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過労死社畜、悪役令嬢の飼い猫に転生する ~美人な飼い主にモフられながら、破滅フラグはチートでこっそりへし折ります~  作者: 真野真名
第一章 公爵家の猫は暇を持て余す

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第十六話「属性なんてなかった」




 検証は、知識から始まる。

 知識は、本から始まる。


 というわけで俺は、申し訳なかったが、ルルへの歌指導――ちびっこい小学女児が主人公のアニソンを歌って見せただけだが――を早々に切り上げ、深夜の屋敷を歩いていた。

 

 目的地は、書庫だ。


『猫さん、書庫ならこっち。三つ目の棚の裏に隙間があるよ』


 案内人はグリッグだ。今日のグリッグは、やけに毛並みがいい。小綺麗になったせいで、暗がりでも見つけやすい。加護とは便利なものだ。


『で、後ろの八匹はなんだ』


 グリッグの後ろには、ネズミが八匹、一列になってついてきていた。全員、目をきらきらさせている。


『ウチの若いのだよ。「猫さんの仕事を見学したい」ってうるさくてな』


『見学? 書庫への潜入を?』


『教育、教育』


(……よく分からんが、まあいい)


 若いネズミたちは、しきりにこちらを窺っていた。好奇の目だ。年長者の仕事を見たがるのは、どの世界の若者も同じらしい。


『自己紹介しろ。猫さんだぞ』


 グリッグが言うと、八匹が我先にと前に出た。


『ゼリーです!』

『オレもゼリー!』

『え、お前もゼリーなの? オレ、ゼリー』


(……は?)


『ちょっと待て。三人いるぞ、ゼリー』


『いるよ』


 グリッグは平然と言った。


『かっこいい名前は、かぶる。“グリッグ”だけは世襲で唯一無二だがな』


『ニッキーです』

『オレはピチュ』

『オレもピチュ。昨日まではハムだった』


『気分で変えるの?』


『変えるよ。昨日の気分、もう古いし』


(…………)


 名簿が、作れない。

 名簿が作れないということは、管理ができないということだ。だが、どうやらネズミ社会では、名前は識別のためのものではなく、ファッションらしい。かっこいいから名乗る。飽きたら変える。かぶっても気にしない。


 混乱するのは、こちらの感覚だということだけは、分かった。


(……個体識別は、匂いでやるか。匂いは変えられないだろう)


『なあ猫さん』


 と、ゼリー――たぶん最初のゼリー――が言った。


『オレたちの名前、覚えてくれる?』


『覚えない。だが、お前たちの仕事は覚える』


『おー! なんか、かっこいい!』


 八匹が、ざわめいた。

 何がかっこいいのか分からないが、若者の心は掴んだらしい。よし。




 書庫は、いい場所だった。


 埃の匂い。紙の匂い。窓から差し込む月光。

 高い棚が壁面を埋め尽くし、その合間に、梯子がかかっている。


(……どうやって本を読むか、が問題だ)


 猫にページはめくれない。めくろうとすれば爪が立つ。

 だが、俺には、あれがある。


 体の奥の、温かい塊。

 いつもは握り潰すように押さえ込んでいる、あれを――今回は、ほんの少しだけ、緩めてみる。


 緩める、と、何かが伝わった。

 尾の先から、空気へ。見えない何かが、空気に滲み出して、伸びていく感覚。指でも腕でもない、しかし確かに「触れる」もの。


(……触手、みたいなもんか)


 その「見えない手」で、そっと、棚の本の背表紙に触れた。

 触れる。引っ張る。――本が、するりと抜け出た。


『うわ』


 八匹が、一斉に仰いだ。


『本が、浮いた……』

『猫さん、やっぱりなんかすげーもん持ってる……』


『黙ってろ。集中が乱れる』


 本を、床に下ろす。表紙を開く。

 見えない手で、ページを、一枚ずつ。


(よし。いける)


 タイトルは『魔術概論 第一巻』。学院の予科で使われる標準的な教科書らしい。タチがいい。基礎から書いてある。


 俺は、月光の下で、読み始めた。


 ――魔術とは、神より賜りし六つの属性の運用である。


 火、水、風、土、光、闇。


 各人は生まれながらに属性を持ち、自らの属性の魔術のみを修めることができる。

 ただし、相反する属性は一人の内に両立しない。火を持つ者は水を覚えられず、風を持つ者は土を、光を持つ者は闇を、覚えられない。


 故に、一人が使い得る属性は、最高で三つ。


 多くの者は一属性に留まり、二属性を操る者は天才と呼ばれる。


 (……ふむ)


