第三十九話「マーゴとレオと闇と猫」
長くも退屈な式典がようやく終わり、それで本日は終了かと思ったのだが、初日から授業があるらしい。
それまで、生徒たちはそれぞれ自由に昼休み。
中庭のベンチで、パティとマーゴが並んで座っていた。俺はパティの膝の上。
「それで、パティさん。午後の最初の授業は、魔術基礎ですわ」
「うん」
「……その前に、一つ。……先ほどの式典の間、お眠りでしたわね」
「……ちょっとだけね」
「五分に一回、小突きました」
「……きづかなかった」
「私は、隣の席の方に、二度ほど謝りました」
「……ごめん」
素直に謝った。
成長である。三年前なら「ふーんだ」が返ってきたところだ。
「……でも、パティさんらしいですわね」
マーゴは、少しだけ、口元を緩めた。
「式典で寝るなんて、私の知っている限りでは、貴方だけです」
「ほめてる?」
「……呆れています」
言いながら、マーゴは自分の弁当の玉子焼きを、パティの弁当に一つ、移していた。
手つきは無駄がない。理由は、聞かない。ああいう子の優しさは、理由をつけない。
と、そこへ。
「おお、いたぞ」
並木道の向こうから、制服の上に上級生の外套を纏った、見覚えのある顔が現れた。
三年生。金の刺繍が一段と豪華になっている。
第三王子、レオナルド。
見覚えのある顔が、こちらを見つけて笑った。
「パトリシア。入学、おめでとう」
「あ。レオ」
マーゴが、すっと立ち上がった。
「レオナルド殿下。お声がけいただき、ありがとうございます」
そう言って、完璧なカーテシーを決めた。
「うむ。マーガレット嬢も入学したのだったな。おめでとう」
「恐れ入ります」
レオは短く頷くと、すぐにパティへ向き直った。
「僕を頼ってくれていいんだぞ。学院のことは何でも知っている。食堂の場所から、教官の癖まで」
「食堂、さっき教えてもらった」
「…………そうか」
殿下の肩が、ほんの少しだけ落ちた。
それでも、すぐに持ち直す。あの男の回復力だけは、本物だった。
「まあいい。困ったことがあったら、いつでも言え。……特に、上級生に絡まれた時などはな」
「ふーん。……でも、パティ、けんか、強いよ」
「……そうか」
「剣、習ってるの。ケンドに」
「……ケンド、副団長のことか。……あの人に、習っているのか、お前」
「うん。すごいよ。……レオより強いかも」
「…………」
殿下が、無言になった。
(……あー。そこは、言わんでいい)
土属性の一属性。
王家の兄たちと比べられることにも慣れた風を装って、実際にはそうでもない少年に向かって、騎士団副団長の個人指導を受けていると告げる。
情報としては、些か刺さりすぎる。
悪意はない。ないのだが。
「……ふん。僕も、学院では剣術で上級クラスだ。……まあ、お前には関係のない話だがな」
「そうなんだ。がんばってね」
「…………うむ」
殿下は、なんだかんだで、少しだけ、嬉しそうに去っていった。
褒められているのか、いなされているのか、本人にも分かっていない様子だったが、まあ、あの男はそれでいいんだろう。
(……色々と前途多難だな。あの王子)
「……パティさん」
マーゴが少しだけ心配そうな顔をした。
「あの方は、第三王子殿下ですのよ。……言葉遣い、もう少し」
「えー。レオは、あれでいいの」
「……なぜ、そう言い切れるのですか」
「だって、ああいう人だもん」
マーゴは、それ以上、言わなかった。言わなかったが、確実に今日の出来事として残っている。
公爵令嬢が、第三王子に砕けすぎている。
そして第三王子は、どうやらそれを嫌がってはいない。
……学院という場所は、人間関係の観察だけでも、なかなか忙しそうだ。
午後の授業。
一年生の最初の魔術基礎の授業は、実技場の見学と、属性の説明だった。
地下の、石造りの広い実技場。
教師が、水晶の標本を掲げて、説明している。
「皆さんは、すでに、イニシエーションで属性をご存知ですね。ですが、学院では、その属性を、どう扱うかを学びます。……属性とは、神からの贈り物です。それぞれの属性に、それぞれの、正しい使い方があります」
教師の声は、丁寧だった。
丁寧で、教科書通りで、そして――
「火は、攻めの力。水は、癒しと防御。風は、速度。土は、守り。光は、浄化。……そして、闇は」
一瞬、間が空いた。
「……闇は、隠蔽の力です。使い道は、限られますが」
その「限られますが」の、温度の下がり方を、俺は聞き逃さなかった。
パティも、聞き逃していない。肩が、ほんの少しだけすくんだ。
あの神殿の日の空気。
五年経っても、あの空気は学院にも届いている。
教師は、闇属性を持つ者を侮辱したわけではない。説明としては、間違っていないのかもしれない。
だが、言葉の端ににじむものは、知識とは別の問題だ。
俺は、パティに向かって静かに鳴いた。
「にゃ」
実技場の見学席の一番後ろ。猫のいる席をパティは見た。
見て、少しだけ、笑った。
「……ふふ」
肩の力が、抜けた音がした。
(……よし。それでいい)
教師の説明は、続いている。
だが、パティの背筋はリラックスしていた。
放課後。
帰りの馬車の中で、パティは今日の出来事を俺に聞かせた。
「ねえテト。今日ね、お隣の席の子と、お友達になったの」
「にゃ」
「マーゴがね、紹介してくれた。いい子だったよ」
「にゃあ」
「あとね、お昼のパン、おいしかった」
「にゃ」
「あとね、あとね――」
話は、尽きなかった。
初日の学院の全部を俺に話そうとしていた。
教室の広さ。教師の声。隣の席の子の髪飾り。迷子になった廊下。マーゴに二度、助けられたこと。
聞きながら、俺は思っていた。
(……話してくれるうちは、大丈夫だ)
何があっても、帰ってきて話してくれる。
その限りにおいて、俺は彼女の一日を知ることができる。
すべてを見張ることはできない。
ならば、帰ってきた彼女の話を聞く。それもまた、情報網の一つだ。
馬車の窓の外では、学院の白い塔が遠ざかっていた。
明日も、明後日も、あそこに通う。
六年間の、長い、長い、現場である。
(……よし。まずは、一週間で学院の鼠と仲良くなるところからだ)
大樹の下の、昼寝の味方は、ここにも、いるはずだ。
探すのは、明日からの、俺の、新しい仕事である。
「テト。今日、いちにち、がんばったね」
「にゃ」
(お前もな、飼い主)
馬車は、夕日の中を別邸へと向かって進む。
俺はパティの腕の中で、ゆっくりと目を閉じた。
――その夜、王都の別邸、二階の一室。
『テト観察日誌』……ではない。
今日、猫を見たのは、朝食と夕食の時だけだった。
猫が居ないと研究観察が捗らない。
だが、父上経由で、学院図書館の閲覧許可が下りた。
明日から、通う。……学院に、ではない。図書館に、だ。
追記:パティの初日は、無事だったそうだ。
……報告は、母上から聞いた。
……聞いた、だけだ。別に、心配などしていない。
ただ、僕自身は学院にあまり良い印象を持っていない。
……猫がいない場所で、何が起きているか分からないからだ。
それだけだ”




