第四十七話「イベント発生条件を満たしていません【ミカエル編】」――アイリーン視点
午後の授業が終わる頃には、アズライルの攻略は、後回しにしようと決めていた。
攻略対象は他にもいるし、ITを追うものはNOTを得ずって言うしね。
意味わかんないけど、こんな時に使う言葉だったはず。
そう。まだミカエルがいる。
ミカエル・オッター・グランドラム。大公家の次男。
設定では、長男のお兄さんを差し置いて、次期宰相の有力候補と目されている少年だ。
まだ子供なのに、そんな大層な将来を決められても困ると思う。
しかも、お兄さんがいるのに弟のほうが期待されているのだから、家族の関係だってきっと複雑。
本人もそれを分かっていると思う。
だから、誰にも弱みを見せないように無理してるし、間違っちゃいけない、失敗しちゃいけないっていつも気を張ってる。
そういう背景があるので、ゲームでは、冷徹で腹黒い策士として描かれていた。
主人公に対しても、最初は親切なふりをしながら、心の中では利用価値を測ってたりする。
怖い。
けど、顔がいい。
乙女ゲームの攻略対象って、顔がよければ何でも許されるみたいなところがあったりする。
推しのアクスタを前に、白ご飯三杯食べる事だって出来そう。
……あーお米食べたい。カレー食べたい。
いやいや、今はミカ様に集中!
えっと、そんなミカエルの本当の苦しみは、周囲から期待されるほど、家族との距離が開いていくことだった。
で、主人公はその孤独を知って彼に言うの。
『あなたは、誰かの期待に応えるためだけに生きているんじゃありません』
……だったと思う。
……たぶん。
うん――大丈夫。
こんどは、いきなり核心に触れたりしない。
まずは自然な会話。それから少しずつ距離を縮める。
ま、わたしだって学習する。同じ失敗は繰り返さない。
ミー様が放課後によく立ち寄るのは、学院の図書館だったはずだ。
わたしは鞄を抱え、そっちへ向かった。
あたり前だけど、図書館は静かだった。
古い紙と羊皮紙の匂いに、インクのちょっと金属っぽい匂いが混じっている。
窓から差し込む光の中、うっすらと舞う埃がきらめいていた。
前世の学校の図書室とは、ずいぶん違う。
こっちには漫画もなければ、雑誌もない。
しかも、やたらと分厚い本が多い。
読書というより、筋力トレーニングに使えそうだ。
そして、窓際の席に座る銀髪の少年。
いた。
ミー様だ。
彼は数冊の本を机に広げ、何かを書き込んでいた。
整った顔立ち。涼しげな目元。いかにも頭がよさそうな雰囲気。
ゲームの立ち絵そのまま。
ただ、ちょっと目の下あたりに疲れが見える。
これは、きっと例の設定だな。
周囲の期待に応えるため、無理をして勉強しているのだろう。
机の上には、数字がびっしり並んだ資料と、王国の地図らしいものが広げられていた。
何だろう。授業で使う教材には見えない。
でも、今は余計なことを聞かないほうがいい。
空咳をひとつ。わたしは本棚から適当な本を一冊取り、彼の近くの席へ向かった。
「こちら、よろしいでしょうか」
ミー様が顔を上げて、わたしを見る。
「構いませんよ」
柔らかな声だった。
わたしは、ほっとして椅子に座った。
よかった。今度は順調だ。
「難しそうな本を読んでいらっしゃるんですね」
「そうですね。少し」
「お勉強ですか?」
「ええ。必要がありまして」
彼は完璧な笑顔で微笑んだ。完璧すぎ。
「ミカエル様は、いつもお忙しそうですね」
「そう見えますか?」
「はい。少しお疲れなのかな、と」
「お気遣いありがとうございます」
よっし! いい感じ。
今のところ、アズ様のときのような失敗はしていない。
わたしは慎重に言葉を選んだ。
「わたしでよければ、お話し相手くらいにはなれますよ」
「それはありがたいですね」
ミー様は、にこりと笑った。
やった! 今度は上手くいってる。
「ところで、シムラー嬢」
「はい!」
「あなたは、私が何を調べているのか、ご存じですか?」
「え?」
「先ほどから、こちらの資料を気にしていらっしゃるようなので」
わたしは机の上を見た。
難しい数字と、見慣れない地名が並んでいる。
……何だろう。
全然分からない。
「い、いえ。詳しくは」
「そうですか」
彼は微笑みを崩さなかった。
「では、なぜ私が疲れていると思われたのです?」
「それは、その……」
彼の視線が、ふっとわたしの手元に落ちた。さっき適当に取ってきた本の背表紙。
ほんの一瞬だった。すぐに、笑顔に戻る。
「顔色でしょうか。それとも、誰かから何かお聞きになりましたか?」
質問が増えた。
しかも、ひとつひとつが妙に答えづらい。
「何となく、です」
「なるほど。何となく」
彼は頷いた。
その顔には、相変わらず穏やかな笑みが浮かんでいる。
なのに、どうしてだろう。
わたしは今、面接を受けている気がする。しかも、あまり合格の見込みがない面接だ。
「シムラー嬢は、面白い方ですね」
「そ、そうでしょうか」
「ええ。私のことを、ずいぶん気にかけてくださる」
あ。
これは好感触では?
