第二十四話「平和な緑の国」
今日の授業は、魔術だった。
……のだが。
「本日は、魔術の基礎について――」
「せんせ」
「はい?」
「地図、見たい」
「…………」
トライ先生が、静かに瞬きをした。
窓際のクッションに座っていた俺も、耳を立てた。
これは珍しい。
パティが自分から勉強したいと言うこと自体は、最近では珍しくなくなった。だが、魔術より地図を選ぶとは。
「地図、ですか?」
「うん。きのうの。あの、南のところ」
「ああ……」
トライ先生は少し考え、それから頷いた。
「では、魔術のお話の前に、少しだけ復習しましょうか」
「うん!」
教本が閉じられ、代わりに大きな地図が机の上へ広げられた。
……なるほど。教師というものは、生徒が興味を持ったものを教材に変える技術を持っているらしい。
前世の会社にも、こういう上司がいればよかった。
「ここが、アルカランズ王国です」
トライ先生が中央を指した。
「北にバルデアラン帝国。北西にフォンチューナ共和国。東にプリメイラ聖王国。そして南に――」
「ここ」
パティが指を置いた。
王国の南側に、いくつもの小さな国が、ひとかたまりになって描かれている。
「これ、なんで、こんなにいっぱいあるの?」
「ザザム南方連合王国です」
「ひとつなの?」
「……一応は」
トライ先生が、少しだけ苦笑した。
「六つの国が、それぞれの王家と領土を持ったまま、共同体を作っています。ですから、正式には一つの国家というより、六つの国による連合体ですね」
「じゃあ、れんごーたい? 六こ?」
「六つです」
「でも、地図だとひとつに見える」
「それは、軍事と外交の面では、一つとして扱われることが多いからです」
「ふーん」
パティは地図を覗き込んだ。
「じゃあ、ここもつおいの?」
「まとまっている時は、大変強いです」
「まとまってる時は?」
「……六つの国ですから」
トライ先生は、少しだけ言葉を選んだ。
「それぞれに、それぞれの事情があります。帝国への警戒では一致していますが、貿易や領土については意見が違うこともあります」
(……なるほど)
俺は地図を見直した。
六つの国。
つまり、六人の社長がいる合同プロジェクトみたいなものだ。
会議では全員が「我々は一丸となって」と言う。
だが、予算の話になった瞬間、全員が「そこは御社で」と言い始める。
……前世の記憶が、妙に鮮明だ。
「それで、南方れんごーは、どうしてうちと仲がいいの?」
パティが訊いた。
「仲がいい、と申しますか……」
トライ先生は、地図上で王国と連合を交互に指した。
「南方連合にとって、アルカランズ王国は重要な交易相手です。こちらからは穀物や木材などを輸出し、向こうからは塩や海産物などが入ってきます」
「おさかな、おいしいもんね」
「ええ。南方の魚介類は王都でも人気です」
なるほど。
俺は地図を見た。王国の南には、海がある。
……いや、正確には。
「先生」
「はい?」
「海は?」
トライ先生が、地図の端を指した。
「ございます。王国にも港はあります」
「……あるのか」
「でも、遠くの海には出かけて行きません」
「なんで?」
「海には大型の魔物が生息しているためです」
「魔物?」
「ええ。船を沈めるほどのものもおります」
パティの顔が、少し引きつった。
「じゃあ、お魚は?」
「沿岸や河川で獲れます。それに、南方連合には比較的安全な海域がありますので、そちらから入ってくる魚や塩も多いのです」
トライ先生は、港の位置を指した。
「アルカランズ王国の港は、南方連合の商人たちに一定期間、使用を認める形になっています。港そのものを譲っているわけではありませんが、商船の出入りや倉庫の使用について、特別な取り決めがあるのです」
「ほー、トクベツはむつかしい問題だ!」
(それ、絶対わかってないだろ)
王国の一部は海に面している。しかし海そのものは危険。
だから南方連合の交易網に依存する。
一方、南方連合からすれば、王国を経由すれば北方との交易ができる。
そして――
俺は、地図をもう一度見た。
北には帝国。
南には南方連合。
その間に、アルカランズ王国。
(……なるほどな)
帝国と南方連合は、直接ぶつかっているわけではない。
その間に、緑の国がある。
王国は帝国にとっての壁であり、南方連合にとっては盾。
しかも王国自身が直接、穀物や木材を供給できる。
つまり――
(この国、周りからかなり大事にされてないか?)
