第四十七話「イベント発生条件を満たしていません【アズライル編】」――アイリーン視点
少し長くなったので
四十七話、二回に分けます。
「予定は未定」って誰かが言ってた。歴史上のエライ人か、うちの母さんだったかは忘れたけど。
そして、予定は未定になった。
少なくとも、前世のわたしが通っていた学校では、突然の休校はちょっとしたお祭りだった。
台風が接近していると聞けば、窓の外を眺めながら進路がこちらに曲がることを祈り、いつもより無駄に早起きして、朝六時の警報発表をエレクトーンの音と共に待ってたりした。
あとで被害状況なんかを聞くと、不謹慎だったなと、ちょっとは思う。
ま、学生なんてそんなもんだし。
ところが、アルカランズ王立学院の臨時休校は、ちっとも嬉しくなかった。
休校の理由は、設備の臨時点検らしい。
しかも四日間。
おかげで、わたしの頭の中にある予定表が、実に見事なことになっている。
真っ白だ。
ゲームのイベントは日付で管理されていた。そこへ、いきなり四日ぶんの空白が割り込んだのだ。いつ、どこで、何が起こるのか、分かんなくなった。
これは困る。非常に困る。
だって、この世界は乙女ゲーム『六色の恋人』の世界で、わたしはそのヒロイン、アイリーン・シムラーに転生しているのだから。
……たぶん。
最近、特に王都に移ってからこの「たぶん」が増えた気がする。
ゲームと同じ名前の王国。同じ名前の学院。同じ名前の攻略対象たち。
そして、将来は断罪されるはずの悪役令嬢、パトリシア・フィロパトール。
ここまで揃っていて偶然ということはないと思う。
ただ……わたしの知っているゲームのパトリシアは、もっとこう、分かりやすく嫌な子だった。
高慢で、冷酷で、主人公を見下し、取り巻きの令嬢たちを使って陰湿な嫌がらせを繰り返す。
まさしく、ザ・悪役令嬢。……んー? 『ジ』の方が正しかったっけ?
少なくとも、廊下の隅に落ちていたリボンを拾って、持ち主が見つかるまで自分のバッグにしまっておくような子ではなかった。
しかも、その薄紫のサチェルバッグから黒猫の尻尾が出ている。
あれって、一体どういう仕組みなのだろ。
気になることは山ほどある。
でも、今、わたしが最も気にしているのは別の問題だった。
攻略イベントが始まらないのである。
「ですから、アイリーン様。先ほどから申し上げているでしょう。お茶会のお誘いは、先方の都合を確かめてからです」
「はい……」
「それから、相手の名前を呼ぶときは、親しさだけでなく、立場も考えてください」
「はい……」
「学院内では身分によらず学ぶ機会が与えられます。けれど、それは互いの立場を無視してよいという意味ではありません」
「はい……」
わたしは今、マーガレット・アン・ヴィアルバーグ侯爵令嬢に絶賛注意され中だ。
場所は学院の中庭。
時刻は昼休み。
そして、これが本日三度目の「はい」である。
ううん、ちゃんと数えたらもっと言っているかもしれない。
マーゴは、背筋を伸ばし、わたしをまっすぐ見ていた。
その姿勢には、まったく隙がない。
年齢はわたしと大して変わらないはず――いや、前世の年齢なら、わたしのが断然年上なのに、どうしてこんなに立派な貴族令嬢が完成しているのだろう。
小学女子なんて、余った給食のデザートを誰がもらうかで、もっと真剣に争っていたと思う。
「私は、あなたを嫌って申し上げているのではありません」
「あ、はい。それは分かって、ます」
「分かっていらっしゃるなら結構です」
マーゴは小さく息をついた。
この人は、わたしが何か失敗するたびに注意してくれる。
それも、決して感情的にはならない。
理由を説明し、どこが問題なのかを指摘し、どうすればよかったのかまで教えてくれる。
教師としてなら、かなり優秀な方じゃないかなと思う。
そう思って、週に一度か二度、個人的に礼儀作法を教えていただけないかとお願いしたこともあるのだが、丁重に断られた。
侯爵家の令嬢が男爵家の娘の頼みを気軽に引き受ければ、家同士の関係にも影響する。
そういうことらしい。
前世じゃ、友達に勉強を教えてもらうのに家の格を気にする必要なんてなかった。
ここっちの世界は、何かとめんどくさい。
ただ、マーゴが言っていることは、きっと正しいんだろう。
そこがまた、面倒だったりする。
「ところで……アイリーン様」
マーゴの声が一オクターブ上がった気がした。
「はい」
「先ほどから、何をそんなに気になさっているのです?」
ぎくり。
わたしは思わず視線をそらした。
中庭の向こう、回廊へ続く通路に、ひときわ背の高い男子生徒が見えた。
アズライル・セベク・エンドルフォン。
まさか、今日? いや、分からない。分からないけど――チャンスはチャンスだ。 わたしは心の中で小さくガッツポーズ。
