岬の魔女の討伐
シオジ達の初の冒険談です。シオジも出来る子なんですよね。
最近、サーガの港の北、3里ほど離れた岸壁の突端に「魔女」が現れるという噂が囁かれていた。
それを耳にしたジダンが、これこそ我らが冒険の一歩だと、拳を握りしめて皆に檄を飛ばした。
「魔女を討ち取り、王女様に褒められたい!」
「バカが内心の願望をダダ漏れさせてるぞ」
荷車の前で、シオジが呆れ果てた顔で肩を竦める。卒業したての高揚感で頭が沸いているジダンに対し、シオジの視線はどこまでも冷ややかだ。
「でも、民が困っているなら、私たちで何とかしなきゃ」
サクラがジダンを庇うように、しかし真っ直ぐな正義感を宿した瞳で同意する。
ところが、パーティの影を担うザグドスが、漆黒の外套の下で静かに首を振った。
「いや、むしろ民への被害は皆無だ。家畜を襲われた者もいなければ、呪われた者もいない。ただ、怪しい姿を見た、という目撃談だけが波止場で奇妙に燻っているのだ」
「しかも、現れるのは満潮時だけだからな。我々としては干潮の間に突端の洞窟まで歩いて、そこで夜を待つことになる」
同じ情報をあらかじめ宰相家から得ていたシオジが、淡々と補足する。
「私はサクラ様をお守りするだけですから」
エベロアが、サクラより拝領した大薙刀を愛おしそうに引き寄せ、「鉄堅固」に相応しい隙のない構えでその側へと寄り添った。ソリアスが静かに大盾の紐を締め、オルトルスが「力があれば大概叶う」とメイスを軽く回す。
「よし、では我らの初仕事だ。油断するな!」
ジダンが高らかに宣言し、青い海を見下ろす崖の小道を降り始めた。後ろを歩くヒメが、面白そうにシオジの背中を見つめて小さく微笑んでいる。
数時間後。潮の満ち始めた突端の岩場。
押し寄せる波の音を聞きながら、サクラが不思議そうな顔でシオジに尋ねた。
「……ねえ、シオジさん。もしかして魔女って、この海獣たちのこと?」
サクラが指差す先、夕闇の迫る突端の付近には、数十頭のアザラシやオットセイの群れが上陸し、クスクス、ギャアギャアと賑やかに鳴き声を上げていた。
「いや、いくらなんでも、目撃談のほとんどが毎日海を見ている漁師によるものだ。コイツらを魔女と見間違うほど、彼らの目は節穴じゃないだろ」
シオジも額の汗を拭いながら、やや自信なさげに答える。
「俺の……ヒメ様からの、最高のお褒めの言葉が……」
岩陰で、ジダンががっくりと両膝を突き、完全に放心していた。おどろおどろしい魔女を劇的に討伐する妄想を膨らませていただけに、目の前の愛らしいアザラシの群れとのギャップに耐えかねたらしい。
そんな中、一人オルトルスだけは「ふんぬッ!」と巨大な岩を持ち上げ、何食わぬ顔で筋力鍛錬を楽しんでいた。
その時だった。
「あれは何……?」
サクラが息を呑み、沖の闇を指差した。
激しい白波の合間に、確かに、不思議な燐光がぽつりと漂いつつ、こちらへ近づいていた。
それは近づくにつれ、夜霧の中で、明確に「ヒトのカタチ」をしていることが判別できるようになっていく。
水面を滑るように進む、濡れた長い髪と、妖艶な身体の輪郭。
「人魚……か?」
シオジの口から、乾いた声が漏れた。それは最速の正答だった。
「人魚って、あの、伝説の……?」
ジダンが跳ね起きる。海の国に生きる者なら、誰もが知る古いお伽話。だがそれは、決して美しいだけの物語ではない。
――『その肉を食らえば、不老不死の神の肉体を得る』。
波間に浮かぶ人魚が、冷たい、しかし網に吸い込まれるような瞳で若者たちを見つめる。
その瞬間、シオジの脳裏に、かつて貪り読んだ古い古文書の凄惨な記録が鮮烈に蘇った。
「撤退するぞ! そして、此度のことは全員他言禁止だ!」
シオジがいつになく、裂けるような大声で指示を叫んだ。
「シオジ……?」サクラが驚きに目を丸くする。
「いいから逃げろ! 早くしろ!」
シオジは熟知していたのだ。人魚伝説という狂気に囚われ、破滅していった先人たちの血塗られた歴史を。
かつて人魚を見つけ、その一片の肉片を互いに奪い合うために、昨日の友を刺し、親兄弟で殺し合って全滅した悲惨なパーティがあったことを。そして人魚という生物は、その肉片を奪われようとも、瞬時に肉体を再生させて何事もなかったかのように去っていく、人間の「業」を映す鏡のような存在であることを。
今、この場にいる仲間たちが、その禁忌の誘惑に一瞬でも脳を焼かれれば、この輝かしいパーティはここで終わる。
わずかに満潮時を過ぎた。今ならまだ、波に洗われる崖伝いのルートを死に物狂いで走れば、逃げられなくもない。
「とにかく走れ! 振り返るな!」
「待ってくれ、王家には、なんと報告をすればいい!?」
影に身を潜めながら、ザグドスが緊迫した声で問いかける。だが、シオジの決意は微塵も揺らがなかった。
「そのまま、ありのままを報告すればいい。ただし、世間(、、)に対しては――オレたちは魔女の正体はアシカとオットセイだったと言い張る。それ以外は口に裂けても喋るな!」
結果的に、このシオジの冷徹極まる判断が、王家からの最高の評価に繋がることとなった。
ザグドスを通じて、事の顛末の「真実」は宰相家へ極秘裏に報告された。それと同時に、世間には「若き冒険者たちが魔女の正体を海獣の見間違いだと突き止め、平和を証明した」と公表され、民衆を大いに納得させた。
もし、己の力を過信して人魚に挑み、その肉を持ち帰ろうとしていれば、王宮すらも巻き込む凄惨な権力闘争の引き金になっていただろう。怪物を前にして、欲に目を眩ませず、冷徹に「逃げる」という最大のリスク管理を選択したこと。
この判断こそが、まだ何者でもなかったジダン・パーティが、王家と宰相からの絶大な、そして終生変わらぬ「信頼」を勝ち取る決定的な切っ掛けとなったのである。ヒメもまた、この夜を境に、シオジという男の底知れない『本質』に、誰よりも早く気づくことになる。
……それから数十年が経ち、世界を幾度も救い、すっかり老境に入ったジダンは、川沿いの静かな家で、よく隣のサクラにぼやいていたという。
「なあ、サクラ。俺はやっぱり、あの時、あの人魚と戦ってみたかったなぁ」
「はいはい。もしあの時戦っていたら、あなたは今頃ここにはいませんよ」
呆れ顔で温かいお茶を淹れるサクラの横顔を見ながら、大勇者は若き日の、あの不気味で瑞々しかった初陣の夜の海を、懐かしそうに思い出すのだった。
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