第四十一話「もう一人の転生者」【二】
アイリーンがマーゴの問いに、怪訝そうに答えた。
「そうよ。上に女が二人いて、あたしが末っ子」
「王都本校へは、予科からではなく、編入という形でいらしたのですよね。これまでは、領の学問所に通われていたのでしょうか」
「ううん。身体が弱かったらしくて、学校には行ってないの。自宅学習ってやつ。週一くらい?」
「……週一、ですか?」
マーゴの眉が、わずかに動いた。
「それで、あれほどの魔法の才能をお持ちなのですね」
「魔法はね。勉強は、そうでもないよ。社会科は特に苦手。地理も歴史も公民も、ぜーんぶ」
「公民……?」
「あ、ええと、社会の勉強ね」
アイリーンは、舌を出して笑った。
「ソーシャルスタディは苦手、ってこと。あはは」
マーゴは笑わなかった。
パティも、少し不思議そうにアイリーンを見ている。
会話の内容そのものに問題があるわけではない。学業が苦手なことを正直に話すのも、別に悪いことではないだろう。
だが、アイリーンは先ほどから、相手との距離を測る手順を飛ばしている。
自己紹介をする前に、相手の属性を知っている。
初対面なのに、あだ名で呼ぶ。
そして、相手の学力や教育環境を聞く前から、友達になることを前提に話を進めている。
まるで、すでに相手のことを知っているかのように。
「ですが、礼法は身につけておられるのですよね?」
マーゴが尋ねた。
「それは去年、王都に来てからバッチリ仕込まれたよ。まあ、なんか合わなくてさ。細い棒で手の甲とか、ペシペシ叩いてくるし。よく問題にならないものよね」
「……そうですか」
マーゴは一度、言葉を切った。
「貴族家に生まれたからには、礼法を身につける必要があります。厳しいと感じられることもあるでしょうけれど、ただ形を覚えるためだけのものではありませんから」
「うん。それは分かるんだけどね。なんか、もっとこう、楽しく覚えられないものかなって」
「楽しく、ですか」
「そう。だって、覚えたら便利じゃない? 相手に失礼なことをしなくて済むし、面倒な人とも適当に話せるし」
「……最後の理由は、あまり感心いたしませんわね」
「あはは。そこは否定しないんだ」
「否定する理由がありませんもの」
マーゴの返答に、パティが小さく吹き出した。
「ふふっ」
「パティ?」
「ごめんなさい。マーゴが、いつもどおりだったから」
「……私は、いつもどおりですわ」
「うん。そういうところ」
「もう」
二人の間には、積み重ねてきた時間がある。
互いに手紙を書き、贈り物を選び、なくしたものを一緒に探した。気まずくなったこともあっただろうが、それでも相手を知ろうとしてきた。
だから、言葉が少し足りなくても通じる。
逆に言えば、アイリーンには、まだその時間がない。
それなのに、彼女は二人の間にあるものを、最初から知っているような顔で話している。
いや。
知っているつもりなのかもしれない。
「あ、そうだ!」
二人の様子に少し不思議そうにしていたアイリーンだったが、何かを思いついたかのように、ぱっと顔を輝かせた。
「マーガレットが教えてくれない? 週一とか週二で、うちに来てさ。勉強を教えてよ」
「……私が、ですか?」
「うん。マーガレット、頭よさそうだし。礼儀作法も完璧でしょ? あたし、そういうの苦手だからさ。友達に教えてもらえたら、楽しいと思うんだよね」
マーゴは、すぐには答えなかった。
パティが友人の横顔を見ている。
「……アイリーン様。それは、本気で仰っています?」
「え? 本気も本気。マジもんのマジよ」
「……そうですか」
マーゴは、静かに本を閉じた。
「それは、失礼を通り越して、無礼ですわ。私に対しても、ヴィアルバーグ家に対しても、シムラー男爵家に対しても」
「えっ、なんで?」
アイリーンは、本気で分からないという顔をした。
「友達に勉強を教えてって頼むだけじゃない?」
「よろしいですか、アイリーン様。私たちはまだ成人しておりませんし、爵位に基づく官職も持っておりません。その意味では、個人として対等にお話しする余地もあるでしょう」
マーゴは、いつもの落ち着いた口調で説明を始めた。
「ですが、家格には大きな差がございます。仮に、シムラー家が五百近くある男爵位の筆頭で、我がヴィアルバーグ家が侯爵位の最下位だったとしても、その間には辺境伯、宮中伯、伯爵、城伯、子爵という五つの爵位がございます。その数、五百二十有余――」
「え? 待って。伯爵って四つもあるの? どれも一緒じゃないの?」
「一緒ではございません」
マーゴの声が、ほんの少しだけ強くなった。
「家柄や功績、役職、財力などによって事情は異なりますが、アルカランズ貴族令によって序列は厳密に定められております。もちろん、爵位だけですべてが決まるわけではありません。ですが、だからといって、何も考えずに振る舞ってよいわけでもございません」
「うーん……」
アイリーンは腕を組んだ。
