神託』にない魔王降臨
その日もアンネローゼはいくら倒しても魔物が沸き出てくる王都近くの洞窟―――通称『レベリング最高効率』で鍛錬をして、ユズキを大神殿に送ってから王城に報告に上がっていた。
「本当に、手をこまねくばかりでよいのか。神託の通り、砦の整備や騎士団の鍛錬は進めているものの……」
「はい。現に魔王軍にも目立った動きはありませんでしょう。―――神託によると、未だその時ではない、とのことです」
アンネローゼはもはやお飾りの聖女ではなく、この国でも指折りの魔法の腕を持つようになっている。彼女はただ神殿の奥で祈るだけの少女ではなくなった。今は平時ではなく有事なのだそれに『真なる聖女』が訪れたのだから当代ではないと屁理屈を並べて公爵家の貴族籍を取り戻したのだ。そして正しく魔王討伐の切り札たる少女の庇護者として、時には王家に最も近い筆頭公爵家の令嬢としての力を使って防波堤として立ち居振る舞っている。王への定期報告も、いつもの定型文で乗り切れるほどになっていた。
「……聖女様。聖女様のご様子は……、あ、いや。あなたも聖女様なのですが、もう一人の」
「どうぞ私のことは、アンネローゼと。聖女様はお元気よ。……ずいぶんとお元気になられました」
「デルモ砦でのことですね。……面目次第もございません。神託を戴いておきながらあの体たらく。聖女様と……アンネローゼ様がいらっしゃらなければ、第二師団は壊滅していたでしょう」
その日、王城での報告の帰りにアンネローゼを呼び止めたのは現騎士団長であるオイゲン将軍だった。セルゲイに手を焼きながらも決してかれを見捨てない、誇り高き王国の盾。アンネローゼよりも十五ばかり年上の大人の男だ。彼は聖女ふたり―――少女たちが異形との戦いに駆り出されている現状を深く憂いている。うやうやしく頭を垂れるかれを前に思わず唇が吊り上がりそうになり慌てて礼をするふりで俯いたのは、どうにもユズキの興奮しきった声を思い出してしまうからだ。
『オイゲン様……、オイゲン様もいるんだよね、そりゃ居るよね……。ねえアンナ、もしかしてアンナだったらセルたんから自然な流れで騎士団の練習場所とか聞き出せたり』
『ええもちろんよ。聖女様が訓練を見に来ると聞いたらきっと皆さん大喜びするわ』
『だだだ駄目ッ! ダメだって、私は壁の染み派なの! ……セルたんとオイゲン様が並んでるとこ見たいだけなのォ……!』
なにせこの厳つい顔と厳つい体格をした立派な騎士様が、従弟と並んでユズキの『推し』の片割れなのである。
「我らは神託の通り、隊列を組んでの訓練に勤しんでおります。練度も十分上がったかと思いますが」
「……ええ。彼女の神託では、われわれの魔王討伐の旅への出立を嗅ぎ付けた魔族によってこの王都が襲撃される。それを返り討ちにするのが、反撃の狼煙の第一歩です。聖女の神託は変わりません。王国の盾よ、どうか今度こそひとりの犠牲もなきように」
「……承知いたしました。もとより聖女様方に救われた命ですが、そのご慈悲に感謝いたします」
『ルナクエ』では、旅立ちの前のその襲撃でオイゲンは片目を喪うという。隻眼のオイゲン様も格好いいけれど、と、ユズキは俯いて零した。出来ることなら無事でいてほしい。だけれどそうすると、セルゲイが『メインキャラ』ではなくなってしまうかもしれないのだ、と。
本来であれば魔王討伐の旅に同行するのは王国随一の強者、騎士団長であるオイゲンだった。けれど王都襲撃においてユズキと―――そしてユズキを庇ったセルゲイの窮地に飛び出したオイゲンが大怪我を負うことによって、その役割はセルゲイに交代をする。
間合いを測って剣を振るう騎士にとって隻眼になることがどれほどのことか、本当の意味でアンネローゼにはわからない。素直ではないけれど何かと気にかけてくれるオイゲンを恩人とも思って尊敬しているというのにその騎士生命に深い傷をつけてしまったことを悔いたセルゲイは、魔王討伐の旅に出られないことを聖女に謝るオイゲンに『必ずあなたの代わりに魔王を倒す』と誓いを立てるのだ。
