高校3年の今
「ちょっと、走ってくる」
台所で夕食の準備をしてくれているばあちゃんに声をかけ、店からでる時にじいちゃんにも声をかけた。
毎日朝か晩の時間のある時、走るのが習慣になっている。中学で野球部に入ってからだから、もう5年くらいになる。
ふと、彼の声が蘇ってくる。
――野球でもなんでも、やっぱ足腰が大事だぞ。
言われた時には生返事をしてしまったが、永井亮というそのボクサーはその姿でも、言葉を伝えてくれていた。
毎朝走る姿。ジムの窓越しに見える姿。
俺の体は自然と走るようになっていた。
走っていると、ロードワークをしているあの人と会うこともあった。
今でも走りながら、ふと振り返ってしまうことがある。でも、微かに手を上げてくれるあの人に会うことは、もうないのかもしれない。
店の外にでると、自然と視線が明るいほうへと向かう。
もう、ほとんどの店は閉まっているが、喫茶店の看板は、さっきと違って明りがともっている。
そこは、ユイの父親が切り盛りしている。といっても、雇われマスターで、オーナーはボクシングジムの孫娘だった木下奈津子さんだ。
ユイも時間があれば、手伝いにいっているはずだから、店のほうへと歩を進め、窓越しに中を覗いてみた。
楽しそうに、からあげ屋ナガイの奥さんと話している。
普段はこんなふうに楽し気に接客しているが、時より悲しそうに店を見つめていることがある。
なぜなのか。それは分かっている。
あの人がいてくれていたなら、今でもボクシングジムだったろうし、商店街だって――
向きを変えて足を踏み出した。
一時は多くの店舗で埋まったが、今は昔からある店だけが残っている。といっても、からあげ店と文具店、それとじいちゃんの靴店だけだ。
ふと目に止まるシャッターの文字――池田洋品店。
昔からある店だが、このシャッターが開くことはもうない。いや、池田淳史、彼が帰ってくれば……。俺に再び野球を与えてくれたあの人が……。




