第五十三話「残されたモノ」
――フィロパトール騎士団・調査隊――
その日の午後。フィロパトール騎士団の調査隊は、魔獣の森の奥で、異様な光景を発見していた。
木々が、根こそぎ消えている。
地面には、巨大な溝が刻まれ、周囲の木々は折れ、倒れ、無残な姿になっていた。
まるで、巨大な何かが暴れ回ったかのようだった。
「これは⁉︎」
調査隊の騎士が、思わず息を呑んだ。
木々が消えた一帯では、地面が深く抉れ、黒く変色している。
その近くには、巨大な足跡。
さらに、太い尻尾で薙ぎ払われたような痕跡も残っていた。
「相当な大物だぞ……」
「こんな魔獣が、森の奥にいたのか」
騎士たちは周囲を厳戒に警戒しながら調査を進めたが、肝心の魔獣の姿は影も形もない。
あるのは、激しい戦闘の痕跡だけだった。
やがて、一人の騎士が声を上げた。
「おい、これを見ろ!」
地面に、黒い板のようなものが落ちていた。
いや、板ではない。鱗だった。分厚く、硬く、岩のような質感。
しかも、一枚だけではない。周囲には、大小さまざまな鱗が散らばっている。
「何だ、これは」
「魔獣の鱗か?」
「こんな大きな鱗、見たことがないぞ」
騎士の一人が、鱗を拾い上げた。
重い。しかも、非常に硬い。剣の先で軽く叩いてみても、傷一つつかない。
「こいつは、相当な防御力だな」
そのとき。
別の騎士が、鱗の縁に付着しているものに気づいた。
「……ん?」
黒い毛玉だった。
細く、柔らかい。魔獣の剛毛とは、明らかに違う。
騎士は、指先でつまみ上げた。
「小動物の毛か?」
「こんなところに?」
「さあな。森の中だ。小動物くらいいるだろう」
そう言って、騎士は首を振った。
だが、鱗の大きさと、そこに付着した細い黒い毛の組み合わせは、妙に不釣り合いだった。
結局、騎士たちは鱗を数枚回収し、領都へ持ち帰ることにした。
夕刻。
領都の公爵邸では、アウグストが調査隊からの報告を受けていた。
机の上には、巨大な黒い鱗が置かれている。
ケンド副団長は、その一枚を手に取り、じっと眺めた。
「見事な鱗ですな」
「何の魔獣だと思う?」
「断定はできませんが、竜――おそらくは地竜の類ではないかと」
「地竜?」
「ええ。地中の魔力を吸収しながら移動する、非常に大型の魔獣です。ただし、これほどの鱗を持つ個体となると、相当な大物でしょう」
アウグストは、報告書へ目を落とした。
「森の奥で暴れた痕跡がある。だが、その魔獣は見つかっていない」
「はい。しかも、魔獣の動きは急速に落ち着いています」
「誰かが、討伐したのか?」
「その可能性はあります。しかし、これほどの魔獣を倒したのであれば、死骸が残っていてもおかしくありません」
「逃げた可能性は?」
「森の北方へ向かう巨大な足跡が確認されていますので、移動した可能性が高いかと」
アウグストは、腕を組んだ。
「つまり、何者かが地竜と戦い、追い払った?」
「そう考えるのが自然でしょう」
ケンドは、鱗を机へ戻した。
「ただし、その何者かについては、まったく手がかりがありません」
「そうか……」
アウグストは、しばらく考え込んだ。
そのとき、ケンドが思い出したように言った。
「そういえば、妙なものが見つかっています」
「何だ?」
「この鱗に、小動物の毛が付着していたそうです」
「小動物?」
「ええ。黒く、細い毛です」
アウグストは、眉を寄せた。
「黒い毛?」
「はい。猫の毛にも似ているそうですが」
猫。黒い毛。
その言葉を聞いた瞬間、アウグストの脳裏に、一匹の黒猫の姿が浮かんだ。
いや、まさか。
アウグストは、すぐにその考えを打ち消した。
いくら何でも、猫一匹が巨大な地竜と戦うなど、あり得ない。
しかも、テトは今頃、王都の公爵邸でパティと一緒にいるはずだ。
「偶然だろう……」
アウグストは、そう呟いた。
ケンドも頷いた。
「でしょうな」
ただし、二人とも、どこか釈然としない表情だった。
机の上の黒い鱗は、何も語らない。
その縁に残された細い黒い毛もまた、何も語らなかった。
ただ、森の奥で何かが起きたことだけは、確かだった。
***
――調査隊が現場に到着する前――