「……あちらの方に、何かご用事が?」
「い、いえ。別に」
「そうですか」
マーゴはそれ以上追及しなかった。
けど、その目はまったく納得していなかった。
こういうところが怖い。
そして、わたしがマーゴを転生者じゃないかと疑っている理由のひとつだったりする。
マーゴってば、時々、妙に話が通じすぎるのだ。
前世の学生生活じゃ当たり前だった「相手の都合を聞く前にソンタクする」とか「自分が周囲にどう見えるか」といったことを、わたしが説明する前に理解している。
まぁ、それは単に侯爵令嬢として教育されているからかもしれないし。
たぶん、そっちのほうが可能性は高そう。
でも、気になる。
以前、思い切って尋ねたことがある。
『マーガレットさんは、別の世界のことを夢に見たりしませんか?』
すると彼女は、少し考えてから答えた。
『夢の内容は、起きれば忘れてしまうことが多いですわね』
返ってきたのは常識的な答えだった。
それ以上、何も聞けなかった。
わたしの転生者疑惑は、現在も継続調査中だ。
そして、もう一人。
パトリシア・フィロパトール。
こっちも怪しい。何しろ、ゲームの悪役令嬢とは性格がまるで違う。
普通に考えると、パトリシアの方が断然、怪しい。
時々、こっちの常識から外れた発想をするし、何よりあの黒猫を異常なほど大切にしている。
それで、なんかボロ出さないかなって、何度か探ってはみたんだけど。
例えば、『パトリシア様は、遠い国のお料理に興味はありませんか?』と聞いたところ、
『ありますわ。おいしいものなら』
と即答された。
そこまではよかった。
『例えば、カレーとか』
『香辛料をたくさん? 味の想像ができませんわね。……テトは食べられますの?』
そこから先は猫の食事の話になった。転生者かどうかは分からなかったが、黒猫にはずいぶん詳しくなった。
……じゃなくって、今はアズライルだ。
アズ様の攻略イベントは、確か学院の回廊で発生する。
主人公が落とした書物を彼が拾い、二人の手が触れ合う。
そこで主人公が、騎士としての彼の姿勢を褒めるのだ。
誰よりも強く、誰よりも正しくあろうとする少年。
けれど、その裏には偉大な父親と比較され続ける苦しみがある。
主人公は、彼が無理をしていることに気づく。
『あなたは、あなたのままでいいんです』
確か、そんな台詞だった。
そこでアズライルは初めて、誰かに弱さを認めてもらえたと感じる。
それが、攻略の第一歩である。
わたしは鞄から教科書を取り出した。
昨日から何度も確認している、少し厚めの歴史書だ。
これを回廊で落とせばいい。
あとはアズ様が拾ってくださる。
完璧な計画――少なくとも、私の頭の中では。
「アイリーン様?」
「す、すみません。ちょっと忘れ物を思い出して」
「先ほど、忘れ物はないとおっしゃっていましたが」
「今、思い出したんです!」
わたしはマーゴにぺこりと頭を下げて、回廊へ急いだ。
走らない。
貴族令嬢は走らない。
それくらいは、さすがに覚えた。
アズ様との距離は、あと――十歩。
――八歩。
――五歩。
わたしは教科書を抱え直すふりをして、手を滑らせた。
ばさっ。
歴史書が床に落ちる。
よし。
わたしは顔を上げた。
アズ様が、こちらを見ていた。
目が合う。
来た。来ました。
よっし! 攻略イベント開始です!
「落としましたわよ」
横から声がした。
見れば、パトリシアが歴史書を拾い上げていた。
いつの間に。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
「大切な本なのでしょう?」
「ええ、まあ」
「では、落とさないほうがよろしいですわ」
いや、それはわかってるけど。
わたしは差し出された歴史書を受け取った。
パトリシアはにこりと笑い、何事もなかったように歩き出そうとする。
その腕には、例の黒猫が抱かれていた。
猫は私を見た。金色の目が、じっとこちらを見ている。
……何だろう。なぜか、ものすごく呆れられている気がする。
「フィロパトール嬢」
アズライル様が声をかけた。
パトリシアが振り返る。
「はい?」
「落とし物を拾って返す。立派な行いだ」
「……ありがとうございます?」
「当然のことを当然に行える者は、信頼に値する」
アズライル様は真面目な顔で頷いた。
いやいや、そんなに大層なこと? 本を落としたのを、拾って渡しただけだよ。
パトリシアは少し困ったように首を傾げる。
「本が落ちていたから、拾っただけですわ」
「その『だけ』が大切なのだ」
「そうなのですか」
「そうだ」
会話が成立しているのか、いないのか。わたしにはよく分からなかった。
ただ、アズ様の表情が、少しだけ柔らかくなったことは分かった。
待って。
えーっと、それ、わたしのイベントでは?