その二人の関係性こそが、『ルナクエ』においてユズキをもっとも魅了したものだったのだという。本当にふたりのことを話し始めると止まらないのだ。目をキラキラさせて、とても幸福そうな顔で話すものだから、アンネローゼはついつい何かにつけてユズキにその話をさせてしまう。
直接顔を合わせるとこんな堅苦しい会話しかしないくせをしてアンネローゼは『ファンディスク』でしか明かされないという目の前のおとなの男が警邏の際にはパン屋の裏の猫に欠かさず会いに行っているだとかあんなことやこんなこと、そんなことまで全部知っているというわけで、少々気まずい。早々に立ち去りたかったが、承服いたしかねる、という顔をしたオイゲンが言葉と裏腹にアンネローゼの前から退いてくれないので、ついに眉を下げた。
「……オイゲン様?」
「セルゲイから、アンネローゼ様の魔力が日に日に強くなっていると聞いておりました。私も実際にこの目で見て、しかと感じています。……やはり異世界の聖女の力でしょうか。……国防のため、我々にもそのお力をお借り出来ないものかと思いまして」
「……」
ユズキがこれを聞いたらどんな声を上げて飛び上がるかな、と、小さく笑う。
「国を思う気持ちは私も同じですもの。そこまでおっしゃるなら、お伺いしてみますわね。……すべては、女神様の御心のままに」
深々と頭を下げて道を空けたオイゲンの横をすり抜け、アンネローゼは大神殿への帰路へ着く。
当然にその日の出来事を話せば、ユズキは最終的に欲に負けた。
王都の訓練場でオイゲンやセルゲイを前にしたユズキはちょっと不安になるくらいに挙動不審でアンネローゼの背に隠れて震えていたけれど、ふたりと共に『レベリング最高効率』の洞窟に向かったその日は過去一番の魔法のキレを見せていたし、その日の晩は神殿に戻ってから空が明らむまで頬を紅潮させて二人の素敵だったところを話し続けるくらいに良い経験になったようなのでアンネローゼも嬉しくなったものだ。
それまではアンネローゼと二人だけで『レベル上げ』に勤しんでいたユズキも、その騎士団との交流を機にようやく『メインキャラ』たちとの接触を始める踏ん切りがついたらしい。
「聖女より神託を賜りました。―――私たちと共に魔王討伐の旅に出る者、すなわち、聖なる武具の使い手は伝承どおり五人。五人がひとところに集まったとき、魔王軍の襲撃が始まるとのこと」
聖剣、聖槍、聖杖。そして聖盾と聖弓。人知れず封印されているというそれらを集め、魔王城への道を開く。本来であればそれらの封印場所を探すのにもいくつかの手順があるようだが、ユズキは封印を解くべき順番を含めて全て記憶しているという。
「……腕に覚えのある者を集めよう。そして喜ぶべきことに―――聖剣はすでにここにある」
国王を始めとする国の中枢部が集まった極秘会議の場でアンネローゼがユズキの代弁をすると、王は重々しく頷いてレオンハルトに目をやった。ああ、とアンネローゼは目を伏せる。『剣の勇者』、聖剣に選ばれるのはかれだ。『神託』の通りだった。
「はい。王家に伝わる聖なる剣……かつて魔王を封印した聖女と結ばれた王子が振るったといわれるもの。王家に伝わる文書を辿り、剣は、すでに私が封印を解きました」
大臣たちの間に悲愴なざわめきが広がるのも無理はない。王太子には年の離れた妹が居る
が、それだけだ。彼に何かあれば王国は優秀な王の後継を喪うこととなる。
ぎゅっと隣に立つ少女の掌を握りしめたその時、視線を感じて恐る恐る顔を上げるとレオンハルトと目が合った。いつもの調子で微笑まれ、つい眉が下がる。
「聖槍か、聖盾か……、どちらか一方、使いこなしてみせましょう。どうか私も、王太子殿下と聖女様方の守りに」
「待てオイゲン。そなたが出れば、王都の守りはどうなる」
「次期騎士団長に相応しい才を備えた者がいますとも。なあに、少しくらい無茶をさせたほうが育つ男だ」
次いで、オイゲンが手を挙げる。この先に待ち受ける『神託』を思って胸が痛んだが、隣に立つユズキに痛いくらいに手を握られたので意識はそちらへともっていかれた。
「杖は、魔法の根源に最も近い方に。弓は、魔王へ一矢報いたいと心から願う方に。槍は、正しい心をお持ちの方に。盾は、王国の盾に相応しい方に」
