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過労死社畜、悪役令嬢の飼い猫に転生する ~美人な飼い主にモフられながら、破滅フラグはチートでこっそりへし折ります~  作者: 真野真名
第三章 王立学院に猫は潜む

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第四十七話「イベント発生条件を満たしていません【ミカエル編】」――アイリーン視点




 午後の授業が終わる頃には、アズライルの攻略は、後回しにしようと決めていた。

 

 攻略対象は他にもいるし、IT(イット)を追うものはNOT(ノット)を得ずって言うしね。

 意味わかんないけど、こんな時に使う言葉だったはず。


 そう。まだミカエルがいる。


 ミカエル・オッター・グランドラム。大公家の次男。

 


 設定では、長男のお兄さんを差し置いて、次期宰相の有力候補と目されている少年だ。


 まだ子供なのに、そんな大層な将来を決められても困ると思う。

 しかも、お兄さんがいるのに弟のほうが期待されているのだから、家族の関係だってきっと複雑。


 本人もそれを分かっていると思う。


 だから、誰にも弱みを見せないように無理してるし、間違っちゃいけない、失敗しちゃいけないっていつも気を張ってる。


 そういう背景があるので、ゲームでは、冷徹で腹黒い策士として描かれていた。

 主人公に対しても、最初は親切なふりをしながら、心の中では利用価値を測ってたりする。


 怖い。


 けど、顔がいい。


 乙女ゲームの攻略対象って、顔がよければ何でも許されるみたいなところがあったりする。


 推しのアクスタを前に、白ご飯三杯食べる事だって出来そう。


 ……あーお米食べたい。カレー食べたい。


 いやいや、今はミカ様に集中!


