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過労死社畜、悪役令嬢の飼い猫に転生する ~美人な飼い主にモフられながら、破滅フラグはチートでこっそりへし折ります~  作者: 真野真名
第三章 王立学院に猫は潜む

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第四十一話「もう一人の転生者」【二】




 アイリーンがマーゴの問いに、怪訝そうに答えた。


「そうよ。上に女が二人いて、あたしが末っ子」


「王都本校へは、予科からではなく、編入という形でいらしたのですよね。これまでは、領の学問所に通われていたのでしょうか」


「ううん。身体が弱かったらしくて、学校には行ってないの。自宅学習ってやつ。週一くらい?」


「……週一、ですか?」


 マーゴの眉が、わずかに動いた。


「それで、あれほどの魔法の才能をお持ちなのですね」


「魔法はね。勉強は、そうでもないよ。社会科は特に苦手。地理も歴史も公民も、ぜーんぶ」


「公民……?」


「あ、ええと、社会の勉強ね」


 アイリーンは、舌を出して笑った。


「ソーシャルスタディは苦手、ってこと。あはは」


 マーゴは笑わなかった。


 パティも、少し不思議そうにアイリーンを見ている。


 会話の内容そのものに問題があるわけではない。学業が苦手なことを正直に話すのも、別に悪いことではないだろう。


 だが、アイリーンは先ほどから、相手との距離を測る手順を飛ばしている。


 自己紹介をする前に、相手の属性を知っている。


 初対面なのに、あだ名で呼ぶ。


 そして、相手の学力や教育環境を聞く前から、友達になることを前提に話を進めている。


 まるで、すでに相手のことを知っているかのように。


「ですが、礼法は身につけておられるのですよね?」


 マーゴが尋ねた。


「それは去年、王都に来てからバッチリ仕込まれたよ。まあ、なんか合わなくてさ。細い棒で手の甲とか、ペシペシ叩いてくるし。よく問題にならないものよね」


「……そうですか」


 マーゴは一度、言葉を切った。


「貴族家に生まれたからには、礼法を身につける必要があります。厳しいと感じられることもあるでしょうけれど、ただ形を覚えるためだけのものではありませんから」


「うん。それは分かるんだけどね。なんか、もっとこう、楽しく覚えられないものかなって」


「楽しく、ですか」


「そう。だって、覚えたら便利じゃない? 相手に失礼なことをしなくて済むし、面倒な人とも適当に話せるし」


「……最後の理由は、あまり感心いたしませんわね」


「あはは。そこは否定しないんだ」


「否定する理由がありませんもの」


 マーゴの返答に、パティが小さく吹き出した。


「ふふっ」


「パティ?」


「ごめんなさい。マーゴが、いつもどおりだったから」


「……私は、いつもどおりですわ」


「うん。そういうところ」


「もう」


 二人の間には、積み重ねてきた時間がある。


 互いに手紙を書き、贈り物を選び、なくしたものを一緒に探した。気まずくなったこともあっただろうが、それでも相手を知ろうとしてきた。


 だから、言葉が少し足りなくても通じる。


 逆に言えば、アイリーンには、まだその時間がない。


 それなのに、彼女は二人の間にあるものを、最初から知っているような顔で話している。


 いや。


 知っているつもりなのかもしれない。


「あ、そうだ!」


 二人の様子に少し不思議そうにしていたアイリーンだったが、何かを思いついたかのように、ぱっと顔を輝かせた。


「マーガレットが教えてくれない? 週一とか週二で、うちに来てさ。勉強を教えてよ」


「……私が、ですか?」


「うん。マーガレット、頭よさそうだし。礼儀作法も完璧でしょ? あたし、そういうの苦手だからさ。友達に教えてもらえたら、楽しいと思うんだよね」


 マーゴは、すぐには答えなかった。


 パティが友人の横顔を見ている。


「……アイリーン様。それは、本気で仰っています?」


「え? 本気も本気。マジもんのマジよ」


「……そうですか」


 マーゴは、静かに本を閉じた。


「それは、失礼を通り越して、無礼ですわ。私に対しても、ヴィアルバーグ家に対しても、シムラー男爵家に対しても」


「えっ、なんで?」


 アイリーンは、本気で分からないという顔をした。


「友達に勉強を教えてって頼むだけじゃない?」


「よろしいですか、アイリーン様。私たちはまだ成人しておりませんし、爵位に基づく官職も持っておりません。その意味では、個人として対等にお話しする余地もあるでしょう」


 マーゴは、いつもの落ち着いた口調で説明を始めた。


「ですが、家格には大きな差がございます。仮に、シムラー家が五百近くある男爵位の筆頭で、我がヴィアルバーグ家が侯爵位の最下位だったとしても、その間には辺境伯、宮中伯、伯爵、城伯、子爵という五つの爵位がございます。その数、五百二十有余――」


「え? 待って。伯爵って四つもあるの? どれも一緒じゃないの?」


「一緒ではございません」


 マーゴの声が、ほんの少しだけ強くなった。


「家柄や功績、役職、財力などによって事情は異なりますが、アルカランズ貴族令によって序列は厳密に定められております。もちろん、爵位だけですべてが決まるわけではありません。ですが、だからといって、何も考えずに振る舞ってよいわけでもございません」