パトリシアは特に感動した様子もなく、
「では、ごきげんよう」
と一礼した。
腕の黒猫が、小さく「にゃ」と鳴く。
アズライル様も礼を返した。
わたしはその一連のやり取りを、ただ眺めていた。
イベントは終わった。
わたしが本を落としてから、たぶん一分も経っていない。
何ということでしょう。
攻略対象との初接触イベントが、悪役令嬢による落とし物返却イベントに変更されてしまいました。
しかも、本人にはまったく悪気がない。
これが一番困る。
「シムラー嬢」
パトリシアと黒猫が去って行くのをぼーっと眺めていたら声がかかった。
振り返ると、アズ様が立っていた。
心臓が跳ねた。
もしかして、イベントの続き? 主人公補正?
「はい!」
「先ほどのことだが」
「はい!」
「書物は、もう少し確実に持ったほうがいい」
「……はい?」
「廊下には、ほかの生徒もいる。足元に落ちたものを踏めば、怪我につながる」
なるほど……安全指導だった。
「それと、慌てていたようだが、何か急ぎの用事でもあったのか?」
「い、いえ。特には」
「そうか。ならばよかった」
彼はほっとしたように頷いた。
この人は、こういう人なのだ。誰かが困っていれば助ける。危険があれば注意する。
たとえ、それが初対面に近い相手でも。
私は、ゲームで知っている彼の設定を思い出した。
王国騎士団長の嫡男。
幼い頃から、父親と同じ道を進むことを期待されている。
本人もそれを誇りに思っているが、同時に重荷にも感じている。
父親に恥じない騎士にならなければならない。
その思いが強すぎて、時々、年齢に似合わないほど堅苦しくなる。
ゲームの中では、主人公だけがその苦しさに気づいていた。
ならば、今こそ。
「アズライル様」
「何だろう」
「そんなに無理をしなくても、いいんですよ」
彼の眉が動いた。
「……無理?」
「はい。いつも立派な騎士でいようとしなくても、たまには普通の男の子でいていいんです」
よし。
言えた。
細かい台詞は覚えていないけれど、大事なのは気持ちだ。
わたしは彼をまっすぐ見つめた。
アズ様は、しばらく黙っていた。
その沈黙が、妙に長く感じられた。
「シムラー嬢」
「はい」
「忠告には感謝する」
おお。これは、もしかして。
「だが、私は君と特に親しいわけでもなく、挨拶程度の会話を交わした事さえ数度」
「……え?」
「君が何を見てそう判断したのか、私には分からない」
あ。
「それに、父の名に恥じぬよう努めることを、私は不幸だと思ってはいない」
声は穏やかだった。けれど、その言葉には、はっきりとした線が引かれていた。
「もちろん、未熟なところはある。だからこそ努力しているつもりだ」
「そ、そうですよね」
「心配してくれたのなら礼を言う。ただ、私のことは、もう少し知ってから判断してもらえるとありがたい」
私は、返す言葉を失った。
彼は一礼し、去っていった。
その背中は、やっぱり真っすぐだった。
……あれ?
おかしい。
ゲームでは、もっと感動的な場面になるはずだったのに。
彼が驚いた顔をして、それから少し笑って。
そういうイベントだったはずなのに。
わたしは、歴史書を抱きしめた。
何だか、少し恥ずかしい。――いや、かなり恥ずかしい。
確かに、よく知らない相手から突然「無理しなくていい」と言われたら困る。いや、ちょっとキモい。
わたしだって、初対面の男子に「本当の君は寂しがり屋なんだね」と言われたら、全力で距離を取ったと思う。
でも、ゲームでは成功した。
何が違う? ……もしかして、好感度が足りない?
いや、その前に。
ゲームの主人公は、もっと前から彼と知り合いだったっけ?
ゲームを遊んでいたとき、攻略対象の立ち絵とイベントスチルばかり見て、細かい会話を読み飛ばしていた自分を、今すぐ呼び出して説教したい。
答えも選択式だったし、隠し要素にさえ気をつけていれば、そうそうミスはしない。
ちゃんと思い出せ。そしてちゃんと自分で会話しないと。
人生がかかっている。




