第四十二話「攻略対象」――アイリーン視点
――よし。整理しましょ。
放課後のキャンダイ家別邸。二階の私室。
わたしは机に向かい、羊皮紙のノートを開いた。表紙には、自分の字で『攻略メモ』と可愛く書いてある。
……うん。あやしい。あやしすぎる。
でも、誰も見ないからいいの。たぶん。
元の世界風に言えば、自分専用の攻略Wikiだ。ゲーム『六色の恋人』について、思い出せる限りの情報を書き出してある。
わたし、アイリーン・シムラー。十歳。王立学院一年生。属性は水・光・風の三属性。
奇跡の乙女。
そして、このゲームの主人公だったりする。
ということで――めざせ、パーフェクトエンディング!
まずは、ゲームのあらすじから確認しよう。
悪役令嬢パトリシアと、筆頭公爵家フィロパトールの陰謀を阻止し、王国に平和をもたらす。
簡単に言えば、第三王子を悪い人たちから救い、王家寄りの攻略対象たちの好感度を最大まで上げて、めでたくエンディング。
……うん。
今になって考えると、ずいぶん物騒なあらすじだ。
でも、ゲームを遊んでいたときは「悪の公爵家を倒す話」くらいの認識だった。恋愛ゲームだし。攻略対象は美形だし。イベントは楽しいし。
まさか、実際に人間として生きることになるなんて、思わないじゃない。
ともかく。
パーフェクトエンディングに必要な攻略対象は四人。
まずは、第三王子レオナルド・チャクオール・アルカス・リトラリバー。
自信過剰でナルシスト。だけど、根は寂しがり屋。
実はフィロパトール家にコンプレックスを利用され、取り込まれかける。そこを防ぐのが、ゲーム攻略上の絶対条件だ。
次に、近衛騎士団長の息子、アズライル・セベク・エンドルフォン。
クールで無口な騎士の卵。正義感が強く、パトリシアにいじめられるヒロイン――つまり、わたしを助けてくれる騎士イベントの人。
んで、大公家次男のミカエル・オッター・グランドラム。
次期宰相候補の優等生。頭脳担当。ゲームの説明文には「冷たい目で、すべてを見通している」とあった。
……この人、絶対に面倒くさいタイプだと思う。
そして最後。
パトリシアの兄で、公爵家次男のユリウス・ホルエ・フィロパトール。
ゲームでは「塔の孤高の天才」。
悪の公爵家に生まれながら、家族に心を開いていない。ヒロインの言葉で改心し、最終的には家を出る。いわゆる裏切り者ルートの攻略対象だ。
以上、四名。
この最低でも四人の好感度を最大まで上げれば、パーフェクトエンディング。
――で。
入学から一週間とちょっと。……進捗、ゼロ。
「……なんで、イベントが起きないの」
思わず、机に突っ伏した。
いや、ゼロじゃない。ゼロじゃないけど、わたしが期待していたイベントが、ひとっつも起きていないのだ。
ゲームでは、入学直後に「中庭でパトリシアに突き飛ばされる」イベントがあった。
そこから物語が動き出す。
突き飛ばされたわたしを、騎士の卵であるアズライル様が助けてくれる。パトリシアの横暴が明らかになり、攻略対象たちとの関係が始まる。
そういう流れだったはず。
なのに。一週間、中庭で待ってみても、パトリシアはわたしを突き飛ばさなかった。
それどころか、あの人は笑顔でお茶を勧めてきた。
「……あの人、なんなの」
悪役令嬢パトリシア・テア・フィロパトール。
高慢。傲慢。横暴。
闇属性の力で弱い者を虐げ、親の権力を笠に着て取り巻きを従え、レオ様の婚約者という立場を盾に好き放題する女。
それが、ゲームでのパトリシアだ。
……なのに。
一昨日、食堂で見かけたパトリシアは、こぼしたスープを自分で拭いていた。
メイドに片づけさせるでもなく、誰かのせいにするでもなく。
「ごめんね」
そう言って、自分で布巾を手に取ったのだ。
昨日は、剣術場の前で転んだ予科の子に手を貸していた。見学に来ていた子らしい。泥だらけになったその子の手を、自分のハンカチで拭いてあげていた。
そして今日。
中庭でマーゴと楽しそうに話していた。
マーゴは、ゲームではわたしの友人になるはずの子だ。真面目で、礼儀正しくて、間違っていることにはちゃんと注意してくれる。そういう、委員長系のキャラクター。
そのマーゴが、パトリシアと笑い合っていた。
……どうして?
