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過労死社畜、悪役令嬢の飼い猫に転生する ~美人な飼い主にモフられながら、破滅フラグはチートでこっそりへし折ります~  作者: 真野真名
第三章 王立学院に猫は潜む

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第四十八話「正式な要請ではございません【小会議室】」




 翌朝、学院長室に隣接する小会議室には、重苦しい空気が漂っていた。


 普段であれば、この時間には授業が始まり、廊下には生徒たちの声が響いている。

 しかし、今日は違った。

 学院は臨時休校となり、校舎には最低限の職員しか残っていない。


 窓の外から聞こえてくるのは、庭木を揺らす風の音と、時折響く鳥の鳴き声くらいだった。


 長机を囲んでいるのは、副学院長、魔術科主任、剣術科主任、一般教養科主任、そしてパトリシア・フィロパトールの担任である。


 学院長は、全員が揃ったことを確認すると、口を開いた。


「昨日、中央教会の魔道具管理局から使者がありました」


 まず、ヴァイスとの会談内容を説明した。


 闇属性の生徒への実践的な魔術指導を控えてほしいという、非公式な要請。

 それに応じなければ、結界魔道具の維持管理に影響が生じる可能性があるという示唆。

 そして、教会の正式な決定ではないということ。


 説明が終わる頃には、出席者たちの表情が一様に険しくなっていた。


「……つまり、脅迫ではありませんか」


 最初に口を開いたのは、魔術科主任だった。


「正式な通達も出さず、教育方針を変更しろと。従わなければ結界の管理を見直すかもしれない。そんなもの、脅迫以外の何物でもありません」


「言葉を慎みたまえ」


 副学院長が、静かに制した。


「相手は教会の実務責任者だ。しかも、正式な要請ではないと明言している。こちらが勝手に脅迫と決めつければ、かえって立場を悪くする」


「では、黙って従えと?」


「そうは言っていない。まずは、現実的な対応を考えるべきだと言っているのだ」


 学院長は、二人のやり取りを黙って聞いていた。

 どちらの言い分にも、一理ある。

 だが、感情的な議論を続けても、問題は解決しない。


「まず、確認しておきたいことがあります」


 学院長が口を開くと、全員がこちらを向いた。


「仮に、教会からの協力が得られなくなった場合、学院の運営にどの程度の影響が出るのか。そこから整理しましょう」


 魔術科主任が、机の上に広げられた図面を指さした。


「現在、学院の主要な結界は三系統に分かれています」


 図面には、学院の敷地と地下施設が描かれていた。


「第一に、学院全体を覆う防御結界。これは、悪意を持つ侵入者や魔獣の侵入を防ぎ、不法侵入を検知した際には警報を発します」


 学院長は頷いた。


 王都の中心部にあるとはいえ、学院には貴族の子弟が数多く通っている。防犯上の重要性は言うまでもない。


「第二に、魔術訓練場の結界です。こちらは、魔術の暴発を抑制し、術の威力を制御するとともに、訓練場の外部へ被害が及ぶことを防ぎます」


「これが停止した場合、どうなりますか」


「高威力の魔術訓練は、即座に中止せざるを得ません。初歩的な術であれば、教師の監督下で実施できるものもありますが、従来と同じ授業内容を維持することは不可能です」


「第三は、剣術訓練場の結界ですな」


 剣術科主任が引き継いだ。


「こちらは、訓練中の重傷を防ぎ、負傷した際には回復魔法を作用させるものです。さらに、痛覚の強弱を調整する機能もあります」


「痛覚の調整、ですか」


 一般教養科主任が、確認するように尋ねた。


「ええ。訓練の目的に応じて、痛みをある程度抑えることも、逆に危険を認識させるために必要な痛覚を残すこともできます。もちろん、実際に重傷を負わせるわけではありません」


