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過労死社畜、悪役令嬢の飼い猫に転生する ~美人な飼い主にモフられながら、破滅フラグはチートでこっそりへし折ります~  作者: 真野真名
第三章 王立学院に猫は潜む

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第四十四話「委員長と手帳」――アイリーン視点




 王都の学校って、もっと自由な場所じゃなかったっけ。


 学院に入ってから、わたしは何度もそう思っている。


 だって、ここは王族も公爵家も男爵家も、同じ教室で学ぶ場所だ。身分に関係なく、能力と努力で評価される。少なくとも、入学案内にはそう書いてあった。


 だったら、学院内じゃ気軽に話したっていいじゃない。


 王子様を名前で呼んだっていいじゃない。


 ……と思うのだけど。


「アイリーン様。今の呼び方は、お改めになったほうがよろしいですわ」


 昼食後、食堂でクラスメイトと喋っていたら、うしろから涼やかな声が飛んできた。


 マーガレット・アン・ヴィアルバーグ。


 侯爵家の令嬢にして、わたしの親友枠――になるはずの子。成績優秀、礼儀正しく、責任感が強い。正義感も強い。そういうキャラ設定。


 それが、今にわたしにとって、かなーり面倒な人だった。


「え? 今のって?」


「先ほど、レオナルド殿下のお話をなさっていた際、愛称をお呼びなさいましたでしょう」


「……ああ、レオ様?」


「はい。殿下のお名前を口にすること自体は構いません。ただ、他の方々との会話で、まるで親しいご友人のように呼ぶのは感心いたしませんわ」


「でも、本人がいないところで話してるだけですよ?」


「本人がいらっしゃらなければ、何を言ってもよいということにはなりません」


 うっ。


 正論だ。


 正論なんだけど、なんだろう。この、校則の隅に小さな字で書いてありそうな圧迫感。


「学院では身分に関係なく学ぶって教わったけど」


「ええ。学ぶ機会は平等ですわ」


「だったら、会話だって平等でいいんじゃ……」


「学ぶ機会が平等であることと、互いの立場を忘れてよいことは別です」


 マーゴは、少しも迷わず答えた。


 その表情に嫌味はない。私を困らせて楽しんでいるわけでもない。本気で、それが当然だと考えているのだ。


 だから余計に、反論しづらい。


「……そういうものですか」


「そういうものですわ」


 きっぱりと言い切られた。


 うーん。


 ゲームでは、攻略対象の王子様たちと普通に話していた気がするんだけどなあ。


 主人公は男爵家の娘。王子様も公爵家の御曹司も、最初から気軽に話しかけてくる。呼び方だって、親しくなれば名前で呼び合う。身分差を乗り越えるのが恋愛ゲームの醍醐味だ。


 もちろん、ゲームにも礼儀作法のイベントはあった。


 でも、あれは好感度を上げるためだけで、毎日こんなふうに注意されるものじゃなかった。


 だいたいさ、攻略対象と親しくなるために名前で呼んだら注意されるなんて。


 ……リアルだから注意されるんだとは思う。

 まぁ、ゲームと現実を同じに考えるほうが間違っている。

 それくらいは分かっている。


 分かってはいるけど……。


 パトリシアが、マーゴに詰められてるシーンは、プチざまぁ感があって、スッキリしたけど、それがこっちにくるのは許してほしい。


「それから、もう一つ」


「え! まだあるの?」


「ありますわ」


 あ、クラスメイトがひっそりと席を立っていく。えー! 薄情ものー置いてけぼり?