「うーん……」


 アイリーンは腕を組んだ。


「それが、友達に勉強を教えてもらっちゃ駄目って話に、どうつながるの?」


「ですから、男爵家が、寄親でもない侯爵家に頼み事をするなど、常識として考えられないのです。ましてや、週に何度も屋敷へ招くなど」


「でも、マーガレットが嫌なら断ればいいじゃない。嫌じゃないなら、いいんじゃないの?」


「私がよくても、周囲がそうは見ません」


「周囲って、誰?」


「……」


「マーガレットのお父さん? お母さん? それとも、ほかの貴族の人たち?」


 マーゴが口をつぐんだ。


 アイリーンは、相手を言い負かそうとしているわけではなかった。疑問が浮かんだので、そのまま口にしている。それがかえって、話を難しくしている。


「だってさ」


 アイリーンは、ベンチに腰掛けた。


「マーガレットのお父さんが侯爵なのは分かったよ。でも、それって、お父さんが頑張ったからというより、ずっと昔の人が偉かったからってことでしょ? マーガレットが偉いことをしたわけじゃないし、あたしが偉くないことをしたわけでもないじゃない」


「……アイリーン様」


「だったら、友達になって、勉強を教えてもらうくらい、いいと思うんだけどな。家のことは家のことで、本人同士のことは本人同士のことじゃない?」


 マーゴは、答えなかった。


 アイリーンの言葉は、理屈として完全に間違っているわけではない。


 生まれた家によって、人間の価値そのものが決まるわけではない。それはマーゴだって分かっているだろう。


 だが、貴族社会では、本人同士のつもりで交わした約束が、家同士の約束として扱われることがある。誰かを招けば、招かれた側だけでなく、その家の人間も動く。

 善意の頼み事が、相手にとって断りにくい要求になることもある。


 マーゴは、そうした事情を知っている。


 だからこそ、簡単にうなずけないのだ。


「アイリーン様のお考えは、分かりました」


 マーゴは、丁寧に言った。


「ですが、私と貴女は、まだお友達ではございません」


「えー。なんで?」


「今、お会いしたばかりですから」


「じゃあ、これから友達になればいいじゃない」


「……そのように簡単に決められることではありませんわ」


「そうかなあ」


 アイリーンは首を傾げた。


「友達って、そんなに難しいもの?」


 その言葉に、パティが顔を上げた。


「……難しい、というより」


 今まで聞き役に回っていた彼女が、ゆっくりと口を開いた。


「お友達になりたいと思うことと、お友達になれることは、少し違うのだと思いますわ」


「え?」


「私は、マーゴとお友達です。マーゴが何を好きで、何が苦手で、どんなときに怒るのか、少しずつ知ってきました。マーゴも、私のことを知ってくださっています」


 パティは、膝の上の俺を撫でながら続けた。


「もちろん、まだ知らないこともたくさんあります。でも、それを知っていくのが楽しいのです」


「……パティ」


「ですから、アイリーン様がマーゴとお友達になりたいと思われるのは、素敵なことだと思いますわ。ただ、マーゴがまだそう思えていないのなら、少し待って差し上げてはいかがでしょう」


 アイリーンの表情が、初めて変わった。


 先ほどまでの明るい笑顔が消えたわけではない。だが、その奥に、戸惑いが浮かんでいる。


「……そっか」


 彼女はマーゴを見た。


「マーガレットは、あたしと友達になりたくない?」


「今は、まだ、お互いをよく存じ上げませんもの」


「そっか。じゃあ、知ってもらえばいいんだね」


「……そういうことを申し上げているのでは」


「うん。分かった。じゃあ、これからよろしくね!」


「……アイリーン様」


「焦らない焦らない。人間関係は長期戦ってやつよ!」


 マーゴは、何か言いかけて、結局やめた。


 パティは苦笑している。


 俺は、内心でため息をついた。


(……なるほど。悪意はない。だが、相手の返事を聞いていない)


 アイリーンは、友達になりたいと思った。

 だから、友達になれる。

 彼女の中では、その二つがほとんど同じ意味になっているらしい。


 善意そのものは否定しない。むしろ、誰かと仲良くなりたいという気持ちは、悪いものではないだろう。


 だが、相手にも都合がある。

 相手にも事情がある。

 そして、相手が断る権利もある。


 そこを飛び越えてしまえば、善意は簡単に押しつけになる。


 ……この世界で、それを何度も見てきた。


 俺の飼い主は、善意を理由に行動を制限されかけた。

 家族を思ってしたことが、家族の名誉を傷つける行為だと教え込まれた。


 だからこそ、俺はアイリーンの言葉に、少しだけ引っかかりを覚えていた。


 彼女は、悪い子ではないのかもしれない。

 ただ、善意を相手に渡すときの作法を、知らない。

 それだけなら、教えれば済む話だ。


 だが、彼女は先ほどから、相手のことを知る前に、相手のことを知っているような言葉を何度も口にしている。


 そこが問題だった。


「それよりさ」


 アイリーンが、ふいにパティへ視線を移した。


「で、どうしてマーガレットさんが、パトリシアさんと一緒にいるの?」




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