第四十一話「もう一人の転生者」【三】
ごめんなさい。
投稿ミスってました。
修正致しました。
あと一回で四十一話完了です。
「……え?」
パティが瞬きをする。
「どうして、と申しますと?」
「いや、だって……だから、なんていうか……」
アイリーンは、二人を交互に見た。
「クラスメイトだから、たまたま一緒にいたとかじゃないんだよね?」
「ええ。マーゴとは、お友達ですもの」
パティは、当たり前のように答えた。
その返答に、アイリーンは固まった。
「……え?」
「お友達ですわ」
「……本当に?」
「はい」
「クラスが同じだから、とか。家が近いから、とか。そういうことじゃなくて?」
「そういうことではありませんわ」
パティは、少し考えてから付け加えた。
「マーゴは、私が困っているときに、ちゃんと話を聞いてくださいます。私が間違えたときには、きちんと教えてくださいますし、私もマーゴの力になりたいと思っています。……それでは、いけませんか?」
「い、いけないなんて言ってないよ!」
アイリーンが慌てて手を振った。
「ただ、ちょっと……」
言いかけて、口を閉じる。
その目が、パティの顔をじっと見つめていた。
俺は、彼女の視線を追った。
目の形。表情。受け答え。言葉遣い。
まるで、何かの見本と照らし合わせているようだった。
そして、ようやく確かめたいものが見つからなかった、という顔をした。
「……ねえ、パトリシアさん」
「はい?」
「パトリシアさんってさ。……趣味って、なに?」
「……しゅみ?」
パティが首を傾げた。
「ごめんなさい。聞き慣れない言葉ですわね。……どこの国のお言葉でしょう?」
「…………」
アイリーンの笑顔が止まった。
ほんの一瞬だったが、俺には十分だった。
「趣味」という言葉自体は、この世界にもある。貴族令嬢のたしなみとして、刺繍や音楽、読書などを指す言い方も存在する。
だが、アイリーンが今、尋ねた意味は違う。
パティもそれを察したらしい。
「……芝居のことかしら?」
「……ううん。なんでもない」
アイリーンは、少しだけ笑った。
先ほどまでの無防備な笑顔とは、質が違う。
探していたものが見つからないときの顔だった。
「ねえ、もう一個。……アニメとか、ゲームとか。知ってる?」
「げーむ……?」
パティは真剣に考えた。
俺の膝の上で、指先が小さく動く。知っている言葉かどうか、記憶を探っているのだろう。
やがて、彼女は首を横に振った。
「存じませんわ。……ごめんなさいね。お力になれなくて」
「……そっか」
アイリーンは、うつむいた。
落胆しているようにも見えたし、安心しているようにも見えた。
どちらなのかは、まだ分からない。
ただ一つ、確かなことがあった。
俺の頭の中にある翻訳機能――あの転生特典が、今の言葉に反応しなかったのだ。
パティが「趣味」「アニメ」「ゲーム」という言葉を知らないこと自体は、不思議ではない。
問題は、アイリーンが、それらを知っているかどうか確かめるために、わざわざ質問したことだ。
彼女は、パティの答えを待っていた。しかも、ただの雑談としてではない。何かを確かめるために。
(……そういうことか)
頭の中で、これまでの情報がつながっていく。
カレー。
ガラスペン。
食事の際に使った、妙に馴染みのない言葉。
そして、今の質問。
この世界にはない知識を、彼女は持っている。
それだけなら、前世の記憶を持つ人間は俺一人ではない、という話で済む。
だが、アイリーンの反応は、それだけでは説明できなかった。
彼女はパティを見ていた。
ただし、目の前にいる少女そのものを見ていたのではない。
何かと照らし合わせ、答え合わせをしていた。
そして、答えが違っていた。
(……同類だ)
確定した。
アイリーン・シムラーは、俺と同じ側の人間だ。
(……お前は、何を知っている?)
