間話「男爵家の三女」――アイリーン視点
私は、死にかけた時に、思い出した。
八歳の、あの高熱の夜。
汗と、咳と、薄れていく意識の底で、私は――別の人生を、見ていた。
浅丘愛。十七歳。帰宅部。
好きなものは、乙女ゲームと、カレーライスと、休日の二度寝。
勉強は嫌いじゃないけど、テスト前しか本気を出さない。友達には「あんたは要領だけで生きてる」とよく言われた。
――前世の、私だ。
「…………あ」
目が覚めた時、枕元で母が泣いていた。
熱は、不思議なくらい、するっと引いていた。
そして私は、泣き腫らした母の顔を見ながら、内心で、天を仰いだ。
(え。……ええっ!?)
思い出したのは、前世の記憶。
気づいたのは、現在地。
アイリーン・シムラー。シムラー男爵家の三女。九歳の春に、アルカランズ王立学院に入学予定。
――まんまじゃん。
まんま、あのゲームじゃん。
乙女ゲーム『六色の恋人』。
魔力と貴族の学院を舞台に、平凡な男爵令嬢の主人公が、王子や騎士や天才魔術師と恋をする、あのゲーム。 私、発売日に買って、全ルート三周した、あのゲーム。
ヒロインの名前は――アイリーン。 つまり、私。
「……私、ヒロイン!?」
「アイリーン? 今、なんて?」
「な、なんでもないです! おかあさま、お腹すきました!」
「まあ……!」
母が、泣きながら笑った。
ごめんなさい、おかあさま。娘は今、生死の境から帰ってきた上に、人生の攻略本まで思い出したところです。
思い出してみれば、辻褄は合いすぎていた。
私、五歳のイニシエーションで、水の一属性と判定されてる。
でもゲームのヒロインは、「奇跡の三属性」の持ち主だった。水、光、風。
おかしいな、と思って、こっそり試してみた。
……できた。水が出る。光も出る。風も出る。
「……出るわ」
庭の隅で、手のひらに灯りを灯しながら、私は一人、唸った。
後から考えると、大病を境に、体のなかの何かが「ほぐれた」気がする。
元々持ってたものが、詰まってただけ、みたいな。
案の定というか、教会での再検査は大騒ぎになった。
水晶が三色に光って、神官さんが二度見して、三度見して、それから神殿の奥に走っていった。
『三属性』。
王国史上でも、指で数えるほどらしい。
父――ダーフィンダ・ドルフ・シムラー男爵は、報告を聞いて、三回「本当か?」と言い、四回目に泣いた。
母――スーランは、「普通の子でいてほしかった」と、ちょっとだけ複雑そうだった。ごめんね、おかあさま。でも、ヒロインなので。
それからの一年で、私は「才女」になった。
……なった、というより、「なったことになった」。
きっかけは、馬車だった。
馬車での移動が、とにかくお尻に悪い。思わず口に出した。
「馬車、なんとかならないかな。……ほら、タイヤのところに、ばね、みたいなのを、つけるとか」
「……ばね、ですか」
「うん。こう、ぎゅーんって、伸び縮みするやつで、揺れを吸収するの」
領の技師たちは、真剣な顔で頷き、三週間後に、試作を見せてくれた。
――ダメだった。構造も形も、私の説明が曖昧すぎて、全然ダメだった。
でも、その過程で、車輪の軸受の形が改良されて、馬車は前よりずっと静かに進むようになった。
私は何もしていない。私は「ばね」と言っただけだ。作ったのは、領の技術者さんだ。
ガラスペンも、そう。
「ガラスでできた、つるつるした、綺麗なペンがあってさ。軸まで全部ガラスのやつ。ねじってあって、そこにインクが溜まるの」
「……軸まで、ガラス、ですか。強度が……」
「あ、無理? そうっと持つから大丈夫なんじゃない?」
できたのは、先だけがガラスの、あまり可愛くないペンだった。
それが今、シムラー領の特産品として、王都にまで出回っているらしい。
あと、きゅうりパック。
「顔に、輪切りのきゅうりを、べたべた貼るの」
「……は?」
侍女たちに全力で止められたけど、試しにやってみせたら、翌月には領都の奥方たちの間で流行ってた。
考えたのは私。でも、形にしたのは、みんなだ。
お醤油が欲しいんだけど、まだ見つかってない。
大豆とかから作れた気がするので、頼んでみたけど、豆の煮たやつしか出来なかった。
和風が無理なら洋風ってことで、カレーに挑戦してみたけど、カレーの元って言うか、割って入れるやつ。
あれが無いのよね。
あれって調味料っていうか、香辛料の一種だよね。それさえあれば作れると思うんだけど、出入りの商人さんに聞いても知らなかった。
王都に行けば、きっと見つかるでしょ。
……正直に言おう。
私の知識は、偏っている。扇風機はわかるけど、エアコンはわからない。
糸電話は作れるけど、スマホなんて絶対無理。
ただの女子高生の知識なんて、そんなものだ。
でも、その「そんなもの」を、真面目に受け止めて、一生懸命、形にしてくれる人たちが、こっちの世界にはいる。
……いい世界だな、と思う。ゲームの舞台だけど。
九歳の冬、私は、領都から王都に出てきた。
来年入学する学院の準備のためだ。
病弱だった私は、予科にも通わず自宅学習で育った。知識は偏ってるし、礼儀作法は壊滅的だし、父が「才能を伸ばすには、王都の一流の先生を」と、スーラン母様の実家キャンダイ家の別邸を借りてくれた。
叔父のミック・ドゥ・キャンダイ男爵は、快く貸してくれた。手紙には「存分に使え。あと、あのペン、もう百本ほど」と書いてあった。商売っ気たっぷりである。
王都は、最高だった。
「おかあさま! あの雑貨店! ゲームで出てきたやつ!」
「アイリーン、声が大きいわ」
「あ、あの通り! 告白イベントの場所!」
「はいはい」
知ってる名前。知ってる店。知ってる景色。
画面の向こうだった世界が、目の前にある。この感動は、全ルート三周した人間にしか分からない。
来年の春、学院に入れば、ゲームが始まる。
攻略対象の第三王子レオナルド様。孤高の第二王子アンセルム様。隠しキャラの――
ふふふ。楽しみしかない。
……ただ、一つだけ、気になることがあった。
噂が、違うのだ。
「ねえ、聞いた? フィロパトールの公爵令嬢」
「闇の令嬢でしょ。でも、あのお方の周りでは、不思議と不幸が起きないのよ」
「領地では、野犬から領民の子供を助けたそうよ」
「お優しい方だって」
お茶屋さんで、隣の席のお嬢さま方の噂を聞きながら、私は小首を傾げた。
パトリシア・テア・フィロパトール。
ゲームでは、悪役令嬢だ。
レオナルド様の婚約者で、ヒロインの私を虐めて、最後は断罪される、あの人だ。
なのに、噂が、優しい?
