第五十五話「王国調査団、魔獣の森へ」
―― 領都アクトアマルナ 王国調査団 ――
二日後。
フィロパトール領の公爵邸正門前に、王宮の紋章を掲げた馬車が到着した。
前後を固めるのは第三騎士団の騎士たちである。
馬車から降り立ったクレオスは、公爵邸の威容を見上げ、わざとらしく感嘆の声を上げた。
「ほう。これはまた、見事な屋敷ですな。さすがはフィロパトール公爵家。王宮にも引けを取りませんな」
褒めているのか、嫌味なのか。
おそらく本人は、両方のつもりだった。
「遠路お疲れさまでございました。クープラン宮中伯」
出迎えたアウグストが礼を取る。
「おお、アウグスト殿。お世話になります」
「はい。本日は調査団の皆様をお迎えでき、光栄に存じます」
「うむ。ところで、公爵閣下のお姿が見えませんな」
「父は王都にて所用がございまして。今回の件につきましては、私が一任されております」
「ほう。王宮からの正式な調査団を迎えるというのに、ご当主はご不在ですか」
クレオスは眉を上げた。
「いや、責めているわけではありませんぞ。公爵閣下ほどのお方ともなれば、さぞお忙しいのでしょう。王宮からの使者を迎える暇もないほどに」
「父には、宮中伯のお言葉を申し伝えておきます」
「……いや、そこまでせずとも結構」
クレオスは軽く咳払いした。
「それより、早速調査に取りかかりたい。現場まで案内していただけますかな」
「承知いたしました。騎士団から護衛を出し、現場までご案内いたします」
「いやいや、それには及びません」
クレオスは大げさに手を振った。
「こちらには第三騎士団の精鋭がおります。フィロパトール家の騎士団にまでご足労いただく必要はありません」
「しかし、森の奥には危険な魔獣も生息しております。地理に通じた者が同行した方が――」
「案内人を一人付けていただければ十分です」
クレオスはにやりと笑った。
「なにしろ、今回は調査ですからな。調査対象の騎士団に護衛していただいては、何かと都合が悪い」
「都合、でございますか」
「ええ。不慮の事故などが起こっては、たまりませんからな」
露骨な言い方だった。
フィロパトール騎士団が、調査団に危害を加える可能性があると示唆しているのである。
周囲の騎士たちの表情が、わずかに険しくなった。
だが、アウグストは動じなかった。
「承知いたしました。森に詳しい案内人を手配いたします」
「結構、結構。それでは、準備ができ次第出発しましょう」
クレオスは満足そうに頷いた。
その後ろで、第三騎士団の一人が小さくため息をついた。
ロゼア・グラウカである。
隣にいたチャーター・ホルホックが、声を潜めた。
「……なあ、ロゼア」
「何ですか」
「俺たち、ずいぶんと歓迎されているようだな」
「宮中伯閣下だけは、そうお感じなのでしょうね」
「お前もそう思うか」
「私は、森の中で何も起こらないことを祈っています」
ロゼアは公爵邸の向こうに広がる森へ目を向けた。
街道の魔獣騒ぎについては、第三騎士団にも報告が届いていた。
大型魔獣の出現。
森の奥での戦闘痕。
そして、正体不明のもう一頭。
いずれも、軽く扱ってよい情報ではない。
それなのに、調査団長は出発前から、事件そのものが偽装であると決めつけているように見えた。
「……嫌な予感がします」
「奇遇だな。俺もだ」
チャーターは肩をすくめた。
「まあ、第三騎士団の仕事は護衛だ。宮中伯閣下が何をお考えだろうと、俺たちは職務を果たすだけさ」
「そうですね」
ロゼアは頷いた。
それが簡単に済む仕事であればよいのだが。
森に入って一刻ほどは、何の問題もなかった。
案内人を先頭に、第三騎士団の騎士たちが周囲を警戒し、その中央をクレオスが進む。
最初のうち、クレオスはたいそう機嫌がよかった。
「なるほど、なるほど。これが噂の森ですか。思っていたより穏やかな場所ですな」
木々の間から陽光が差し込み、鳥の鳴き声が聞こえる。
道沿いには小動物の姿も見えた。
少なくとも、今のところは。
「宮中伯閣下。この先からは、足元にお気をつけください」
案内人の男が振り返った。
「奥へ進むほど、魔獣の縄張りに近づきます」
「わかっておる。何度も言わんでよい」
クレオスは不機嫌そうに答えた。
「そもそも、これだけ騎士を連れておるのだ。少々の魔獣など問題になるまい」
その言葉が終わるか終わらないかというところで、前方の茂みが揺れた。
飛び出してきたのは、猪に似た魔獣だった。
上下の顎から伸びた鋭い牙、さらに額からは湾曲した角が二本突き出している。
「牙猪!」
先頭の騎士が声を上げた。
魔獣は低く唸ると、そのまま突進してきた。
「散開!」
ロゼアの指示で騎士たちが左右に分かれる。
チャーターが盾で突進を受け流し、別の騎士が側面から剣を突き立てた。
魔獣は短く悲鳴を上げ、その場に倒れた。
戦闘は、ほんの数十秒で終わった。
「……ふん」
クレオスは鼻を鳴らした。