 そんなわたしの内心の声を無視して、マーゴのお説教は続く。


「殿方との距離についてです」


 あー、そっちもかぁ。


「先ほど、アズライル様の肩を叩いていらっしゃいましたね」


「ええ。落としたペンを拾ってくれたから、お礼を言っただけだけど」


「お礼を言うことは結構です。ただ、肩に触れる必要はありませんでしたわ」


「えっ。あれくらい、普通じゃない?」


「普通かどうかは、相手との関係性によります」


 いやいや、それはさすがに厳しすぎっしょ。


 関係性って。

 身分。立場。距離。そんなのをわかった上で、距離を詰めるから関係が進むんでしょ。


 手が触れる、顔が近づく、相手が照れる。そういう場面には、だいたい特別な音楽が流れたものだ。


 うーん、現実では音楽が流れない代わりに、マーゴが注意してくる。


 注意ってか、そのことに、あとからぐちぐち言ってくるのは、パトリシアの取り巻きたちだったはず。


「アズ様……アズライル様は、気にしてなかったようだったけど」


「相手が何もおっしゃらないからといって、何をしてもよいわけではありませんわ」


「はい……」


「それに、アイリーン様は男爵家のご令嬢です。相手が高位貴族であれば、こちらが親しげに振る舞うことで、相手の評判にまで影響することがあります」


 うーん……わたしが注意されるだけなら、まだいい。

 でも、相手にも迷惑がかかる。

 そう言われると、さすがに何も言い返せなかった。


「……気をつけます」


「そうしていただけると助かりますわ」


 マーゴは満足したようにうなずき、ようやく背を向けた。


 注意は終わりらしい。


 わたしはその後姿を見送った。


 綺麗でカッコいい人だと思う。背筋が伸びていて、姿勢がよくて、話し方にも隙がない。成績もいいし、他の生徒からの信頼も厚い。


 主人公の親友ポジション。礼儀正しく、正義感が強く、悪役令嬢パトリシアの横暴に対して、正論で立ち向かう。

 ゲームの中では、主人公が困ったときに助けてくれる頼もしい味方だ。


 ……なのに。


 現実のマーゴは、パトリシアと仲良しだったりもする。


 しかも、わたしのことまで注意してくる。未だにマーゴ呼びも許してくれないし。


 ゲームの設定と、だいぶ違う。

 

 わたしがこの世界に来たせいで何か変わった?

 シムラー男爵家がイマイチパッとしなかったので、生活向上のために、色々やっちゃった感はあるけど。


 ゲームに直接関係無さそうなことしかやってないはずなんだけどね。


 多少のズレはあるのかもね。


 ま、パトリシアが本格的に悪役令嬢として振る舞うようになれば、マーゴも彼女の行動を見過ごせなくなる。そうなれば、ゲームのような展開になる可能性はある。


 ……ある、はずだ。


 私は、そう考えることにした。





 ある日の放課後。


 わたしは図書館で、パトリシアの闇属性について調べようと、魔術に関する本を探していた。


 ゲームでは、闇属性は悪役令嬢の象徴として扱われていた。暗い、怖い、危険。そんなイメージが強い。


 でも、この前パトリシアが言った「暑い日の木陰」が心に少し引っかかっていた。

 確かに闇=悪じゃないかもしれない。

 だからといって、ゲームの知識を全部捨てちゃうのも怖かった。


 この世界がゲームと同じストーリーなら、パトリシアとフィロパトール公爵家の断罪は避けられない。


 そして、その断罪が起きなければ、バッドエンド一直線。この国は内乱に陥り、その隙を突かれて他国に侵略される。


 最悪の場合、国そのものが滅びる。


 わたしは、その未来を知っている。……知っている、はずなんだけど。


 けど、現実はゲームと違う……。


 パトリシアはマーゴと親しく、わたしにも強く当たらない。フィロパトール家のユリウスも、ゲームでは家族と距離を置く人物だったはずなのに、妹のことを気にかけているっぽい。


 ゲームと違うことばかりだ。――だからこそ、確認しなくちゃ。


 わたしは書架を巡り、ようやく目当ての本を見つけた。



 そのとき、奥の閲覧席から声が聞こえた。


「……なるほど。そういう分類なのですね」


 マーゴの声だった。


 わたしは足を止めた。


 誰と話しているのだろう。


 書架の隙間から、そっと様子をうかがう。


(えーーっ!)


 そこにいたのは、ユリウス様。


 パトリシアの兄。魔術の天才。――そして、『六色の恋人』の攻略対象の一人。


 わたしは思わず、息を止めた。


「古い文献では、属性そのものと魔術の現れ方が混同されているんです」


 ユリウス様は、開いた本を指さしながら説明していた。


「同じ闇属性でも、影を動かす者と、光を遮る者では、術の性質が異なります。ですが、それを別属性として扱っていた時代もある」


「そうでしたのね。教本だけでは、そこまで読み取れませんでしたわ」


「教本は、現在の分類を学ぶためのものですから。古い記述を読むには、当時の基準を知る必要があります」


「ありがとうございます。とても勉強になりました」


 マーゴは丁寧に礼を述べ、ユリウス様も、穏やかな表情でうなずく。


 ……え? 何、この光景。


 ゲームのユリウスは、他人に興味を示さない孤高の天才キャラ。主人公が何度も図書館へ通い、冷たい態度を取られながらも質問を重ねて、ようやく少しずつ心を開いていく。


 それがユリウスルートの序盤イベントだったはず。


 なのに、あのマーゴは一度の質問で、普通に説明してもらっている。


 しかも、ユリウス様の態度は冷たくない。


 親切だ。どう見ても、親切だ。


 え? 待って。


 マーガレットは、ゲームでは主人公の親友ポジションだった。


 正義感が強く、礼儀正しく、悪役令嬢パトリシアの横暴に対して正論で立ち向かう人物。


 そして、現実のマーガレットは、パトリシアと友達だ。


 今は、わたしのことを注意するのが生きがいみたいになっているけれど、基本的には善良で、真面目で、正義感が強い。


 ……あれ?