軍事大国から見れば、南側の緩衝地帯。
南方連合から見れば、手近なお得意様。海産物と塩を売る相手でもあり、農産物を売ってくれる相手でもある。
さらに王国の東には、プリモ教の総本山を抱える聖王国。
敵に回したくない国が、妙に多い。
(……そりゃ、チヤホヤもされるか)
いや。
チヤホヤされているというより――
全員が、自分に都合のいい理由で、この国を大事にしている。
その違いは、かなり大きい。
(……まあ、本人たちは気づいてなさそうだが。逆に、うちが大陸を仕切っている、とか勘違いしてそう)
俺は、王国の中央にある緑色の土地を眺めた。
豊かな土地がある。食べ物がある。
水がある。木材もある。
そして、今のところ戦争もない。
(……平和だな)
平和である。実に平和だ。
――だからこそ、嫌な予感がする。
前世の歴史の教科書でも、こういう国はだいたい――
(……やめよう)
考えるのはやめだ、今日は魔術の授業だ。
「さて」
トライ先生が地図を畳んだ。
「そろそろ、本題に戻りましょう」
「魔術?」
「はい」
魔術の教本が開かれた。
火、水、風、土。
そして光と――闇。
その文字が出た瞬間、パティの表情が、ほんの少しだけ固くなった。
あの日、神殿で向けられた視線。
「闇」と記された、あの一文字。
六歳児には、それが何を意味するのか、まだ全部は分からない。
だが、「自分だけが違う」という感覚だけは、もう知っている。
「本日は、実際に魔力を動かしてみましょう」
「……パティも?」
「もちろんです」
トライ先生が、小さな魔石を机の上に置いた。
「魔力は、特別なものではありません。体の中にある力を、外へ出す。それだけです」
「でも……」
パティが魔石を見た。
「パティのは、やみでしょ」
「はい」
「……こわくない?」
「何がですか?」
「やみ」
トライ先生は、少しだけ考えた。
それから、教本を閉じた。
「では、パトリシア様。先ほどの歴史のお話を、覚えていますか?」
「……うん」
「闇は、悪ではありません」
「……でも」
「教典にも、そう記されています」
トライ先生は、魔石を指した。
「闇属性とは、光がないことではありません。光が届かない場所にも存在する力です」
「……?」
「夜があるから、眠れます。影があるから、休めます。見えないものがあるから、見えないものを探そうと思えます」
トライ先生は、少しだけ笑った。
「魔術も同じです。属性は、善悪ではありません。使う人が、何をするか。それだけです」
パティは黙っていた。
俺は、クッションの上で、じっと見ていた。
(……いいぞ)
それなら、この子にも分かる。闇だから悪い。光だから良い。そんな単純な話ではない。
「では、少しだけ」
トライ先生が魔石をパティの前へ置いた。
「触れてみてください」
「……うん」
小さな手が、魔石に触れる。
最初は何も起こらなかった。
パティが眉を寄せる。
「……できない」
「大丈夫です。焦らずに」
「……こう?」
パティが目を閉じた。
俺は耳を伏せた。体の奥で、何かが動く。
ほんの小さな黒い影が、パティの指先から滲み出た。
魔石の表面を、黒い霧のようなものが這う。
「…………」
パティが目を開いた。
「できた……」
「はい」
トライ先生は頷いた。
「立派な魔力です」
「……こわくない?」
「怖くありません」
「……ほんと?」
「はい」
トライ先生は、迷いなく答えた。
「少なくとも、今の魔術には、誰かを傷つける力などありません」
パティが、魔石を見た。黒い霧は、しばらくして消えていった。
「さて、最後に。大切なお話をひとつ」
トライ先生が、教本を閉じた。
閉じた、ということは、これから話すことは、教本に書いていない話だという合図だった。
「パトリシア様。先日お話した、プリモ教の一部にある、光と闇の考え方についてです」
「……うん」
「わたくしは、あなたに歴史を教える者として、これだけは伝えておかなければなりません。……プリモ教では、闇は『夜を司る尊き属性』と教典にはっきりと記されています」
「ほんと?」
「本当です。教典の文面としては、闇は悪ではありません。……ですが」
トライ先生は、静かに続けた。
「五百年の歴史の中で、人々は、教典よりも、物語を愛してきました」
「……ものがたり?」
「ええ。光の勇者が、闇の魔王を倒す物語。夜が明ける物語。……そういう物語が何百年も語り継がれるうちに、人々の心の中では、いつしか、闇は『倒されるもの』になっていった。教典がそう書いているからではなく、物語がそう語ってきたからです。教会の中でもそう思っている者もおります」
(…………)
俺は、耳を立てた。
――正確すぎる分析だった。
悪役令嬢というものが、どうやって作られるか。
教典じゃない。法律じゃない。物語だ。
みんなが愛した物語の型に、現実の誰かを、後からはめ込んでいく。はめ込まれた瞬間、その人はもう「人」ではなく「役」になる。役は、観客の求める結末へ、自動的に歩かされる。
俺が昼休みに読んでいた、あの小説と同じ構造だ。 そして俺は、あの小説を読みながら、「いい加減にしろよ、お前ら」と思っていた。
――お前ら、とは、読者のことでもあったのかもしれない。
「ですから、パトリシア様」
トライ先生は、パティの目を見て言った。
「誰かがあなたの闇を怖れたとしたら、それは、あなたのせいではありません。その人の頭の中の、古い物語のせいです。……そして、物語は、書き換えることができます」
「……かきかえる?」
「ええ。新しい物語は、新しく生きる人が、書くものですから」
パティは、しばらく考えていた。
それから、窓際の俺を見て、言った。
「テト。……きょうの、おやつ、ふやしてもらう」
「にゃ」
(なぜ、いきなりおやつが。……まあ、増やすけどな)
教室に、小さな笑いが落ちた。
トライ先生も、声を立てずに笑っていた。
(……いい先生だ)
あんな話は、教本にない。
教本にない話を、六歳の生徒に、正面から話せる教師は、どの世界でも貴重かもしれない。
――その夜、屋敷の外れ。
誰も使わない洗濯場の裏で、ベルタは、誰かに向けて口を開いた。
「……ご報告があります」
静かな夜、闇の中、一匹のネズミがじっとそれを見ていた。
すみません。
楽しくて、ヒャッハーって感じで書いているので、
こっそり過去回を修正していたりします。
読んでいて「あれぇ?」って思った時は、
「こいつ、やりやがったな!」
とでも思って許してください。
|ョ・ω・`)スマセン




