一乗谷の黄昏、そして「次代」の種蒔き
越前・一乗谷。朝倉義景が治めるこの地は、京の文化を模した華やかな都市だが、どこか静止した時間の中にいるような息苦しさがあった。
評定の間で、義景は退屈そうに杯を傾けている。
「織田と結ぶだと? 長政よ、お主も信長の威光に目が眩んだか」
義景の言葉には、危機感がない。長年の安寧が、この領主の目を曇らせている。「伝統」という名の停滞。彼を説得するのは不可能だ。であれば、やるべきことは一つ。**「朝倉家という組織の経営権を、別の人間に移す」**ための工作だ。
私は表向きは恭順の意を示しつつ、裏では一乗谷の地侍や、朝倉家中で冷や飯を食わされている若手たちと接触を重ねた。
(朝倉の弱点は、当主の決断力の欠如と、それゆえに生じている家中での格差だ)
そこで目を付けたのが、朝倉家中でくすぶる反主流派の星、**朝倉景鏡**の一派だ。史実では朝倉家を裏切り、朝倉滅亡を早めた男だが、今この時点では野心と能力を飼い殺しにされている「不満分子」である。
私は彼らを密かに小谷城へ招き、あるいは一乗谷の宿屋で酒を酌み交わした。
「朝倉様が変えられぬなら、我らが朝倉という名の『看板』を新しい形に作り変えるべきだ」
景鏡は眉をひそめたが、私の語る「織田の経済圏に組み込まれた越前の未来」という話に、次第に身を乗り出してきた。彼らは、義景の温情主義ではなく、実力と結果で評価される「新たな組織」を求めていたのだ。
私は彼らに「織田との交易の仲介役」という餌を撒いた。
「織田の京への道が開ければ、越前の物資は飛ぶように売れる。朝倉様の許しがなくても、我らで『北近江・越前共同経済圏』を作り、織田家と直談判しようではないか」
これは、朝倉義景を無視した「草の根の織田派形成」だ。景鏡たちに手柄を立てさせることで、彼らを織田家の影響下に取り込み、義景の影響力を少しずつ削いでいく。
一乗谷を去る際、私は配下の**石田佐吉(三成)**に密命を下した。
「佐吉、越前の者たちの金銭の流れ、誰が誰と密約を結んでいるか、すべて記録しておけ。朝倉家の『帳簿の裏』が、いずれ我らの最強の武器になる」
佐吉はまだ幼い目つきで、しかし深く頷いた。
(義景よ、あんたはそのまま文化に浸っていろ。あんたの足元は、俺が現代のやり方で、静かに、確実に切り崩してやる)
北近江への帰路、琵琶湖の向こうに夕陽が沈む。
かつてのサラリーマン時代、倒産寸前の会社を整理する際に感じた、あの冷徹な高揚感が蘇っていた。朝倉家を滅ぼすのではなく、織田家の勢力下にある「親織田・朝倉新政権」へと作り変える。
これが、史実における「朝倉家の悲劇」を回避し、かつ我が浅井家の地盤を盤石にするための、俺流の「事業再編」だ。