「ただ、一つだけ。シムラー嬢が私を疲れていると思われた理由は、少し気になります」
彼は笑顔のまま、本を閉じた。
その指先が、机の上の資料をきちんと揃える。
何となく、その動きまで計算されているように見えた。
「また、お話ししましょう。次は、そちらの本についても」
「……え?」
「せっかく図書室でお会いしたのですから。読書のお話なども、よいでしょう?」
言葉は丁寧だった。とても丁寧だった。なのに、逃げ道がない。
だって、わたしが手に取った本の内容なんて、わたし自身が知らないのだ。
笑顔のまま、こちらの行動を全部見透かしている気がする。
「えっと、あの……すみません」
「謝る必要はありません。お気遣いは嬉しいですから」
ミー様は微笑んだまま、少しだけ肩を落とした。
その瞬間、年相応の疲れた顔が見えた気がした。
でも、それも一瞬だった。
「ただ、今日は少し急いでおりますので」
「あ、はい。お邪魔してしまって」
「いえ。それでは」
ミー様は立ち上がり、軽く一礼した。
わたしは慌てて礼を返した。
ミカ様が去ったあと、図書館には静けさが戻った。
わたしはしばらく、その場から動けなかった。
たぶん……二連敗。
しかも、どっちも怒らせたわけではないし、嫌われたとも思えない。
ただ、丁寧に距離を置かれた。
これが一番こまる。
はっきりと嫌われたのなら、何か対策も考えられる。
でも、礼儀正しく線を引かれると、こっちはそれ以上踏み込みにくい。
わたしは机に額をつけたくなった。
もちろん、つけなかった。
貴族令嬢は、図書室の机に額をつけたりしない。
わたしだって学習する。
「アイリーン様」
声をかけられて顔を上げると、マーゴが立っていた。
ん? なぜ。どうして。
この人は、わたしが失敗した場所に必ず現れる決まりでもあるのだろうか。
「……マーガレットさ、ま」
「お帰りにならないのですか?」
「いえ、今、帰るところです」
「そうですか」
彼女はわたしの手元にある本を見た。
「その本は、借りていかれるの?」
「え?」
わたしは表紙を見た。
『王国西部における関税制度の変遷』
……何で、これを選んだのだろう。
自分でも分からない。
「い、いえ。戻します」
「では、私もご一緒しましょう」
そう言いながらマーゴは先に立って、近くの棚へ向かった。
わたしはその後ろについていく。
途中で、思い切って尋ねた。
「あの、マーガレット様」
「何でしょう」
「人と仲良くなるには、どうしたらいいと思います?」
彼女は足を止めた。
少し考える。
「相手によるのではありませんか?」
「それは、そうなんだけど」
「何か、急いでいらっしゃるの?」
「え?」
「先ほどから、誰かと親しくなることを急いでいるように見えます」
わたしは黙った。
「相手にも、あなたと親しくなるかどうかを決める自由があります」
「……はい」
「それに、相手が何を望んでいるかを知る前に、こちらから与えようとしても、必ずしも喜ばれるとは限りません」
わたしは、アズ様とミー様の顔を思い浮かべた。
どっちも、わたしの言葉に困っていた。ゲームじゃ、あんな反応は見たことない。
そりゃそうよね。今の彼らは、まだわたしのことをほとんど知らない。
わたしも、彼らのリアルについては、ほとんど知らない。
設定とゲーム内の進行で、知っているつもりだっただけだ。
「……難しいですね」
「そうですわね」
そう言って、マーゴは少しだけ笑った。
「人付き合いは、簡単ではありませんもの」
その言葉が、妙に自然だった。
わたしは思わず彼女を見つめた。
やっぱり、この人、大人っぽい。前世の記憶持ち?
それとも、この世界の貴族令嬢として、ちゃんと考えているだけなのかもしれない。
でももし、転生者だったら?