アイリーンは、満足そうではなかった。
むしろ、その顔には、はっきりと困惑が浮かんでいた。
知っていたはずの答えが、返ってこなかった。
あるいは、知っていたはずの人物が、想定どおりに振る舞わなかった。
そういう顔だった。
俺は、パティを見た。
黒い毛並みの下で、尻尾が一度だけ動く。
この子は、何も知らない。
自分が誰かの知っている物語に登場する人物だなどと、考えたこともないだろう。
だが、アイリーンは違う。
彼女は、この世界を知っている。
少なくとも、知っているつもりでいる。
そして、その知識の中には、パティがいる。
……いや。
パティに似た、誰かがいるのかもしれない。
悪役令嬢ものの物語には、よくある構造だ。
前世で遊んだ乙女ゲーム。王立学院。攻略対象の王子。主人公の少女。そして、最後には断罪される公爵令嬢。
そうした物語を知っている者が、この世界に転生したとしたら。目の前の人物を、物語の登場人物として認識するかもしれない。
その人物が実際に何を考え、どんな行動をしてきたのかとは関係なく。
(……まさかな)
そう思った。
だが、次の瞬間には、その可能性を否定できなくなっていた。
闇属性。
公爵令嬢。
婚約者は王子。
役柄は、一つしかない。
(……悪役、か)
俺は、パティの膝の上で目を細めた。
五年。
この子が五歳のときから、俺はずっと見てきた。
家族に甘え、失敗して落ち込み、それでも人に手を差し伸べようとする姿を。
自分の気持ちをうまく言葉にできず、誤解されて傷つき、それでも相手を嫌いになりきれない姿を。
誰かに教えられたからではなく、自分で考え、自分で選び、少しずつ成長していく姿を。
その五年間を、どこかの物語に書かれた「設定です」の一言で片づけられる筋合いはない。
彼女は、俺が知らない物語を読んでいる。
俺は、彼女が知らない五年を見てきた。
どちらが正しいか。
……いや、正しさを競う話ではない。
物語の中で悪役だったからといって、現実の人間まで悪人になるわけではない。
逆に、主人公として描かれた人間が、必ず善人であるとも限らない。
大切なのは、何をしたかだ。
何を考え、何を選び、誰を傷つけ、誰を助けたか。
俺は、その事実を知っている。少なくとも、五年分は。
「アイリーン様。……もう、よろしいのですか?」
パティの声で、アイリーンは我に返った。
「あ、うん。ごめんね、変なことばっかり聞いちゃって」
「いいえ。私も、知らないことばかりですもの」
「……ねえ、わたし、これからもここに来ていい?」
「ええ。お気に召すままに」
パティは、穏やかに微笑んだ。
アイリーンは、少しだけ目を見開いた。
それから、どこか複雑な顔で笑った。
「……じゃあ、またね」
立ち上がりかけた彼女が、ふと足を止めた。
「そうだ。この猫、かわいいね」
「ええ。わたくしの自慢ですわ」
パティは、俺を抱き直した。
……自慢か。
悪くない。非常に悪くない評価である。
「名前は?」
「テト」
「…………テト」
アイリーンは、その名を口の中で転がすように、一度だけ繰り返した。
そして、俺を見た。
いや、俺の目を見た。
ほんの一瞬だった。
彼女の笑顔が、わずかに消える。
何かに気づいたのか。それとも、何かを期待していたのか。
分からない。
だが、アイリーンはそれ以上何も言わず、手を振って去っていった。
その背中を見送りながら、俺は喉の奥で低く鳴いていた。
威嚇ではない。警戒だ。
「……変わった方でしたわね」
マーゴが、静かに言った。
「うん。……でも、悪い子じゃないと思う」
「根拠はございますの?」
「……ないの」
パティは、少し考えた。
「でも、パティのことを、すごく見ていたから」
「それは……あまり、良いことではないのでは?」
「そうかな。じろじろ見ていた、というのとは違うの。なんていうか……」
パティは、言葉を探すように視線を落とした。
「……一生懸命だったの」
「一生懸命?」
「うん。何かを確かめようとしているみたいだった。わたしが何かを言うたびに、ちょっと驚いたり、困ったりしていたでしょう?」
マーゴは、思い返すように目を伏せた。
「……そうですわね」
「だから、たぶん、何か聞きたいことがあったんだと思う。でも、うまく聞けなかったのかなって」
パティは、俺の頭を撫でた。
「わたしも、そういうことがあるから」
その言葉に、俺は少しだけ目を細めた。
……なるほど。
パティは、アイリーンの無礼を見逃したわけではない。
ただ、その奥にある戸惑いを感じ取ったのだ。
自分が何かを言いたいのに、うまく言えなかったとき。
相手に分かってほしいのに、どう伝えればいいか分からなかったとき。
そういう経験があるから、アイリーンにも何か事情があるのではないかと考えた。
それは、パティらしい判断だった。
甘い、と言うこともできる。
だが、最初から相手を悪人と決めつけないことは、必ずしも弱さではない。
問題は、相手がその善意をどう扱うかだ。
「……私は、あまり、よく思いませんでしたわ」
マーゴの声は、少し硬かった。
「お願いの仕方も、爵位のお話の持ち出し方も。ああいう方は、少し……」
「マーゴ」
「はい?」
「まじめだね」
「……まじめではありません。ごく当たり前のことを申し上げているだけですわ」
「うん。そういうところ、好き」
「…………もう」
マーゴは呆れたように顔を背けたが、口元は緩んでいた。
パティは、そんな友人を見て、嬉しそうに笑った。
二人の会話は、いつもの調子に戻っていく。
だが、俺の中では、新しい局面が始まっていた。
アイリーン・シムラー。
この世界の知識を持つ、もう一人の転生者。
彼女は、パティのことを何か知っている。
それも、目の前のパティから直接聞いた情報ではない。
おそらく、彼女が生まれる前から存在していた知識だ。
物語。
ゲーム。
あるいは、その両方。
そして、その知識の中で、パティは何らかの役割を与えられている。
(……良い役回りでは、なさそうだな)
闇属性。公爵令嬢。王子の婚約者。
アイリーンがパティを見たときの、あの確かめるような目。
答えが違ったときの、あの戸惑い。
そして、俺の名前を聞いたときの、あの反応。
まだ材料は足りない。断定するには早い。
……早いのだが。
どうにも、嫌な予感がする。
俺は、膝の上で丸くなり直した。
情報は集める。仮説は立てる。だが、結論を急いではいけない。前世の仕事で、何度も学んだことだ。
都合のいい情報だけを集めれば、どんな間違った仮説だって立派な報告書になる。
あの子が持っている知識の出どころを確かめる。
彼女が何を知り、何を知らないのかを調べる。
そして、彼女がパティに何を期待しているのかを見極める。
それまでは、敵と決めつけない。味方とも決めつけない。
ただし、警戒はする。
……猫の仕事としては、十分に妥当な判断だろう。




