↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過労死社畜、悪役令嬢の飼い猫に転生する ~美人な飼い主にモフられながら、破滅フラグはチートでこっそりへし折ります~  作者: 真野真名
第二章 猫の手は借りられないので猫が動く

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/63

第三十話「品定めと品定め」




 パティが七歳の初夏、公爵家の朝食の席で、小さな爆弾が投下された。


「パティ、お買い物に行きたい」


 ロムルスのコーヒーが、止まった。


「……買い物は、商人に屋敷へ運ばせればいいだろう。選りすぐりを、持ってこさせる」


「ちがうの」


 パティは、フォークを置いて言った。


「選んでもらったのが、ぽーんと届くのは、買い物じゃないの。……パティは、いっぱいあるところから、自分で、これって、選びたいの」


「…………」


「棚の前でね、あーでもない、こーでもないって、やりたいの」


(……言葉は怪しいが、要求の中身は正しい)


 テーブルの端で、俺は耳を立てた。   


 領地視察の効果だ。

 あの旅で、この子は「自分で見る」ということを覚えた。


 届けられたものを受け取るだけではなく、自分で見て、自分で選ぶ。

 七歳児なりに、そこへ何かを感じたらしい。


「……うむ」


 ロムルスが頷いた。


「行くがいい。護衛をつける。……ケンドに連絡して、腕の立つ者を二人回させよう」


「やった!」


(……許可が早い。この家の甘さは、もはや構造だ)




 当日。


 編成は、以下の通り。


 パティ(七歳・武装は好奇心)。

 侍女一名(荷物持ち兼、俺の輸送担当)。

 護衛の騎士二名(ケンド直々の選任。街道ではなく店先での立ち回りに長けた、穏やかな顔の二枚看板)。


 そして、俺。


 俺の収容先は、侍女の持つ、猫専用のキャリーバッグだった。

 藤編みの、蓋つきの、内張りの柔らかいやつ。隙間から外が見える。定位置は、侍女の左側。歩くたびに、視界がゆっくり揺れる。


(……乗り心地は良好。が)


 不満がないわけではない。

 本来、俺の定位置はパティの腕の中か膝の上だ。だが今日のパティは、商品を両手で見る気満々で、猫を抱えている場合ではないと自分から判断した。


「テト、ごめんね。今日は、バッグで我慢して」


「にゃ」


「その代わり、いいものあったら、いっしょに見よ」


 断られ方に、一片の驕りもなかったので、許すことにした。




 場所は、王都の上町、貴族街の外れ。


「ガレリア・エストレージャ」。

 高級呉服と装身具の老舗である。  

 平民は入れないが、貴族なら誰でも入れる。


 店内は、静かで、涼しく、香りが良かった。

 絹の山。レースの滝。棚の向こうに、宝石の明かり。


「すごい……」


 パティの目が、輝いた。

 選りすぐりが届く日常しか知らなかった子供にとって、「選ばれていない商品が、山になっている光景」は、それだけで事件だった。


「ねえ、あれ見て。こっちも。あっちも」


(……財布の紐が心配になる輝き方だな)


 キャリーバッグの中で、俺は巡回の目を起動した。

 店内の構造。通路。人の流れ。店員の位置。そして――


(……ん?)


 奥の棚の前に、一人の少女がいた。


 七つか八つ。栗色の髪を、完璧な三つ編みにしている。背筋が伸びきっていて、靴の踵が揃っている。

 手にした帯留めを、値札と、品質と、目の色を交互に見比べながら、真剣な顔で検討していた。

 その横顔の、真剣さが、尋常ではなかった。

 帯留め一つに、国家予算を審議する顔をしている。


(……ああいう子って、いるよなぁ)


 前世の百貨店にもいた。三十分かけて靴下一足を選ぶ人。ああいう人は、買い物を「正解の探索」だと思っている。間違いを引かないために、全力を尽くす。


 その時、少女は帯留めを棚に戻した。

 正解が見つからなかったらしい。……三十分悩んで、買わない。あれもまた、ああいう人の流儀である。


 そして、少女は振り返った。


 パティと、目が合った。


「…………」


「…………」


 先に動いたのは、少女のほうだった。

 歩み寄って、スカートの裾を摘んで、完璧なお辞儀をした。型が綺麗すぎる。教科書の挿絵みたいなお辞儀だった。


「はじめまして。ヴィアルバーグ侯爵家の次女、マーガレット・アンと申します。……貴方は、フィロパトール公爵家のパトリシア様、でいらっしゃいますね」


「……どうして分かるの?」


「先日のお茶会、私は風邪で欠席いたしました。ですが、皆様のお話では……」


 マーガレットの目が、パティの頭の上で止まった。

 あの、幸運の都市伝説の発信源たる、本人の噂は、耳に入っているらしい。

 それから、ゆっくりと、付け加えた。


「お綺麗だ、と。……拝見したところ、本当のようですわね」


「ふーん」


 パティは、あっさりと答えた。


「まあ、そうね」


(……おい)