「それが使えなくなれば?」


「実戦形式の訓練は、大幅に制限せざるを得ません。ただし、木剣を使った型稽古や基礎体力の鍛錬なら、問題なく続けられます」


 学院長は、図面に目を落とした。


 三系統の結界。

 それぞれが、学院の安全と教育を支えている。

 そして、そのすべてが地下の魔道具によって維持されている。


「教会の協力がなくなった場合、魔道具は即座に停止するのですか」


「いえ」


 魔術科主任は首を振った。


「現在充填されている魔力が尽きるまでは、稼働を続けるはずです。ただし、正確な残存量については、教会側の点検記録に頼っている部分が大きいのです」


「つまり、いつまで使えるか分からない?」


「現時点では、そう申し上げるしかありません」


 学院長は、眉を寄せた。

 それは、思っていた以上に深刻な問題だった。


「魔力の充填は、学院の教師ではできないのですか」


「理論上は可能かもしれません。しかし、魔道具の操作術式は教会が管理しており、我々には詳細が開示されておりません。無理に操作すれば、安全装置にどのような影響が出るか分かりません」


「では、教会の協力がなければ、学院は何もできないということか」


 副学院長の言葉に、魔術科主任は不満そうな表情を浮かべた。


「何もできないとは申し上げておりません。調査する価値は十分にあります。ただし、現物を調べずに結論を出すことはできません」


 学院長は、そこで一度、全員を見渡した。


「分かりました。では、次の問題です。結界が使えなくなった場合、学院の授業を継続できるかどうか」


「座学であれば、問題ありません」


 一般教養科主任が答えた。


「歴史、地理、数学、語学、礼法。これらの授業は、結界に依存しておりません。魔術科についても、理論の講義なら継続可能でしょう」


「しかし、それでは実技科目の教育水準が大きく下がります」


 魔術科主任が反論する。


「魔術は、理論だけ学べば使えるようになるものではありません。実際に魔力を扱い、制御する訓練が不可欠です」


「剣術も同じですな」


 剣術科主任が頷いた。


「型だけ覚えても、実戦で役に立つとは限りません。ただし、安全設備がないまま訓練を強行するわけにもいきますまい」


 副学院長は、腕を組んだ。


「つまり、教会の協力がなくなれば、学院は存続できても、従来の教育を維持することは難しいということだな」


 誰も、すぐには答えなかった。


 学院長は、その沈黙を重く受け止めた。


 学院は、建物が残っていればよいというものではない。

 生徒を集め、教師を揃え、授業を行えば、それで教育機関としての責任を果たしたことになるわけでもない。

 安全を確保し、必要な知識と技術を身につけさせる。

 その両方があって初めて、学院としての意味がある。


「……であれば」


 副学院長が、ゆっくりと口を開いた。


「当面の間、闇属性の実技指導を見合わせるという選択肢も、検討すべきではありませんか」


 会議室の空気が、わずかに変わった。


 学院長は、副学院長を見た。


「理由を聞きましょう」


「学院全体の安全を守るためです。闇属性の生徒が魔術を学ぶことを、永久に禁止するわけではありません。教会との協議が整うまで、一時的に指導を控える。それだけのことです」


「“それだけ”ですか」


 低い声が差し挟まれた。


 パトリシアの担任だった。それまで黙って資料を見つめていた若い女教師が、まっすぐに副学院長を見据えていた。


「副学院長先生。その生徒は、何か学院の規則に違反したのでしょうか」


「いや、そういう話ではない」


「では、授業中に危険な魔術を使ったのですか。ほかの生徒に怪我をさせたのでしょうか」


「そうではないと言っている」


「では、なぜその生徒だけが、学ぶ権利を奪われなければならないのですか」


 副学院長は少し眉をひそめた。


「君も教師なら、学院全体の安全と利益を最優先に考えるべきだろう」


「考えております。だからこそお尋ねしているのです」


 担任は、ブレない声で続けた。


「パトリシア嬢は、これまで実技授業で一度も問題を起こしておりません。課題にも極めて真面目に取り組んでいます。それなのに、本人に何の落ち度もないまま、理不尽な制限をかけるのですか。それは教育ですか、それとも生贄ですか」


