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過労死社畜、悪役令嬢の飼い猫に転生する ~美人な飼い主にモフられながら、破滅フラグはチートでこっそりへし折ります~  作者: 真野真名
第三章 王立学院に猫は潜む

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第五十二話「戦う黒い猫」




 最初に聞こえたのは、地鳴りだった。


 ごごごごご……。


 腹の底に響くような低い音が、森の奥から伝わってくる。足元の小石がかすかに震え、枝に止まっていた鳥たちが、一斉に飛び立ち、続いて、木々が揺れた。


 風ではない。何か巨大なものが、森そのものを押し分けながら進んでいるのだ。


 俺は足を止め、音のする方角を見つめた。

 やがて、太い幹が一本、ゆっくりと傾き始めた。

 めきめきと木の繊維が裂ける音がして、樹齢百年はありそうな大木が倒れる。その向こうから、黒い岩の塊のようなものが現れた。


(……でかっ)


 思わず、そんな感想が漏れた。

 巨大な地竜だった。


 全身を覆う鱗は、黒い岩盤を幾重にも重ねたように分厚く、背中には不揃いな岩の突起が並んでいる。四本の脚は大木の幹ほどもあり、地面を踏みしめるたびに周囲の土が盛り上がった。

 頭だけでも馬車ほどの大きさがある。


 全長となれば、小さな屋敷くらいはあるだろう。

 しかも、ただ大きいだけではない。地竜が進んだ跡では木々がなぎ倒され、地面には深い溝が刻まれている。周囲の植物は妙に元気がなく、葉はしおれ、地面には細かな亀裂が走っていた。


 どうやら、こいつが周囲の魔力を吸い上げているらしい。


(……なるほど。こいつが森の奥に居座ったせいで、ほかの魔獣が逃げ出したわけか)


 これだけの巨体が縄張りを作れば、普通の魔獣など近づけまい。

 魔獣が森の外縁へ追いやられ、さらに弱い魔獣が街道付近まで押し出される。今回の騒動は、そういうことなのだろう。


 さて、原因は分かった。

 問題は、どうやってお引き取り願うかである。


 俺は地竜を見上げた。

 地竜も、こちらに気づいたらしい。

 巨大な頭が、ゆっくりと下がってくる。

 金色の瞳が、俺を捉えた。

 ……目だけで、俺の体より大きいではないか。

 まあ、相手が大きいからといって、怖がる必要はない。

 こちらには、話し合いという文明的な手段がある。


『よ、そこのでかい竜さん。あんたがここにいると、ほかの魔獣が街道へ出ていくんだ。少し場所を移してもらえないか』


 ……反応なし。


 地竜は、さらに低く唸った。

 やはり、言葉は通じない。

 ボスキャラっぽいから、あるいはと思ったのだが、無理だったか。または、こっちを侮って無視しているのか。


 もっとも、言葉が通じなくても、目の前の地竜がこちらを敵と認識していることくらいは分かる。


 その証拠に、巨大な口を開いた。

 喉の奥で、黒い魔力が渦を巻き始める。


(ちょ、まさか)


 予想どおり、黒い魔力の塊が俺に向かって放たれた。


(うっわ!)


 俺は、ちょっと慌てて横へ跳んだ。


 黒い魔力の塊が、尻尾の毛をかすめて飛んでいった。ちりっ、と音がする。……毛が焦げた。

 魔力の塊は、森の奥へ消えていった。そこにあった木々を、根こそぎ消し飛ばしながら。



 轟音が響き、地面が震えた。


 振り返ると、さっきまで鬱蒼と木々が茂っていた場所に、ぽっかりと空間ができていた。数十本もの木が消え、地面は深く抉れ、奥まで一直線に黒い土が露出している。


 ……おいおいおい。

 何というものを撃ってくるのだ。

 猫一匹に対して、明らかに過剰火力である。

 しかも、外れたら森がなくなるではないか。


 俺は地竜を見上げた。

 地竜は、再び口を開こうとしていた。


(待て待て! 二発目は勘弁してくれ!)