少しの沈黙のあと、ユズキが歌うように呟く。召喚時のあの明るさをどこへやったのか、あまり人前で話したがらない―――『コミュショー』という状態らしいユズキがこの会議の場に顔を出すことも発言をすることも珍しい。おまけにこれまでは年相応の言葉遣いをしていたユズキがまるで令嬢のように淑やかに話すのに、部屋には僅かな緊張が走った。まさか女神さまが降りたのでは、と思ったのだろう。それまであった騒めきは一息に収束した。
「心当たりがあるものはおるか。―――おお、そうか。のちほど聞かせよ」
魔法の根源に近い方、と言われれば王国の人間であれば皆心当たりがあるだろう。まだ色良い返事は貰えていないがユズキも接触は進めていた。
二年前、魔王の復活と共に滅びた国の生き残り、亡国の皇子が魔王への復讐を掲げて義勇軍を率いていることは有名な話である。
正しい心を持つ槍使い、についても、王国の盾たるオイゲンあたりは心当たりがあるはずだ。
沈黙を破った王はぐるりと周囲を見回して、聖なる武具の使い手がもう間もなく集まるであろうことを知ったらしい。
「聖武具に選ばれる方がひとところに集まれば魔王にも知られます。レオンハルトさま、他の候補が揃うまでは王都を離れていただいたほうがよろしいかと」
「王都襲撃の神託のことか。確かにそうだね。……拝命した」
縋るようにアンネローゼの手を握るユズキに目を向けると、近いところに視線の高さがある彼女はいつも通りににこりと微笑んだ。それに安心をして、アンネローゼも頷いて応える。
「……神託は以上です。聖女様と私は、引き続き魔王封印のための鍛錬を続けます」
退室したい素振りを見せたユズキのためにアンネローゼが声を上げると、レオンハルトが真っ先に動いた。
「では私も鍛錬の場所を探さなければね」
そういって立ち上がり、それに合わせて護衛の騎士たちがドアを開く。
「アンネローゼ、聖女ユズキ。そちらも気をつけて」
「―――はい、レオンハルトさま。ご武運をお祈りしております」
アンネローゼが声を絞ると、かれは嬉しそうに破顔してそのまま部屋を出て行った。
それから王が辞し、ある程度身分の高いものが去ると近衛兵たちに退出を許される。
さすがに手をつないだまま退場するのは気が引けたか手が離されたので、アンネローゼが先に場を辞した。いつも通り先導し歩くアンネローゼの背を追いかけてくる足音の後ろで重たい扉が閉じてから、彼女に声をかけてみる。
「たくさん話したわね。皆さんびっくりしていたわ」
「アンナの真似。……あんまり私が態度悪いと、アンナに悪いし」
「じょうずだったわ、ユズキ」
ごく小さな声だが、いつも通りのユズキの返事だったのでつい笑顔が零れた。えへへ、と笑いながら隣に並んだユズキに目を細める。
気丈に振る舞う彼女も、ともすればどこかで無垢な聖女を手懐け傀儡にしている不遜な偽聖女、の噂でも聞いたのかも知れないと思った。が、そんなことは救国の前には些事である。
「……いよいよね」
「あー……緊張するう……」
旅立ちの直前にレオンハルトを王都から離す―――そうすることで『メインキャラ』との交流を始めながらも『旅立ちのイベント』を回避する。聖武具に選ばれる五人の勇者が集まるタイミングをコントロールするのは『ルナクエ』の序盤から中盤で取り得る選択肢のうちのひとつで、もっとも有用なものであるという。
『ゲーム』の『ルナクエ』では本来『神託』を何も知らない少女がひとりこの世界に放り出され、『メインキャラ』たちとの交流をしながら聖なる武具の存在やそれを手に入れるためには封印を解かなければいけないことなどを知っていくことになる。
先ほど王の前で宣言したように誰が聖武具の勇者なのかは分からないまま、手探りで冒険をするのだそうだ。王都で一つ一つの出来事が複雑に関係しあっているため、思わぬところで思わぬ『イベント』が発生することがあるとユズキは言った。