「一時的な措置だと言っている!」


「では、いつまでですか」


「それは、教会との交渉次第で……」


「期限すら保証できない措置を『一時的』とは呼びません」


 副学院長は、ぐっと言葉を詰まらせた。


 学院長は、担任の言葉に頷きたい気持ちを抑えた。

 彼女の言うことは正しい。


 しかし、副学院長の懸念もまた、無視できるものではなかった。

 もし教会が本当に結界の維持管理を引き上げれば、影響を受けるのはパトリシア一人ではない。

 学院に通う、すべての生徒たちだ。


「皆さん」


 学院長は、静かに声をかけた。


「我々が議論しているのは、特定の生徒を守るか、学院全体を守るかという二者択一ではありません」


 全員が口を閉じた。


「学院には、すべての生徒に公平な教育を提供する責任があります。同時に、その安全を確保する責任もある。どちらか一方を捨てればよいという話ではないのです」


 学院長は、そこで一度言葉を切った。


「そして、もう一つ。忘れてはならないことがあります」


 出席者たちを見渡す。


「パトリシア嬢が公爵家の令嬢であるということです」


 副学院長が、わずかに頷いた。


「フィロパトール公爵家が、この措置を知れば、当然ながら抗議するでしょう」


「それだけでは済まないかもしれません」


 一般教養科主任が言った。


「公爵家が王家に訴えれば、学院と教会の問題が、王国全体の政治問題に発展する可能性もあります」


「だからといって、公爵家だから特別扱いするわけにはいきません」


 担任が、きっぱりと答えた。


 学院長は、その言葉に頷いた。


「そのとおりです」


 そして、ゆっくりと続けた。


「男爵家の娘であろうと、公爵家の娘であろうと、学院が守るべき生徒であることに変わりはありません」


 会議室に、短い沈黙が落ちた。


 学院長は、机の上の図面を閉じた。


「さて。ここまでで、教会の協力がなくなった場合の問題点は、おおむね整理できました」


 そこで、一般教養科主任が手を挙げた。


「学院長。一つ、よろしいでしょうか」


「どうぞ」


「そもそも、この件は王家に報告すべきではありませんか」


 学院長は、静かに頷いた。


「当然、そのつもりです」


「では、なぜ今すぐ報告しないのです?」


「報告することと、王家に介入を求めることは、分けて考えなければなりません」


 学院長は、昨日のヴァイスの言葉を思い返した。


 正式な要請ではございません。

 あの男は、何度もそう繰り返していた。


「今回の件について、教会から正式な通達は出されていません。書面もなく、具体的な措置も取られていない。現時点では、教会内部の一部の者が、非公式な意見を伝えてきたにすぎないのです」


「しかし、結界の管理を引き上げる可能性まで示唆しているのでしょう?」


「ええ。だからこそ、問題なのです」


 学院長は、机の上で指を組んだ。


「仮に、今すぐ王家に抗議を申し立てたとしましょう。王家が教会に問い合わせれば、教会本部はどう答えるでしょうか」


 誰も答えなかった。


「正式な要請など出していない。結界の維持管理を停止する決定もしていない。そう答えるでしょう。実際、そのとおりなのですから」


「では、我々は何もできないのですか」


「いいえ」


 学院長は、首を振った。


「王家には、事実関係を報告します。ただし、教会全体に対する抗議ではなく、学院の安全設備に関する懸念としてです」


 副学院長が、考え込むように顎に手を当てた。


「なるほど。教会との対立を避けながら、王家に状況を把握していただくわけですな」


「それだけではありません」


 学院長は、魔術科主任に目を向けた。


「教会の協力がなければ、本当に魔道具は使えないのでしょうか」


 魔術科主任は、少し驚いた顔をした。


「……それは、調べてみなければ分かりません」


「では、調べてください」


「しかし、教会の管理物に勝手に触れれば……」


「壊せとは言っていません。構造と術式の解析です。教会のブラックボックスを解読し、代替の魔力充填手段がないかを検討するのです。安息日を含めて生徒の不在は四日間。設備の緊急点検という休校理由は、伊達ではありません。裏を返せば、我々が地下に籠もるための時間です」


