岐阜城の虎と、神輿の重量
岐阜城は、山上にそびえる圧倒的な威容を誇っていた。かつて稲葉山城と呼ばれたこの城を短期間で攻略した信長という男の力は、もはや一つの自然災害に近い。
広間に通されると、そこには異様なまでの静寂があった。上座には織田信長が一人、虎皮の敷かれた椅子に座っている。その眼光は、まるで獲物を狙う鷹のように鋭い。
「浅井備前守長政、参上いたしました」
私は深く平伏した。心臓が早鐘を打つ。目の前の男は、いずれ私を追い詰め、殺すはずだった男だ。だが、今は違う。私は信長の「味方」として、この席にいる。
「……面を上げよ」
声は低く、そしてどこまでも冷静だった。信長は手招きをし、俺を近くへ呼んだ。
「京への道は開かれた。だが、北には朝倉が、西には六角が睨みをきかせている。浅井、お主は何を考えている?」
ここが分かれ道だ。私は、現代の組織運営の知恵を「武家の忠義」の言葉に変換し、切り出した。
「織田殿。朝倉殿との誼は、浅井の伝統として捨てきれませぬ。されど、織田殿の描く天下の道が、この国の安寧に繋がることも理解しております。我が浅井は、織田殿の『盾』となりましょう。朝倉殿の緩衝役として、北陸と京を繋ぐ物流の要所を固め、織田殿の背後を盤石にいたします」
信長は鼻で笑った。
「盾、か。面白い。お主は、義弟としての情よりも、利を取りに来たということか」
「利なくして、天下の道は平坦にはなりませぬゆえ」
信長は興味深げに私を値踏みした。この男は、迎合する者よりも、己の利益のために命を賭ける者を好む。
「……ふん。気に入った。好きにするがいい。ただし、裏切りは万死に値すると思え」
「承知しております」
話が一段落したところで、私はあえてこの男の本心を探る問いを投じた。
「……ところで織田殿。間もなく京よりお迎えが来るという、足利義秋(後の義昭)様とは、一体どのような御方なのでしょうか。噂では、かなりの御仁だとか」
信長は一瞬、冷たい笑みを浮かべた。
「義秋か……。権威という鎧を着ただけの、世間知らずの公家よ。京へ戻れば、己が天下を回していると勘違いするだろうな」
信長の声に、隠しようのない軽蔑が混じる。私はここぞとばかりに、少しだけ声を潜めて言った。
「なるほど。ならば、我々が扱うべきは『神輿』と同じですね。担ぐ者がいなければただの飾り物に過ぎず、担ぐ者によって、その神輿はどこへでも運べる……ということでしょう?」
一瞬、空気が凍りついた。
信長がじろりと私を見る。その目には、驚きと、それ以上の深い関心が宿っていた。
「……お主、面白いことを言うな」
信長が初めて、私に対して「対等な話相手」としての笑みを向けた。
「その通りだ。神輿は重い。担ぎ手が己の意志を持たぬ限り、神輿はただの置物だ。浅井、お主はどちら側だ? 神輿にすがる愚か者か、それとも神輿を操る担ぎ手か」
「無論、担ぎ手にございます」
私は静かに答えた。信長という怪物を制御することはできない。だが、その隣で「神輿」を操る戦略を共有することで、私は彼にとって不可欠な「パートナー」へと成り上がる。
岐阜城を後にする帰り道、私は冷たい風の中で深く息を吐いた。