たとえば五人の勇者が早期に揃ってしまえば『メインキャラ』とあまり仲良くなっていないうちに王都襲撃が発生し、やむなくほとんど事故のように旅に出て討伐の旅がみょうによそよそしいものとなる―――『ノーマルエンド』なる未来もある。
けれどユズキはすべてを知っている。『フラグ管理』はお手の物、と本人の言う通りに、すでにアンネローゼとユズキが王都を襲う魔物と十分に渡り合える実力を備えるだけの時間を稼いでくれた。『レベルを上げて物理で殴る』準備は整っているのだ。
あとは『フラグ』だけを立ててレオンハルトを王都から遠ざけておき、冤罪によって流刑地へと流された隣国の元英雄・槍使いのアンバーが王国の手の者に密かに救い出されて王都に到着して聖女と親交をある程度深めてから万全の体勢で王都の外で起きるレオンハルトの『イベント』を発生させにゆけば五人の勇者が十分に戦える状態で旅に出ることが出来る。
本来の物語の手順とは異なるものの、それが次に起きる『旅立ちのイベント』のもっともよいタイミングなのだそうだ。優しくて怖がりで、それでもこの世界を諦めないユズキが選んだのがそれだった。
「……でも、レオンハルトさまが素直に従ってくれて助かったよ。そこだけは不確定要素だったから」
「ええ……」
『ゲーム』では、レオンハルトをどのように王都から遠ざけるのか。
そのカギになるのはアンネローゼだという。真なる聖女に嫉妬をし、お飾りの地位では満足できなくなって『闇堕ち』するアンネローゼ。彼女を救う『フラグ』のひとつが、その『イベント』であるという。
神殿から姿を消したアンネローゼを追いかけて―――討伐するために、レオンハルトは王都を離れるのだ。とはいえ聖剣の力も十全には使えない状態では惜しくも討ち果たすことは出来ず、恋した王子に剣を向けられ憎しみだけを募らせたアンネローゼは闇の中に消え、魔王の手先と成り果てて聖女たちを待ち構えているらしいが。『フラグ』だけ立ててレオンハルトのもとへと出向かなければ、かれはいつまでもアンネローゼの居ない平野で野営を続けることになるのだという。
「アンナはここに居るもんね」
「ええ」
だから大丈夫、とユズキが笑う。アンネローゼも頷いた。大丈夫だ。だってアンネローゼには、自ずから決めた役割があるのだから。
レオンハルトとセルゲイ、アンバーに加えて残る二人の勇者は平民出身で変わり者の魔法研究所長のジュリオと、魔王によって国を滅ぼされ家族を殺された亡国の皇子シオンだ。
研究所長は『フラグ』が立っていなくとも最終的に王命によって登城を迫ることが出来るようだが、それだと『レベリング』が捗らないらしい。なんとか早めに協力を取り付けたいがユズキと相性が悪いのかなかなか話を聞いてもらえずしばらく苦労していた。
亡国の皇子は義勇軍を率いて国境の合間を飛び回り魔王軍との小競り合いをしているのでこちらから出向いて会いに行く必要がある。こちらもジュリオとはまた違う方向に気難しい男だそうなので、できればユズキが直接向かいたいと話していた。ちなみにかれはアンバーに徐々に心を許し、いい感じになるそうだ。この二人も良いんだよね、とユズキが言っていたのでアンネローゼもそれを覚えた。
「帰りましょう。わたしたちの神殿へ」
「うん……」
ひとまずやるべきことは終えたので、アンネローゼはユズキのそう声をかけた。王城から大神殿へはそれなりの距離がある。というのも、二つの建造物は王都の大通りの両端に位置しているためだ。初代聖女は王妃でもあるのだから近くに建てればいいものを、と思ったことは一度や二度ではない。神殿兵が警護する馬車に乗って大神殿に向かうあいだ、ふたりの間には少しの沈黙が満ちた。
大神殿はすでにアンネローゼがマクスウェル公爵家の名を出さぬよう注意を払って掌握している。聖女に取り入ろうとするものやアンネローゼを排斥しようとするものはもうここにはいない。ユズキにとっても安心できる場所だ。
神殿の奥、天井が首が痛くなるほど高いふたりきりの部屋に戻るなり、ユズキはソファにほとんど倒れ込むように身を預け天を仰ぐ。移動中ずっと我慢していたのはアンネローゼも分かっているので、微笑んでそれを眺めるに留めた。
