第95話 決戦
朝日が立ちのぼる早朝。
王都の門前には、まだ冷たい朝霧が漂っていた。
衛兵たちの姿もまばらで、街全体が静寂に包まれている。
俺たち三人は、門の前に立っていた。
それぞれの視線は違う方向を向いていたが、胸にあるものは同じだった。
「……さぁ、行こうか。」
ルシルゼーレが低く呟き、ゆっくりと歩き出す。
その背中は細いのに、どこか決して折れない芯のようなものを感じた。
俺とアメルノアは無言でそれに続く。
背後の王都が静かに遠ざかっていった。
「どこか、目をつけてる場所があるのか?」
俺が尋ねると、ルシルゼーレは迷いなく頷いた。
「うん。これから少し進んだところに廃村がある。
そこに、一軒だけ残った家があって……そこの地下室に魔法陣が描かれていた。」
「あれが転移魔法陣なら奴らが逃げた先かも知れない。」
「なるほどな……。」
俺は無意識に拳を握る。
静かな空気の中、靴音だけが草を踏む音と混ざって響いていた。
廃村に近づくにつれて、空気が変わっていった。
風も、どこか淀んでいた。
ふと――視界の端で、赤い光が瞬いた。
「……ん?」
村の方向から赤黒い輝きが断続的に漏れている。
炎とは違う、禍々しい光。
その瞬間、ルシルゼーレの表情が一変した。
「あれは……ッ!」
短く息を呑んだかと思うと、次の瞬間には駆け出していた。
「おい、ルシル!」
呼びかける間もなく、彼の背中は遠ざかっていく。
俺とアメルノアは顔を見合わせ、言葉もなくその後を追った。
冷たい風が頬を切る。
嫌な予感が、胸の奥でざわめいていた。
そして――廃村に辿り着いた瞬間、視界が一変した。
崩れた家々の間で、赤黒い光が暴れるように迸っている。
その中心で、一人の男が剣を振るっていた。
「あいつ……」
ルシルゼーレが立ち止まり、震える声で呟く。
赤い刃が朝焼けの光を裂き、聖騎士たちの甲冑を斬り伏せていく。
男の動きは荒々しく、それでいて異様な精度を持っていた。
聖騎士団の紋章が光に照らされ、次々と倒れていく。
ルシルゼーレは、次に呼吸をした瞬間にはもう剣を握っていた。
視線はただ一点――男へ。
「ルシル、待て!」
俺が叫ぶ間もなく、彼は地を蹴り、一直線に駆け出していた。
その背中には迷いがない。
怒りと憎しみだけが、彼を前へと押し出しているのが分かった。
「くそっ……!」
俺とアメルノアも遅れて走り出す。
赤黒い光が弾け、聖騎士たちの断末魔が響く戦場へ――。
風が唸り、砂埃が巻き上がる。
魄霊剣を振るう男の背後に、ルシルゼーレが迫っていく。
その時、男が不気味なほど滑らかに動きを止めた。
まるで「待っていた」と言わんばかりに。
赤い刃が、ゆっくりとこちらへ向けられる。
「……今度こそ、殺してやるぜ」
その声と同時に、空気が裂けた。
赤黒い閃光が走る。
男が魄霊剣を振り抜いたのと、ルシルゼーレが地を蹴ったのはほぼ同時だった。
金属がぶつかる甲高い音が廃村に響き渡る。
火花が散り、二人の影が幾重にも交錯する。
「ッ――!」
ルシルゼーレは押し込まれた。
重い。剣に乗る力がまるで岩のようだ。
それでも後退しながら、わずかに身体をひねり、剣先を滑らせて受け流す。
一瞬の隙を突いて踏み込み、鋭く袈裟に斬り上げた。
「ほう……!」
男がわずかに目を見開く。
その剣筋は正確で、無駄がない。
鋭い、まるで研ぎ澄まされた刃そのもののような剣だった。
再び激しい打ち合い。
魄霊剣が唸り、赤い残光を引きながら村の地面を抉る。
土が爆ぜ、木片が飛ぶ。
その嵐の中を、ルシルゼーレは軽やかに舞うように動いた。
細い足取りなのに、一歩ごとに鋭さが増していく。
