第三十一話「不器用な友人」
マーガレットとの再会の機会は、二週間後にやってきた。
ヴェルナー侯爵家の、二度目の茶会である。
前回の「幸運の噂」が功を奏したのか、今回の招集は早かった。噂の主を、皆がもう一度見たがる。見本市の二回目は、一回目より来場者が多い。
そして今回、出席者の名簿に、あの名前があった。
『ヴィアルバーグ侯爵家御令嬢マーガレット・アン・ヴィアルバーグ様。御出席』
当日、茶会の席で、二人は隣同士ではなかった。
むしろ、対角線上だった。 ホールの東と西。一番遠い席。
……いや、あれは偶然ではない。ヴェルナー夫人の配慮だろう。「歩く校則」と「爆撃令嬢」を隣に置くと、化学反応が起きる。主催者の勘である。
「……」
マーガレットは、時折、こちらを見ていた。
じろじろ、ではない。ちら、ちら、と。生真面目な子の観察は、盗み見るにも角度が規則正しい。
目が合うたびに、パティは手を振った。
マーガレットは、そのたびに、小さく会釈を返した。
それだけ。
だが、前回とは違う。
前回なら、マーガレットは見なかったことにしただろう。
今日は、ちゃんと返している。
(……まあ、進歩だな)
しばらくして、手を振るだけなのに飽きたのか、パティが小さな声を上げた。
「あ、マーガレット」
「……ご機嫌よう、パトリシア様」
「きょうは、参加できたのね」
「……はい。先日は失礼いたしました」
「ううん。風邪だったんでしょ?」
「ええ」
「じゃあ、よかった」
「……はい」
会話は、それだけだった。
パティは満足して、目の前の菓子に戻った。
マーガレットは、少しだけ、口をへの字にした。
(……温度差。温度差が激しいな)
あの子の脳内では、商店の一件はまだ清算されていない。
一方のパティは、「また買い物いこ」で、もう終わっている。
あの子にとって、和解とは未来の話ではなく、済んだ話なのだ。
そのくせ、相手が自分をどう思っているかは、ちゃんと見ている。
難しい子である。
「パトリシア様」
しばらくして、マーガレットが小さく声をかけてきた。
「……その、こちらのお菓子は、お好きですの?」
「うん。甘いから」
「……そうですか」
「マーゴは?」
「……マーゴ?」
「あ」
パティが首を傾げた。
「マーガレット、長いから。……だめ?」
「…………」
マーガレットは、数秒、考えた。
「……構いませんわ」
「じゃあ、マーゴ」
「はい。……パティ」
そこで、二人とも止まった。
パティが、にっと笑った。
マーガレットは、少しだけ耳を赤くした。
(……一歩進んだ)
茶会というものは、案外、こういう小さな一歩の積み重ねなのかもしれない。
機会は、茶会の後半、庭への移動時間に訪れた。
ヴェルナー家の庭は広い。バラのアーチの向こうに、小さな噴水と東屋がある。
令嬢たちは三々五々、庭へ繰り出した。
その時、微かな悲鳴が上がった。
「……あっ」
声の主は、マーガレットだった。
東屋の脇で、固まっている。その顔が、みるみる青くなった。
「……マーガレット様?」
近くの令嬢が、駆け寄った。
「ブローチが……ない」
マーガレットの手が、胸元を撫でている。
そこには、何もなかった。
「あの、銀の……小さな、花の……」
その声の震え方に、俺は、すぐに事情を読んだ。
ただの装飾品ではない。ああいう失くし方をする時の、あの声の出し方は、値段の問題ではない。値段では買えない何かが、ついていたやつだ。
「い、いつ無くしたの……?」
「……茶会の途中で、一度、庭に出たから……その時に……」
「お手伝いしましょう。皆で探せば」
令嬢たちが、ざわざわと動き始めた。
だが、庭は広い。草は深い。小さな銀のブローチを見つけるのは、至難だ。
『グリッグ』
『――はいよ』
東屋の柱の陰から、返事が来た。
もちろん、今日も万全の準備はしてある。庭の草陰に、若いのが三匹。
空には、ルルの一族が二羽。
『探し物だ。銀の、花のブローチ。東屋から、噴水までの間の、どこかに落ちている』
『りょーかい。……ん、待てよ』
グリッグの声が、続いた。
『……猫さん。それ、さっき見つけてた』
『……え』
『うちの若いのが、草ん中で光ってるって拾ってた。東屋の裏の石の上に置いてある』
『…………』
仕事が早い。
いや、早すぎる。こちらが動く前に、網が勝手に拾っていた。
(……まあ、いい。むしろ、好都合だ)
『グリッグ。そのまま動かすな。……場所だけ教えてくれ』
「……マーゴ」
パティの声が、庭に響いた。
みんなが、振り返った。マーガレットも、振り返った。
「……ま、マーゴ、と……」
「短いの。呼びにくいから。……それより」
パティは、すでに歩いていた。
スカートの裾を、両手で摘んで、草むらの中に、入っていく。
「探すの」
「……え」
「ブローチ。……どこで無くしたの?」
「あ、あの、パトリシア様。お怪我をなさいます。お服も……」
「いいの」
パティは、草むらにしゃがみ込んだ。 白いレースの裾が、土に触れる。メイドが「あっ」と声を上げたが、止まらない。
「いいから、いいから。……どっちから来たの」
「……噴水の、ほうから」
「じゃあ、噴水から、こっちだね」
パティは、四つん這いになった。
公爵令嬢が、貴族の令嬢たちの見ている前で、四つん這いになった。
「パ、パトリシア様!?」
「あんまり声出すと、逃げちゃうよ」
「……逃げる、のですか、ブローチが」
「逃げないけど、見えなくなるよ。……焦って探すと、草に隠れちゃうの。……こういうのはね、ゆっくり、下から見るの」