「はあァ~、それにしても聞いた? 聞いた? 少しくらい無茶をさせたほうが育つ男だ、って!」
「ええ。オイゲン殿は本当に、セルゲイのことを買ってくださっているのね」
「うう……、でもその無茶っていうのが……、聖女を庇って死にかけることなんだもんなあ……」
そしてかれを守るため、王国の盾たる騎士団長は深手を負う。ユズキとしても近いうちに待つその悲劇をどう受け止めるべきか悩んでいるのだろう。
「でも無理、尊い……。オイゲン様笑ってた……」
その様子につい笑みがこぼれる。そうね、笑っていたわね、といつものように返そうとしたところで、普段ならば何人たりとも入ってくることのない神殿に人の気配が増えていたことに気が付いた。聖女として漫然と祈りを捧げていたころには感覚もなかった結界を、可視できるレベルで編み上げられるようになったのはここ最近の話だ。
「ユズキ、誰か来たわ」
「へっ、え、『イベント』!? 何の?」
ソファで仰け反っていたユズキが慌てて起き上がる。この場所を守る神殿兵は公爵家の息が掛かっており、相応の権力者でも突破は不可能なはずだ。
アンネローゼもまた腰かけていたソファから立ち上がり、こちらが気づいたことに勘づいて近寄ってくる気配からユズキを庇うように腕を伸ばして魔力を纏わせると、慌てたようにユズキの腕に腕を引かれた。
「……ほんとうに仲がいいんだな」
そこに現れたのが想定外の相手だったので、アンネローゼは思わず眉を上げる。なるほど彼
ならば神殿兵も止められないだろう。
「アンネローゼ、きみがそんなふうに笑うところは―――久しぶりにみた」
「レオンハルトさま……」
王太子殿下がそこに立っていた。王族であれば神殿に立ち入ることも許されているものの、ここには国を救う鍵となる聖女が二人過ごしているのは周知のとおり。アンネローゼが王城に会いに行くことはあっても、未婚の王子たるかれは『真なる聖女』とアンネローゼの双方が居る場を訪れることによる無用の憶測を呼ばぬようにとしていたはずだ。これまでにはよくあったようにして彼の方からアンネローゼを訪うのは、少なくともユズキがこの世界にやってきてからは初めてのことになる。
「先触れもなくすまない。明日には出立するから急ぎでね」
「あっ、さ、さっきはありがとうございました!」
アンネローゼの腕を持ち上げ、脇から頭を差し込むかたちでこそこそと顔を出したユズキがひっくり返った声で礼を言った。先ほどの会議で打ち合わせもなしに王太子を王都から追い出すようなことを告げたというのにレオンハルトの振る舞いは冷静で、こちらの意図を汲んで動いてくれたことで『神託』が自然と受け止められたように思う。
「いいや。こっちこそ嬉しいよ。―――ようやく俺も除け者じゃあなくなった。……聖剣を抜けなかったらどうしようかとひやひやしていたんだけど、あの場に間に合ってよかった」
レオンハルトはその美しい蒼眼を不敵に細め、そう笑って答えた。
それを聞いて思わずアンネローゼは祈るように手を握り合わせる。その腰に提げられているのが聖剣か。国宝、あるいは秘宝にあたるそれは王城の奥深くに安置されているはずだとユズキから聞いていた。一定程度に『イベント』が進むと入手できる、確実に手に入る唯一の『聖なる武具』。そうとは気づかなかったが、レオンハルトはもしかすると先ほどの会議から帯剣していたのかもしれない。
「伝承では、五つの聖武具が集まると共鳴して聖なる力を宿し、魔王を封印出来るとか」
「はい。なので、今のままだとちょっと攻撃力が高い武器ってだけです。魔王と戦うときにはちゃんと特殊な効果が使えるはず」
飾りのひとつもついていない、シンプルな鞘に納められた剣を持ち上げたレオンハルトがユズキに聞くと、彼女もまた素直に答えた。
鍛錬をする、と言ったが、『闇堕ち』アンネローゼが居るわけもない場所に向かう彼はいったい何と戦うのだろう。アンネローゼたちがしたように、低級の魔物を狩るのだろうか。本当に彼でなくてはならないのだろうか。かれはこの国を平和に導く王であるべきなのに。
「お気をつけて、レオンハルトさま」
