第四十四話「委員長と手帳」――アイリーン視点
王都の学校って、もっと自由な場所じゃなかったっけ。
学院に入ってから、わたしは何度もそう思っている。
だって、ここは王族も公爵家も男爵家も、同じ教室で学ぶ場所だ。身分に関係なく、能力と努力で評価される。少なくとも、入学案内にはそう書いてあった。
だったら、学院内じゃ気軽に話したっていいじゃない。
王子様を名前で呼んだっていいじゃない。
……と思うのだけど。
「アイリーン様。今の呼び方は、お改めになったほうがよろしいですわ」
昼食後、食堂でクラスメイトと喋っていたら、うしろから涼やかな声が飛んできた。
マーガレット・アン・ヴィアルバーグ。
侯爵家の令嬢にして、わたしの親友枠――になるはずの子。成績優秀、礼儀正しく、責任感が強い。正義感も強い。そういうキャラ設定。
それが、今にわたしにとって、かなーり面倒な人だった。
「え? 今のって?」
「先ほど、レオナルド殿下のお話をなさっていた際、愛称をお呼びなさいましたでしょう」
「……ああ、レオ様?」
「はい。殿下のお名前を口にすること自体は構いません。ただ、他の方々との会話で、まるで親しいご友人のように呼ぶのは感心いたしませんわ」
「でも、本人がいないところで話してるだけですよ?」
「本人がいらっしゃらなければ、何を言ってもよいということにはなりません」
うっ。
正論だ。
正論なんだけど、なんだろう。この、校則の隅に小さな字で書いてありそうな圧迫感。
「学院では身分に関係なく学ぶって教わったけど」
「ええ。学ぶ機会は平等ですわ」
「だったら、会話だって平等でいいんじゃ……」
「学ぶ機会が平等であることと、互いの立場を忘れてよいことは別です」
マーゴは、少しも迷わず答えた。
その表情に嫌味はない。私を困らせて楽しんでいるわけでもない。本気で、それが当然だと考えているのだ。
だから余計に、反論しづらい。
「……そういうものですか」
「そういうものですわ」
きっぱりと言い切られた。
うーん。
ゲームでは、攻略対象の王子様たちと普通に話していた気がするんだけどなあ。
主人公は男爵家の娘。王子様も公爵家の御曹司も、最初から気軽に話しかけてくる。呼び方だって、親しくなれば名前で呼び合う。身分差を乗り越えるのが恋愛ゲームの醍醐味だ。
もちろん、ゲームにも礼儀作法のイベントはあった。
でも、あれは好感度を上げるためだけで、毎日こんなふうに注意されるものじゃなかった。
だいたいさ、攻略対象と親しくなるために名前で呼んだら注意されるなんて。
……リアルだから注意されるんだとは思う。
まぁ、ゲームと現実を同じに考えるほうが間違っている。
それくらいは分かっている。
分かってはいるけど……。
パトリシアが、マーゴに詰められてるシーンは、プチざまぁ感があって、スッキリしたけど、それがこっちにくるのは許してほしい。
「それから、もう一つ」
「え! まだあるの?」
「ありますわ」
あ、クラスメイトがひっそりと席を立っていく。えー! 薄情ものー置いてけぼり?
そんなわたしの内心の声を無視して、マーゴのお説教は続く。
「殿方との距離についてです」
あー、そっちもかぁ。
「先ほど、アズライル様の肩を叩いていらっしゃいましたね」
「ええ。落としたペンを拾ってくれたから、お礼を言っただけだけど」
「お礼を言うことは結構です。ただ、肩に触れる必要はありませんでしたわ」
「えっ。あれくらい、普通じゃない?」
「普通かどうかは、相手との関係性によります」
いやいや、それはさすがに厳しすぎっしょ。
関係性って。
身分。立場。距離。そんなのをわかった上で、距離を詰めるから関係が進むんでしょ。
手が触れる、顔が近づく、相手が照れる。そういう場面には、だいたい特別な音楽が流れたものだ。
うーん、現実では音楽が流れない代わりに、マーゴが注意してくる。
注意ってか、そのことに、あとからぐちぐち言ってくるのは、パトリシアの取り巻きたちだったはず。
「アズ様……アズライル様は、気にしてなかったようだったけど」
「相手が何もおっしゃらないからといって、何をしてもよいわけではありませんわ」
「はい……」
「それに、アイリーン様は男爵家のご令嬢です。相手が高位貴族であれば、こちらが親しげに振る舞うことで、相手の評判にまで影響することがあります」
うーん……わたしが注意されるだけなら、まだいい。
でも、相手にも迷惑がかかる。
そう言われると、さすがに何も言い返せなかった。
「……気をつけます」
「そうしていただけると助かりますわ」
マーゴは満足したようにうなずき、ようやく背を向けた。
注意は終わりらしい。
わたしはその後姿を見送った。
綺麗でカッコいい人だと思う。背筋が伸びていて、姿勢がよくて、話し方にも隙がない。成績もいいし、他の生徒からの信頼も厚い。
主人公の親友ポジション。礼儀正しく、正義感が強く、悪役令嬢パトリシアの横暴に対して、正論で立ち向かう。
ゲームの中では、主人公が困ったときに助けてくれる頼もしい味方だ。
……なのに。
現実のマーゴは、パトリシアと仲良しだったりもする。
しかも、わたしのことまで注意してくる。未だにマーゴ呼びも許してくれないし。
ゲームの設定と、だいぶ違う。
わたしがこの世界に来たせいで何か変わった?