(……それ、俺の探し方だ)
草むらの近くで、俺は静かに喉を鳴らした。
いつの間にか、うちの探し物の作法が、この子に移っている。
マーガレットは、固まっていた。 だが、数秒後。その子は、ゆっくりと、自分のスカートの裾を摘んで、同じように、しゃがみ込んだ。
「…………分かりました。……ゆっくり、下から、ですわね」
「うん」
二人の令嬢が、草むらに並んだ。
周囲の令嬢たちは、どうしていいか分からず、遠巻きに見ている。
探索は、十五分ほど続いた。
その間、二人は、ほとんど喋らなかった。
ただ、草を分け、土を撫で、時折、
「あった?」
「……いいえ」
とだけ言い合った。
生真面目な子は、探し物も生真面目だ。
マーガレットは、東屋から噴水までの動線を、頭の中で区画に分けて、一区画ずつ、潰していった。
……いい探し方だ。系統立っていて、漏れがない。
一方のパティは、区画も何もなく、適当に草をかき分けている。
俺はパティの側で、ブローチのある石から離れすぎないよう、それとなく誘導していた。
適当なところで、俺がブローチを取って来るか。
そう考えていた。
だが。
「あれ?」
パティが顔を上げた。
「この草、変」
そう言って、何かを辿るように進み始めた。
(……ああ、なるほど)
俺は、気づいた。あの子は草の揺れ方を見ている。
落ちた金属が草に触れた痕跡、そして、それを咥えて持ち去ったネズミの動線。
言語化はできないが、あの感覚は、俺との追いかけっこや、隠れんぼで鍛えられたものだろう。
系統と、野生。
二人の探し方は、正反対だった。
先に見つけたのは、パティだった。
東屋の裏。石の上。
銀の、小さな花のブローチが、草の影に、静かに光っていた。
「あった」
「…………っ」
マーガレットが、駆け寄りブローチを、両手で、受け取った。
その手が、少しだけ、震えていた。
「……よかった。……本当に、よかった」
その声の、ほっとした深さに、パティが首を傾げた。
「……だいじなもの?」
マーガレットは、小さく頷いた。
「……おばあさまの、形見、ですの」
その声に、パティの顔が少しだけ変わった。
「……そう」
パティは、ブローチを見た。
それから、マーガレットの顔を見て、一言だけ言った。
「……よかったね」
その「よかったね」に、計算は何もなかった。
マーガレットの目が、初めて、まっすぐに、パティを見た。
「……パトリシア様」
「パティでいいよ。……マーゴ」
「…………マーゴ、は」
「短くて、いいじゃん」
「…………」
マーガレットは、少しだけ息を吸った。
それから、小さく、小さく、言った。
「……パティ」
「うん」
「……ありがとう、ございました」
「うん。どういたしまして」
パティは、にっと笑った。
土にまみれた手で、顔を撫でたので、頬に泥がついていた。
侍女の悲鳴が微かに聞こえた気がした。
東屋の陰で、俺は静かに目を細めた。
ブローチは、グリッグたちが見つけていた。俺がそれをパティに渡せばそれで解決する。
二人で草を分けた十五分は、俺には作れない。
あの十五分だけは、二人のものだ。だから、俺は手を出さなかった。
――ブローチを見つけることより、大事なものが、そこにはあった。
帰りの馬車の中。
「テト」
「にゃ」
「マーゴって、いい子だね」
「にゃあ」
「パティね、今日、気づいたの」
「にゃ?」
「マーゴ、パティのこと、よく見てる」
「…………」
「パティが『いい』って言うもの、マーゴは、ちゃんと、いいって、思ってくれそう。……パティが『いい』って言うのが、いいものかどうか、ちゃんと、見てくれる」
(……よく、気づいたな)
生真面目とは、つまり、そういうことだ。
相手の言葉を、鵜呑みにしない。自分の目で、確かめる。
それは、誤訳の連鎖に対する、最も強い防衛だった。
「……パティ、マーゴと、もっと仲良くなりたい」
「にゃ」
「お手紙、書こ」
「にゃあ」
「……文通って、やつ」
パティは、馬車の窓の外を見た。
夕日が、王都の屋根を染めている。
「……あの子、きっと、手紙、丁寧に書くよ」
(……書くだろうな。たぶん、三回は書き直す)
「パティも、丁寧に書く。……三回は、書き直す」
「にゃ」
(……読めてるじゃないか)
馬車は、静かに家路についた。
――その夜、西棟の塔。
『テト観察日誌』
“二度目の茶会。
ヴィアルバーグの次女が、ブローチを無くした。
……パティが、四つん這いになって、一緒に探したらしい。
公爵令嬢が、貴族の令嬢たちの前で、四つん這いになった。付き添っていた侍女が、申し訳なさそうにセバスに報告していた。
そして、その姿を見た令嬢たちの噂も持ち帰った。
『パトリシア様は、気取らないお方だ』 『あのお方は、本当に優しい』
……優しい、か。
パティが優しいのは、知っている。
……それがなぜ、今日は伝わった。
報告によれば、ブローチが見つかったのは、東屋の裏の、石の上。
……石の上。
石の上に、銀のブローチがポツンと置いてあったという。
落としたなら、草の中だ。なぜ、石の上。
……きっとまたあいつだ。
あいつが拾っていた。拾って、置いて、二人に見つけさせた。
……証拠は、ない。
だが、僕は、知っている。あの猫は、いつも『見つける』のではなく『見つけさせる』。
追記:パティに、初めて本当の意味での友だちが出来たのかも知れない。
だったら。……僕の出番は、ない。
……ないほうが、いいのだろう”