 読み進める。


 ――属性は、イニシエーションにおいて、水晶の発色により神より示される。

 この発色は絶対であり、覆ることはない。

 属性に抗おうとすることは、神への冒涜である。


(絶対、ね)


 研究者は、「絶対」という言葉を聞くと、眉を寄せる習性がある。

 本当に絶対なものは、世の中にあまりない。「絶対」と書いてあるものの大半は、「これまで覆らなかった」の言い換えだ。


 そして、この本には、不思議な記述がなかった。


 ――「なぜ、相反する属性は両立しないのか」という、理由の記述が。


 書いてあるのは「両立しない」という事実だけだ。「なぜ」がない。仕組みがない。理屈がない。

 本というのは、分かっていることは詳しく書くものだ。書いてないということは――書ける人間が、いなかったということだ。


(……誰も、理由を知らない。知らないまま、「絶対」と呼んでいる)


 体の奥の塊が、また疼いた。


 俺は本を閉じて、考えた。


 仮説を立てよう。


 もし、属性というものが、本当は存在しないとしたら。

 あるのは魔力だけで、「火」「水」という区別は、発現した結果に後から貼ったラベルにすぎないとしたら。


 その世界では、相反する属性が両立しない理由は、最初から存在しない。

 両立しないのではなく、両立しないと思い込んでいるから、できない。思い込みが、壁になる。

 イメージの壁だ。


 (……仮説としては、悪くない。問題は検証だ)


 検証方法は、一つしかない。


 俺が、実際に、やってみることだ。


 場所を移す。書庫は燃える。ここでは試せない。




 深夜の庭。大樹から離れた、噴水の近く。

 消火用の水が近くにあるのは、研究者としての最低限の安全配慮である。ネズミ八匹は、遠巻きに見学の列を作った。


『猫さん、何やるの?』


『実験だ』


『実験って何?』


『……失敗してもいいから、やってみることだ』


『なるほど!』


(分かってるのか?)


 俺は、地面に座り、目を閉じた。


 まず、イメージ。

 魔力というものが、属性以前の、ただの力だとする。その力に、形を与えるのは、イメージだとしたら。


 (火)


 思い浮かべるのは、前世の記憶だ。

 実験室のバーナー。青い炎。ガスの匂い。炎の揺らぎ。熱。


 ――ぽっ。


 目の前の空気が、爆ぜた。

 小さな、本当に小さな火の玉が、空中に灯った。


『ぎゃあああああああ』


 ネズミが八匹、一斉にひっくり返った。後ろの三匹は茂みに逃げ込んだ。ゼリーだけが――たぶんゼリーだ――転げながらも見ていた。


『ひ、火ィ!?』


(よし。次)


 火を消す。

 消し方は、イメージを手放すだけだ。簡単だった。


 次。


(水)


 イメージは、水道。ひねった蛇口。流れ出す水。


 ――ぴゅ。


 火の玉がいた場所に、今度は、小さな水の玉が現れた。ぷるぷると揺れている。


(……出た)


 火と水。


 教科書では、相反する属性。

 それが今、同じ場所に存在している。


 俺は、しばらく水の玉を見つめた。


(……これは)


 少なくとも、俺には属性による制限がない。

 だが、これだけでは「属性が存在しない」とまでは言えない。


 俺が神獣だから、という可能性が残っている。


(なら、もっと試す)


 風。

 ――小さな旋風。落ち葉が舞った。


 土。

 ――地面がぼこりと盛り上がった。ネズミが転んだ。


 光。

 ――掌に灯りが灯った。……掌? 肉球に、だ。


 闇。

 ――周囲の影が、一瞬だけ、濃くなった。


 全部、出る。

 六つ、全部、出る。


(……なるほど)


 胸の奥が、熱くなる。


 俺は、今まで「属性」というものを前提に考えていた。


 火を使える。

 水を使える。

 だから俺は、火と水の属性を持っている。


 だが。逆なのかもしれない。

 魔力が先にあって、そこにイメージで形を与えている。


 火も、水も、風も、土も、光も、闇も。

 それらは属性ではなく、魔力の「結果」なのではないか。


(……これは、もっと調べる必要がある)