「…………」


 マーガレットのお辞儀の角度が、ほんの二度ほど、歪んだ。


「……と、仰いますのね」


「うん。パティ、嘘つかないもん」


(……本当のことだ。本当のことなのが、始末に負えない)


 キャリーバッグの中で、俺は眉を寄せた。

 パティの「まあ、そうね」に悪意はない。お世辞をお世辞として薄める習慣が、この子にはない。言われた言葉を、字面通りに受け取る。それが誠実だと、本気で思っている。


 だが、向こうから見える景色は違う。

 公爵令嬢が、侯爵令嬢の最大限の挨拶に、「まあ、そうね」。


 意図のない踏みつけというものは、意外と痛い。


「……そう」


 マーガレットの声が、わずかに硬くなった。

 だが、この子はそれでも引かなかった。公爵令嬢は立てるべきと、生真面目な脳が判断したらしい。


「あの、パトリシア様は、何をお探しで?」


「うーんとね」


 パティは、店内を指差した。


「ぜんぶ」


「……全部?」


「うん。だって、パティ、自分で選ぶの、はじめてだもん。……これと、これの、どっちがいいかって、悩むやつ、やってみたいもの」


「……悩む、のを、やりたい、と」


「うん」


 マーガレットの顔が、複雑に歪んだ。

 怒っている。呆れている。そして、少しだけ困っている。


(……まあ、そうなるよな。そのまま受け止めると、公爵令嬢の道楽に聞こえる)


 善意と純粋さが、語彙の貧困を経由して、傲慢に翻訳される。この家の持病が、ついに市中に持ち出された。


「……そうですの」


 マーガレットは、姿勢を正し直した。

 イラッとしているのが、七歳児の隠しきれない肩の張りで分かる。だが、飲み込んだ。飲み込んで、なお、付き合うことを選んだ。


「では、私がご案内しましょうか。この店は、私、よく存じております」


「え、いいの?」


「ええ。……お手伝い、いたしますわ」


(……いい子だ)


 ただし。


(……かなり怒ってるな)




 案内は、二十分ほど続いた。


 リボン、手袋、香水。


 マーガレットの説明は正確だった。

 値段と品質の違い。職人の名前。流行。用途。

 買い物というより、講義である。


 この子、買い物の「正解の探索」に全振りした結果、幼くして目利きになっている。


 だが、悲劇は、レースの棚で起きた。


「これは、東の職人の手仕事ですわ。密度が違います」


「……ふーん」


 パティは、レースを指で撫でた。  それから、隣の棚の、値段の半分のレースを撫でた。


「こっちのほうが、パティ、すき」


「…………え?」


「こっち、なんか、あったかい。……こっちは、きれいだけど、つめたい」


「……あの、パトリシア様。そちらは、量産の品で……品質は、明らかにこちらが……」


「でも、つめたいもん」


 パティは、きっぱりと言った。


「パティ、つめたいのは、いらない。……あったかいのが、いいの」


「……………………」


 マーガレットの口が、開いたまま、止まった。


(……ああ。噛み合わない。致命的に、噛み合わない)


「あったかい」の意味は分からない。


 品質ではない。値段でもない。だが、適当に言っているわけではないことだけは分かる。


 この子は時々、俺たちには見えないところを見ている。


「……そう、ですのね」


 マーガレットは、そっと息を吐いた。

 その吐息には、二年間、家庭教師の前で俺が聞いてきたのと同じ成分が含まれていた。「分かっていない子だ」のラベルを貼るため息だ。

 だが、この子は、そこで終わらなかった。


「……分かりました」


 マーガレットは、自分の頬を、両手でぺしっと挟んだ。気合を入れ直す音だった。


「では、こういたしましょう。……その『あったかい』レースと、こちらの『つめたい』レースを、今から私が、三十秒で説明します。聞いていただいた上で、それでも『あったかい』をお選びになるなら、それは、貴方の正解ですわ」


