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第4話 最初の成功

第4話 最初の成功


 信じてもらえるというのは、こんなにも嬉しいことなのか。


 朝日が差し込む執務室で、エルザは売上帳を見つめながら何度も同じ数字を確認していた。


 見間違いではない。


 改良版の調理補助魔導具は、本当に売れていた。


 最初の百個は三日で完売。


 追加生産した二百個も予約で埋まった。


 市場へ出荷した分も順調に売れている。


 帳簿に並ぶ数字を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 婚約破棄された夜、父と一緒に見た絶望的な帳簿が嘘のようだった。


「お嬢様!」


 勢いよく扉が開いた。


 侍女のリナである。


 頬を紅潮させ、肩で息をしていた。


「どうしたの?」


「また注文です!」


「また?」


「今度は隣領の商人からです!」


 エルザは思わず目を丸くした。


「隣領から?」


「はい!」


 リナは嬉しそうに手紙を差し出す。


 封を切る。


 そこには追加注文の依頼がびっしり書かれていた。


 さらに。


「こちらもです!」


 もう一通。


「こっちも!」


 さらに一通。


 父ベルンハルトが隣で頭を抱える。


「待て待て待て」


「どうしたのですか?」


「工房が足りん」


 その言葉にエルザも我に返った。


 確かにそうだ。


 職人は十人しかいない。


 生産能力には限界がある。


 喜ぶべきなのに、今度は別の問題が現れていた。


「嬉しい悲鳴ですね」


 エルザが苦笑すると、父も笑った。


「本当にな」


 その頃。


 市場では噂が広がっていた。


「ディール家の魔導具を使ったか?」


「あれ便利だよな」


「薪代がかなり減った」


「うちの女房なんか二個目が欲しいと言ってる」


 口コミだった。


 派手な宣伝はしていない。


 だが実際に使った人たちが友人へ話す。


 友人が親戚へ話す。


 それが連鎖していた。


 エルザは後日、市場を歩きながらその様子を見ていた。


 果物屋の前では農婦たちが談笑している。


「火起こしが楽になったわ」


「私も買ったのよ」


「煮込み料理が本当に楽よね」


 聞いているだけで嬉しくなる。


 だが同時に不思議だった。


 なぜこれほど広がったのだろう。


 その時だった。


 市場の入口がざわつき始めた。


「クロイツ商会だ」


「本物か?」


「総帥が来たらしいぞ」


 人々が騒ぎ始める。


 エルザは首を傾げた。


 クロイツ商会。


 王都でも有数の大商会だ。


 魔導具。


 織物。


 香料。


 物流。


 幅広い事業を手掛けている。


 そして若き総帥の名は有名だった。


 ラインハルト・クロイツ。


 二十五歳にして商会を急成長させた天才実業家。


 まさかこんな辺境に来るとは思わない。


 その時だった。


「あなたがエルザ嬢ですか?」


 低く落ち着いた声が聞こえた。


 振り返る。


 思わず息を呑んだ。


 背が高い。


 黒い外套。


 銀色の髪。


 深い青色の瞳。


 整った顔立ち。


 だが何より印象的だったのは、その目だった。


 相手を値踏みするのではなく、観察している。


 そんな目だった。


「はい」


 エルザは一礼する。


「ディール男爵家のエルザです」


「お会いできて光栄です」


 ラインハルトも丁寧に礼を返した。


 周囲がざわつく。


 大商会の総帥が男爵令嬢へ頭を下げたのだ。


「私に何かご用でしょうか?」


「あります」


 彼は即答した。


「あなたの商品を見せていただきたい」


 工房へ案内すると、職人たちは大慌てだった。


 ガストンなどは慌てて作業着を整えている。


「お、おい! 本当に総帥なのか?」


「みたいです」


「胃が痛くなってきた」


 エルザは苦笑した。


 ラインハルトは工房をゆっくり見て回る。


 魔導石の残りカス。


 試作品。


 工具。


 作業台。


 何もかもを注意深く観察していた。


 やがて彼は完成品を手に取る。


「面白い」


「ありがとうございます」


「ですが、私が興味を持ったのは商品ではありません」


「え?」


 予想外の言葉だった。


 ラインハルトは微笑む。


「あなたです」


 エルザは思わず瞬きを繰り返した。


「私?」


「ええ」


 彼は机の上のメモ帳を指差した。


 そこには利用者の意見がびっしり書き込まれている。


「これは?」


「聞き取り調査の記録です」


「全部ですか?」


「はい」


 ラインハルトは小さく笑った。


「なるほど」


 その笑顔には納得の色があった。


「何かおかしいですか?」


「いいえ」


 彼は首を振る。


「私は今まで多くの発明家を見てきました」


「そうなのですか」


「皆、自分の作りたい物を作ります」


 エルザは少し前の自分を思い出した。


 確かにそうだった。


「ですがあなたは違う」


 ラインハルトの視線が真っ直ぐ向けられる。


「利用者の声を聞いています」


「それは当然では?」


「いいえ」


 彼は即答した。


「それができない人間が驚くほど多い」


 エルザは黙った。


 言われてみればそうかもしれない。


 貴族も商人も、自分の都合ばかり考える人は多い。


「あなたは商品を売っているのではありません」


「では何を?」


「困り事の解決を売っている」


 胸がどくりと鳴った。


 それは彼女自身もまだ言葉にできていなかった考えだった。


 ラインハルトは見抜いていた。


 だから驚く。


「それで」


 彼は静かに言った。


「提案があります」


 応接室へ移動すると、紅茶と焼き菓子が運ばれてきた。


 バターの香りが漂う。


 だが誰も菓子に手を付けない。


 緊張していた。


「単刀直入に申し上げます」


 ラインハルトが言う。


「私と組みませんか?」


 父が吹き出した。


「ごほっ!」


「お父様!」


「す、すまん」


 父は慌てて口元を押さえる。


「本気ですか?」


 エルザが尋ねると、ラインハルトは頷いた。


「本気です」


「なぜ私に?」


「利益になるからです」


 実に商人らしい答えだった。


 だが続く言葉は意外だった。


「それに」


「それに?」


「あなたは面白い」


 エルザは思わず笑った。


「変人という意味ですか?」


「少し違います」


 ラインハルトも笑う。


「あなたは人を見ています」


「人?」


「数字だけではなく」


 その言葉が妙に心に残った。


 話し合いは夕方まで続いた。


 販路拡大。


 物流支援。


 資金提供。


 共同開発。


 内容は驚くほど好条件だった。


 契約書へ署名を終えた時、窓の外は夕焼け色に染まっていた。


「これからよろしくお願いします」


 ラインハルトが手を差し出す。


 エルザは少し緊張しながらその手を握った。


「こちらこそ」


 大きく温かい手だった。


 不思議な安心感がある。


 その瞬間。


 エルザはまだ知らなかった。


 この出会いが人生を大きく変えることを。


 そしてラインハルトもまた知らなかった。


 自分が今、王都で最も価値のある才能を見つけたことを。


 夕日が工房を黄金色に染める。


 小さな成功は終わった。


 ここから本当の挑戦が始まるのだった。


誰かの「困った」 溶かす火種(ともしび)は


巨(おお)きな海へと 繋がる河へ



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