 俺は地面を蹴った。

 次の瞬間、さっきまで立っていた場所へ、巨大な前脚が叩きつけられた。


 どごんっ!


 土砂が跳ね上がり、地面が陥没する。


 ……危なっ。


 今度は踏みつけか。

 まあ、あれだけ大きければ、足を下ろすだけでも十分な攻撃になるだろう。

 俺は、地竜の脚の間を走り抜けた。

 ところが、今度は背後から風を切る音がした。


 振り返る。

 巨大な尻尾が、横薙ぎに迫っていた。


(うおっ!)


 俺は、地面すれすれに身を伏せた。

 頭上を、黒い岩の壁が通り過ぎる。

 そのまま尻尾は、周囲の木々をまとめて薙ぎ払った。


 ばきばきばきっ!


 幹が折れ、枝が飛び散り、森の一角が見事なまでに平らになった。


 ……あのなあ。


 俺は、地竜の尻尾が通り過ぎた跡を見つめた。

 これは、少々困ったことになった。

 俺が攻撃をかわすたびに、森が壊れていく。

 地竜の方は、そんなことなど気にもしていないらしい。巨大な体を捻り、今度は頭を下げてきた。


 俺は、すかさず横へ跳んだ。


 がちんっ!


 すぐ後ろで、巨大な顎が閉じた。

 ……歯の一本一本が、俺の体より大きい。


 あんなものに噛まれたら、普通の猫なら一瞬でおしまいである。

 もっとも、普通の猫なら、最初のブレスを見た時点で逃げているだろう。


 俺は、地竜から距離を取った。


 さて。

 どうしたものか。

 倒す(殺す)だけなら、方法はいくらでもある。


 だが、できれば命までは奪いたくない。

 こいつは、ただここに住み着いただけなのかもしれない。森の魔獣たちにとっては迷惑な話だが、だからといって即座に処分するほどの悪事を働いたわけでもない。


 まあ、今まさに俺を殺そうとしていることについては、少々言いたいこともあるが。


 まず、火魔法。却下。こんな森の中で火を使えば大森林火災になる。


次に、土魔法。あの岩のような硬い鱗を見る限り、多少の岩をぶつけたところでノーダメージだろう。かといって地面ごと押し潰せば周囲の被害が大きすぎる。


風魔法。これも微妙だ。風の刃で切り裂くことはできても、あの分厚い鱗を貫くには相当な出力が必要で、外れた場合また森が吹き飛ぶ。


 水魔法。高圧の水流、いわゆるウォータージェットなら、あるいは。

 ダメだな。あれは、研磨材を混ぜることで切断力を高めるものだ。その辺の砂や土を混ぜたところで、あの鱗を相手に、どこまで通用するか分からない。


 さて。困った。


 俺が考え込んでいる間にも、地竜は攻撃を続けていた。


 踏みつけ。

 噛みつき。

 尻尾の薙ぎ払い。

 そのたびに俺は、跳び、走り、身を伏せてかわす。


 しかし、こいつ。ずいぶんと元気だな。

 俺は、地竜の攻撃をかわしながら、ふと考えた。

 攻撃を止めさせるだけなら、別に倒す必要はないのではないか。

 例えば、脚を使えなくしてしまえば。


 いや、脚を丸ごと切り落とすのは、さすがに可哀想だ。

 治せるとはいえ、そこまでする必要はない。


 だが、あの鱗だけなら?

 俺は、地竜の前脚を見つめた。黒い岩盤のような鱗が、幾重にも重なっている。

 あれが防御力の大部分を担っているのだろう。


 ならば。


(……仕方ない。あれを使うか)


 俺は、地竜の前脚へ意識を集中した。


 次元収納。


 本来は、物品を保管するための術である。

 パティも、最近になって使えるようになった。

 もっとも、あの娘が収納するのは、菓子や小物が中心だ。


 俺は、少しばかり違う使い方を考えていた。


 地竜が、再び前脚を持ち上げる。

 俺は、その脚を見据えた。


(収納!)


