第五十話「冒険者宣言と北からの知らせ」
冒険者になる。
パティがそう宣言したのは、朝食の席だった。
「パティ、冒険者になるから」
実に唐突だった。……いや、昨日の剣術実技のあとでは、唐突でもないのかもしれない。 当の本人は、何もなかったような顔で、パンにジャムを塗っている。
「ねえ、父様。冒険者になるには、どうしたらいいの?」
昨日の一件など、どこ吹く風である。
いや。もしかすると、昨日の一件があったからこそ、改めて口にしたのかもしれない。
俺は、パティの椅子の隣に置かれた専用のクッションの上で、尻尾を揺らした。
ロムルス公爵が、パンをちぎる手を止めた。 視線が、一瞬だけ娘の顔を探る。
「ほう。冒険者か」
「うん!」
「それは、なかなか大変な仕事だぞ」
「知ってる!」
「魔獣と戦うこともあるし、遠くまで旅をすることもある」
「うん!」
「雨の日も風の日も、野宿をしなければならんこともある」
「うん!」
……おや。
思ったよりも、よく分かっている。
少なくとも、冒険者を単なる旅行者だと思っているわけではなさそうだ。
ロムルス公爵は、しばらく娘の顔を眺めていたが、やがて穏やかに頷いた。
「そうか。ならば、まずは好き嫌いせず、しっかり食べなければならんな」
「うん!」
「体力も必要だ。剣の稽古も続けること」
「うん!」
「それから、勉強も大切だぞ。地図が読めなければ道に迷うし、計算ができなければ報酬をごまかされてしまう」
「うん!」
「礼儀作法も忘れてはならん。旅先で誰と出会うか分からんからな」
「うん?」
パティが、少し首を傾げた。
俺は、内心で感心した。
なるほど。
冒険者になりたいという娘の夢を否定せず、食事と勉強と礼儀作法へ結びつける。
実に見事な誘導である。
この父親、なかなか侮れない。
ただし、一つだけ問題があった。
パティは、本気なのだ。
ロムルス公爵がそれをどこまで理解しているのか、少々怪しいところではある。
「父様」
「何だ?」
「冒険者になったら、テトも連れていっていい?」
……おい。
なぜ、そこで俺の名前が出る。
公爵は、俺を見た。
俺も、公爵を見た。
しばし、沈黙。
「まあ、テトが嫌がらなければ、よいのではないか?」
「やった!」
おいおい。そんな軽い調子で、俺の将来を決めないでくれ。
もっとも、パティが本当に冒険者になると言い出したら、俺がついていかないという選択肢は、最初から存在しないのだろうが。
猫という生き物は、自由を愛する。
少なくとも、俺はそう思っていた。
どうやら、自由にもいろいろあるらしい。
そんなことを考えていたときだった。
食堂の扉が、静かに開いた。
「旦那様。領都より、急ぎの報告が届いております」
執事のセバスである。
その手には、封蝋の施された書状があった。
ロムルス公爵は、わずかに眉を寄せた。
「朝からか。何事だ?」
「王都と領都を結ぶ街道にて、魔獣の出現が増えているとのことです」
魔獣? 俺の耳が、ぴくりと動いた。
ロムルス公爵は書状を受け取り、封を切った。目を通すうちに、その表情が少しずつ険しくなっていく。
「……ふむ。これは、放置できんな」
「何かあったのですか、父上」
向かいの席から、アウグストが尋ねた。
「お前にも関係のあることだ」
ロムルス公爵は、書状を息子へ差し出した。
「私にもですか」
アウグストは、フィロパトール騎士団の団長でもある。
普段、王都の公爵邸にいることも多いが、騎士団の本隊は領都に駐屯している。王都と領都を行き来しながら、領地の防衛を統括しているのだ。
「街道沿いで魔獣の目撃が増えている。ここ数日で、荷馬車が襲われたという報告もあるそうだ」
「被害は?」
「負傷者が数名。幸い、死者は出ておらん。ただし、商人たちの間では、すでに不安が広がり始めているらしい」
アウグストは、書状を読み進めた。
「……森の外縁部で、通常は見られない魔獣も確認されていますね」
「うむ。単なる個体数の増加ではないかもしれん」
フィロパトール公爵領は、王都を中心とする中央直轄領の北側を囲むように広がっている。
王都から領都までは、公爵家の馬車で六時間ほど。遠くはないが、王都の北を守る要衝だ。
街道が危険になれば交易に支障が出るし、魔獣がさらに南下すれば、王都そのものが脅かされる。
フィロパトール家としては、無視できる問題ではなかった。
「私が領都へ向かいます」
アウグストが言った。
「ケンドに連絡を。騎士団本隊から、森の調査に適した者を選抜させます」
「うむ。必要であれば討伐も許可する。ただし、まずは原因を調べることだ。むやみに森へ踏み込んで、被害を広げることのないようにな」
「承知しました」
話が早い。さすがに優秀だな。
俺が感心していると、隣から元気な声が上がった。
「魔獣!」
あっ……嫌な予感がする。
「兄様、魔獣を倒しに行くの?」
「調査が先だ。必要なら討伐もする」
「じゃあ、パティも行く!」
……やっぱり。
アウグストは、即座に首を振った。
「駄目だ」
「えー!」
「まだ早い」
「パティ、剣も使えるよ!」
「知っている。ケンドから報告も受けている」
アウグストは、妹の目を見て続けた。
「お前が努力していることも、少しずつ強くなっていることも知っている。だが、訓練と実際の魔獣討伐は違う」
「でも……」
「魔獣は、こちらの都合に合わせてくれない。負けたからといって、次の試合を待ってもくれない。剣が使えることと、危険な場所へ行ってよいことは、別の話だ」
そうだ、実に正しい。俺は、全面的に賛成する。
十歳の少女を魔獣の森へ連れていくなど、保護者としては論外である。しかも、相手は何が出てくるか分からない魔獣の森だ。
「分かった」
パティは、少しだけ唇を尖らせた。
だが、それ以上は言い募らなかった。
アウグストは、そんな妹の頭を軽く撫でた。
「お前がもっと強くなって、自分の身を守れるようになったら、そのときに考えよう」
「ほんと?」
「ああ。ただし、ケンドが認めるくらいになってからだ」
「うん!」
ん? 意外と素直に引き下がったな。
まあ、何事もなく済むなら、それに越したことはない。
俺は、安心して尻尾を丸めた。
そのときは、まだ知らなかった。
今回の騒動が、結局、俺の仕事になるということを。




