第四十六話「闇の家庭教師、再び」
翌朝。
ロムルスに呼ばれたシモン老人が、フィロパトール公爵家の王都邸を訪れた。
宮中伯シモン・トト・ムダリス。
風と水、二つの属性を持つ宮廷魔術師。元魔法省大臣で、現在は相談役のような立場にいる。
役職だけ聞けば、王宮で忙しく働いていそうな人物だが、本人はわりと自由に出歩いている。
組織というものは、上の役職に就くほど仕事が減る場合がある。
シモン老人が来ると、パティはさっそく裏庭へ案内した。
「見て、シモン先生!」
「おやおや。ずいぶん元気じゃな」
「昨日、こんなのができるようになったの!」
パティは足元に木箱を置き、自分の影に重ねた。
箱が消える。
シモン老人は、白い眉を少しだけ上げた。
「ほう」
パティは得意げに箱を取り出し、もう一度収納する。
「こうやって入れるの!」
「ほう。見事な魔法じゃな」
「えへへ」
パティが笑う。
俺はその横で、何食わぬ顔をして座っていた。
シモン老人はパティの手元と影を交互に見たあと、彼女へ尋ねた。
「ところで、誰に教わったのかな?」
「お湯の人!」
老人の手が止まった。
「……お湯の人?」
「うん。夢で教えてくれたの。便利魔法ズッポリ!」
シモン老人は、ゆっくりと俺を見た。
ほんの一瞬だったが、確かに俺を見た。
その目には、驚きというより、何かを確かめるような色があった。
「おお、あの『お湯の人』か」
老人は何事もなかったように頷いた。
いや、待て。色々疑っているだろうが、名前は俺が付けたんじゃないぞ。そこだけはハッキリさせておく。
シモン老人はパティに向き直った。
「ロムルス殿の言うとおり、あまり人前では見せないほうがよいぞ」
「便利なのに残念」
「そうじゃな」
老人は優しく頷いた。
「ともあれ、便利な術を覚えられて良かったな」
シモン老人は最後にそう言って、パティの頭を軽く撫でた。
「うん!」
パティは嬉しそうに頷いた。
パティの魔法のお披露目が終わったあと、ロムルスは老人を執務室へ招いた。
パティが手を洗いに行った隙に、俺も執務室のベランダへ飛んだ。
「どう見た?」
ロムルスが尋ねる。
「古書に記載のある、空間収納魔術の一種でしょうな」
シモン老人の声は、先ほどまでパティに向けていたものより少し低かった。
「影を媒介にして、物を別の空間へ移している。仕組みはまだ分かりませんが、単なる幻術や隠蔽の類ではないでしょう」
「実用性は?」
「非常に高い」
老人は即答した。
「物資の輸送に使えれば、輸送人員も荷車も大幅に減らせます。特に軍事行動では、有益どころの話ではありませんな」
ロムルスは黙って聞いていた。
「食料、薬品、武具。必要な物資を影に収納できれば、行軍の負担は大きく減る。状況によっては、敵に見つからずに物資を運ぶこともできるでしょう」
「だが、パティ一人では大した量も運べまい」
「ええ。影が必要である以上、場所や条件に制約はあるでしょう。それに、収納できる量にも限界があるはずです」
シモン老人は少し考えた。
「ですが、今のパトリシア様の術だけでも、小さな鞄程度の物を出し入れできる。十分に価値があります」
俺は窓辺で耳を動かした。
小さな鞄程度。今の段階では、確かにそう見えるだろう。
だが、パティの魔術は、影の広さに左右される可能性がある。影を拡張する技術を身につければ、収納できる物の大きさも変わるだろう。
それに、パティが次元空間を認識したことで、俺が、どこからでもパティの影に飛べるようになった。
それは、離れていても、緊急時の対応が可能だということだ。
この事実はパティにも見せていない。……少なくとも、今は。
「やはり、自由に使わせるわけにはいかんか……」
ロムルスが呟くようにもらした。
「ですなぁ。ただ――」
シモン老人が続けた。
「完全に隠すことは難しいでしょうな。魔力の痕跡も残るでしょうし、使うところを見られれば、何らかの術だと気づかれる」
「それでも、十分に価値がある」
「ええ。ですからこそ、慎重に扱う必要があります」
ロムルスが短く息を吐いた。
「パトリシアは、まだ十歳だ」
「分かっております」
「本人は、便利な魔法を覚えた程度にしか思っていない」
「それでよいのかもしれませんな」
シモン老人の声には、先ほどまでの軽さがなかった。
「今から術の価値を教えすぎれば、あの子は自分の力を必要以上に意識するようになる。魔術を使うことより、何に使うべきかを考えることのほうが大切です」
「……そうだな」
ロムルスが頷く気配がした。
いい判断だ。
パティには、今のところ、収納魔法を便利な道具として使っていてもらえばいい。
その間に俺が、危険な使い方をできるだけ把握しておく。
それが現実的な方針だろう。
……のんびり優雅に暮らす予定の猫にしては、仕事が多い。
シモン老人が話題を変えた。
「それと、ロムルス殿。少し気になる話があります」
「何だ?」
「パトリシア様にも関係するのですが、教会の内部で、妙な動きがあるようです」
俺の耳が、ピクリとそちらを向いた。
「闇属性を祓うべきだ、という声が、一部で強くなっているようでしてな」
シモン老人の声は、慎重だった。
「『闇祓い』などという言葉まで使い始めている者がおる。まだ教会全体の方針というわけではありません。しかし、過激な一派が頭をもたげつつある」
ロムルスは、すぐには答えなかった。
「具体的には?」
「地方で、闇属性を持つ子供のイニシエーション結果を、不適合とする動きが出ているそうです」