シムラー男爵家がイマイチパッとしなかったので、生活向上のために、色々やっちゃった感はあるけど。
ゲームに直接関係無さそうなことしかやってないはずなんだけどね。
多少のズレはあるのかもね。
ま、パトリシアが本格的に悪役令嬢として振る舞うようになれば、マーゴも彼女の行動を見過ごせなくなる。そうなれば、ゲームのような展開になる可能性はある。
……ある、はずだ。
私は、そう考えることにした。
ある日の放課後。
わたしは図書館で、パトリシアの闇属性について調べようと、魔術に関する本を探していた。
ゲームでは、闇属性は悪役令嬢の象徴として扱われていた。暗い、怖い、危険。そんなイメージが強い。
でも、この前パトリシアが言った「暑い日の木陰」が心に少し引っかかっていた。
確かに闇=悪じゃないかもしれない。
だからといって、ゲームの知識を全部捨てちゃうのも怖かった。
この世界がゲームと同じストーリーなら、パトリシアとフィロパトール公爵家の断罪は避けられない。
そして、その断罪が起きなければ、バッドエンド一直線。この国は内乱に陥り、その隙を突かれて他国に侵略される。
最悪の場合、国そのものが滅びる。
わたしは、その未来を知っている。……知っている、はずなんだけど。
けど、現実はゲームと違う……。
パトリシアはマーゴと親しく、わたしにも強く当たらない。フィロパトール家のユリウスも、ゲームでは家族と距離を置く人物だったはずなのに、妹のことを気にかけているっぽい。
ゲームと違うことばかりだ。――だからこそ、確認しなくちゃ。
わたしは書架を巡り、ようやく目当ての本を見つけた。
そのとき、奥の閲覧席から声が聞こえた。
「……なるほど。そういう分類なのですね」
マーゴの声だった。
わたしは足を止めた。
誰と話しているのだろう。
書架の隙間から、そっと様子をうかがう。
(えーーっ!)
そこにいたのは、ユリウス様。
パトリシアの兄。魔術の天才。――そして、『六色の恋人』の攻略対象の一人。
わたしは思わず、息を止めた。
「古い文献では、属性そのものと魔術の現れ方が混同されているんです」
ユリウス様は、開いた本を指さしながら説明していた。
「同じ闇属性でも、影を動かす者と、光を遮る者では、術の性質が異なります。ですが、それを別属性として扱っていた時代もある」
「そうでしたのね。教本だけでは、そこまで読み取れませんでしたわ」
「教本は、現在の分類を学ぶためのものですから。古い記述を読むには、当時の基準を知る必要があります」
「ありがとうございます。とても勉強になりました」
マーゴは丁寧に礼を述べ、ユリウス様も、穏やかな表情でうなずく。
……え? 何、この光景。
ゲームのユリウスは、他人に興味を示さない孤高の天才キャラ。主人公が何度も図書館へ通い、冷たい態度を取られながらも質問を重ねて、ようやく少しずつ心を開いていく。
それがユリウスルートの序盤イベントだったはず。
なのに、あのマーゴは一度の質問で、普通に説明してもらっている。
しかも、ユリウス様の態度は冷たくない。
親切だ。どう見ても、親切だ。
え? 待って。
マーガレットは、ゲームでは主人公の親友ポジションだった。
正義感が強く、礼儀正しく、悪役令嬢パトリシアの横暴に対して正論で立ち向かう人物。
そして、現実のマーガレットは、パトリシアと友達だ。
今は、わたしのことを注意するのが生きがいみたいになっているけれど、基本的には善良で、真面目で、正義感が強い。
……あれ?