 えっと、そんなミカエルの本当の苦しみは、周囲から期待されるほど、家族との距離が開いていくことだった。


 で、主人公はその孤独を知って彼に言うの。


『あなたは、誰かの期待に応えるためだけに生きているんじゃありません』


 ……だったと思う。


 ……たぶん。


 うん――大丈夫。


 こんどは、いきなり核心に触れたりしない。

 まずは自然な会話。それから少しずつ距離を縮める。


 ま、わたしだって学習する。同じ失敗は繰り返さない。


 ミー様が放課後によく立ち寄るのは、学院の図書館だったはずだ。


 わたしは鞄を抱え、そっちへ向かった。




 あたり前だけど、図書館は静かだった。


 古い紙と羊皮紙の匂いに、インクのちょっと金属っぽい匂いが混じっている。

 窓から差し込む光の中、うっすらと舞う埃がきらめいていた。


 前世の学校の図書室とは、ずいぶん違う。


 こっちには漫画もなければ、雑誌もない。

 しかも、やたらと分厚い本が多い。

 読書というより、筋力トレーニングに使えそうだ。


 そして、窓際の席に座る銀髪の少年。


 いた。


 ミー様だ。


 彼は数冊の本を机に広げ、何かを書き込んでいた。


 整った顔立ち。涼しげな目元。いかにも頭がよさそうな雰囲気。

 ゲームの立ち絵そのまま。


 ただ、ちょっと目の下あたりに疲れが見える。


 これは、きっと例の設定だな。


 周囲(まわり)の期待に応えるため、無理をして勉強しているのだろう。


 机の上には、数字がびっしり並んだ資料と、王国の地図らしいものが広げられていた。


 何だろう。授業で使う教材には見えない。

 でも、今は余計なことを聞かないほうがいい。


 空咳をひとつ。わたしは本棚から適当な本を一冊取り、彼の近くの席へ向かった。


「こちら、よろしいでしょうか」


 ミー様が顔を上げて、わたしを見る。


「構いませんよ」


 柔らかな声だった。


 わたしは、ほっとして椅子に座った。

 よかった。今度は順調だ。


「難しそうな本を読んでいらっしゃるんですね」


「そうですね。少し」


「お勉強ですか?」


「ええ。必要がありまして」


 彼は完璧な笑顔で微笑んだ。完璧すぎ。


「ミカエル様は、いつもお忙しそうですね」


「そう見えますか?」


「はい。少しお疲れなのかな、と」


「お気遣いありがとうございます」


 よっし! いい感じ。


 今のところ、アズ様のときのような失敗はしていない。


 わたしは慎重に言葉を選んだ。


「わたしでよければ、お話し相手くらいにはなれますよ」


「それはありがたいですね」


 ミー様は、にこりと笑った。


 やった! 今度は上手くいってる。


「ところで、シムラー嬢」


「はい!」


「あなたは、私が何を調べているのか、ご存じですか?」


「え?」


「先ほどから、こちらの資料を気にしていらっしゃるようなので」


 わたしは机の上を見た。


 難しい数字と、見慣れない地名が並んでいる。


 ……何だろう。


 全然分からない。


「い、いえ。詳しくは」


「そうですか」


 彼は微笑みを崩さなかった。


「では、なぜ私が疲れていると思われたのです?」

「それは、その……」

 彼の視線が、ふっとわたしの手元に落ちた。さっき適当に取ってきた本の背表紙。

 ほんの一瞬だった。すぐに、笑顔に戻る。


「顔色でしょうか。それとも、誰かから何かお聞きになりましたか?」


 質問が増えた。


 しかも、ひとつひとつが妙に答えづらい。


「何となく、です」


「なるほど。何となく」


 彼は頷いた。


 その顔には、相変わらず穏やかな笑みが浮かんでいる。


 なのに、どうしてだろう。


 わたしは今、面接を受けている気がする。しかも、あまり合格の見込みがない面接だ。


「シムラー嬢は、面白い方ですね」


「そ、そうでしょうか」


「ええ。私のことを、ずいぶん気にかけてくださる」


 あ。

 これは好感触では?


「ただ、一つだけ。シムラー嬢が私を疲れていると思われた理由は、少し気になります」

 彼は笑顔のまま、本を閉じた。


 その指先が、机の上の資料をきちんと揃える。

 何となく、その動きまで計算されているように見えた。

「また、お話ししましょう。次は、そちらの本についても」


「……え?」


「せっかく図書室でお会いしたのですから。読書のお話なども、よいでしょう?」


 言葉は丁寧だった。とても丁寧だった。なのに、逃げ道がない。


 だって、わたしが手に取った本の内容なんて、わたし自身が知らないのだ。


 笑顔のまま、こちらの行動を全部見透かしている気がする。


「えっと、あの……すみません」


「謝る必要はありません。お気遣いは嬉しいですから」


 ミー様は微笑んだまま、少しだけ肩を落とした。


 その瞬間、年相応の疲れた顔が見えた気がした。


 でも、それも一瞬だった。


「ただ、今日は少し急いでおりますので」


「あ、はい。お邪魔してしまって」


「いえ。それでは」


 ミー様は立ち上がり、軽く一礼した。


 わたしは慌てて礼を返した。



 ミカ様が去ったあと、図書館には静けさが戻った。


 わたしはしばらく、その場から動けなかった。


 たぶん……二連敗。


 しかも、どっちも怒らせたわけではないし、嫌われたとも思えない。


 ただ、丁寧に距離を置かれた。


 これが一番こまる。


 はっきりと嫌われたのなら、何か対策も考えられる。


 でも、礼儀正しく線を引かれると、こっちはそれ以上踏み込みにくい。


 わたしは机に額をつけたくなった。


 もちろん、つけなかった。


 貴族令嬢は、図書室の机に額をつけたりしない。


 わたしだって学習する。





「アイリーン様」


 声をかけられて顔を上げると、マーゴが立っていた。


 ん? なぜ。どうして。


 この人は、わたしが失敗した場所に必ず現れる決まりでもあるのだろうか。


「……マーガレットさ、ま」


「お帰りにならないのですか?」


「いえ、今、帰るところです」


「そうですか」


 彼女はわたしの手元にある本を見た。


「その本は、借りていかれるの?」


「え?」


 わたしは表紙を見た。


『王国西部における関税制度の変遷』


 ……何で、これを選んだのだろう。


 自分でも分からない。


「い、いえ。戻します」


「では、私(わたくし)もご一緒しましょう」


 そう言いながらマーゴは先に立って、近くの棚へ向かった。

 わたしはその後ろについていく。


 途中で、思い切って尋ねた。


「あの、マーガレット様」


「何でしょう」


「人と仲良くなるには、どうしたらいいと思います?」


 彼女は足を止めた。


 少し考える。


「相手によるのではありませんか?」


「それは、そうなんだけど」


「何か、急いでいらっしゃるの?」


「え?」


「先ほどから、誰かと親しくなることを急いでいるように見えます」


 わたしは黙った。


「相手にも、あなたと親しくなるかどうかを決める自由があります」


「……はい」


「それに、相手が何を望んでいるかを知る前に、こちらから与えようとしても、必ずしも喜ばれるとは限りません」


 わたしは、アズ様とミー様の顔を思い浮かべた。


 どっちも、わたしの言葉に困っていた。ゲームじゃ、あんな反応は見たことない。


 そりゃそうよね。今の彼らは、まだわたしのことをほとんど知らない。

 わたしも、彼らのリアルについては、ほとんど知らない。


 設定とゲーム内の進行で、知っているつもりだっただけだ。


「……難しいですね」


「そうですわね」


 そう言って、マーゴは少しだけ笑った。


「人付き合いは、簡単ではありませんもの」


 その言葉が、妙に自然だった。


 わたしは思わず彼女を見つめた。


 やっぱり、この人、大人っぽい。前世の記憶持ち?


 それとも、この世界の貴族令嬢として、ちゃんと考えているだけなのかもしれない。


 でももし、転生者だったら?

