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第3話 売りたい物ではなく欲しい物

第3話 売りたい物ではなく欲しい物


 失敗した。


 その事実を認めた瞬間、エルザは胸の奥がひどく冷たくなるのを感じていた。


 窓の外では春の雨が静かに降っている。


 執務室の机には試作品が並んでいた。


 魔導石の残りカスを利用した小型調理補助魔導具。


 魔力を込めると火種を作り出し、薪への着火を助ける。


 開発には一か月以上かかった。


 職人たちと何度も議論した。


 父の反対も押し切った。


 絶対に売れると思っていた。


 なのに。


「在庫が九十八個です」


 執事のハロルドが申し訳なさそうに言った。


 エルザは小さく息を吐いた。


「二個しか売れなかったのですね」


「はい」


 重い沈黙が落ちる。


 向かいに座る父ベルンハルトが頭を抱えた。


「やはり駄目だったか……」


「お父様」


「なんだ?」


「まだ終わっていません」


 そう言ったものの、心は痛かった。


 期待していた。


 自信もあった。


 だからこそ悔しい。


 窓ガラスを叩く雨音が妙に大きく聞こえる。


 だがエルザは首を振った。


 落ち込むのは後だ。


 まず考える。


 なぜ売れなかったのか。


 そこから始めなければならない。


 翌日。


 エルザは試作品を持って市場へ向かった。


 薄茶色のスカートに白いブラウス。


 肩から革の鞄を提げている。


 侍女のリナが心配そうに後ろを歩いていた。


「お嬢様、本当に聞くのですか?」


「もちろん」


「辛いと思います」


 エルザは苦笑した。


「でも聞かなければ次も失敗するでしょう?」


 市場は朝から賑わっていた。


 焼きたてのパンの香り。


 果物の甘い匂い。


 人々の笑い声。


 活気のある場所だった。


 最初に向かったのは農村で知り合った農婦のミラの家だった。


 ミラは二人の子供を育てる母親である。


「こんにちは」


「あら、お嬢様!」


 ミラは驚いた顔をした。


 ちょうど昼食の支度中だった。


 鍋からは野菜スープの湯気が立ち上っている。


 玉ねぎと人参の甘い香りが漂った。


「例の魔導具のことを聞かせてください」


 エルザが言うと、ミラは少し困った顔になる。


「正直に言っても?」


「もちろんです」


 ミラは魔導具を手に取った。


「これ、重いんです」


「重い?」


「はい」


 エルザは目を瞬く。


「それに魔力を流し込むのが難しいです」


「そうなのですか」


「私みたいな普通の主婦には使いづらいんですよ」


 エルザは黙って手帳に書き込む。


 重い。


 魔力調整が難しい。


 なるほど。


 自分では気付かなかった。


 ミラはさらに続ける。


「あと……」


「はい」


「着火だけじゃなくて、そのまま料理にも使えたら嬉しいです」


 エルザの手が止まる。


「料理にも?」


「ええ。火をつけた後は結局薪を使うでしょう?」


「確かに」


「だったら少しでも調理が楽になる方が助かります」


 エルザは目を見開いた。


 考えてもみなかった。


 自分は火をつけることだけを考えていた。


 だが利用者は違う。


 彼女たちは料理を楽にしたいのだ。


 そこに大きな違いがあった。


 その後もエルザは歩き回った。


 農婦。


 宿屋の女将。


 パン屋。


 料理人。


 次々と話を聞く。


 夕方になる頃には手帳が文字で埋まっていた。


 そして共通する結論が見えてくる。


「私は自分が売りたい物を作っていたのね」


 帰り道。


 荷馬車に揺られながらエルザは呟いた。


 リナが首を傾げる。


「それは悪いことなのですか?」


「悪いというより不十分だったの」


 エルザは夕焼け空を見上げた。


「私は火起こしを解決したかった」


「はい」


「でも皆が欲しかったのは楽な料理だった」


 リナはしばらく考えてから頷いた。


「ああ……」


「同じようで違うのよ」


 屋敷へ戻ると、すぐに職人たちを集めた。


 工房には鉄と油の匂いが漂っている。


 職人頭のガストンが腕を組んだ。


「売れなかったんですか」


「ええ」


「悔しいですね」


「そうね」


 エルザは笑った。


「でも原因は分かったわ」


 職人たちが顔を見合わせる。


「改良します」


「どこを?」


 エルザは手帳を広げた。


「軽量化」


「なるほど」


「魔力消費の削減」


「ふむ」


「それと――」


 エルザは口元を緩める。


「鍋を直接温められるようにします」


 工房中が静まり返った。


「え?」


 ガストンが目を丸くした。


「それができれば薪がいらなくなるぞ」


「完全には無理でも補助はできるはずよ」


「面白い」


 職人たちの目が輝いた。


 そこからは忙しかった。


 試作。


 失敗。


 試作。


 失敗。


 試作。


 改善。


 何度も繰り返す。


 エルザも工房へ通い続けた。


 髪には煤が付き、服も汚れる。


 だが不思議と楽しかった。


 誰かに喜んでもらうための改善だったからだ。


 そして二週間後。


 改良版が完成した。


 掌に乗るほど小さい。


 軽い。


 操作も簡単。


 鍋の下に置けば補助熱源として機能する。


 エルザは再び市場へ向かった。


 結果は、その日のうちに出た。


「完売です!」


 夕方。


 商人が興奮した顔で駆け込んできた。


「え?」


「全部売れました!」


 工房が歓声に包まれる。


 ガストンが大笑いした。


「やったぞ!」


 職人たちが拳を突き上げる。


 リナは泣いていた。


「お嬢様ぁ……!」


 エルザはしばらく言葉を失った。


 そして胸の奥から熱いものが込み上げてくる。


 嬉しかった。


 ただ売れたからではない。


 自分たちの考えが認められたからでもない。


 利用者の声が正しかったからだ。


 夜。


 食堂ではささやかな祝宴が開かれた。


 焼きたてのパン。


 鶏肉のロースト。


 じゃがいもの煮込み。


 蜂蜜入りの温かい紅茶。


 久しぶりに家族の笑顔が揃っていた。


 父がワインを掲げる。


「エルザに乾杯だ」


「まだ早いですよ」


 エルザは笑う。


「これからです」


「これから?」


「ええ」


 彼女は改良版魔導具を見つめた。


 最初の成功だった。


 だが本当に大切なことも分かった。


 良い商品とは、自分が良いと思う商品ではない。


 誰かが欲しいと思う商品なのだ。


 その当たり前の事実を、彼女はようやく理解したのである。


 窓の外では春の月が静かに輝いていた。


 その光は、これから始まる大きな飛躍を予感させるように優しく屋敷を照らしていた。


独りよがりの 火種を捨てて 聞く声が


焦げつく日々に 灯す完売(あかり)を





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