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【完結】無華の花嫁3~秘めた力を狙われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される~【Web版】  作者: 木風


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第十一話 藤棚の下の光景②

 夜がどれほど深く更けても、恒一は寝台に横たわることすらできなかった。

 寝所に下がり、女官たちを退かせ、窮屈な礼装を脱ぎ捨てても。

 髪をほどき、肌を清めても。

 宴の残り香は、煤のように皮膚へ貼りつき、どうしても剥がれ落ちない。


 それは酒の匂いでも、華やかな楽の余韻でもなかった。

 脳裏にこびりついて離れないのは、網膜を焼くほど鮮烈だった藤の色——『紫』だ。


 瞼を閉じるたび、重なり合う花房が滝のように降ってくる。

 その幻影の下で、暁臣があの娘の頬に、慈しむように触れていた。

 指先の動きまで、妙に鮮明だ。


 ……なぜ、あのような場で。


 問う相手はいない。

 答えも要らない。

 ただ、勝手に再生され続ける残像が、恒一の安眠を拒み続けている。

 唇が重なった瞬間、あの娘の肩が、羽を休める小鳥のように、ほんのわずか揺れたことまで。


 彼女は拒んでなどいなかった。

 むしろ、吸い寄せられるように身を預け、あの破壊の化身である男の腕の中へ、自ら溺れていったのだ。


「……っ、くそ……」


 喉の奥が焼けつくように熱い。

 唾を飲み込んでも、何も収まらない。


 不快だ。

 到底、許しがたい。

 高貴なる宮家の血を引きながら、暁臣があれほど野蛮な真似をしたことも。

 そして、無垢を装った『無華』の娘が、それを受け入れ、悦びに震えていたことも。


 ——だが。


 胸の奥に、どろりと湧き上がるものは、正義感ゆえの怒りだけではなかった。

 暁臣の手のひらが伝えたであろう温度。

 指先が頬に触れた、あの絶妙な角度。

 それに応えた、あの娘の潤んだ瞳。


「……違う。そんなはずはない」


 何が違うのか、言葉にできない。

 否定だけが、虚しく口をついて出る。


 あれは、私への見せつけであり、浅ましい挑発だ。

 次期天皇たる東宮に向けた、宣戦布告に近い侮辱——そのはずだ。


 そう論理では理解している。

 それなのに、身体は勝手に裏切りの反応を示す。

 呼吸が浅く鋭くなり、熱が腹の底へ、重く、粘つくように落ちていく。


 ——ほしい。奪いたい。今すぐに。


 思考はそこで限界を迎え、次の瞬間、強い吐き気が込み上げた。

 何を考えている。何を言っている。

 あの娘は、単なる道具だ。

 暁臣の不敗の象徴である『黒薔薇』を削ぎ、無力化するための——替えの利く部品に過ぎないはずだ。


「……道具、だと?」


 自分の口から漏れた言葉が、月明かりも届かぬ薄暗い寝所に、虚しく落ちる。

 道具なら、なぜ藤の下で見せた彼女の表情が、これほどまでに胸を深く刺すのか。

 道具なら、なぜ一瞬、視線が交わっただけで、心臓が爆ぜるほど打ち鳴らされたのか。


 道具なら——なぜ、ここまで私の内側を掻き乱す。


 暁臣と目が合った瞬間に覚えた、あの得体の知れない感情の正体は何だ。

 恐怖か。いや、東宮である私が、一宮家の男を恐れるはずがない。


 あれは——。

 ——見透かされたのだ。


 そうだ。

 私が、あの娘を単なる『力』の源としてではなく、一人の女として、浅ましくも『ほしい』と渇望してしまったこと。

 その歪みのすべてを、あの男に見透かされたのだ。


「……ふざけるな……ふざけるな、暁臣……っ!」


 誰に向けるでもない咆哮。

 拳を強く握りしめると、手入れされた爪が掌に食い込み、痛みとともに血が滲んだ。

 それでも構わない。正しいのは自分だ。

 この国を盤石にするため、強すぎる『黒薔薇』を排し、秩序を守る——それが東宮の役目なのだ。


 あの『黒薔薇』という理不尽が存在する限り、自分は完全な天皇にはなれない。

 だから、彼女が必要なのだ。『無華』でありながら、死神を飼い慣らすあの娘が。


 そうだ。必要なのは、彼女の『能力』であって、感情などではない。


 ……なのに。


 思い出すたび、腹の底から競り上がる熱が、理性を焼き尽くしていく。

 彼女を組み敷き、あの瞳に絶望と屈服を浮かべさせ、暁臣を求めて鳴くその声を、自分への悲鳴へと変えたい。

 自分が、自分ですら制御できない何者かへ変質していくのが、はっきり分かる。


 憎い。暁臣が憎い。

 あの娘が——いや、違う。

 憎いのは、あの娘のすべてが、今はまだ暁臣のものだという事実だ。


「……ならば」


 ならば、奪えばいい。力ずくでも。

 声に出して初めて、胸に溜まっていた濁った衝動が、はっきりと輪郭を持った。


 理屈はいくらでも立つ。皇族の制度は、そのためにある。

 慈悲深い『救済』の仮面など、いくらでも用意できる。


 そうしなければならない。

 ——そうしなければ、この疼きは、一生収まらない。


 その真実に気づいた瞬間、恒一は、かっと目を見開いた。

 自らが何を失い、どこへ堕ちようとしているのか。

 致命的な欠落に気づかぬふりをしたまま、彼は静かに立ち上がる。


 窓の外には、死んだように静かな闇が広がっていた。

 けれど恒一の脳裏には、まだ——

 残酷なまでに美しい、藤の紫が、雨のように降り続いていた。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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