「それが、友達に勉強を教えてもらっちゃ駄目って話に、どうつながるの?」
「ですから、男爵家が、寄親でもない侯爵家に頼み事をするなど、常識として考えられないのです。ましてや、週に何度も屋敷へ招くなど」
「でも、マーガレットが嫌なら断ればいいじゃない。嫌じゃないなら、いいんじゃないの?」
「私がよくても、周囲がそうは見ません」
「周囲って、誰?」
「……」
「マーガレットのお父さん? お母さん? それとも、ほかの貴族の人たち?」
マーゴが口をつぐんだ。
アイリーンは、相手を言い負かそうとしているわけではなかった。疑問が浮かんだので、そのまま口にしている。それがかえって、話を難しくしている。
「だってさ」
アイリーンは、ベンチに腰掛けた。
「マーガレットのお父さんが侯爵なのは分かったよ。でも、それって、お父さんが頑張ったからというより、ずっと昔の人が偉かったからってことでしょ? マーガレットが偉いことをしたわけじゃないし、あたしが偉くないことをしたわけでもないじゃない」
「……アイリーン様」
「だったら、友達になって、勉強を教えてもらうくらい、いいと思うんだけどな。家のことは家のことで、本人同士のことは本人同士のことじゃない?」
マーゴは、答えなかった。
アイリーンの言葉は、理屈として完全に間違っているわけではない。
生まれた家によって、人間の価値そのものが決まるわけではない。それはマーゴだって分かっているだろう。
だが、貴族社会では、本人同士のつもりで交わした約束が、家同士の約束として扱われることがある。誰かを招けば、招かれた側だけでなく、その家の人間も動く。
善意の頼み事が、相手にとって断りにくい要求になることもある。
マーゴは、そうした事情を知っている。
だからこそ、簡単にうなずけないのだ。
「アイリーン様のお考えは、分かりました」
マーゴは、丁寧に言った。
「ですが、私と貴女は、まだお友達ではございません」
「えー。なんで?」
「今、お会いしたばかりですから」
「じゃあ、これから友達になればいいじゃない」
「……そのように簡単に決められることではありませんわ」
「そうかなあ」
アイリーンは首を傾げた。
「友達って、そんなに難しいもの?」
その言葉に、パティが顔を上げた。
「……難しい、というより」
今まで聞き役に回っていた彼女が、ゆっくりと口を開いた。
「お友達になりたいと思うことと、お友達になれることは、少し違うのだと思いますわ」
「え?」
「私は、マーゴとお友達です。マーゴが何を好きで、何が苦手で、どんなときに怒るのか、少しずつ知ってきました。マーゴも、私のことを知ってくださっています」
パティは、膝の上の俺を撫でながら続けた。
「もちろん、まだ知らないこともたくさんあります。でも、それを知っていくのが楽しいのです」
「……パティ」
「ですから、アイリーン様がマーゴとお友達になりたいと思われるのは、素敵なことだと思いますわ。ただ、マーゴがまだそう思えていないのなら、少し待って差し上げてはいかがでしょう」
アイリーンの表情が、初めて変わった。
先ほどまでの明るい笑顔が消えたわけではない。だが、その奥に、戸惑いが浮かんでいる。
「……そっか」
彼女はマーゴを見た。
「マーガレットは、あたしと友達になりたくない?」
「今は、まだ、お互いをよく存じ上げませんもの」
「そっか。じゃあ、知ってもらえばいいんだね」
「……そういうことを申し上げているのでは」
「うん。分かった。じゃあ、これからよろしくね!」
「……アイリーン様」
「焦らない焦らない。人間関係は長期戦ってやつよ!」
マーゴは、何か言いかけて、結局やめた。
パティは苦笑している。
俺は、内心でため息をついた。
(……なるほど。悪意はない。だが、相手の返事を聞いていない)
アイリーンは、友達になりたいと思った。
だから、友達になれる。
彼女の中では、その二つがほとんど同じ意味になっているらしい。
善意そのものは否定しない。むしろ、誰かと仲良くなりたいという気持ちは、悪いものではないだろう。
だが、相手にも都合がある。
相手にも事情がある。
そして、相手が断る権利もある。
そこを飛び越えてしまえば、善意は簡単に押しつけになる。
……この世界で、それを何度も見てきた。
俺の飼い主は、善意を理由に行動を制限されかけた。
家族を思ってしたことが、家族の名誉を傷つける行為だと教え込まれた。
だからこそ、俺はアイリーンの言葉に、少しだけ引っかかりを覚えていた。
彼女は、悪い子ではないのかもしれない。
ただ、善意を相手に渡すときの作法を、知らない。
それだけなら、教えれば済む話だ。
だが、彼女は先ほどから、相手のことを知る前に、相手のことを知っているような言葉を何度も口にしている。
そこが問題だった。
「それよりさ」
アイリーンが、ふいにパティへ視線を移した。
「で、どうしてマーガレットさんが、パトリシアさんと一緒にいるの?」




