第十七話「婚約者の登場」
フィロパトール公爵家に、正式な知らせが届いた。
「第三王子殿下、御視察の儀」
知らせを受け取った当主ロムルスは、眉を寄せた。
「視察……七歳児が、何を視察するのだ」
「婚約者としての、ご挨拶かと」
セバスが答えた。
「パトリシア様と殿下の婚約は、お生まれになった年に成立しております。殿下も五歳でイニシエーションを終えられ、二年。そろそろお顔合わせを、という王宮のご意向でしょう」
(……婚約者?)
一瞬、意味が分からなかった。
パティに? 婚約者? しかも――生まれた年から?
(待て待て。俺は今まで、そんな話を一度も聞いてないぞ)
そんな俺の憤慨など気に留めもせず、当主とセバスの会話は続いた。
「……来るのか」
「参られます」
「……ふむ」
ロムルスは、深く考え込むでもなく、「ふむ」とだけ言った。この人の「ふむ」には、深いものと浅いものがあり、今回は浅い方だった。つまり「来るなら仕方ない」の意である。
というわけで、三週間後。
公爵家は、七歳の王子を迎えることになった。
ちなみに俺は、この時点で既に情報を掴んでいた。
『――猫さん、王宮の親戚から伝言だ』
グリッグが、大樹の下で報告した。
そう、王宮にも、ネズミはいるのである。ネズミとは、人間の集まる場所に必ずいる生き物だ。王宮も例外ではない。グリッグの親戚筋が、王宮の台所裏に代々根付いているらしい。
『第三王子、レオナルド殿下。七歳。上に兄二人、姉二人。下に弟一人、妹一人』
『……多いな』
『王族だからな。で、その殿下なんだが――』
グリッグは、髭をひくひくさせた。言いにくいことがある時の、あの仕草だ。
『評判が、なんつーか。……「七兄弟の真ん中」ってやつだ』
『真ん中、か』
『上からも下からも注目が薄い位置。それで余計に、「見てくれ」が強いらしい。……王宮のネズミが言うには、「あの殿下は、自分の話をしている時だけ、目が生き生きする」そうだ』
(……あー)
俺は、大まかな見通しを立てた。
つまり、ナルシスト気質。自己顕示欲。そして、実力が伴っていない系。
悪役令嬢ものの定石で言えば、「婚約破棄を言い渡す王子」の典型例である。
(……来るか。ついに来るか、俺の運命の――敵)
安息の場を守る神獣としての本能が、告げていた。
この男が、パティの破滅フラグの、筆頭候補である。
『グリッグ』
『ん?』
『王宮の親戚に、追加の依頼だ。殿下の言動、細かく聞いておいてほしい。……対価は、いつもの三倍出す』
『……猫さん、本気だね』
『婚約者だ。飼い主の将来に関わる。見極めは、正確にやる』
当日。
公爵家の玄関前には、使用人が整列した。
正門から続く白砂の道を、金の装飾の施された馬車が進んでくる。護衛の騎士、四人。従者、二人。七歳児の移動とは思えない物々しさだった。
「にゃ(……あれが)」
俺は、パティの腕の中にいた。
パティは今日、珍しくお淑やかにしている。理由は単純で、「今日はお客様だから、お行儀よく」と、ベルタに三十分かけて言い聞かされたからだ。あの女の指導は、こういう場面では実に有効である。これが厄介なところだ。間違ったことしか言わないなら排除も簡単だが、半分は正しい。半分が正しいから、残りの半分が紛れ込む。
馬車が、止まった。
扉が開き、降りてきたのは――
(……うっわ)
七歳児だった。
ただし、存在感が、七歳児ではなかった。金の刺繍の軍服風の衣装。きっちりと撫でつけられた栗色の髪。そして何より、その顔だ。
整ってはいる。確かに王子然とした美形だし……そう、整ってはいるんだが……。
――俺は、すごい、という顔。
七歳にして、あの顔が完成している。すごい。ある意味、才能だ。
「レオナルド・チャクオール・アルカス・リトラリバーである」
名乗りが、長い。
名乗りの長さは、権威の大きさに比例する。だが七歳児のそれは、比例というより、過剰だった。
「今回、僕が直々に、婚約者の様子を見に来てやった。光栄に思うがいい」
来た。
「僕が」「直々に」「光栄に」の三点セット。
パティは、俺を抱えたまま、言った。
「…………は?」
五歳児の正直さは、時に刀になる。
今の「は?」は、紛れもなく刀だった。
「……は??」
