手を取り踊る意味は
リオノーラ視点
アステライトは私をソファーにそっと下ろすと、自らも私の隣に座って、心配そうに顔を覗き込んできた。
「顔色はマシになったが、鼓動はまだ少し早いな。ゆっくり息をして」
頬を撫でてくれる大きな手が、ゆっくりと移動して首元にも触れる。
脈拍を確かめているのか、と考えた。
「ごめんなさい。本当に、あんなに人がいっぱいいるところは初めてで……」
私の言葉を、アステライトは静かに受け止めてくれている。
「リオは森で暮らして、普段行っていたのはあの村くらいだろう? ……公爵家に行ってからはどうだったんだ?」
優しい手が離れていく。
それを惜しく思いながら、公爵家での生活を思い返した。
「ええと、城下街に出ることは多くありませんでした。人が多いところへ行くことも特になく、誕生日に観劇に行ったときも兄様がずっとエスコートしてくださっていたのでそれほど意識もせず。あとは王太子殿下主催の夜会などでしょうか?」
アステライトの表情が、なんとも言えない複雑なものになる。
「人は多かったですが、ダンスが終わったらすぐに退席していたので気になりませんでした」
「ダンス……。フォーレスタと?!」
驚きと憤りの混じった声で、アステライトが王太子殿下の名を平然と呼び捨てる。
二人は親友という間柄なのだから当たり前といえば当たり前だけど。
「はい、もちろん踊る順序は二番手以降にしていましたよ?」
ファーストダンスを踊るのは、基本的には婚約者や配偶者だ。
それ以外で踊るならば、意中の相手、恋人関係、良い仲と見られてもおかしくない。
王太子フォーレスタ殿下には婚約者も恋人もいないから、毎回ファーストダンスの相手は身分のある王城勤めの者の配偶者を順繰り誘って踊っている。
それを見て、早くお相手ができればいいのにと皆が嘆くのが毎回、夜会の始まりらしい。
そんな中で私が王太子殿下とファーストダンスを踊ろうものならどうなるか。
恐ろしくてならない。
「確かに…っ、リオはエルトフォード公爵の妹だから、フォーレスタと踊るのも普通だろうけど…っ」
苦々しく歯を噛みしめるアステライト。
ちゃんと礼儀も作法も守っているのに、なにか問題があるの?
「だから、ちゃんと順番も考えていますし、二度は踊っていませんよ? 兄様が外交に出られてからはもっと気をつけています。殿下とはダンスをしながら、必要な政治の内容を報告して、逆に注意すべきことを教えていただいたりして」
ひゅうっと、アステライトが青ざめて、細い息を吸ったのが聞こえた。
「それってダンスをしながらだよな? 周りに聞こえないように話しながら? ……かなり密着してなきゃできないだろ、それ」
「え? ……そう、ですね? 私は踊るのはそれほど上手くないので、距離感は殿下にお任せするばかりですが」
ギチッと、アステライトが拳を握った音が響く。
「フォーレスタめ…っ!! 今度会ったら殴る…っ!!」
「え?! ど、どうして?!」
慌てる私をチラリと見てから、アステライトは私の肩に額を置いてため息を吐いた。
「……何度も夜会に出てたんだな」
「はい、兄の名代として、大きなものだけ。国王陛下のお誕生日と、あとは王太子殿下主催のものでしょうか」
アステライトはますます肩を落とした。
「……どれもこれも、俺は防衛に出ていたら不参加でも咎められない立場にある。……一個でも、出ていたら……」
もっと早く再会が叶っていたに違いない。
きっと、そう言いたいんだろう。
夜会で、二人、再会していたとして。
どんな出会いになっただろうか?
私たちを引き合わせるのはやはりフォーレスタ殿下だっただろうか? それともソーラス兄様?
エルトフォード公爵令嬢だと紹介される。
ウォルフィンリード辺境伯だと紹介される。
それがまさか、ステラだと、リオだと、夢にも思わない引き合わせ。
『私は、どうしただろうか。どんな反応を見せただろうか』
公爵令嬢という身分を得てしまったからと諦めたはずのステラが、辺境伯として立派な姿で眼前に立っていたら。
『身分だって、遜色ない』
公爵家と、国の信用厚い軍侯爵家。
お互い手を取り隣に立って、何ら批判は上がらない。
きっと、初めて、公爵令嬢という身分を得られたことを心から喜べたに違いない。
ステラも身分があったからこそ名を偽っていたんだよね、と問いかけて、彼から真実を聞いて……。
甘く優しい夢を想像した。
だけどすぐに、その想像に蓋をする。
『……違う。間違えちゃだめ』
身分があってもなくても、そんなこと関係ない。
『ウォルフィンリード辺境伯には、長年の想い人がいる』
国中の貴族で知らない者はいない、ウォルフィンリード辺境伯を慕う者なら誰でも知っている、周知の事実。
その人のために早々に養子を迎えて跡継ぎを決め、夫人の身分がどんなものであれ迎え入れられる足掛かりまで整えてあって。
聞いちゃだめ。
言っちゃだめ。
困らせる。
そして、……みじめになるだけだ。
大好きだなんて、そばにいたかったんだなんて、今更言ったところでなんになる?
アステライトはもうとうに、ステラであることをやめている。
隻眼の冒険者ステラを装って、森で一人で暮らす魔女のリオを心配する必要はなくなったのだ。
なにもかもがお互いバレても、この優しくてお節介焼きな狼辺境伯様は、隣領の無力な公爵令嬢を見捨てられなくて引き続き子供扱いしながら助けてくれているんだ。
そうじゃなきゃ、理由が見つからない。
そうじゃなきゃ、やってられない。
……彼が私以外の誰かに触れる未来が確実に来るんだと思うたび、死にたくなる。
だけど死ねないから。
母を凶行に走らせ、父から妻を奪い、兄から母を奪った。
家族をめちゃくちゃにした原因である私が、兄様が幸せになるのを見届けるより先に死んでどうする。
ソーラス兄様が帰ってきたら。
もしくはアステライトの想い人が見つかったら。
早々にエルトフォード公爵家に帰ると決まっている。
今は、束の間の夢だ。
夢のような、偽物の夫婦ごっこ。
仲が悪い、なんてわけじゃない。
周りにもそう見えているといいな。
助けに手を伸ばしてくれたかわりに、ちゃんとやれるだけのことを、ウォルフィンリード辺境伯夫人としてやって、いつ去ることになっても構わないように過ごしていくから。
「リオノーラ……、もうフォーレスタと踊っちゃ駄目だからな…?」
「え?」
思考に沈んでいた私を呼び戻したアステライトの言葉は、なんだか子供がするみたいな嫉妬に似た要望だと思えた。
「なぜ?」
「なぜ、って、そんなの…っ」
至近距離に迫る、美しい青空色。
大きな手が背に回され、感じるその熱に鼓動が跳ねて、体温が上がる。
すっかり覚えてしまったアステライトの手の感触に、身震いしながら、息を継ぐために口を開いた。
その反応を分かってか、重ねられていく唇、絡みつく肉厚の舌。
「リオノーラは俺の妻だからだ」
それだけを告げて、アステライトの口づけは深さを増した。
ダンス一つにも、政治的なやり取りや駆け引きが生まれるのはもちろん分かっている。
そして、こんな状況で、ウォルフィンリード辺境伯夫人として公の場に、夜会に出るなんてことは、きっと絶対にない。
『……あなたと踊ってみたかった、って、言わないほうがいいよね……』
どうせ、口づけに翻弄されて言葉は紡げない。
アステライトに身を任せて、甘い甘い口づけに目を閉じた。
リオノーラ
アステライト




