出陣、見送り、そして約束を
アステライト視点
食事を終えると、ニビアは食器を下げ、部屋を出ていった。
また二人きりになった部屋の中。
リオノーラの血色を取り戻した頬、ちゃんと落ち着いた鼓動や、息遣いを見て安堵する。
「具合は良さそうだな。これなら午後も動いて大丈夫だろう」
そっと伸ばして顔に触れた手を、リオノーラは拒まない。
柔らかな頬、親指でなぞる艶めいた唇。
「ご心配をおかけしました」
俺に触れられたまま言葉を紡ぐから、指先に息がかかる。唇が指を食む。
リオノーラの夜明け色の黒い瞳が、俺を見る。
「先ほどの作業をシアンに任せきりにしてしまいました。見に行かなければ」
惜しいけれど、リオノーラから手を離す。
もっと距離もないほど触れ合っていたいと思っているのが本音だ。
「なら、これから政務事務室へ?」
「はい、そのつもりです」
「もっとゆっくりしておけばいいのに」
「いえ、あと少し詰めてしまわないと、兵たちの善意が遅れてしまうばかりです」
彼女に無理をさせたいわけじゃない。
でも、彼女の行動を制限したいわけじゃない。
そんなリオノーラのやりたいことがウォルフィンリードの兵たちを慮ったことなのだから、なおさら。
「……分かった。送ろう」
諦めというよりも納得に近い思いで、心を落ち着ける。
そしてリオノーラに手を差し出し、エスコートの意を示した。
彼女は少し戸惑って、でも差し伸べた手を拒むこともなく、恥ずかしそうに、どこか嬉しそうに、はにかんで、手に手を重ねる。
なんて柔らかくて小さな手だろうか。
一瞬でも加減を間違えたら、簡単に握りつぶしてしまえそう。
だから決して間違わない。
引き寄せるときも、抱きしめるときも、……抱くときも。
もう手放さない。
隣にリオノーラがいてくれることの喜びを噛み締めて、歩き出した。
廊下へ出ると、戻ってきたニビアがすぐに俺たちの後ろについた。
リオノーラをちゃんとエスコートする俺を見て、まるで母親みたいな眼差しを向けてくるから、内心、どうしても少し照れる。
必死で顔に感情が出るのを押し隠して、政務事務室へ向かう。
俺がいない間に、リオノーラはどれほどの公務をこなしてくれていたのだろうか。
今朝ももう朝の軍議が終わって戻ってきたときには、本来夫人がやるべき公務は終わらせてあって、今まで妻がいないからと俺が城にいるときにはやっていた仕事がすっかり終わっていた。
その分、明らかに時間に余裕があって、軍への采配も、周りへの気遣いも、自分のことをするにも余裕があって。
だからこそ、リオノーラと二人でいる時間を持ちたいのに!!
彼女が俺の仕事を請け負い、この余裕を生んでくれていることを理解している。
でもそのせいでリオノーラが忙しくなって、時間が取れないのは違うだろ!!
内心ギリギリと歯噛みする。
今だって仕事に戻っていいと言ったけれど、このまま攫って二人だけの時間を取ろうと言ってしまいたい。
ほんの少しの時間があるなら言葉を交わすために時間を割かなきゃ、お互いを分かり合うために時間を取らなきゃ、俺なんてすぐ。
「閣下!! また例の異常行動です!!」
「先日の魔物の経路辿ったところっ」
「閣下、城より北のダンジョンに向かって!!」
……ほらな。
ようやく俺を見つけたと言わんばかりに、伝達兵が廊下を駆けてくる。
がっくりとうなだれたのは一瞬だ。
駆けつけてきた彼らも、俺がリオノーラをエスコートしている最中だとわかった瞬間、思わず驚きと躊躇いと遠慮によって身を強張らせた。
「北のダンジョンか。レンゲンに早急にダンジョンへの仮潜降隊を選抜させよ。鎧の用意を。斥候は? 副弓兵団長か? 向かいながら詳しく聞こう、先頭へ来させろ」
ガチリと音が聞こえそうなほど、頭の中が切り替わる。
「はっ!!」
軽く飛ばした指示に、伝達兵たちはすぐに動き出す。
それを見てから、リオノーラに向き直った。
「すまない。行く」
繋いでいた手を離す。
惜しむらく。
そして身をひるがえし、足早に城の外へと向かう俺をリオノーラは追ってきた。
「お見送りを!!」
廊下で騒がしくしていたから、政務事務室の中にいたシアンが飛び出してきて、俺を追って駆け出すリオノーラとそれについてくるニビアを追ってくる。
あっという間に騒がしくなる廊下。外へと行く道すがらにいる使用人や兵士たちの視線が集まる。
「気にしなくていい、リオノーラ。出立前の練兵場は危ないから、来ないほうがいい」
「分かっています。でも、せめて外まで…っ」
必死になってついてくるリオノーラを気遣いながらも、歩調は落とせない。
新たな伝達兵が違う廊下から合流し、俺のあとに続く。
外へと飛び出す。
俺の登場に、準備へと向かう兵たちの間に、ビリリとした畏敬の混ざった緊張感が広がった。
すでに状況を聞いて、軍行の準備のために向かう兵と戦士で騒がしい。
これ以上先までリオノーラがついてくることは、彼女の身にも危険が及ぶ。
それは、リオノーラもよく分かってくれているようだった。
遅れて外へと飛び出してきたところで、彼女は足を止めた。
正直、安堵を覚える。
戦に思考を切り替えて、振り返らず進む俺の背に。
「無事のおかえりを、待っています…っ、アステライト…!!」
息を切らした必死の、どこか泣き出しそうな声を、リオノーラは俺に投げかけた。
振り返らず、行こうと思った。
いつもそうするように。
いつだってそうしてきたように。
「……っああ!! ちくしょうっ!!」
悪態をつくとともに、ぐるりと踵を返す。
一直線に軍へと向かうはずだったのに。
こんなことをしても、意味がないのは分かっているのに。
足早にリオノーラの元へ戻り、息を整えている彼女を抱きしめた。
「アステライト様…っ」
名を呼ばれて、抱きしめ返された。
その抱擁に、胸が熱くなる。
「大丈夫だ、すぐ戻る。……心配するな」
「怪我をしないで、気をつけて…っ」
「怪我をしても、リオが手当てをしてくれるだろう?」
「するけど、けどっ、あなたが傷を負うのはいや…っ!!」
リオノーラが俺を抱きしめる手に力が入る。
それは間違いなく、彼女の本心だ。
ズタボロから無理をするところも、簡単に傷を負うところも、精神的にボロボロだったところまで見られて、知られているのだから。
苦笑混じりに、黒髪に顔を埋めながら耳元で話す。
「もうあんな、若い頃みたいにズタボロにはならないよ」
「信用できない…っ」
すぐさま返ってくる反論に、笑いが堪えられなかった。
「ははっ!! じゃあ、ちゃんと無事戻ってきて証明しなきゃな」
「そうしてください…っ」
笑った俺の片方の目を、顔の片側をリオノーラは優しく撫でて、それからゆっくりとお互い、離れた。
「いってらっしゃいませ」
「ああ、いってくる」
笑顔で応えて、今度こそ、戦場へ向かう。
振り返らない俺を、リオノーラは知っているようだった。
……ちなみに、そんな俺とリオノーラのやり取りの一部始終を見ていた兵や使用人たちが、あまりの驚きで言葉にならない状態だった、なんてことに、俺たちが気づくわけもなかった。
アステライト
リオノーラ
ニビア
シアン
出陣前のウォルフィンリード軍の皆々
ウォルフィンリード城の皆々