ゲーム開始前は、パトリシアとマーゴも友人だったんだっけ。
そのあとで、わたしとマーゴが仲良くなるんだったかな。
最初のほうの女子との会話は、攻略に関係ないと思って適当に進めていた。細かいところは、あまり覚えていない。
……うん。そこは仕方ない。
仕方ないけど。
パトリシアが、わたしの知っているパトリシアと違いすぎる。
(……もしかして、あの人も転生者?)
その可能性は考えた。
だから、試してみた。さっき、中庭で。
元の世界の言葉を使って、話しかけてみたのだ。
でも、無反応。
聞き返さなかったし、驚きもしなかった、知らない言葉として流された。
演技だとしたら完璧すぎる。そこまでして正体を隠す理由も、今のところ思いつかない。
じゃあ、違うのか。
パトリシアは転生者じゃない。ただの、この世界の公爵令嬢。
……でも、それなら。
「……なんで、悪役じゃないの」
ノートを見つめる。
ゲームのパトリシアは、あの性格で、あの属性で、あの家に生まれたからこそ、悪役令嬢だった。
だけど、実際に目の前で見たパトリシアは違う。
親切で、友人がいて、周囲の人間にも普通に接している。
わたしの知らないところで、悪いことをしている可能性はある。
……ある、はず。
だって、ゲームではそうだったのだから。
物語は、まだオープニングの段階だ。ゲーム本編が始まるのは、もっと先。
きっと、何かのきっかけでパトリシアは目覚める。
悪役令嬢として。
そう考えれば、今の状況にも説明がつく。
……ほかの可能性だって、あるのかもしれない。
でも、今は考えたくなかった。
とりあえず、できることから始めよう。
イベントが起きないなら、こちらから動けばいい。
ここは乙女ゲームの世界だ。多少設定がずれていたとしても、主人公補正というものがあるはず。
きっと。たぶん。おそらく。
……お願いだから、あってほしい。
まずは、四人の確認から。
レオ様。
遠くから見た。
金の刺繍が入った外套に、きりっとした顔立ち。立ち姿も、表情も、まさにゲームの立ち絵そのままだった。
ただし、ちょっと……いや、かなり気になることがあった。
昨日の剣術演習で、レオ様が負けていたのだ。
それ自体はいい。大丈夫。
ゲームでも、レオ様は最初から最強というわけではない。
でも。
「……あんなに、無様だったっけ」
ゲームのレオ様は、負けるときだって絵になっていた。
悔しそうに相手を見据え、次は勝つと宣言する。そういう、負けても格好いいタイプだったはず。
ところが昨日のレオ様は、倒されたあと、すぐに「わざとだ」と言い訳していた。
……誰に?
少なくとも、わたしにはそう見えた。
あの言い訳は、ゲームのレオ様らしくなかった。
ゲームのレオ様は、もっと高飛車で、他人を見下していて、自分の負けを簡単には認めないキャラだった。
……いや、負けを認めないのは同じか。
でも、なんだろう。
ゲームのレオ様より、ずっと余裕がないように見えた。
次。アズライル様。
アズライル・セベク・エンドルフォン。近衛騎士団長の嫡男。二年生。
この人も見た。廊下ですれ違った。
背が高くて、無口で、目つきが鋭い。ゲームのままだった。
すれ違いざま、わたしが落としたハンカチを拾ってくれた。
「……落としましたよ」
「あ、ありがとうございます!」
「……いえ」
そっけなかった。
そっけなかったけど、ゲームのアズライル様も、最初はそっけなかった。
これは順調。たぶん順調。
次。ミカエル様。
ミカエル・オッター・グランドラム。大公家次男。次期宰相候補。三年生。
……まだ、会えていない。
生徒会執行部室の奥で、いつも書類を処理しているらしい。
近づいたら、冷たい目で見られそうで、まだ行けていない。
ゲームでは、初対面から「冷たい目で見透かされる」のが、あの人の定番だった。
……ちょっと怖い。
でも、それがいいところなのよね。
最後。
パトリシアの兄、ユリウス・ホルエ・フィロパトール。
……この人だけは、全然つかめない。
ゲームでは「塔の孤高の天才」。家族と距離を置き、学院にもほとんど姿を見せない。たまに図書館の奥で見かける、という設定だった。
こっちでも、図書館の奥にいた。
昨日、遠くから見かけた。窓際の席で分厚い本を何冊も開き、一心不乱に読みふけっていた。
まさに、ゲーム通り。
――なのに。
(……なんで、妹のことをうれしそうに話してるの?)
