拝む横顔
雨はやんだが、まだ強い風が吹き抜ける中、ペダルを踏み込んでいく。背中に美和ちゃんを感じながら。
「行くぞ!」
子供じみているが、人なんて歩いてもいないし、歩いてたって構わない。
今は浮かれ野郎でいいじゃないか。
「行け!」
後輪の中央についているステップに、足を乗せて立ち上がった美和ちゃんが叫んだ。両手がしっかりと僕の肩を掴んでいる。
「よっしゃ!」
気合いとともに、自転車のスピードを――ふらふらとハンドルが揺れる。
風と坂道のダブル攻撃はなかなか手強い。
光喜が毎日のように朝夕闘っているというお寺前の強敵だ。
ペダルを必死に踏むが、うっ、うっ、動かない。
「あれっ」
突然、ふわりとペダルが軽くなった。そして、声が飛んでくる。「行け!」
自転車を飛び降りた美和ちゃんが荷台を押してくれている。
おっしゃ!
こんな坂なんて――だが、気合ではどうにもならないこともある。
さらに傾斜がきつくなった坂は、彼女の前で僕をヒーローにはさせてくれなかった。
ハンドルはふらふら、体はゆらゆら、足が助けを求めて地面に着地した。
僕の苦笑いを、柔らかな笑みが迎えてくれる。「さすがに、これは無理だよね」
自転車を降りて並んで歩く。急坂もなんだか楽しい。
坂を上りきれば、100mほどの平坦な道になる。お寺のお祭りの時は道の両脇に的屋の屋台がずらりと並ぶ。
突き当りには数段の階段があり、すぐに本堂が見えてくる。境内はお寺の歴史を物語るように大きな木々に囲まれている。
ここからは見えないが。本堂の裏のほうに光喜の自宅がある。
子供の頃から数えきれないほど来ている場所だが、祭り以外の普段は人の姿はなく、静まり返る空間は特別な空気に包まれている。
とはいっても光喜の家に入ってしまえば、ただの友だちの家に戻るが。
階段を上がりきると本堂の右側の木々の間にお墓へと通じる道がある。左側の木々の間にも道があり、見晴らし場という眺めのいい広場に続いている。
美和ちゃんが右からゆっくりと見渡している。そして、左の木々に向けられた目が止まった。
横顔にはじわりと笑みが広がっている。懐かしさが蘇っている、そんな顔だ。
ちらりと僕に視線を送った彼女が走りだした。僕らの桜があるあの場所に向かって。
だが、数歩進んで足は止まっていた。
美和ちゃんは向きを変えて本堂を見つめた。瞼が閉じられ、手が合わさっていく。
僕も普段はそんなことをしないのに、並んで目を閉じて手を合わせた。
何かいろいろお願いします。
とりあえず胸の中で、そんなことをつぶやき、目を開けた。
横では、まだ祈り続けている。しっかり目を瞑り、全身から合わさる両手に力が込められているように見える。
そんな彼女から微かな声が、「ありがとうございました」
ゆっくりと目を開けた美和ちゃんは、僕の視線を感じたのか、顔を向けてきた。ちょっと照れ笑いのような表情を浮かべ、すぐに歩き出した。
早足で木々の道へと向かっている。
なんのお礼だったのだろう。
そんなことを思いながら、後を追った。