思わず口を開いてしまったのは、ずっとかれが優しかったからだ。お飾りの聖女に、いずれ婚約者となるだろう少女に、ユズキと出会う前のアンネローゼにもかれは優しかった。本当は命を賭けた戦いになど、帰れるとも知れない旅になど身を投げるはずもないひとなのだ。
「……聖剣があり、近衛騎士の皆様も手練れとはいえ、道中危険なことには変わりありません。もちろん、旅の途中では私もレオンハルトさまを御守りいたしますが……」
「きみに守られるほど弱くはないつもりだ。―――そう思っていたけれど、オイゲンの話を聞いて少し自信がなくなっているところだよ。だけど俺はもう魔王討伐の旅の一員だ」
強くなるよ、と彼は言う。
強くなるから、と、アンネローゼを見つめる。
「レオンハルトさま……」
「―――きみがそんなに頑張ってくれてるのに、外から頑張れって言うだけなんてできないだろ……!」
祈るように握り合わせたアンネローゼの手のひらを、熱いくらいの掌がほんの寸の間包み込む。ぎゅっと力を込めてそう念押しをしてから、レオンハルトは二人の前を去っていった。撓んでいた結界が再びぴったりと閉じて、神殿には少女二人だけになる。
広がった沈黙のなか、アンネローゼの後ろに隠れていたユズキがわざわざ前まで回り込んだ。かれに触れらたところが燃えるように熱い。思わず胸を抑えるようにしたアンネローゼの顔を覗き込むユズキと否応なしに目が合う。
「……ふひ」
「なッ、なによ、その笑い……!」
「アンナ、顔真っ赤なんだもん」
彼女のその笑みには心当たりがある。アンネローゼも好きなものを語るときのユズキの笑顔を見るのが好きだった。
「全然そういうのじゃないって言ってたじゃん! 違うじゃん!」
「違いません! レオンハルトさまはむかしからお優しいだけ!」
つんつんと両手の人差し指で脇腹辺りをつついてくるユズキから顔を背け、アンネローゼは胸に焼き付いて離れないまっすぐな眼差しから意識を反らすことに集中をした。かつて焦がれた王子様。初恋の人。いつか結ばれたかもしれないお方。
『真なる聖女』はここにいる。だからふたりはもうそんな関係ではないのに、そんな甘やかな世界ではなくなってしまうのに、レオンハルトがあんなことを言うものだから。ユズキがそんなふうに囃すものだから。
―――夢見てしまった。かれとの旅を。
ユズキの神託、『ルナクエ』にはあるはずもない、アンネローゼがレオンハルトの隣を歩む未来を。
***
事態が急変したのは、それからしばらくあとの夜のことだった。
「な……、なんで……? どうして『イベント』が起きるの……!?」
満月の夜、王都が燃えている。
王都襲撃は『旅立ちのイベント』だ。
神殿の奥にまで鳴り響く警鐘に叩き起こされたアンネローゼがユズキの元へと走れば、つい昨日監獄島から護送されてきたアンバー……最後の『メインキャラ』と出会ったばかりの彼女が寝台の上に座り込み窓の外を見て、顔面を蒼白にして震えていた。
現実主義のジュリオに『神託』を信じてもらうのに時間がかかり、思うようなスピードで隣国の監獄島からかれを連れ戻すことができなかった。ようやく全員集まった、とささやかながらのお祝いをしたその夜のことだ。
「だってッ、だって始まるわけない! レオンハルトは居ないのに!」
『旅立ちのイベント』のことはアンネローゼも彼女から聞いてよく知っている。王都に魔王軍の幹部が攻めてくる、冒険の始まり。
かつて魔王を地中深くに封印した五つの聖武具に呼応する五人の魂が集まったことに人間を弄ぶ一方だった魔王が興味を示して、腹心に聖女たちの様子を窺わせるのだという。
魔王軍の幹部は聖女をあぶり出すために王都を蹂躙し、民を守るために飛び出した一行と軽々と一蹴して「今ここで殺しはしない、せいぜい足掻くがいい」という魔王からの言葉を伝えて去っていく。魔物の群れは騎士団の奮闘むなしく市街地にまで入り込み、死傷者はあのデルモ砦より遥かに多く、翌朝から王都の景色は一変するのだという。
本来は五つの武具集めの拠点として引き続き王都に留まるはずだった聖女はこれ以上周囲を危険に巻き込めないと、仲間たちとともに王都を離れ旅をしながら聖武具の封印を解くことに決めるのだ。そうして、『魔王討伐の旅』は幕を開ける。そう聞いていた。