今日、図書館の前で聞いてしまった。
ユリウス様が、カウンターで司書と話していたのだ。
「へえ、パティが歴史の本をね。……そういえば、家の書庫でもさ……そうそう、あの本を見つけてから、ずいぶん興味を持ったみたいで」
声が、柔らかかった。
ゲームのユリウス様は、家族の話なんて絶対にしなかった。
『僕に家族はいない』
それが、あの人の口癖だったはず。
なのに、こっちのユリウス様は、司書と妹の読書について楽しそうに話していた。
(……おかしい)
何かが違う。
レオ様も、パトリシアも、ユリウス様も。
マーゴとの関係だって、わたしの知っている設定と同じなのか、怪しくなってきた。
みんな、少しずつずれている。
ゲームの設定と、目の前の現実が。
わたしはノートを閉じた。
……うん。考えても分からない。
分からないことは後回し。とりあえず、ゲームを進めよう。
まだ始まったばかりだ。イベントだって、これから起きるかもしれない。
明日から作戦開始。
パトリシアを観察する。
いつ、何がきっかけで変わるのか。それを確かめる。
そして、わたしにできることをやる。
あの人が悪役令嬢になったとき、わたしは隣にいる。
それが、ヒロインの仕事だもの。
……なんか、ちょっとずるい気もするけど。
でも、パーフェクトエンディングのためには必要なことだ。
悪役がいないと、物語は始まらない。
物語が始まらないと、みんな幸せになれない。
……はずだ。
同じ頃。中庭の、いつもの木陰。
「ねえ、テト」
「にゃ」
「さっきのアイリーン。……なんか、パティのこと、じーっと見てたね」
「……にゃあ」
(……気づいているのか、お前は)
「うーん。なんか、パティのこと、すごく知りたいのかな」
「にゃ」
「……まあ、いいか。友達が増えるのは、いいことだもんね」
パティは、あっけらかんと笑った。
その笑顔を見て、俺はパタリと尻尾を振った。
あの子は、おそらくパティを知っている。
知っているのに、目の前のパティとは何かが違うと感じている。
そのずれを、あの子はいつか埋めようとするだろう。
(……ゲーム、か)
やはり、あの子の中では、この世界は「ゲーム」として認識されているらしい。
あの子が知っている物語の結末を、俺は知らない。
それでも、あの子はその結末に向かって動き始める。
ならば、俺もそれに備えよう。
こちらにも、アドバンテージはある。
この世界のものではないが、俺にも悪役令嬢の物語についての知識がある。
それに、五年分の記録と、情報網と、築いてきた信頼がある。
……負ける気はしない。
しないが、油断もしない。
「テト。しっぽ、大きく振りすぎ。お腹すいたの? 干し肉ならあるよ」
「にゃ」
よし。
まずは干し肉を片づけてからだ。
『テト観察日誌』
“今日、図書館のそばで、シムラー男爵家の三女――「奇跡の乙女」を見かけた。
時々、一人で歩いているところを見かけるが、迷う様子がまったくない。
地図も持たず、この無駄に広い学院内を、最初から道を知っているかのように歩いている。
探査系の魔法か、あるいは何らかの特殊なスキルでも持っているのだろうか。
……それとも、すでに校内の構造を把握しているのか。
後者だとすれば、入学して一週間程度で身につくとは思えない。
いや、そもそも、入学前から知っていたはずもない。
……ない、はずだ。
だが、テトの様子を見ていると、妙な考えが浮かんでくる。
あいつも、ここへ来る前から、この場所を知っていたのではないか。
もちろん、そんなことはありえない。
ありえないはずなのに、考えずにはいられない。
この学院には、僕たちの知らない何かがある。
そして、テトはそれを知っているのかもしれない”