レオ――殿下が、聞き返した。
あの「は?」は、多分、殿下の人生で初めて受けた種類の反応だったのだろう。顔が、一瞬、空白になった。
「は、とは、どういう意味だ」
「え、だって。パティ……いえ、わたくし、あなたに会ったことございませんもの」
(パティ、お前も大概だな)
「それは……」
殿下が言葉に詰まった。そして、少しだけ顔を赤くする。
「そ、それはそうだ。だから、今日、会いに来たのだ!」
(……あ)
怒った。
――と思ったが、違った。
怒っているというより、困っている。どう返せばいいのか分からないらしい。
場が、凍った。
ロムルスが咳払いをした。セバスが一歩前に出た。
「殿下、パトリシア様はまだ五歳。婚約の意味を、まだ完全には理解しておりません。どうか、お含みおきを」
「……ふん」
殿下は、顎を上げた。
顎を上げる角度が、研究対象になるくらい鋭かった。おそらく、鏡の前で練習している。
「まあいい。僕は、寛大だからな」
耳が、少し赤い。どうやら、パティに会えたこと自体は、それなりには嬉しいのかもしれない。
「まあいい。で、それは何だ。その黒いのは」
殿下の目が、俺を捉えた。
「ネコチャン!」
パティが答えた。
「パティの、ネコチャン!」
(あ、俺を意識した途端、よそ行きの仮面が剥がれた)
「猫、か」
殿下は、俺をじろじろと見た。
見下ろす角度で。鼻で笑う感じで。
「王宮にも猫はいるが、僕の猫はもっと気品がある。白くて、目が青い。ああいうのが、本物だ」
(……なるほど)
俺は、殿下を観察した。
この男は、比べている。
すべてを、比べている。自分の猫と、他人の猫を。自分の馬車と、他人の馬車を。自分の名乗りの長さと、他人のそれを。
比べて、上に立つことでしか、自分の位置を確認できないタイプだ。
そして、そういう男が最も危険なのは――比べて、負けた時だ。
「ふーん。……パティのネコチャンの方が、かわいいもん」
パティが、あっけらかんと言い放った。
「な……っ」
殿下の顔が、サッと赤くなった。自分の自慢を、五歳児に一刀両断されたのだ。
「では、その猫を僕に渡せ。僕が抱いてやる」
「だめ」
「なぜだ!」
「ネコチャン、いやがるから」
「猫が嫌がるかどうかなど――」
言いかけた殿下を、俺は真っ直ぐに見据えた。
「…………」
「…………」
「…………にゃ」
「…………」
レオの手が止まった。
俺が出したのは、ほんのわずかな威圧。
「……こいつ、僕を嫌っているのか?」
(もちろん嫌っているさ)
「殿下、その猫はパトリシア様が大切にしているようです。無理に触れる必要はないかと」
誰にとっての助け船jか、侍女らしき付人が声をかけた。
「……ふん。今日はやめておこう。でも、いつか抱く。その――」
「あ、お花」
パティが、庭の花を見つけて、歩き出した。
殿下の話を、置いていった。
「…………」
殿下が、一人、取り残された。
その顔を、俺は振り返って見た。
呆然としていたが、遠ざかるパティの背中を見ると、ハッとしてすぐに向き直った。
「ま、待て! 僕も行こう!」
小走りで追ってくる。なんだかんだで、パティのことが気になって仕方ないらしい。
その日の夜会――といっても、子供の顔見せの夕食会だが――で、殿下は終始、自分の話をしていた。
王宮の庭はもっと広い。
王宮の料理はもっと美味い。
王宮の馬はもっと速い。
そして、僕は将来、――
パティは、半分も聞いていなかった。
半分どころではない。デザートのプリンが出たあたりから、意識は完全にプリンにあった。
「――だから、僕が次の王に」
「プリン、おいしい」
「……聞いているのか」
「聞いてますわよ。レオ様、えらいんでしょ」
「……う、うむ」
「えらい」という単語で、殿下は満足した。
安い。この男、安い。あと十年で、この男を満足させるコストがどれだけ高くなるか、想像に難くない。
「ネコチャンも食べる?」
「にゃ」
「だめだ。猫にプリンは――」
殿下が口を挟んだ。
「え?」
「……いや」
殿下は、言い直した。
「その猫に食べさせるなら、僕のところの料理人に、猫用のものを作らせる」
パティが目を丸くした。
「ほんと?」
「本当だ」
「じゃあ、今度、一緒に食べようね!」