「……ゲーム、まだ始まってないからかな」
うん。きっとそう。
ゲームの中のパトリシアが本領を発揮するのは、学院に入ってからだった。今はまだ、平穏な序章ってところだろう。
……それにしては、噂の内容が、具体的すぎる気もしたけど。
「あと、猫を連れて歩いてるらしいわよ、あのお方」
「黒猫だって。綺麗なんだって」
「……猫?」
ゲームに、猫なんて出てこなかった。
……まあ、猫くらいいるか。猫だし。
私は、ケーキの最後の一切れを頬張って、考えるのをやめた。
大丈夫。ゲームは、ちゃんと始まる。私は、ちゃんと知っている。
「ごちそうさま! ……あ、そうだ。お店の人、カレーってあります?」
「……かれー、でございますか?」
「うん。香辛料の。……なんか、ご飯にかけたら絶対おいしいやつ」
「食事にかける? 香辛料を……?」
店員さんは、困惑していた。
あれ。……違うのかな。まあ、そのうち分かるでしょ。
――同じ頃。フィロパトール公爵邸。
「パトリシア。試験の褒美だ」
アウグストの贈り物は、小さな細い箱だった。
開けると、透明な軸のペンが収まっている。ペン先は、淡い色のガラス細工。
「わあ……きれい!」
「近ごろ王都で評判の品だ。シムラー男爵領の特産で、ガラスペンと呼ばれているらしい」
「ガラスの、ペン……」
パティは、早速、試し書きをしていた。するすると、インクが流れる。
「すごい! かきやすい!……ありがと、にーに!」
「うむ」
アウグストの口元が、記帳しがいのある緩み方をした。
一方、テーブルの下の俺は――耳を、立てていた。
(……ガラスペン?)
ガラスのペン先。繊細な溝。毛細管現象の応用。確か、明治期の日本で考案されたはずだ。
……この世界の工芸水準で、それが「特産品」として量産されている。
偶然の発明というには、出来が良すぎる。あれは「出来上がった答え」を知っている者が、逆算して作った形だ。
窓辺で思案をしていると、ルルが声をかけてきた。
『猫さん、あれ。パティちゃんが持ってるのって、ガラスペンとかってやつでしょ』
窓辺。白い喉のジョウビタキが、小首を傾げていた。
『あのガラスペン、いいわよね。羽、むしられないで済むもの』
『……鳥の視点だな、それは』
『でね、そのペンを考えた子って、パティちゃんと同じくらいの歳なの。シムラー男爵家の三女。……変わってるわよ、あの子』
『変わってる、とは』
『食事が、下品』
『……下品?』
『パスタをね、スープがたっぷり入ったボウルに入れて、二本の棒で、啜るように食べるの』
『…………』
『それでね、食事しながら「ご飯が食べたい」って言うの。変でしょ? 食事してるのにね』
『……………………』
『あと、台所筋の話じゃ、「カレー」っていう香辛料を探してるらしいわ』
『………………………………』
パスタを、スープのボウルで、二本の棒で。
食事中に「ご飯が食べたい」。
カレー。
パティと同じくらいの歳の、男爵家の三女。
俺は窓辺で、しばらく考え込んだ。
(……もしかして、転生者?)
確証はない。だが、検証すべき仮説としては、格が高い。
俺がいるのだ。この世界に、異世界の記憶を持つ者が、二人いても不思議はない。
ただ。
(……もし本当に「向こう側」の人間なら)
あの子の「世界」と、俺の読んだ「物語」は。
――同じ、なのか。
――その夜、西棟の塔。
『テト観察日誌』
“被験体が、今日は一日中、窓の外を見ていた。
……考え事をしている、あの顔だ。
初めて会った日の、あの顔だ。
あの日も、あいつは庭の芝生の上で、そんな顔をしていた。
まるで、世界の地図を、頭の中に広げているような顔を。
何かが、起きようとしている。
……僕には、分かる。三年間、あの顔を観察してきたのだから。
追記:兄上がパティに贈ったガラスペン、あれは良いものだ。
……僕にも、買ってもらおう。
観察日誌の筆記具として、申し分ない。……決して、流行に乗っているわけではない”
次回 第三章「王立学院に猫は潜む」です。
よろしくお願いします。