「なのになんで、どうして……!」
「ユズキ、まずは状況を把握しましょう。落ち着いて」
彼女の『神託』が外れるのは初めてだ。ユズキの動揺もやむを得ないものだろう。しかし、このまま神殿の奥深くに隠れているだけで事態が好転することはない。
「そ―――、そうだねッ! レオンハルトさまは来ないから―――、まず王都の西で防衛戦してるジュリオと合流して、シオンとそれからアンバー……あああレベル足りるかな、最後にお城の前でオイゲン様と……ッ」
震える指を無理やりに畳んでいく彼女の背をさすりながら、王都から離れた場所―――『本来』のアンネローゼが魔王軍へと降るために使ったという魔物溜まりの傍に滞在しているはずのレオンハルトを思う。
まさか彼に何かがあったのか。これまでユズキが丁寧に揃えてきたはずの『フラグ』が誤作動を起こすほどの何かが。
窓の外からは警鐘と怒号、悲鳴が聞こえてきている。身を竦めるユズキの手を取って握った。魔王が復活し、北の帝国の傍に魔界との境界が出来て瞬く間にあの大国が攻め滅ぼされた、と聞いたときの肌が粟立つような恐怖を覚えている。足元が崩れていくような感覚を覚えている。
あのときそれを予言できなかった聖女の手を握ってくれる人はいなかったから、今度はアンネローゼがそうした。
「アンナ! どこにいる。聖女様は無事か!?」
ともかく神殿を出て状況を把握しようと頷きあってその手を取って駆け出したところで、アンネローゼの結界に反応があった。知っている気配に驚いたアンネローゼがその名を呼ぶよりさきに、長い回廊の向こうからかれがこちらに気付いて駆け寄ってくる。
「来てくれたのね、セルゲイ。―――ええ、ユズキも居ます。いったい何が……」
「―――魔王だ。魔王が直接来た。黒い鎧の剣士じゃあない、聖女様が言ってた通りの片翼の男!」
「……そんな」
「魔王!? こんな序盤で!? うそ、そんな『展開』、『ルナクエ』には―――!」
セルゲイの、白を基調とした騎士団の鎧もアンネローゼと同じ白銀の髪もすでに血にまみれている。『本来』であればかれとは王城の前で落ち合って、聖女を出せと王に告げるために城を攻撃している魔王軍幹部との戦闘を共にするはずだった。
「ともかく話はあとだ。……魔王の狙いは聖女様じゃない。王城が半分吹き飛んだ。陛下が死んで指揮系統が麻痺してる!」
「……!」
まさか、とユズキが呟いてふらつく。見かねたアンネローゼが彼女を支える前に、血に汚れた端正な顔をしかめたセルゲイが彼女の身体を軽々と担ぎ上げた。
「アンナ、走れる?」
「はい。私に構わないで、進んで!」
城が落ち、陛下が死んだとなれば王国騎士団は大混乱だろう。同じく城に暮らす姫君の無事も定かではない。運よく―――運よく王都を離れている王太子殿下たるレオンハルトを守りきらなければ、聖女の血を継ぐ王国の直系は途絶える。
そんな中で次期騎士団長とまで言われるこの男が単身ここに駆けつけたことには、かれが自分の従弟であること以上の意味がある。ユズキの動揺を目の当たりにしたせいか、アンネローゼの頭は妙に冷たく冴えていた。
「……殿下の元に聖女をお連れする。ともかくこの場を凌がないと―――」
「魔王は……ユズキを狙っているのではないのね」
「ああ。……聖女様を死守する。オレたちの―――王国の反撃の手段はそれしかない」
うそだ、こんなの知らない、と零すユズキの蒼白な表情をちらと見た。助けて、とはもう言ってくれないユズキが、セルゲイに抱えられていることにも何も言えないままで涙をこぼし、アンネローゼたちには理解の出来ない呪文を唱えている。
「『ロード』! 『リセット』! なんで。『リセット』! 『リセット』だってばァ!」
けれど何一つ状況は変わらない。セルゲイはぎゅっと眉を寄せて一瞬の沈黙を作ったあとで、足を止めたアンネローゼのほうを見た。