 興奮で、毛が逆立った。


 社畜生活八年間、試験毛を洗い続けた俺にとって、仮説が実験によって一つずつ削られ、形を変えていく瞬間はたまらなく面白い。

 これだ。これが研究だ。


(もっとだ。もっと試す)


 もし、俺の考えが正しければ、パティも闇属性しか使えないと決まっちゃわけではない。


 それも含め、伝えなきゃいけない。だが、伝えられない。

 俺は猫だ。しゃべれない。文字も書けない。 


(…………どうする)


 そうか。これが、これからの俺の課題か。

 ――渡し方は考えよう。猫なりの渡し方を。


 と。


『猫さん! 猫さん、後ろ!』


 ゼリーの叫びに、振り返った。


 ――燃えていた。


 土を盛り上げた拍子に、盛り土が庭石に当たって火花が散ったのか、それとも光の灯りを強くしすぎたのか。原因は分からないが、とにかく、近くの植木が、燃えていた。小さく。だが、確実に。


(あっ)


『水! 水出してよ、さっきの!』


(そ、そうだ。水)


 慌てて、水をイメージした。

 焦っていた。焦ると、イメージが大きくなる。


 ――どばあ。


 植木の火は消えた。

 代わりに、植木は水浸しになり、盛り上がった土が泥と化し、泥が流れて、植木の根元がえぐれた。植木は、ゆっくりと、傾いだ。


『…………』


『…………』


『…………』


『…………』


『…………』


『…………』


『…………』


『…………』


 ネズミ八匹が、俺を見た。


 俺は、植木を見た。



(……すまん)


『猫さん』


 グリッグが、呆れた声で言った。


『オレたちの巣、あの植木の根っこにあるんだけど』


『…………すまん』


『「すまん」じゃねえよ! 補修! 補修してよ!』


(……やる。今やる。土をイメージして……)


 その夜、俺は明け方まで、植木の復旧作業をした。

 見えない手で土を運び、根元を固め、傾ぎを直した。

 最後の仕上げに、水を、今度は霧状に、そっと撒いた。


 傾いだ植木は、何とか、立ち直った。

 明日の朝、庭師が見て「……ん?」と首を傾げる程度には、綺麗に戻ったはずだ。


『猫さん』


 と、グリッグが言った。作業を手伝ってくれた、八匹と一緒に。


『ん?』


『あんた、すげえよ。六つ、全部、出したじゃねえか。……オレ、獣の言い伝えで聞いたことあるぜ。そういうの』


『……知ってるのか』


『全部できる獣を見たら、その獣の前では「常識」を信じるな、って』


『…………』


『……意味は知らん』


(……なんだ、それ)


 だが、妙に引っかかった。


 俺は夜明け前の庭を見回した。

 俺が知っていること。この世界が「常識」と呼んでいること。その二つは、もしかすると、同じものではないのかもしれない。


『猫さん』


『ん?』


『その力、知られたら面倒なことになると思う』


『……分かってる』


 それは本当に分かっている。


 六属性を使える猫――神獣。

 属性の常識を外れる存在。


 そんなものが知られれば、俺も、パティも、平穏な生活から遠ざかる。

 だから、このことはまだ誰にも知られない方がいい。


 少なくとも、今は。


(……でも、一つだけ)


 俺は、夜明け前の空を見上げた。


(パティ)


 お前の「闇」が、本当に闇だけなのか。俺には、まだ分からない。


 だが。


(いつか、確かめてやる)


 朝日が、庭を照らし始めていた。


 大樹の下に戻って、三回転して、横になる。

 今日は、よく働いた。燃やした。水浸しにした。直した。

 猫の一日の労働としては、明らかに超過している。


 あとは、寝る。

 検証は終わった。


 ……いや。


 正確には、始まったばかりだ。




 ――その朝、西棟の塔。


『黒猫観察日誌』


“昨夜、書庫の本が一冊、なくなっていた。『魔術概論 第一巻』。

 今朝、戻っていた。

 ……戻っていたのだが、表紙に、小さな肉球の跡がついていた。泥の。

 泥の、肉球が。

 誰だ。誰が本を読んだ。いや、分かっている。分かっているのだが、書くと負けな気がする。

 

 庭の植木が一本、なぜか綺麗に植え直されていた。……あいつだ。絶対に、あいつだ。何をやった。

 僕にだけは、教えろ。……いや、教えられないか。相手は、猫だ。

 くやしい。くやしいが、あいつが何かを見つけたのなら――それはたぶん、すごいことだ”




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