「……!」
殿下の顔が、また明るくなった。
「……うむ!」
(……分かりやすいな。この男)
それなりに、パティのことが気に入ってるようだ――少なくとも、今は。
だが、夕食会の間、俺はもう一つ、気づいていた。
ベルタが、給仕の列の端に立っていたのだが――
あの女の目が、時折、殿下を見ていた。
侍女が王子を見るのは、おかしくはない。
だが、あの目は、違った。
観察ではない。査定だ。
(……あの女、殿下の株を計っているな)
計算している。
この王子が、将来、どれだけの力を持つか。
その力が、自分の「正義」に、どう使えるか。
帳面の頁が、また一枚、増えた気がした。
夕食会が終わり、パティが、俺を抱き上げた。
その横で、レオナルド殿下がこちらを見ていた。
「……なあ」
「はい?」
「その猫」
殿下が言った。
「やっぱり、少しだけ抱かせてくれないか」
「だめ」
「少しだけだぞ?」
「だめ」
「一分」
「だめ」
「三十秒」
「だめ」
「十秒」
「だめ」
交渉が細かくなってきた。
俺は、殿下を見た。
「……」
目を細める。
「…………」
殿下の肩が、ぴくっと動いた。
「……分かった」
手を引っ込めた。
「今日は、諦める」
「えらい!」
「…………」
少し殿下の顔が赤くなった。
「……次に来た時は、もう少し仲良くなっているからな」
「うん!」
パティは、何の気なしに答えた。
「次も来るの?」
「ああ!」
殿下が、即答した。その声だけは、今日一番、年相応だった。
(…………)
俺は、少しだけ考えた。
婚約者は敵。そう簡単に決めつけるには、まだ早い。
この男は、パティを気に入っているように見える。たぶん、本当に。
ただし――自分の方が上でありたい。そして、拒絶された時に、すぐには引けない。
今は、十秒で引いた。だが十年後も、同じとは限らない。
(……見極める)
俺がやることは、それだ。敵か味方かを、今決める必要はない。
パティの隣に立つ人間として、こいつがどう成長するのか。
(猫は、待つのが仕事だからな)
そのあとは、家族総出での見送り。パティも令嬢モードに戻り、別れの挨拶を経て、殿下は馬車に乗り、帰って行った。
馬車の窓から、殿下が何度も振り返っていた。
まるで、次に来る日のことを、もう考えているように。
「ネコチャン」
夕食会の後、部屋に戻って、パティが俺を抱き上げた。
「レオってさ、なんか、つまんないね」
「にゃ」
「ネコチャンの方が、ずっとおもしろい」
「にゃあ」
(正解だ。よく分かっている。……その感性を、大事にしろ。それがお前の、一番の武器だ)
「ふふ。ネコチャン、あったかい」
パティが、俺をベッドに運んだ。
いつもの位置。枕元。人の体温が一番よく伝わる場所。
窓の外では、ルルが枝に止まって、歌の練習をしていた。
歌は、まだ、全然ダメだった。
だが、継続は力なり。この鳥は、俺より努力家かもしれない。
(……さて)
パティが寝息を立て始めたのを確認して、俺は目を閉じた。
今日の報告を、頭の中でまとめる。
一、第三王子レオナルド。七歳。ナルシスト。実力不足。自己顕示欲過多。現状、パティへの悪意はなし。
対応方針:泳がせる。
二、ベルタ。殿下への査定の目を確認。
警戒度:一段階引き上げ。
三、パティ。プリンを最後に残した。食べ方の順序が、正しい。素質がある。
(……以上。本日の業務、終了)
昼寝ができなかった分、今夜は深く眠るとしよう。
――その夜、西棟の塔。
『黒猫観察日誌』
“本日、第三王子殿下の御来訪。
殿下は、まあ、こう、なんだ。……書くのも気が引けるが、書かないわけにもいかないので書く。――あれは、だめだ。
パティが将来あの方と並んで立つ姿を想像したら、胃が痛くなった。僕は十六歳だが、胃が痛くなった。
なお、夕食会の間、被験体は終始、パティの膝の上で丸まっていた。……だが、殿下が話している時だけ、被験体の耳が、殿下の方を向いていた。
聞いていたのだ。全部。
あの猫は、パティの代わりに、殿下の話を全部、聞いていた。
……聞いて、どうする気なのだろうか。
追記:怖くなってきた。でも、知りたい。知りたい気持ちが、怖い気持ちを、上回っている。これが研究というものか”




