第四十一話「もう一人の転生者」【四】
事件は、午後の廊下でもう一件起きた。
「パトリシア」
廊下の向こうから、レオナルド殿下が堂々と歩いてきた。
学院に入ってからというもの、殿下はパティを見つけるたびに声をかけている。上級生として学院の案内をしたり、授業の話をしたり、時には王族らしい威厳を見せようとしたり。
本人なりに、頑張っているのだろう。
ただし、頑張る方向が合っているかどうかは、別の問題だ。
「聞いたぞ。昼休み、シムラーの三女と話していたそうだな」
「……ええ」
パティの返事は短かった。
短く、そして、令嬢の声だった。
(……ああ。乗っていないな)
殿下は、まだ気づいていないらしい。
「あやつ、何か変なことを言わなかったか。三属性だの、奇跡だのと、学院じゅうが騒いでいるが……僕は、ああいう目立ちたがりは――」
「殿下」
パティが、静かに言った。
「お話を遮って申し訳ありませんが、アイリーン様のことを、あまり悪く仰らないでくださいませ」
「……なに?」
「まだ、よく知らないお方ですもの。少しお話ししただけで、目立ちたがりだと決めつけるのは、失礼ではありませんか?」
レオナルド殿下の足が止まった。
パティは、目をそらさなかった。
「もちろん、私も、アイリーン様のことをよく存じ上げているわけではありません。ですから、良い方だと決めつけるつもりもございませんわ。ただ……」
そこで、パティは少しだけ言葉を選んだ。
「知らない方だからこそ、もう少し、お話をしてみたいと思っています」
「……だが、あやつは三属性だぞ。周囲の注目を集めるために、わざと――」
「殿下」
今度は、パティの声が少しだけ低くなった。
「そのお話は、もう十分に伺いました」
「…………」
「失礼いたします。次の授業がございますので」
パティは完璧な礼をして、踵を返した。
俺を抱く腕は、いつもどおり穏やかだった。
だが、その足取りには迷いがなかった。
残された殿下は、しばらく廊下の真ん中で固まっていた。
「…………な、なんだ、今日は」
俺は、内心でため息をついた。
(……残念だが、「おともだち」枠から外れかけたようだな)
パティの砕けた言葉は、気を許している証拠。丁寧な言葉は、一線を引いている証拠。
殿下は、まだそれに気づいていない。
以前のパティなら、殿下の言葉に戸惑いながらも、どう返せばよいか分からず、曖昧に笑っていたかもしれない。
今は違う。相手の言葉を聞き、自分で考え、言うべきことを言った。
それが、たとえ王子相手であっても。
……成長したものだ。
「……僕の、何が悪かったというんだ」
殿下は、一人でぶつぶつと呟いていた。
どうやら、まだ自分の発言に問題があったとは思っていないらしい。
まあ、今すぐ気づかなくてもいい。
気づくべき日が来れば、そのときに気づくだろう。
俺は、パティの腕の中で目を閉じた。
それよりも、今はアイリーンだ。
あの子が知っている物語。
その中で、パティに与えられた役割。
そして、現実のパティが、その役割から外れているという事実。
もしアイリーンが、本当に物語の結末を知っているのなら。
彼女は、これから何をしようとするのだろう。
パティを救おうとするのか。物語どおりに進めようとするのか。……それとも、彼女自身が主人公として、別の未来を選ぼうとするのか。
まだ、何も分からない。
だからこそ、調べる必要がある。
俺は猫だ。人間の事情に首を突っ込むのは、できるだけ避けたい。
できれば一日中、日当たりのいい場所で寝ていたい。
だが、飼い主の未来に関わる話なら、そうも言っていられない。
なにしろ、俺は五年かけて、この子を見てきたのだ。
その五年を知らない誰かが、物語の筋書きだけで彼女の未来を決めようというのなら。
……少々、話し合いが必要だろう。もちろん、猫らしく。
爪を立てるのは、最後の手段だ。
まずは、情報収集から始めよう。
図書館組に、古い記録を探させる。
厨房組には、シムラー家の使いが来ていないか確認させる。
鳥には、アイリーンの行動を遠くから見てもらう。
そして、俺自身は――
「テト?」
パティが、顔を覗き込んできた。
「……どうしたの? 難しい顔をして」
猫の顔で、難しい顔をしていたらしい。
俺は一声、短く鳴いた。
「にゃあ」
「ふふ。お腹がすいたの?」
違う。
あ……いや、少しすいている。
「帰ったら、おやつをあげるわね」
よし。
調査は、おやつのあとだ。
転生者が二人になったところで、猫の基本方針は変わらない。
飼い主を守る。
昼寝をする。
そして、面倒事は、できるだけ小さいうちに潰しておく。
ただし今回の相手は、俺と同じ世界の知識を持っている可能性がある。
その点だけは、少し厄介だった。
……さて。
もう一人の転生者は、何を知っているのだろう。
その夜。
『テト観察日誌』
“本日、テトは夕食後、窓辺で長時間、学院の方向を見ていた。
呼びかけても反応が薄い。餌には反応した。
何かを考えているように見えるが、猫が何を考えているかなど、通常は分からない。
ただし、あの猫については、通常という言葉を使うこと自体が、すでに問題なのかもしれない。
妹は、学院で新しい友人候補と出会ったようだ。
相手はあの三属性持ちの少女。
妹は「変わった方だけれど、悪い子ではないと思う」と言っていたそうだ。
テトは、その話を聞いてから、また窓辺に戻った。
……偶然だろうか。
いや、偶然だと考えておく。
研究者が、観察対象の挙動に意味を見出そうとするのは、よくある誤りだ。
まずは事実を集める。
結論は、そのあとでいい。
……この言葉、最近どこかで聞いた気がする。
気のせいだろう。
明日は図書館へ行く予定だ。
テトが学院にいる間、私の研究はまったく進まない。
だからといって、猫を追いかけて学院に通うわけではない。
あくまで、図書館の蔵書調査だ。
……本当に、それだけだ”