 次の瞬間。

 地竜の右前脚から、黒い鱗が、まとめてごっそりと消失したのだ。


 巨大な前脚の鱗が、一部だけ消えて、そこだけ妙につるりとしていた


「グギャアアアアアアッ!」


 地竜が、ものすごい声を上げた。


 ……あ。

 痛かったか。


 脚一本丸ごと収納しなかっただけ、マシだと思ってもらおう。


 地竜は、右前脚を持ち上げたまま、激しく体を震わせた。

 鱗のなくなった部分から、赤黒い血が滲んでいる。


 ごめん。逆に鱗を剥ぐ方が、残酷だったかも。


 まあ、さっきから森を破壊しながら俺を踏み潰そうとしていたのだから、多少の反省は必要だろう。


 地竜は、痛みに耐えかねたのか、後ずさった。

 そして、初めて俺を見た。

 ただの獲物ではなく、明確な脅威として。


 俺は、ゆっくりと尻尾を揺らし、地竜を見上げた。


『……いいか、でかいの』


 言葉が通じないことは分かっている。

 それでも、俺は話しかけた。


『今、消したのは脚の鱗だけだ。だが、やろうと思えば、脚ごと消すこともできる』


 地竜の体が、びくりと震えた。


『それどころか、そのでかい頭を丸ごと消してもいいんだぞ』


 ま、本当にやるつもりはない。

 そんなことをしたら、後味が悪すぎる。


 ただし、脅しとしては十分だったらしい。


 地竜は、ゆっくりと頭を下げた。

 巨大な顎が、地面に触れる。

 そして、四肢を折り、伏せた。


 やれやれ、ようやく大人しくなったか。

 俺は、少しだけ息を吐いた。

 言葉そのものが通じているわけではないだろう。

 だが、こちらの意思や、力の差くらいは理解できるらしい。


 それなら、話は早い。

 まずは、怪我を治してやろう。

 俺は、地竜の右前脚へ近づいた。

 地竜が、びくりと身を震わせる。


(動くなよ)


 俺は、治癒魔法を発動した。

 淡い光が、鱗を失った部分を包み込む。傷口が閉じ、滲んでいた血が止まる。

 しばらくすると、むき出しになっていた皮膚も、落ち着いた色へ戻った。


 これで、痛みはなくなっただろう。

 鱗までは元に戻らなかったが、そのうち生えてくるだろう。……たぶん。


 地竜は、恐る恐る右前脚を地面についた。

 痛みがないことを確かめるように、何度か体重をかけている。


 そして、俺を見た。


 ん? 何だ、その目は。いや、別に礼などいらんぞ。

 元はといえば、俺が剥がしたのだから。


 俺は、地竜の正面へ回った。


『さて。あんたがここにいると、ほかの魔獣が街道へ出ていく。だから、元の棲み処へ帰ってくれ』


 地竜は、動かなかった。


 俺は考えを巡らせた。言葉が通じないなら、直接「イメージ」を魔力に乗せて脳内に送り込めばいい。


 森の外縁へ押し出されて右往左往する魔獣たちの様子を思い浮かべ、その情景を魔力波に乗せて伝えた。


 地竜の瞳が、わずかに動いた。

 俺は、さらに続けた。


 ここから離れること。元いた場所へ戻ること。それを、できるだけ単純なイメージにして伝える。


地竜はしばらく俺を見つめていたが、ゆっくりと首を横に振った。


 ん? 俺は、首を傾げた。


『帰れないのか?』


 地竜は、また首を振った。


『帰りたくない?』


 今度は、少しだけ頭を下げた。


 ……なるほど。

 どうやら、元の棲み処へ戻るつもりはないらしい。


 だが、理由が分からない。

 何かに追われてきたのか。

 元の棲み処に、もっと強い魔獣が現れたのか。

 それとも、単にあちらの魔力が枯渇したのか。


 俺は、いくつかのイメージを伝えてみた。


 山。

 森。

 ほかの巨大な魔獣。

 地中の魔力。


 だが、地竜の反応は曖昧だった。

 首を振ることもあれば、じっと動かないこともある。


 うーん。これでは、さっぱり分からん。


 ネズミたちのように、言葉で説明してくれれば簡単なのだが。

 まあ、無理なものは仕方ない。


 俺は、考えを切り替えた。

 元の棲み処へ戻れないのなら、別の場所へ移せばよい。

 ただし、どこでもよいというわけにはいかない。

 人里から離れていて、魔力が豊富で、ほかの魔獣を追い出す心配が少ない場所。

 そんな都合のよい土地が、どこかにないものだろうか。


 あ。そういえば。


 俺は、頭上を見上げた。

 森の上では、鳥たちが遠巻きに旋回している。

 先ほどの戦闘を、見ていたのかもしれない。


(ルル。聞こえるか?)