 魔術科主任の目が、一気に研究者としての光を取り戻した。


「……承知いたしました。魔術科の全力を挙げて、地下魔道具の術式を解剖いたします」


「剣術科主任には、結界が使えなくなった場合の訓練計画をお願いします」


「分かりました。基礎訓練を中心に、授業内容を組み直しましょう」


「一般教養科主任には、座学中心の臨時時間割を作成していただきたい」


「承知しました」


 学院長は、最後に副学院長を見た。


「教会との連絡は、今後すべて学院長室を通してください。非公式な要請であっても、日時と内容を必ず記録します」


「分かりました」


「そして、パトリシア嬢への指導についてですが」


 学院長は、担任に視線を向けた。


「現時点で、教育方針を変更するつもりはありません」


 担任の表情が、わずかに緩んだ。


「ありがとうございます」


「ただし、状況によっては、実技授業全体を制限する必要が生じるかもしれません。その場合は、特定の属性だけを対象とするのではなく、すべての生徒に公平な措置を取ります」


「はい」


 学院長は、全員を見渡した。


「我々が預かっているのは、魔道具でも、教会の権威でもありません」


 少し間を置く。


「子供たちの未来です」


 誰も、口を挟まなかった。


「それを忘れないでいただきたい」


 会議は、それで終わった。




 出席者たちが退出したあと、学院長は一人、会議室に残っていた。


 窓の外には、静まり返った学院の庭園が広がっている。


 学院長は、机の上に残された図面を見つめた。


 地下に設置された魔道具。

 それは、長年にわたって学院の安全を守ってきた。

 教会の技術者たちは、定期的に魔力を充填し、術式を調整し、設備の維持に努めてきた。

 その働きには、感謝すべきだろう。


 だが、その協力が、教育方針を左右するための道具として使われるのであれば、話は別だった。


 学院長は、昨日のヴァイスの言葉を思い返した。


『正式な要請ではございません』


 なるほど。

 確かに、正式な要請ではなかった。

 だが、正式でないからこそ、厄介なのだ。

 教会全体の意思ではないのかもしれない。

 あるいは、教会内部の一部勢力が、独断で動いているのかもしれない。

 いずれにせよ、学院としては、相手の意図を見誤るわけにはいかなかった。


 学院長は、ゆっくりと立ち上がった。

 王家への報告書を作成しなければならない。

 それから、教会との協定書も確認する必要がある。

 魔道具の所有権、管理権、運用に関する取り決め。

 長年、当たり前のように続いてきた仕組みを、改めて見直すことになるだろう。


 ……皮肉なものだ。


 学院を守るために設けられた結界が、学院の自由を縛る鎖になろうとしている。


 学院長は、再び窓の外へ目を向けた。

 秋の風が、庭園の木々を静かに揺らしていた。

 その向こうには、週明けには再び生徒たちが集まってくる校舎がある。


 彼らにとって、学院は学ぶ場所であり、友人と語らう場所であり、将来への希望を育む場所であるはずだった。

 少なくとも、誰かの政治的な思惑によって、学ぶ権利を奪われる場所であってはならない。


 学院長は、深く息を吐いた。

 守るための仕組みが、いつの間にか首輪になっていた。

 ならば、その首輪を外す方法を考えなければならない。

 ただし、力任せに引きちぎれば、首を絞めることになる。

 まずは、鎖の構造を調べることからだ。


 そして、誰がその端を握っているのかを。


 学院長は、図面を丁寧に畳んだ。

 仕事は、山ほどある。

 だが、それもまた、学院長という立場にある者の務めなのだろう。


明日からも、学院は続いていく。

生徒たちの「当たり前の日常」を守るために、今日という泥臭い一日が必要だったのだ。


学院長は胸を張り、静かな廊下へと歩み出していった。




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