「……え?」


「知らないまま決めるのは、選んだんじゃなくて、指を差しただけですわ」


 マーガレットは、まっすぐにパティを見た。


「……でも、パトリシア様。せっかく自分で選びたいのでしょう?」


「うん」


「なら、比べてください。私も手伝いますから」


「…………」


 店内が、静かになった。


 パティは、少しだけ目を見開いていた。


 ――正面から、真正面から、まっすぐに、子供の言葉で、叱られたのだ。

「貴族とは」でもなく、「お家のために」でもなく。

 ただ、「選ぶ」という行為への、敬意で。


「……わかりましたわ」


 パティは、頷いた。


「聞きましょう」


 態度をお友達枠から、令嬢モードに切り替え、三十秒の説明を、真剣な顔で聞いた。

 聞き終わって、二つのレースを、もう一度、撫で比べて、それから、言った。


「……やはり、こちら」


 あったかいほうを、選んだ。


「……そう。……それなら、それが、貴方の正解ですわ」


 マーガレットは、少しだけ、くすりと笑った。

 イラッとしたまま、飲み込んだまま、それでも、笑った。


(……この子は、強いな)


 キャリーバッグの中で、俺は静かに頷いた。


(……怒っている。ものすごく怒っている。だが、相手の選択には口を出さない)

 ……なるほど。こいつ、面倒くさいタイプのいい子だ。


 ……将来、この子は、パティの友人か、あるいは、最良の反対者になる。どちらに転んでも、この家にとっては財産だ。


 会計を済ませて、店を出る時。


「……あの」


 マーガレットが、声をかけてきた。


 視線の先は、侍女の腕の、キャリーバッグである。


「そちらは……その、今日のお茶会の噂の……」


「あ、テト?」


 パティが、蓋を開けた。


 俺は、仕方なく、顔を出した。光が眩しい。


「パティの、ネコチャン。……いえ」


 パティは、誇らしげに言い直した。


「わたくしの、テトですわ」


「…………」


 マーガレットは、俺を見た。

 俺は、マーガレットを見た。


 真剣な目だった。値札と品質を見比べる時と同じ、審議の目。


「……まあ」


 小さな、声。


「……なんて、綺麗な、目」


(……おや)


「……あの、失礼ですけれど。……撫でても、よろしいかしら」


「いいよー」


「では」


 おずおずと、指が伸びた。

 頭の上に、触れる。一撫で。


「…………ぁ」


 その声が、驚くほど、緩んだ。

 生真面目の装甲が、猫の毛並みに、一発で抜かれる音だった。


「…………す、すごい。なんですの、この……この、やわらかさは」


「でしょー!」


 パティが、胸を張った。


 マーガレットは、もう一撫で、それから、我に返って手を引っ込めた。耳が、少し赤かった。


「……失礼、いたしました。……本日は、ありがとうございました、パトリシア様」


「うん。また、買い物、いっしょにしよ」


「……ええ。また」


 マーガレットは、完璧なお辞儀で去っていった。

 背中は、相変わらず、真っ直ぐだった。


 だが、歩き去るその背中が、二度、振り返った。


 一度目は、パティを。

 二度目は、俺を。



(……さあて)


 ヴィアルバーグ侯爵家・次女。

 所感:生真面目。几帳面。目利き。怒りを飲み込める。猫に弱い。

 ……最後の項目が、この家にとって、一番の好材料かもしれない。


 第一印象は、最悪に近い。

 パティの「まあ、そうね」は、あの子には「傲慢」に映ったはずだ。


 だが。


 あの子は、怒りながら、それでも、パティに対して、真摯に向き合っていた。


(……いい出会いだ。……悪い出会い方をした、いい出会いだ)


「テト。今日、楽しかったね」


「にゃ」


「あの子、なんか、パティと違うね。……かたいの」


「にゃあ」


(硬いのではない。まっすぐなのだ。……お前と同じくらい、まっすぐな)


「また、会いたいな」


「にゃ」


 馬車の窓の外を、王都の石畳が流れていく。

 午後の日差しの中で、貴族街の屋根が、静かに光っていた。




――その夜、西棟の塔。


『テト観察日誌』


“今日、パティは街に出た。護衛つきで、買い物に。


 ヴィアルバーグ侯爵家の次女と、接触したらしい。

 侯爵家の次女といえば、あの、『歩く校則』と陰で呼ばれる子だ。噂では、お茶会での立ち居振る舞いが完璧すぎて、逆に年長者を怯ませるらしい。

 ……その子が、パティと接触した。

心配だ。心配なのだが。

 報告によれば、二十分後には、一緒にレースを選んでいたという。

 ……なぜだ。なぜ、そうなる。  この家の人間と獣は、接触した相手を、二十分で何かに変えてしまうのか。


追記:ヴィアルバーグの次女が、テトを撫でたらしい。……撫でた、か。

……いいな”




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。