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第6話 嫌がらせと改善力

第6話 嫌がらせと改善力


 嫌な予感というものは、たいてい当たる。


 朝一番に届けられた報告書を読んだ瞬間、エルザは胸の奥が重く沈むのを感じていた。


 窓の外では初夏の陽射しが降り注いでいる。


 庭では薔薇が咲き始めていた。


 本来なら気持ちの良い朝のはずだった。


 しかし机の上の報告書は、その気分を吹き飛ばしてしまう。


「在庫がない?」


 エルザが顔を上げる。


 向かいに立つ工房長ガストンは険しい表情だった。


「ありません」


「一つも?」


「ほぼ全て買い占められました」


 部屋の空気が重くなる。


 父ベルンハルトも顔をしかめた。


「誰がそんなことを?」


「分かりません」


 ガストンはそう言ったが、誰もが心当たりを持っていた。


 急激に業績を落としているボロア伯爵家。


 そしてジュリアン。


 偶然とは思えない。


 エルザは報告書を閉じた。


「分かりました」


「お嬢様?」


「他は?」


 ガストンがさらに別の書類を差し出す。


「運送業者が三社契約を解除しました」


「理由は?」


「圧力を受けたようです」


 父が舌打ちした。


「露骨だな」


 まだ終わらない。


 市場では妙な噂まで流れ始めていた。


 ディール家の商品は危険だ。


 すぐ壊れる。


 魔力暴走を起こす。


 使うと病気になる。


 もちろん全部嘘だ。


 だが噂というものは厄介である。


 事実より速く広がる。


 リナが心配そうな顔をする。


「お嬢様……」


 誰もが不安だった。


 やっと軌道に乗った事業だ。


 ここで止まれば大損害になる。


 けれど。


 エルザは怒らなかった。


 泣きもしなかった。


 むしろ静かに考えていた。


「なるほど」


「なるほど?」


 父が首を傾げる。


 エルザは窓の外を見つめた。


「困りましたね」


「ずいぶん冷静だな」


「だって」


 彼女は小さく笑う。


「怒っても材料は増えませんから」


 ガストンが苦笑した。


「確かに」


「今必要なのは犯人探しではありません」


「では何だ?」


「代わりを探すことです」


 その日の午後。


 エルザは再び領地を歩いていた。


 いつもの生成り色のワンピース。


 革靴。


 肩から手帳を下げている。


 リナが慌てて追いかけた。


「お嬢様、どちらへ?」


「市場です」


「またですか?」


「こういう時こそです」


 エルザは歩きながら考える。


 買い占められた。


 なら別の材料はないのか。


 運送を止められた。


 なら別の方法はないのか。


 問題がある。


 だから改善する。


 その繰り返しだ。


 市場へ着くと、いつもの商人たちが迎えてくれた。


「おや、お嬢様」


「こんにちは」


「顔色が悪いぞ」


「少し困り事がありまして」


 事情を話すと、商人たちは顔を見合わせた。


「なるほどな」


「嫌がらせか」


「らしいですね」


 すると一人の老人が口を開いた。


「だったら鉱山へ行ってみな」


「鉱山?」


「ああ」


 老人は頷く。


「西の山だ」


「何かあるのですか?」


「使い道のない石が山ほど捨てられてる」


 エルザの目が光った。


「使い道がない?」


「そう聞いてる」


 その言葉を聞いた瞬間、胸が高鳴った。


 使い道がない。


 その言葉を前にも聞いた。


 魔導石の残りカスの時だ。


 翌日。


 エルザは西の鉱山へ向かった。


 山道は険しかった。


 土の匂い。


 草の香り。


 鳥の鳴き声。


 汗が額を流れる。


 ようやく到着した鉱山で、彼女は驚くことになる。


「これは……」


 灰色の石が積み上がっていた。


 小さな結晶が混ざっている。


 魔力をほとんど含まない低品質鉱石。


 採掘しても利益にならず捨てられているものだ。


「綺麗ですね」


 リナが呟く。


 確かに夕陽を受けて淡く輝いていた。


 エルザは一つ拾う。


 微かな魔力反応。


 完全な無価値ではない。


「持ち帰りましょう」


「またですか?」


「またです」


 リナは笑った。


 こうなると止まらないことを知っている。


 工房へ戻ると、職人たちは首を傾げた。


「こんな石で?」


「試してみましょう」


 失敗した。


 また失敗した。


 さらに失敗した。


 ガストンは頭を抱える。


「駄目です」


「そうですね」


「全然使えない」


「ええ」


 だがエルザは諦めない。


 何度も調べる。


 砕く。


 混ぜる。


 加熱する。


 記録する。


 そして三日後。


「できた!」


 若い職人が叫んだ。


 工房中が振り向く。


 新しい素材だった。


 従来より安い。


 軽い。


 加工しやすい。


 そして十分な性能がある。


 ガストンが目を見開く。


「信じられん」


「私もです」


 エルザは笑った。


 さらに計算する。


 原価。


 製造費。


 運送費。


 利益率。


 数字を見た瞬間、彼女は息を呑んだ。


「安い……」


「どれくらいだ?」


 父が尋ねる。


「三割です」


「三割?」


「材料費が三割下がります」


 部屋が静まり返る。


 誰も予想していなかった。


 嫌がらせで材料を失った。


 その結果、もっと安い素材を見つけてしまったのだ。


 数日後。


 新型商品は市場へ並んだ。


 性能は同等。


 価格はさらに安い。


 当然売れた。


 いや、以前より売れた。


 商人たちが飛びついた。


 主婦たちも喜んだ。


 注文は増える一方だった。


 その報告を聞いたエルザは静かに微笑む。


 怒ることもできた。


 恨むこともできた。


 けれど。


 それでは何も変わらなかっただろう。


 問題が起きた時。


 誰が悪いかを探す人もいる。


 しかし彼女は違った。


 何を改善できるかを探した。


 その差が少しずつ結果になって現れていた。


 一方その頃。


 ボロア伯爵家ではジュリアンが怒鳴っていた。


「なぜだ!」


 机を叩く。


「材料を買い占めたんだぞ!」


 だが現実は残酷だった。


 ディール家は止まらない。


 むしろ前より成長している。


 ジュリアンは理解できなかった。


 なぜ失敗しないのか。


 なぜ倒れないのか。


 その答えは簡単だった。


 障害を壁だと思う人間と。


 改善の材料だと思う人間。


 最初から見ている景色が違うのである。


 そしてその差は、これからさらに大きく広がっていくのだった。


閉ざされし 道の向こうの 石ころを


磨きて拓(ひら)く 誰より安く



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