力では押されているが速さと技では、負けていなかった。
しかし――それでも尚、ルシルゼーレは押されていた。
力の差が、はっきりと出始めている。
剣を受けるたび、足元の土が抉れ、体がわずかに後退する。
このままでは、いずれ押し負ける。
アメルノアもそれを悟っていた。
指先に魔力を集め、狙いを定めながら、ただその瞬間を待っている。
下手に援護すれば、ルシルゼーレを巻き込む。
わずかでも隙を見せた瞬間――そこが勝負だった。
そして、その時は訪れた。
男の一撃が、ルシルゼーレの剣ごと弾き飛ばした。
金属が軋み、火花が散る。
「今だ!」
俺とアメルノアの魔術が同時に放たれる。
杖から奔る白と紫の閃光――雷撃。
最近習得した雷が、空気を裂く轟音と共に直線を描く。
アメルノアの炎がそれに重なり、紅蓮の奔流となって男を包み込んだ。
雷と炎がぶつかり合い、爆ぜるように炸裂。
赤黒い煙の中で、男が鈍い声を上げた。
その時――崩れた家の瓦礫の影から、ゆっくりと一人の男が現れた。
灰色のローブに身を包み、背は低く、腹の突き出た小太りの老人。
しかし、その目だけは異様に爛々と光り、狂気を孕んでいた。
その姿を見た瞬間、ルシルゼーレの全身が強張った。
剣を握る手が小刻みに震える。
背中越しでも分かる。――怒りに、震えていた。
「アインザッツ……!」
噛み殺すような声だった。
それは憎悪の名を呼ぶ声。
焼き付けられた過去を突き刺す声。
ルシルゼーレは一歩踏み出し、剣を突きつけるように構えた。
だが、その瞬間――
襤褸を纏った男が、魄霊剣を高く掲げた。
刹那、剣が咆哮するように赤く閃き、男を中心に円形の陣が広がる。
「ッ──!」
地面が脈打ち、赤黒い光が奔る。
次の瞬間、その光が俺たちを呑み込んだ。
視界がぐにゃりと歪み、空気が重く沈む。
意識が霞み、頭の奥が軋んだ。
「……く、そ……」
立ち上がろうとしたが、足が言うことを聞かない。
力が抜けていく。
まるで、体の芯を掴まれて引きずられているようだった。
アメルノアも隣で片膝をつき、苦しげに息をついている。
ルシルゼーレでさえ、剣を杖のように支え、肩で息をしていた。
赤い光はなおも脈打ち、空気を震わせている。
それはまるで――魂を蝕む呪いのようだった。
「ゼインよ、遊びすぎだ。」
アインザッツは低く、湿った声で呟いた。
「ここはもう良い。さっさと片付けて行くぞ。」
魄霊剣を振るっていた襤褸の男――ゼインと呼ばれた男は、剣を肩に担ぎながら舌打ちする。
「へっ、せっかちだな爺さん。もうちょい楽しませろよ。」
そう言いながら、ゆっくりとこちらを振り返る。
血のような赤い瞳が、俺たちを舐め回すように見渡した。
やがて、口の端を吊り上げる。
「そういやぁ……爺さんよ。」
ゼインはニヤリと笑い、顎でルシルゼーレを指した。
「そこの銀髪の坊や、あんたにご執心みてぇだぜ。」
「……っ」
ルシルゼーレは片膝をつきながらも、鋭い眼光をアインザッツへ向けた。
肩が上下し、荒い息を吐いている。
だが、その目だけは決して折れていなかった。
アインザッツはゆっくりとルシルゼーレを見た。
皺だらけの顔に、不気味な笑みが浮かぶ。
「ほう?」
「恨みは……まぁ、買っているかもしれんな。」
まじまじと、ルシルゼーレの顔を見つめる。
そして、何かを思い出したように目を細めた。
「ん……? 貴様、六号か?」
「――ああ、思い出したぞ。施設を逃げ出した“失敗作”だ。」
ルシルゼーレの唇が、かすかに震えた。
だが、その瞳には怯えよりも確かな怒りが宿っていた。
「……そうだ。」
低く、掠れた声で答える。
「お前らに弄ばれた命の――生き残りだ。」