 しばらくすると、木の枝に一羽の鳥が舞い降りた。


『ね、猫さん……そのでっかいの……もう暴れない?』


『ちょっと話し合いをした』


『話し合い!?』


 まあ、多少は物理的な説得も交えたが。そこは、細かいことは気にするな。


『それより、北の方に、魔力の濃い谷があると聞いたことがある。人間がほとんど来ない場所だ』


『あるよ。岩山のずっと向こう』


『そこへ案内してもらえないか』


『えっ? 猫さんを?』


『いや。こいつをだ』


 俺は、背後の地竜を見上げた。

 鳥は、しばらく固まった。


『えっと……こ、これを!?』


『そうだ』


『猫さんは?』


『俺は帰る。用事があるんでな』


 そう、大事な用事がある。

 今日、学院は午前中授業だけだ。だから、パティと一緒にオヤツを食べるという、大事な用事がな。


『えー。その子、暴れない? 私を食べようとかしない?』


『大丈夫だ。よく言い聞かせる』


(多分な……)


 俺は、地竜へ向き直った。


『おい。新しい棲み処へこの鳥が案内してくれる。大人しくついて行くんだぞ。出来るだけ森も壊さないよう慎重に行けよ。あと、あの鳥を食べるな』


 地竜は、じっと俺を見つめた。


 俺は、北の山並みと、魔力の豊富な谷のイメージを伝えた。


 地竜の瞳が、わずかに動く。

 そして、ゆっくりと頭を下げた。


 よし。どうやら、理解したらしい。


『じゃ、ルル頼んだ。お礼は何か用意しておくので、戻ったら屋敷に来てくれ』


 俺は、地竜の前へ回った。


『いいか。そこで大人しくしていろ。人間の住む場所へ近づくなよ』


 言葉が通じないのは承知している。

 俺は、谷の外へ出ないこと、人間のいる場所へ近づかないことを、簡単なイメージにして伝えた。


 理解したのか、地竜はゆっくり頷いた。


 これで、ひとまず問題は解決だろう。


 もっとも、地竜が元の棲み処へ戻れない理由は、結局分からなかった。

 何かに追われてきたのかもしれないし、単に魔力を求めて移動してきただけなのかもしれない。


 まあ、今すぐ答えを出す必要もあるまい。

 俺は、地竜に背を向けた。

 すると、背後から低い唸り声が聞こえた。

 振り返る。

 地竜は、頭を低く下げていた。


 何だ。礼でも言っているつもりか。

 俺は、尻尾を軽く振った。


『気にするな。こっちも、森が静かになればそれでいい』


 地竜は、もう一度頭を下げた。


 まったく。最初から、そのくらい素直なら、あんな騒ぎにはならなかったのだが。

 まあ、いい。


 何か喋りかけながら飛んでいくルルの後を地竜が追っている。

 ルルのやつ、地竜を恐れていたようだったが、案外うまくやって行けそうだな。


 しばらく見送ったあと、俺は、急いで森の外縁へ戻ることにした。

 途中、ふと思い出して、収納の中を確かめた。


 ……あ。鱗。

 そうだった。


 地竜の前脚から剥がした鱗が、まだ大量に入っている。

 黒く、硬く、岩のような質感。

 大きなものは、俺の体よりもずっと大きい。


 どうする、これ。


 捨てるのも、何だかもったいない。

 かといって、使い道があるとも思えない。


 まあ、いくつかは記念品としてもらっておこう。

 俺は、比較的綺麗な鱗を数枚選び、残りは森に置いてきた。


 さ、パティが心配する前に帰ろう。



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