「この程度か。大げさに騒ぐほどのことでもあるまい」
誰も答えなかった。
騎士たちは、倒した魔獣の死骸を慎重に調べていた。
案内人が、その様子を見て顔をしかめた。
「完全には収まっていないようですね」
「何がだ」
「こいつが現れたことですよ」
「魔獣が森にいるのは当然だろう」
「種類によって縄張りが違うんです。こいつはもっと奥にいるはずでして」
「平穏を取り戻したのではなかったのか」
「街道は平穏になりましたが、森はまだ収まってはおらぬようです」
クレオスは面倒そうに手を振った。
「それが何だというのだ。先へ進め」
案内人は何か言いたげだったが、結局口を閉じた。
調査団は再び歩き始めた。
そして、そこから先は、少々事情が変わってきた。
二度目の襲撃は、魔狼三頭だった。通常より一回り大きく、体毛は針のように逆立っている。
連携して襲ってきたが、ロゼアとチャーターが手際よく仕留め、若い騎士が一人、腕に傷を負っただけで済んだ。
「第三騎士団ともあろう者が、狼ごときに手こずるとはな」
クレオスはそう言ったが、先ほどより騎士たちの近くを歩くようになった。
さらに奥へ進むと、森の様子が変わり始めた。
木々の幹には深い爪痕が刻まれ、地面には大きな足跡が残っている。
ところどころで低木が踏み潰され、獣の死骸が転がっていた。
それも、食い荒らされたものではない。
何かに襲われ、途中で放り出されたような死骸だった。
「……案内人」
ロゼアが声をかけた。
「この辺りは、以前からこうだったのですか」
「いいえ」
男は首を横に振った。
「前は、ここまで荒れていませんでした。森の奥には凶暴な魔獣が棲息していますが、こんな場所にまで出てくることは滅多にありません」
「大型魔獣の影響が、まだ残っているということですか」
「そうだと思います」
そのとき、右手の藪から、重い唸り声が聞こえた。
騎士たちが一斉に武器を構える。
現れたのは、熊に似た魔獣だった。
全身を覆う灰色の毛皮は、岩のように硬く盛り上がり、前脚には人の腕ほどもある爪が並んでいる。
「構えろ!」
ロゼアの号令と同時に、魔獣が襲いかかった。
振り下ろされた前脚を、騎士の一人が盾で受けた。
次の瞬間、その騎士は盾ごと吹き飛ばされた。
「ぐあっ!」
「下がれ!」
チャーターが前に出る。
魔獣の攻撃をかわし、脚を狙って剣を振るった。
刃は毛皮を裂いたが、深くは入らなかった。
「硬いな、こいつ!」
「首を狙って!」
ロゼアが横から踏み込み、魔獣の注意を引きつける。
その隙に二人の騎士が槍を突き出した。
ようやく魔獣が倒れたときには、さらに二人が負傷していた。
幸い、命に関わる怪我ではない。
しかし、護衛の戦力が確実に削られているのは事実だった。
「……おい」
クレオスが、青ざめた顔で口を開いた。
「まだ着かんのか」
「もう少しです」
案内人が答える。
「あと半刻ほどで、問題の場所に到着します」
「半刻だと?」
「はい」
「……もっと近道はないのか」
「ございません」
「では、急げ。こんなところで無駄に時間を費やしてはおれん」
案内人は黙って頷いた。
ロゼアは負傷者の様子を確認し、チャーターと目を合わせた。
「どう思います?」
「帰り道のことを考えると、あまり愉快じゃないな」
「同感です」
「しかし、ここまで来て引き返すと言い出したら、あの御仁は何を言うやら」
チャーターはクレオスの背中を見た。
当の宮中伯は、騎士たちの中央で、しきりに周囲を見回している。
先ほどまでの威勢は、どこかへ置き忘れてきたらsyかった。
そして、一行はついに現場へ到着した。
最初に目に入ったのは、森に開いた巨大な空白だった。
そこだけ、木々がごっそりと失われている。
地面は深く抉られ、太い樹木が根元から折れ曲がり、さらに奥では幹ごと吹き飛ばされたような痕跡が続いていた。
折れた木の断面は不揃いで、あるものは押し潰され、あるものは鋭く裂けている。
地面には、巨大な爪で引き裂いたような溝が何本も走っていた。
さらに、その先。
木々の幹には、何かが通り抜けたような傷が一直線に残されている。
ただ倒されたのではない。
強烈な力で薙ぎ払われたのだ。
ロゼアは足を止めた。
「……これは」
チャーターも、思わず息を呑んだ。
「冗談だろ……」
戦闘の痕跡であることは、疑いようがなかった。
だが、何が争えば、森がこんな有様になるのか。
クレオスはしばらく口を開かなかった。
やがて、無理やり声を絞り出した。
「……こ、これが、その現場か」
「はい」
案内人が答えた。
「騎士団が発見した場所です」
「ふん……」
クレオスは、折れた大木を見上げた。
「なるほど。確かに荒れてはおるな。しかし、これだけで大型魔獣が争ったと断定するのは早計ではないか」
ロゼアが振り返る。
「宮中伯閣下?」
「人の手で作られた可能性もあるだろう」
「人の手、ですか」
