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第8話 大富豪への道

第8話 大富豪への道


 幸せというものは、ある日突然やって来るものではない。


 小さな成功。


 小さな改善。


 小さな積み重ね。


 それらが気付かないうちに大きな流れとなり、いつしか人生そのものを変えてしまう。


 春が過ぎ、夏が訪れようとしていた。


 ディール男爵家の領地には以前にはなかった活気が満ちている。


 工房からは金槌の音が響き、荷馬車が忙しなく行き交う。


 市場には笑顔が増えた。


 空気そのものが変わったようだった。


 エルザは丘の上からその光景を見下ろしていた。


 白いブラウスに薄青色のロングスカート。


 風が吹くたびに栗色の髪が揺れる。


 隣には父ベルンハルトが立っていた。


「信じられんな」


 ぽつりと父が言う。


「何がですか?」


「半年前だ」


 父は苦笑する。


「半年前は借金の返済方法ばかり考えていた」


 エルザも思い出す。


 婚約破棄。


 取引停止。


 崩壊寸前の家業。


 あの頃は未来が真っ暗に見えた。


 だが今は違う。


「お父様」


「ん?」


「まだ途中ですよ」


「それでも十分だ」


 父の目には涙が浮かんでいた。


 領地へ戻る途中、新しい建物が見えてくる。


 大きな赤煉瓦の建物。


 完成したばかりの新工場だ。


 工房長ガストンが誇らしげに案内していた。


「どうです?」


 胸を張る。


「立派ですね」


「でしょう!」


 彼は子供のように笑った。


 中へ入ると広々としている。


 新しい設備。


 整理された作業場。


 明るい窓。


 以前の三倍近い生産能力を持つ施設だった。


 職人たちも増えた。


 若者たちが真剣な顔で働いている。


「仕事があるってありがたいですね」


 一人の青年が言う。


「家族も喜んでいます」


 その言葉を聞いてエルザは嬉しくなった。


 利益は大切だ。


 だが数字だけではない。


 働く場所が生まれる。


 生活が安定する。


 それも価値だった。


 昼食は工場の食堂で取った。


 焼きたてのパン。


 野菜たっぷりのスープ。


 香草をまぶした鶏肉。


 皆で同じ食卓を囲む。


 職人たちの笑い声が響いていた。


「お嬢様」


 若い女性職人が話しかける。


「何でしょう?」


「妹もここで働きたいそうです」


「歓迎します」


 その返事に女性は顔を輝かせた。


 食堂全体が明るくなる。


 エルザはその光景を見ながら思う。


 商品を売ることだけが商売ではない。


 人の暮らしを少し良くすること。


 それも商売なのだ。


 その頃。


 王都ではクロイツ商会も急成長していた。


 会議室には新規事業の資料が積み上がっている。


「西部支店設立完了」


「南部支店も順調です」


「新商品の予約は過去最高」


 報告が続く。


 ラインハルトは腕を組みながら微笑んでいた。


「すごいですね」


 エルザが感心する。


「あなたの発想のおかげです」


「私だけではありません」


「またそう言う」


 ラインハルトが苦笑した。


 二人のやり取りに幹部たちも笑う。


 最初は男爵令嬢との提携に懐疑的だった者も多かった。


 だが今は違う。


 誰もが認めていた。


 エルザの存在が商会を変えたことを。


「次は何を作りましょうか」


 エルザが資料をめくる。


 その目は楽しそうだった。


 まるで冒険者のように。


 ラインハルトはそんな彼女を見つめる。


 金でも権力でもない。


 新しい価値を見つけることに喜びを感じる人間。


 珍しい存在だった。


 一方その頃。


 ボロア伯爵家では重苦しい空気が漂っていた。


 豪華な応接室は変わらない。


 絨毯も絵画も高価なままだ。


 だが中身は違った。


「今月も赤字です」


 ロイドが報告する。


 ジュリアンの顔が引きつった。


「いくらだ」


「かなりの額です」


「具体的に言え!」


 怒鳴り声が響く。


 ロイドは震えながら数字を告げた。


 ジュリアンの顔色が変わる。


「馬鹿な……」


 借金が増えていた。


 取引先は減った。


 信用も失った。


 それでも生活水準だけは下げられない。


 だから金が出ていく。


 マリアは不満そうだった。


「また節約の話?」


「仕方ないだろう!」


「こんな生活嫌よ」


 言い争いが始まる。


 以前のような余裕はない。


 屋敷の使用人も減った。


 食卓に並ぶ料理も少しずつ質が落ちている。


 それでも二人は原因を考えない。


 考えたくない。


「全部あいつのせいだ」


 ジュリアンが吐き捨てる。


「あの女が市場を奪った」


「そうよ」


 マリアも頷く。


 しかし。


 本当にそうだろうか。


 ロイドは心の中で思った。


 違う。


 皆知っている。


 品質を軽視したのは誰か。


 顧客の声を無視したのは誰か。


 現場の意見を聞かなかったのは誰か。


 答えは明らかだった。


 だが誰も口にしない。


 夜。


 エルザは新工場の完成祝いから帰宅していた。


 屋敷の食堂には温かな夕食が並ぶ。


 牛肉の煮込み。


 焼きたてのパン。


 サラダ。


 果実酒。


 母クララが微笑む。


「本当に変わったわね」


「何がですか?」


「この家よ」


 母は周囲を見渡した。


 笑顔がある。


 希望がある。


 未来がある。


 それが何より嬉しかった。


 食事を終えた後。


 エルザは窓辺へ立った。


 夜風が心地良い。


 遠くには工場の灯りも見える。


 あれは誰かの仕事場だ。


 誰かの生活を支える場所だ。


 そして。


 まだ終わりではない。


 改善できることはたくさんある。


 助けられる人もたくさんいる。


 その時だった。


 後ろからラインハルトの声がした。


「働きすぎですよ」


「そうでしょうか?」


「そうです」


 彼は苦笑する。


「少しは休んでください」


 エルザは笑った。


「考えるのが楽しいんです」


「知っています」


 ラインハルトも笑う。


 その視線はどこか優しかった。


 ディール家は完全復活した。


 新工場。


 新商会。


 新事業。


 だがエルザにとって本当に大切なのは財産ではない。


 人の役に立つこと。


 改善すること。


 そして未来を作ること。


 その歩みはもう誰にも止められなかった。


 大富豪への道は、確かにその先へ続いていたのである。


赤煉瓦(あかれんが) 響く金槌(かなづち) 暮らす人の


笑顔の数だけ 富は積みゆく



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