 わたしと同じように、前世の記憶を持っていたら?


 そう考えると、どうしても気になってしまう。


「マーガレット様」


「はい」


「もし、自分だけが知っている未来があったら、どうしますか?」


 彼女は足を止めた。


 今度は、少し長く考えた。


「……その未来が、確かなものかどうかを疑います」


「え?」


「未来を知っていると思い込んで、目の前のことを見誤るのは危険でしょう?」


 わたしは息をのんだ。


 その答えは、あまりにも的確だった。

 まるで、今のわたしに向けて言われたようだった。


「それに」


 マーゴは続けた。


「未来が決まっているのなら、努力する意味がなくなってしまいますもの」


 そう言って、彼女は本棚に向かった。


 わたしは、何も言えなかった。


 ……やっぱり、怪しい。


 この人、絶対に何か知っているんじゃないだろうか。

 少なくとも、わたしよりずっと物事を分かっている。


 それだけは確かだった。




 帰りの馬車の中で、わたしは今日起こったイベントを整理した。


 アズライル。

 ――失敗。


 ミカエル。

 ――失敗。


 マーガレット。

 ――相変わらず正体不明。


 パトリシア。

 ――黒猫を抱いていた。落とし物を拾ってくれた。悪気なし。


 ……最後の項目だけ、妙に平和?


 わたしは窓の外を眺めた。

 王都の街並みが、夕暮れの光に染まっている。


 ゲームじゃ、主人公が攻略対象たちの心を癒していく。

 誰にも見せられなかった弱さを受け止め、孤独を理解し、少しずつ距離を縮める。

 それは、とても素敵な物語だった。


 わたしも、そんなふうに誰かの力になれたらと思っていた。

 でも、現実のアズ様は、わたしに弱さを見せていない。

 ミー様も、助けを求めていない。


 それなのにわたしは、二人が傷ついていると決めつけて、勝手に手を差し伸べようとした。


 ……うん。


 これは、ちょっと反省したほうがいいかも。


 わたしは膝の上で両手を握った。


 ゲームの知識は、きっと役に立つ。

 でも、それだけに頼っちゃダメだ。ちゃんと相手を見よう。


 この世界の彼らが、何を考えているのか。何を望んでいるのか。

 それを知ってから、仲良くなればいい。


 よし。

 明日からは、もっと慎重に行動しよう。


 わたしは心の中で、そう決意した。


 ……もっとも、慎重に行動するというのは、具体的に何をすればいいのだろう。

 とりあえず、攻略対象にいきなり話しかけるのは控えよう。

 相手のことをよく知ってから、少しずつ仲良くなる。


 うん。それがいい。


 でも、相手のことを知るためには、まず話しかけないといけないわけで。


 ……あれ?

 これ、最初に戻ってない?


 わたしは馬車の座席に深くもたれた。

 人間関係って、ゲームよりずっと難しい。

 好感度が数字で見えればいいのに。

 いや、見えたら見えたで、数字が下がるたびに落ち込むかもしれない。

 それはそれで嫌だ。


 窓の外では、夕暮れの王都を人々が行き交っていた。

 みんな、それぞれの生活がある。

 攻略対象も、マーゴも、パティも。

 わたしが知らないところで、いろんなことを考えて、悩んで、毎日を過ごしている。


 わたしは膝の上の鞄を抱き直した。

 明日は、誰かと普通に話してみよう。

 攻略とか、イベントとか、そういうのは抜きで。

 まずは、そこからだ。

 ……でも、できれば攻略対象の誰かと。


 いやいや。

 だから、そういうところだってば。


 わたしは一人で苦笑した。

 どうやら、わたしの攻略は、まだまだ前途多難らしい。


 少なくとも、攻略対象の問題を解決する前に、自分の問題を解決する必要がありそうだった。





 ――その夜、西棟の塔。


『テト観察日誌』


“本日、学院の図書館にて、少々興味深い光景を目撃した。

 僕が魔導理論に関する文献を調べていると、グランドラム大公家のミカエル殿の近くに、シムラー男爵家の令嬢が腰を下ろした。

 先日から、何かと目につく少女である。

 彼女はミカエル殿に話しかけ、しきりに体調を気遣っていた。

 もっとも、ミカエル殿は資料の整理に追われていただけで、特に体調が悪いようには見えなかったが。

 彼女には、僕には見えない何かが見えているのかもしれない。


 一方、黒猫はパティとともに図書館の前を通りかかっただけで、特に変わった様子は見られなかった。

 相変わらず、猫らしく振る舞うことに余念がない。

 実に不自然である。

 普通の猫は、猫らしく振る舞おうなどとは考えない。

 ……いや。

 普通の猫が何を考えているのか、私には分からない。

 これも検証の必要があるだろう。


 ……そろそろ、僕自身の研究時間を確保する必要があるかもしれない”




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