イニシエーションは、魔術の適性を無理矢理判別するための儀式だ。
パティも幼い頃に受けている。その結果、闇属性と判定された。
つまり、闇属性を持つという事実そのものが、無かった事にされている可能性がある。
「不適合? 判定の基準が変わったのか? 何を持って不適合とする?」
「公式には、何も変わっておりません。元々、闇属性自体が少ないので、公にはなっておりませんが、地方の一部では、不適合を理由に、闇属性を持つ子供に対して、使用を禁じているとか」
「誰が指示している?」
「そこまでは、まだ掴めておりません。教会の上層部が承知しているのかも不明です」
ロムルスの声が低くなった。
「不適合とされた子供は、どうなる?」
「地域によって違うようです。再検査を受けさせられる者もいれば、教会から遠ざけられる者もいる。家族に不安を植えつけられ、子供自身が自分の属性を恐れるようになる例もあるとか」
なるほど。そうやって、闇属性は危険だという認識を作り上げるわけか。
先に結論を決めておけば、結果はいくらでも調整できる。
検査方法を変える必要はない、その評価の基準を変えなくてもいい。
ただ、闇属性の子供にだけ不適合を出せばいいのだ。
記録上は、闇属性の子供が不合格になったという事実が残る。
その記録を見た人間は、闇属性は不適合になりやすい、危険な属性なのだと考えるかもしれない。
そして、その認識が次の判定を歪める。
悪意を持った人間が一人いれば、仕組み全体を汚すことはできる。
もっとも、悪意のある人間が一人とは限らない。
自分は正しいことをしていると信じている人間のほうが、止めるのは難しい。
ベルタの一件で、俺はそれを嫌というほど学んだ。
本人は、パティのためだと思っていた。家のためだと思っていた。
その結果、パティの善意を否定し、家族の思いを遮り、偏った記録を残した。
今回も、同じ構図である可能性がある。
闇属性は危険だ。だから、闇属性の子供を排除する。
排除された子供が苦しんでも、それは危険な属性を持った本人の問題だ。
そう考えれば、何をしても正義のつもりでいられる。
人間は便利な生き物だ。
自分の行為に正義という名前を付けるだけで、ずいぶん気が楽になるらしい。
「……分かった」
ロムルスが言った。
「引き続き、情報を集めてくれ。確かなことが分かるまでは、こちらから動くのは控える」
「承知しました」
「ただし、パトリシアに関わる動きがあれば、すぐに知らせてほしい」
「もちろんです」
短い沈黙があった。
シモン老人は、声を少しだけ和らげた。
「今のところ、王都で同じ動きがあるという話は聞いておりません。あまり心配なさらぬよう」
「心配するなと言われて、心配せずにいられる親がいると思うか?」
「……これは失礼を」
シモン老人が苦笑した。
ロムルスは何も言わなかった。
その沈黙には、父親としての心配があった。
俺は窓辺から、庭のほうを振り返った。
パティは少し離れた場所で、俺を呼んでいた。
「テトー!」
どうやら、俺がいないことに気づいたらしい。
俺は身を翻し、執務室のベランダから庭へ降り、パティのいるほうへ向かう。
去り際、ふと気配を感じた。
振り返る。
執務室の窓の向こうで、シモン老人がこちらを見ていた。
目が合った。老人は何も言わなかった。
俺も鳴かなかった。ただ、ほんのわずかに目を細めた。
シモン老人は、すぐに視線をロムルスへ戻した。
あの老人は、初めて俺を見たときから、何かに気づいているようなところがあった。
普通の黒猫だと判断したはずなのに、その後も時折、妙な目を向けてくる。
確信はない。だが、疑ってはいるのだろう。
俺が神獣なのか、精霊なのか、それとも単に変わった猫なのか。
シモン老人は、まだ答えを持っていないのだろう。
そして、答えが出るまでは、何も言わないつもりらしい。
賢明だ。世の中には、知らないほうが幸せなこともある。
たとえば、飼い猫が何を考えているのか。あるいは、飼い猫が何をできるのか。
「テト、こっち!」
パティが両手を広げた。
俺はその腕の中へ飛び込んだ。
「どこ行ってたの?」
「にゃ」
仕事だ。
猫の仕事は、飼い主を守ること。ただし、守るべき相手が増えると、仕事量も増える。
家族。
友人。
学院の仲間。
そして、闇属性を持つだけで不合格にされるかもしれない、どこかの子供たち。
まだ何も確かなことは分かっていない。だからこそ、情報が必要だ。
俺はパティの腕の中で丸くなり、目を閉じた。
まずは、今の飼い主を守る。
それから、余裕があれば他の連中も守る。
順番は大事だ。
前世の俺は、その順番を間違えた。
今度は間違えない。
「ほら! 見て見て、影からプリン出せた! 一緒に食べよ」
「にゃあ」
(それは自分で入れておいたものだろ……分かったから、頼むから家族以外に見せるなよ)
俺は小さく溜息をつき、パティの足元へ駆け寄っていった。
『テト観察日誌』
“パティが、影の中に物品を収納する術を修得した。
本人は『お湯の人から教わった』と言っている。
……また、あいつか。
空間魔術の領域に踏み込むなど、十歳児には不可能だ。
あいつがパティの枕元で何をしているのか、真剣に解明しなければならない。
なお、今朝、父上の執務室から出てきたシモン宮中伯が、庭のテトを見て何かを呟いていた。
……やはり、あの猫は普通ではない。
追記:パティが影から出したプリン。あれは僕のおやつになるはずのものだったと思う”




