第九話 東宮御所からの使者②
暁臣様の隣で過ごしたこの一年で、私は数えきれないほどの宝物をいただいてきた。
凍えるような冬を忘れさせてくれる、暖炉の気配まで優しい暖かなお部屋。
手付かずの木の匂いが残る、真新しい家具。
瞳を焼くほどに美しく輝き、手に取るたび胸がきゅっとする真珠のアクセサリー。
季節が変わるたびに誂えてくださるお着物や、異国の香りがふわりと立つお洋服。
同じときを刻むための腕時計——小さな秒針が動く音が、私の生を確かめてくれる。
蔵の中では想像もできなかった、物語の挿絵みたいに、宝石のように盛り付けられた食べ物。
箸を置く場所まで決まっているのに、なぜか『怖い』より先に『綺麗だ』と思ってしまった日もあった。
けれど、何よりも私を救ってくれたのは、『ここにいても構わない』という、あの真っすぐで力強いお言葉。
品物では埋められない穴を、たった一言で塞いでしまうなんて——
そんなことがあるのだと、私は暁臣様に教えられた。
今日の園遊会のために着る着物。
私は一年前、初めて暁臣様に仕立てていただいた、あの振袖を選んだ。
東宮殿下から贈られた『純白』ではなく、この薄紫の布地こそが、今の私には一番ふさわしいと思えたから。
胸の奥で、ほんの小さな反抗の火が灯るのを感じながら。
鏡の中に映る、左右で色の異なる自分の瞳を、指先でそっと撫でる。
『無華』として疎まれ、価値がないと断じられてきた私に、両親は『すみれ』というありふれた花の名を付けた。
名前すら、慰めにもならないと思っていた。
けれど、この振袖を纏い、すみれの花を模した刺繍に指を触れた瞬間——
糸の凹凸が指腹に引っかかって、妙に現実味があって。
私は生まれて初めて、自分の名前に、かすかな光が宿るのを感じたのだ。
「すみれ様……。本当に、お似合いでございます」
「ありがとうございます……」
着付けを手伝ってくれた女中さんの感嘆に、照れくさく微笑む。
帯がきついわけではない。たぶん、心のほうだ。
この振袖に袖を通すのは、これが最後になるのかもしれない。
そう思うと、胸の奥がちくり、と針で刺されたみたいに痛んだ。
窓の外は、目が眩むほどの新緑と、どこまでも高い青空。
空だけは、何も知らない顔で晴れている。
それなのに私の心には、分厚い雲がどうしても居座り、冷たい風を吹かせ続けていた。
コンコン、と控えめながらも力強いノックの音。
私は背筋を正し、ゆっくりと振り返る。
「すまない。待ちきれなくて来てしまった」
「暁臣様……」
「……やはり、すみれにはその振袖が一番よく似合う」
暁臣様が歩み寄り、私の左耳の下にある小さな痣を、なぞるように触れた。
指先の熱がそこだけ滲むみたいに残り、肩がわずかに震える。
隠そうとしても隠しきれない場所を、怖がらずに触れてくれる——それが、いつも少しだけ救いだった。
「簪も、その色で正解だったな……美しい」
耳元で囁かれる、甘い熱を帯びた言葉。
たったそれだけで、心に立ち込めていた暗雲が、魔法みたいに少しずつ薄れていく。
……単純だと思われてもいい。暁臣様の声は、私にとって薬なのだ。
差し伸べられた大きな掌。
一年前よりも、この手を取ることに迷いや戸惑いはなくなっていた。
お妃教育で学んだ作法を、呪文みたいに胸の中で繰り返す。
挨拶の角度。歩幅。視線の落としどころ。笑みの深さ。
覚えたはずなのに、いざとなると指先が冷える。
どうか、何も起きませんように。
ただ、暁臣様の隣で、穏やかな時間を過ごせますように……。
そう願わずにはいられない。
暁臣様の正式な婚約者として公の場に立つのは、今日が初めてのことだから。
ただ守られるだけ、その場にいるだけだった一年前とは違う。
重く、鋭い緊張が、背中から喉へとせり上がってくる。
今日、私が受ける視線は、もはや好奇心だけではない。
嫉妬。蔑み。そして——冷酷なまでの選別。
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