「そうだ。大勢の人間を動員すれば、木を倒すことくらいできる。魔術師を使った可能性もあるではないか」
ロゼアは周囲を見渡した。
木々は一定方向に倒れているわけではない。
巨大な何かが暴れ回り、そこへ別の何かが攻撃を加えたように、破壊の方向が入り乱れている。
「……少なくとも、普通の人間が作業して作れる痕跡には見えません」
「普通の人間でなければよいのだろう。強力な魔術師ならどうだ」
今度はチャーターが口を開いた。
「失礼ながら閣下、それは無理です。これほど広範囲に、これだけの威力の攻撃魔法を使える魔術師がいるなら、ぜひお目にかかりたいものですな」
「……何?」
「木を倒すだけなら可能でしょう。しかし、あちらをご覧ください」
チャーターは、遠くに見える岩肌を指差した。
露出した岩の表面が、何かに削り取られたように大きく欠けていた。
「岩まで砕かれています。それに、こちらの木は幹の途中から折れている。根元から切り倒したのではありません」
「だから魔術だと――」
「魔術なら、相応の魔力の痕跡が残るはずです。少なくとも、これほどの破壊を起こすなら、尋常な術ではありません」
ロゼアが言葉を継いだ。
「それに、地面には巨大な足跡もあります。人間が作ったと考えるには、少々無理があるかと」
クレオスは唇を引き結んだ。
「……では、何だというのだ」
「大型魔獣同士の争いと考えるのが自然でしょう」
「二頭とも地上の魔獣とは限りません」
チャーターが空を見上げた。
折れた木々の上には、ぽっかりと青空が広がっている。
「片方は、空を飛ぶ魔獣だった可能性もあります」
「空を飛ぶ?」
「はい。地上に大型魔獣がいて、それを上空から別の魔獣が攻撃した。そう考えれば、痕跡の少なさにも説明がつきます」
ロゼアは地面に残る深い溝を見た。
「報告では、地竜の可能性があるとされていましたね」
「地竜と飛竜か……」
チャーターが呟いた。
「もしそうなら、こんな有様になるのも頷ける」
「ひ、飛竜だと?」
クレオスの声が裏返った。
「そんなものが、この辺りに出るというのか!」
「可能性の話です」
「可能性、可能性と! 貴様らは先ほどから、そればかりではないか!」
クレオスは声を荒らげた。
だが、騎士たちは誰も反論しなかった。
反論する必要がなかったからだ。
目の前には、森を破壊した何者かの痕跡が残っている。
それが地竜であろうと飛竜であろうと、あるいは別の何かであろうと、人間にとって危険な存在であることに変わりはない。
クレオスも、それだけは理解したらしい。
彼はしばらく周囲を見回していたが、やがて思い出したように口を開いた。
「……鱗は」
「は?」
「鱗だ。フィロパトールの調査隊が持ち帰ったと聞く。まだ、一枚くらい落ちておるだろう。探せ」
騎士たちは手分けして周囲を調べた。
しかし、結果は芳しくなかった。
「見つかりません」
「こちらにもありません」
「地面には爪痕らしきものがありますが、鱗は確認できませんでした」
クレオスは眉間に皺を寄せた。
「……ふん。証拠がないではないか」
ロゼアは何か言いかけたが、結局口を閉じた。
証拠なら、目の前にいくらでも転がっている。
ただし、それが何の魔獣によるものかを断定できる証拠ではない。
その違いを説明したところで、この宮中伯が納得するとは思えなかった。
「もうよい」
クレオスは踵を返した。
「調査は十分だ。帰るぞ」
「宮中伯閣下、もう少し周囲を確認した方が――」
「必要ない!」
声が森に響いた。
直後、遠くから低い咆哮が聞こえた。
ぐるるるる……。
騎士たちが一斉に武器へ手を伸ばす。
クレオスの顔から血の気が引いた。
「……い、今のは何だ」
「わかりません」
「わからんではない! 確認しろ!」
「確認するには、あちらへ向かう必要がありますが」
「馬鹿を言うな!」
クレオスは即座に叫んだ。
「調査は終わったと言っておる! とっとと帰るぞ!」
誰も異議を唱えなかった。
第三騎士団の騎士たちも、これ以上森の奥に留まることに利益はないと判断していた。
こうして調査団は、来た道を引き返すことになった。
往路では先頭近くを歩いていたクレオスが、帰路では騎士たちの中央から一歩も出ようとしなかったことについては、誰も触れなかった。
すみません。三人称で視点があちこち飛ぶので、読みにくいかもです
第三章終了まで、テト以外の視点が多くなります
ネズミたちからの報告や、ユリウスの日誌だけでは、伝えきれませんでした
第三章もあと数話です(……多分)
第四章からは……
……ま、パティなら持ち前の明るさで乗り切ってくれるでしょう
テトもいますしね
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★評価、ブクマだともっと喜んじゃいますが(=^x^=)
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