わたしと同じように、前世の記憶を持っていたら?
そう考えると、どうしても気になってしまう。
「マーガレット様」
「はい」
「もし、自分だけが知っている未来があったら、どうしますか?」
彼女は足を止めた。
今度は、少し長く考えた。
「……その未来が、確かなものかどうかを疑います」
「え?」
「未来を知っていると思い込んで、目の前のことを見誤るのは危険でしょう?」
わたしは息をのんだ。
その答えは、あまりにも的確だった。
まるで、今のわたしに向けて言われたようだった。
「それに」
マーゴは続けた。
「未来が決まっているのなら、努力する意味がなくなってしまいますもの」
そう言って、彼女は本棚に向かった。
わたしは、何も言えなかった。
……やっぱり、怪しい。
この人、絶対に何か知っているんじゃないだろうか。
少なくとも、わたしよりずっと物事を分かっている。
それだけは確かだった。
帰りの馬車の中で、わたしは今日起こったイベントを整理した。
アズライル。
――失敗。
ミカエル。
――失敗。
マーガレット。
――相変わらず正体不明。
パトリシア。
――黒猫を抱いていた。落とし物を拾ってくれた。悪気なし。
……最後の項目だけ、妙に平和?
わたしは窓の外を眺めた。
王都の街並みが、夕暮れの光に染まっている。
ゲームじゃ、主人公が攻略対象たちの心を癒していく。
誰にも見せられなかった弱さを受け止め、孤独を理解し、少しずつ距離を縮める。
それは、とても素敵な物語だった。
わたしも、そんなふうに誰かの力になれたらと思っていた。
でも、現実のアズ様は、わたしに弱さを見せていない。
ミー様も、助けを求めていない。
それなのにわたしは、二人が傷ついていると決めつけて、勝手に手を差し伸べようとした。
……うん。
これは、ちょっと反省したほうがいいかも。
わたしは膝の上で両手を握った。
ゲームの知識は、きっと役に立つ。
でも、それだけに頼っちゃダメだ。ちゃんと相手を見よう。
この世界の彼らが、何を考えているのか。何を望んでいるのか。
それを知ってから、仲良くなればいい。
よし。
明日からは、もっと慎重に行動しよう。
わたしは心の中で、そう決意した。
……もっとも、慎重に行動するというのは、具体的に何をすればいいのだろう。
とりあえず、攻略対象にいきなり話しかけるのは控えよう。
相手のことをよく知ってから、少しずつ仲良くなる。
うん。それがいい。
でも、相手のことを知るためには、まず話しかけないといけないわけで。
……あれ?
これ、最初に戻ってない?
わたしは馬車の座席に深くもたれた。
人間関係って、ゲームよりずっと難しい。
好感度が数字で見えればいいのに。
いや、見えたら見えたで、数字が下がるたびに落ち込むかもしれない。
それはそれで嫌だ。
窓の外では、夕暮れの王都を人々が行き交っていた。
みんな、それぞれの生活がある。
攻略対象も、マーゴも、パティも。
わたしが知らないところで、いろんなことを考えて、悩んで、毎日を過ごしている。
わたしは膝の上の鞄を抱き直した。
明日は、誰かと普通に話してみよう。
攻略とか、イベントとか、そういうのは抜きで。
まずは、そこからだ。
……でも、できれば攻略対象の誰かと。
いやいや。
だから、そういうところだってば。
わたしは一人で苦笑した。
どうやら、わたしの攻略は、まだまだ前途多難らしい。
少なくとも、攻略対象の問題を解決する前に、自分の問題を解決する必要がありそうだった。
――その夜、西棟の塔。
『テト観察日誌』
“本日、学院の図書館にて、少々興味深い光景を目撃した。
僕が魔導理論に関する文献を調べていると、グランドラム大公家のミカエル殿の近くに、シムラー男爵家の令嬢が腰を下ろした。
先日から、何かと目につく少女である。
彼女はミカエル殿に話しかけ、しきりに体調を気遣っていた。
もっとも、ミカエル殿は資料の整理に追われていただけで、特に体調が悪いようには見えなかったが。
彼女には、僕には見えない何かが見えているのかもしれない。
一方、黒猫はパティとともに図書館の前を通りかかっただけで、特に変わった様子は見られなかった。
相変わらず、猫らしく振る舞うことに余念がない。
実に不自然である。
普通の猫は、猫らしく振る舞おうなどとは考えない。
……いや。
普通の猫が何を考えているのか、私には分からない。
これも検証の必要があるだろう。
……そろそろ、僕自身の研究時間を確保する必要があるかもしれない”