俺は、森から直接王都の公爵邸へ転移で戻っていた。
……疲れた。実に疲れた。
これだけ働いたのだから、少しくらい褒められてもよいのではないだろうか。
もっとも、誰にも知られていないのだから、褒められようもない。
やれやれ。
前世でも、こういう仕事は多かった。
誰も気づかないところで問題を片づけ、何事もなかったかのように日常が続いていく。そして、翌日にはまた新しい仕事が増える。
まったく。猫に転生してまで、何をやっているのやら。
俺は、パティの部屋へ入り、ベッドへ飛び乗った。
パティは、枕元で本を読んでいた。
冒険者について書かれた本らしい。
表紙には、剣を持った旅人の絵が描かれている。
「テト!」
俺に気づくと、パティは嬉しそうに笑った。
「おかえり!」
「にゃあ」
「ねえ、今日も学院で剣の練習したんだよ」
「にゃ」
「前にケンドさんに、もっと足を動かせって言われてたから、ちゃんと練習したの」
そうか。それは、よかった。
お前は、お前のペースで強くなればいい。焦る必要はない。まだまだ、時間はある。
パティは、本を閉じた。
そして、俺を抱き上げる。
「ねえ、テト」
「にゃ?」
「パティが冒険者になったら、一緒に来てくれる?」
……また、その話か。
俺は、少し考えた。
冒険者。
危険な場所へ行き、魔獣と戦い、未知の土地を歩く。
前世では、そんな生活など想像もできなかった。
そもそも、有給休暇を取るだけで一苦労だったのだから。
だが。お前が本気でそう望むなら。
まあ、付き合ってやらないこともない。
「にゃあ」
パティは、ぱっと顔を輝かせた。
「約束だよ!」
……しまった。
また、余計な約束をしてしまった気がする。
そのとき、ふと思い出した。
あっそうだ、地竜の鱗。
俺は収納の中から、比較的小さめで美しいものを一枚取り出した。
黒く、つややかで、宝石のような鈍い光を放つ鱗。
大きさは、パティの小さな手のひらほどだ。
ぽとり。
ベッドの上へ落とす。
「え?」
パティが、目を丸くした。
「テト、これ……なに?」
地竜の鱗だが。説明しても、分からんだろう。
「にゃあ」
パティは、鱗を手に取った。
光にかざす。
黒い表面に、かすかな銀色の筋が浮かび上がった。
「きれい」
その声は、少しだけ弾んでいた。
「テト、これ、くれるの?」
「にゃあ」
「やった!」
パティは、嬉しそうに笑った。
そして、ベッドの脇に置かれた小さな宝物箱を開ける。
中には、色とりどりの石や、綺麗な羽根、小さな木の実などが入っていた。
相変わらず、何を基準に集めているのか分からない。
パティは、その中へ地竜の鱗を大切そうに収めた。
「これ、テトからのプレゼントだね」
まあ、そういうことにしておこう。
俺は、ベッドの上で丸くなった。
パティは、宝物箱の蓋を閉じ、俺の背中を撫でた。
「ありがと、テト」
「にゃあ」
どういたしまして。
まさか、あの地竜も、自分の鱗が公爵令嬢の宝物箱に入れられているとは思うまい。
もっとも、俺も、まさか猫に転生して地竜の鱗を土産に持ち帰ることになるとは思っていなかったが。
人生というものは、実に分からない。
いや、猫生か。
まあ、どちらでもよい。
俺は、パティに撫でられながら目を閉じた。
遠く離れた魔獣の森では、今頃、魔狼たちも落ち着いた頃だろう。
巨大な猪も、大蛇も、亀も。
そして、北の谷へ移した地竜も。みんな無事なら、それでいい。
俺は、パティの手の温もりを感じながら、喉を鳴らした。
明日こそは、何事もない一日でありますように。
そんな、ささやかな願いを抱きながら。
もっとも。この世界に来てから、その願いが叶った試しは、あまりないのだが。
――その夜、西棟の塔。
『テト観察日誌』
“今日、観察対象は学院に姿を見せなかった。パティと別行動は、珍しい。
朝、領都から街道に魔獣が増えたと報告が届いたが、何か関係があるのだろうか。
夕食時、黒猫はパティの膝の上から降りる気配はなかった。疲れているように見えたが、やはり……。
兄上は、しばらく領地に滞在するという、何事も無ければ良いのだが
追記:最近、マーガレット嬢と図書館でよく遭遇する”