これって。
「ライバルイベント……?」
思わず声が漏れそうになり、慌てて口を押さえた。
そうだ。
ゲームには、主人公の親友が攻略対象と接触するイベントもあった。
親友が攻略対象に好意を持つ。主人公が焦る。場合によっては、親友が恋のライバルになる。
そういう展開だ。
マーゴがユリウス様に質問したのは、単に魔術の勉強をしていたから?
ユリウスが親切に説明したのも、質問の内容が適切だったからかも。
それは分かる。
分かるけれど、ゲームの知識を持っている私には、どうしても別の意味が浮かんじゃう。
マーガレットは、ユリウスに近づいている。
それも、自然な形で。
このまま二人の交流が続けば、ゲームとは違うルートに入る可能性がある。
それは、いいことなのか。
悪いことなのか。
……分からない。
ただ、ユリウスは攻略対象だ。
そして、攻略対象との関係は、物語の結末を左右する。
わたしは攻略手帳を取り出した。
ページを開き、今日の日付を書き込む。
『マーガレット・アン・ヴィアルバーグ』
その下に、少し迷ってから続けた。
『ユリウス・フィロパトールと図書館で接触。魔術に関する質問。会話は円滑。ユリウスは親切に対応』
そこまで書いて、ペンを止めた。
何を書けばいいのだろう。
ライバル候補?
要注意人物? ――いや、さすがにそれは違うと思いたい。
マーゴは、きっとわたしの友だちになるはず。今も小煩いけど、悪意じゃないのはわかる。
でも、ゲームの展開を考えれば、何も気にしないわけにはいかない。
ため息を一つ吐いて、手帳を閉じた。
マーガレットを敵だと決めつけるつもりはない。
ただ、注意しておこう。
それだけだ。
わたしは自分にそう言い聞かせ、図書館を出た。
そのときにはもう、マーガレットがユリウスに何を尋ね、どんな表情で礼を言ったのか、その細かな部分は頭から抜け落ちていた。
わたしの中に残っていたのは、ただ一つ。
ゲームでは親友だった人が、攻略対象に近づいている。
その事実だけだった。
***
――同じ頃。中庭の木陰。
「……ねえ、テト」
「にゃ」
「さっき、図書館のほうから、アイリーンがすごい顔して走っていったの」
「……にゃあ」
パティの膝の上で、俺はのんびりと前足を舐めた。
(……また何か、一人で完結させた顔をしていたな)
「なんかね、手に持った手帳を、ぎゅーって握りしめてたよ」
「にゃ」
(放置でいい。あの子の暴走は、だいたい打率ゼロだ)
アイリーンが何を見て、何を考えたのか。俺にはだいたい察しがつく。
おそらく、マーゴとユリウスが話しているところを見たのだろう。
そして、勝手に何かのイベントに分類した。
まあ、今のところは実害はない。
……たぶん。
「マーゴ、まだ本借りてこないのかなあ。……あ、来た」
遠くから、本を抱えたマーゴが歩いてくるのが見えた。
その表情はいつも通り涼やかで、自分の背後に「世界の存亡を賭けたライバル認定」が突き刺さっていることなど、露ほども気づいていないご様子だった。
「パティ様、お待たせしました」
「ううん。何の本?」
「魔術の属性分類についてです。ユリウス様に、古い文献の読み方を教えていただきましたの」
「へえ! お兄様、ちゃんと教えてくれたんだ」
「ええ。とても分かりやすく説明してくださいましたわ」
マーゴはそう言って、穏やかに微笑んだ。
その頬が、ほんの少しだけ赤いように見えたのは、夕方の光のせいだろうか。
俺は見なかったことにした。
パティはマーゴの本を覗き込み、二人で楽しそうに話し始める。
平和だ。
学院生活は今日も平和だった。
その夜の西棟の塔。
ユリウスは机に向かっていた。
いつもの『テト観察日誌』を開く。
“本日、マーガレット嬢が属性分類について質問に来た。
質問は的確で、古い文献にも関心がある様子だった。
説明のあと、関連する話題についても少し話した。
……質問のあと、三回くらい、話題が僕から逸れなかった。
……気のせいか”
ユリウスは、最後の一文を見つめた。
(なぜ僕は、観察対象以外の事を書いた?)
記録帳を閉じた。
しばらくして、また開いた。
今日の記録を消すかどうか、少しだけ迷ったが、結局、そのままにした。
研究に関係のない記録を残すのも、たまには悪くない。
そういうことにしておいた。