 これって。


「ライバルイベント……?」


 思わず声が漏れそうになり、慌てて口を押さえた。


 そうだ。


 ゲームには、主人公の親友が攻略対象と接触するイベントもあった。


 親友が攻略対象に好意を持つ。主人公が焦る。場合によっては、親友が恋のライバルになる。


 そういう展開だ。


 マーゴがユリウス様に質問したのは、単に魔術の勉強をしていたから?


 ユリウスが親切に説明したのも、質問の内容が適切だったからかも。


 それは分かる。


 分かるけれど、ゲームの知識を持っている私には、どうしても別の意味が浮かんじゃう。


 マーガレットは、ユリウスに近づいている。


 それも、自然な形で。


 このまま二人の交流が続けば、ゲームとは違うルートに入る可能性がある。


 それは、いいことなのか。

 悪いことなのか。


 ……分からない。


 ただ、ユリウスは攻略対象だ。


 そして、攻略対象との関係は、物語の結末を左右する。


 わたしは攻略手帳を取り出した。


 ページを開き、今日の日付を書き込む。


『マーガレット・アン・ヴィアルバーグ』


 その下に、少し迷ってから続けた。


『ユリウス・フィロパトールと図書館で接触。魔術に関する質問。会話は円滑。ユリウスは親切に対応』


 そこまで書いて、ペンを止めた。


 何を書けばいいのだろう。


 ライバル候補?


 要注意人物? ――いや、さすがにそれは違うと思いたい。


 マーゴは、きっとわたしの友だちになるはず。今も小煩いけど、悪意じゃないのはわかる。


 でも、ゲームの展開を考えれば、何も気にしないわけにはいかない。


 ため息を一つ吐いて、手帳を閉じた。


 マーガレットを敵だと決めつけるつもりはない。


 ただ、注意しておこう。

 それだけだ。


 わたしは自分にそう言い聞かせ、図書館を出た。


 そのときにはもう、マーガレットがユリウスに何を尋ね、どんな表情で礼を言ったのか、その細かな部分は頭から抜け落ちていた。


 わたしの中に残っていたのは、ただ一つ。


 ゲームでは親友だった人が、攻略対象に近づいている。


 その事実だけだった。



 ***



 ――同じ頃。中庭の木陰。


「……ねえ、テト」


「にゃ」


「さっき、図書館のほうから、アイリーンがすごい顔して走っていったの」


「……にゃあ」


 パティの膝の上で、俺はのんびりと前足を舐めた。


(……また何か、一人で完結させた顔をしていたな)


「なんかね、手に持った手帳を、ぎゅーって握りしめてたよ」


「にゃ」


(放置でいい。あの子の暴走は、だいたい打率ゼロだ)


 アイリーンが何を見て、何を考えたのか。俺にはだいたい察しがつく。

 おそらく、マーゴとユリウスが話しているところを見たのだろう。


 そして、勝手に何かのイベントに分類した。


 まあ、今のところは実害はない。


 ……たぶん。


「マーゴ、まだ本借りてこないのかなあ。……あ、来た」


 遠くから、本を抱えたマーゴが歩いてくるのが見えた。


 その表情はいつも通り涼やかで、自分の背後に「世界の存亡を賭けたライバル認定」が突き刺さっていることなど、露ほども気づいていないご様子だった。


「パティ様、お待たせしました」


「ううん。何の本?」


「魔術の属性分類についてです。ユリウス様に、古い文献の読み方を教えていただきましたの」


「へえ! お兄様、ちゃんと教えてくれたんだ」


「ええ。とても分かりやすく説明してくださいましたわ」


 マーゴはそう言って、穏やかに微笑んだ。


 その頬が、ほんの少しだけ赤いように見えたのは、夕方の光のせいだろうか。


 俺は見なかったことにした。


 パティはマーゴの本を覗き込み、二人で楽しそうに話し始める。


 平和だ。


 学院生活は今日も平和だった。




 その夜の西棟の塔。


 ユリウスは机に向かっていた。

 いつもの『テト観察日誌』を開く。


“本日、マーガレット嬢が属性分類について質問に来た。

 質問は的確で、古い文献にも関心がある様子だった。


 説明のあと、関連する話題についても少し話した。

 ……質問のあと、三回くらい、話題が僕から逸れなかった。

 ……気のせいか”




 ユリウスは、最後の一文を見つめた。


(なぜ僕は、観察対象以外の事を書いた?)


 記録帳を閉じた。


 しばらくして、また開いた。


 今日の記録を消すかどうか、少しだけ迷ったが、結局、そのままにした。


 研究に関係のない記録を残すのも、たまには悪くない。


 そういうことにしておいた。



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