まだ自分が『メインキャラ』―――すなわち聖武具の使い手だと知らないセルゲイは、それでもオイゲンからユズキの護衛を任されていることもあってか彼女のこともよく知っている。変な子だけど、アンナが仲良くなるのも分かるな、なんていって笑っていた。根はアンネローゼに似てとてもまじめな頑張り屋だから、きっとアンネローゼの代わりにユズキを守ってくれるだろう。
「……アンナ」
「セルゲイ。後を頼みます。尖兵はどちらに?」
「魔力が濃すぎて殿下付きの近衛に連絡が取れない。第三騎士団の生き残りが西のはずれに向かってる。そこと合流して、まっすぐ遺跡に向かう予定だった」
「賢明な判断ね。姫殿下は?」
「……救出のために第一騎士団が動いてる。王都は火の海だけど、東からなら市民に紛れて逃がせるかもしれない。オイゲンさんは東に回った。―――『王国の盾』ならおまえに替えが効くって」
『預言の勇者』を死守しなくては。そう思ったのは王国の盾たるオイゲンもセルゲイも同じだったのだろう。それでも民を見捨てられないのが、かれららしい、と思った。
「ジュリオ、アンバー、シオンの位置は不明。……生きてりゃいいが、それもわからないくらいだ」
「なんで魔王が。武器と一緒にそろわないと、だって。足りない。だめ、聖武具の力で弱らせないと―――『イベント戦闘』にすらならない……ッ!」
ユズキはがたがたと震える自分の身体を抱きしめるようにしながら、譫言のようにそう呟く。知っている。アンネローゼにはいつだって包み隠さず『ルナクエ』の話をしてくれた。聖なる武具が揃わない状態で魔王に挑むと戦うまでもなく敗北する『バッドエンド』に待ち受ける王国の運命も、一歩及ばず『アンネローゼ』戦で負けた際の演出も、何もかも。
「―――分かったわ。私がかれらを探します。あなたたちは先にレオンハルトさまの元へ向かって」
―――夢を見ていた。
何も果たせなかった『聖女』として自己嫌悪に沈むのではない、他のだれでもない『真なる聖女』に魔王封印の相棒として選んでもらった、というとてもすてきな夢を。
望まれたことに懸命になるのではなくて、自分のやりたいことのために全力を尽くす素晴らしさを教えてもらった。いつしかユズキを助け、支えることが、アンネローゼの何よりの願いになっていたのだ。
大神殿は公爵家によって秘密裡に掌握されている。数代前の教皇が密かに神殿の外へと出る際に使ったという抜け道も当然にマクスウェル家が把握している。二度ほどの分岐を越えれば王都を守る城壁の外まで出られるというから驚きだ。
従弟であるセルゲイにそれを伝えていたのは護衛として役立つだろうという一心からでこんな未来を見越してのことではなかったけれど、説明が不要なのは運がよかった。
「アンナ、何言ってるの……ッ!? いっしょ、一緒に逃げて、嫌、アンナが居なきゃ私、わたし……!」
「ユズキ。―――何が起ころうと、あなたは『真なる聖女』。私たちの世界のために一生懸命に頑張ってくれた。私を選んでくれてありがとう。……大好きよ」
腕を伸ばしてその手を握った。一度だけ。すぐに離す。相変わらずアンネローゼの華奢な手よりも更に小さい手だった。見開かれた黒の瞳が瞬く拍子に涙の粒が散る。
いつのまにかその『預言』に頼りきり、王国は、『聖女』は、こんなふうに顔をくしゃくしゃにして泣く少女にすべてを押し付けてしまったのだ。ただ平和な世界のなかで、『ゲーム』としてこの世界を愛してくれただけの少女に。
精いっぱいの笑顔を作る。セルゲイがぎゅっと目を閉じ、暴れてこちらに手を伸ばそうとするユズキを容易く制して踵を返す。アンネローゼも走った。『メインキャラ』を逃げ延びさせなければならない。そうすれば『神託』どおりになるかもしれない。希望が繋がるかもしれない。
本来、そこにアンネローゼはいなかった。仕方のないことだった。
「いやああッ、離してッ、いや、アンナ! アンナぁーーーーッ!」
だから不思議と怖くはなかった。
嫉妬に狂って魔王に降り、『聖女』やレオンハルトの前に立ちふさがる未来もあった、と知っているからだろうか。それよりはよほどいい。ずっといい。
偽りの聖女アンネローゼにとっては、バッドエンドよりも遥かに上等な結末だった。




