恋の終わりは結婚式
今日は私の結婚式。
そう聞いたら、だいたいの女性はときめきと高揚感と光り輝く愛に満ちた未来なんかを想像して、明るい将来を思い描くんだろう。
確かに、そんなふうに期待を抱いて想像はした。
純白のドレスに身を包んで、頭から真っ白なヴェールを被り、外からは自分の髪色も表情すらも見えないだろう。
理由があって、急いで公爵家から来た自分が持ってこられた荷物は少なく、先だって王太子殿下が用意してここに届けてくれていたウエディングドレスだけがやけに豪華。
私はどうやら一端の貴族なのだから、王命に従った貴族の結婚、とやらに逆らう術もなく、受け入れるしかなく、でもそれに不満を持つほどの権力も持っていなかった。
立場としては、国に四つある公爵家の一つの年頃の令嬢、ではあるけれども。
政治を盾に、国政の不安定さを振りかざして、なおかつ今は国に不在の公爵家の当主である兄の立場や、今後の公爵家の行く末なんかを引き合いに出されたら、了承するしかない結婚だった。
自分の身の安全が公爵家全体の安全に繋がる、と。
仕方ないと思った。
そんなこともあるだろうと、公爵家に正式に妹として引き取られたときに覚悟した。
もう自分自身の中の、ただのリオとしての想いにケリはつけてきたと思っていた。
だから、リオノーラ・エルトフォード公爵令嬢としては王命の結婚に異を唱える気などさらさらなかった。
私が事実を知ったのは、三日前、この辺境伯領にやってきてから。
飛び上がって歓喜した。
実はウキウキとこの結婚式を待った。
だけど、待っていたのは。
同じく王命でこの結婚を受けるしかなかった辺境伯様は、己の結婚式だというのに身なりも整えず、どう見ても防衛戦帰りの薄汚れた戦衣のまま現れ、私の隣に立った。
もともと、内々の身内よりもさらに数を少なくしたこの結婚式。
辺境伯の身内とも呼べる家令長や筆頭メイド長、公爵家からついてきた私の侍女、そして神父様、王家代理の見届け人のみという式に、今引き連れて入ってきた辺境伯の軍の部下たちが数人参列することになった。
もちろん彼らの身なりも戦帰りのままだ。
彼らに非はないことはすぐに分かる。
最高司令官であり、主でもある辺境伯についてきて、そんなナリでここまで来てしまったということにいたたまれなさと驚愕で態度がおかしいのなんてすぐに分かる。
がちゃん。
鎧を、籠手を、剣を鳴らして、辺境伯は花嫁へと身体を向けた。
動きやすさにも重点を置いた、鎧と布鎧を組み合わせた重装備にも負けない立派な体躯。黙っていれば相手を威圧さえしてしまうだろう整った彫りの深い顔立ちは端正で勇ましくある。
全体的に土や返り血、ほこり汚れ、そして同じく薄汚れた金色の髪。
まるで野生の狼だ。
こちらを見下ろした青空色の瞳が、無感情に、いや、苛立ちと憎しみさえ籠もっていると思えるほど冷たく自分を見据えた。
そんな目を見るのは、初めてだ。
今まで見てきた中で、初めてだ。
「俺には好いた女がいる。だからあんたのことは愛さない」
待っていたのは、絶望だった。
その口から告げられたのは、淡く甘い期待を全て消し飛ばす衝撃の事実だった。
胸の内側を激痛が走り、血の気が引き、首の後ろがビリビリした。
そして、……ああ、そうかと納得する。
そうだ。
何を期待していたんだろう、と諦めを抱く。
彼は王命でこの結婚を受け、私もまた同じく王命で結婚を了承した。
貴族の結婚に愛など必要ないものだ。
「跡継ぎには養子の息子がいるから、子供も必要ない。この結婚は国政のための王命だ。それはお互い理解しているだろう? あんたにひどいことをする気も、誇りや立場を蔑ろにしようなんて思ってもいない。あんたの身の安全も生活も保障する。領地の財政を傾けたりしないのであれば、女主人として好きにやってくれ。俺は知ってのとおり、防衛に出てるほうが多いんでな」
淡々と、本来ならこんな神聖な結婚式で、神父様の前で話すような内容じゃない話が一方的にされる。
これから生活を共にしていく花嫁に向けられる辛辣な言葉に、少ない参列者、神父様までぶるぶると震えが見て取れるほど慄いている。
「世に言う『白い結婚』ってやつだ。嫌ならすぐに公爵領へ帰ってくれ。別に責めはしない。王にはどうしてもだめだったって俺から言ってやる」
がちゃり。
鎧の音を立てて、彼は神父様へ向き直った。
言いたいことだけを告げて、あとは私がどう行動するかを待っているのだろう。
ここから走り去ってしまうことを望まれているんだろうか?
泣きながら、こんな結婚など受け入れられないと叫ぶことを望まれているんだろうか?
それもあり得るのかもしれない。
他の女性を愛していると堂々と告げながら、違う女と結婚しなければいけない彼の不憫さに同情さえする。
でも、王命に背いてここから去ることは私も出来ないのだ。
国政のため、隣国に赴いている公爵の兄が帰ってくるまで、あとどれくらいか。
数ヶ月以上、でも一年以内。
王太子殿下は、私が辺境伯に嫁ぐことで身の安全と国政が安定する経緯を懇切丁寧に説明してくれた。
きっと、辺境伯である彼にもだろう。
私はそれに納得した。
国のため、公爵領のため、兄のため。
……本当は私のため?
「委細承知いたしました。民の血税を宝石に変える趣味は持ち合わせておりません」
「はっ、そりゃいい」
笑った声は、ずっと忘れないでいようと心に決めて覚えていた、あの声そのものだった。
だから、ヴェールの下で微笑んだ。
神父様が式を進めていいものかと迷いながら、説話を語り始めた。
ありがたいお話が逆に申し訳なく思えるほど、場の空気は凍りついていた。
もういいのだ。
そう、もういいの。
ただの魔女、リオとしての私はもう居ないのだから。
ただ、最後の最後に一つだけ、どうしても言いたかったことがあるから、それだけを告げたら本当の終わりにしようと思う。
「では、誓いの口づけを」
白い結婚でもこれだけは避けられない、結婚式の誓いの口づけ。
がちゃりと音を立てて、彼がこちらを向き、ヴェールを汚れた手で、それでもそっとめくり上げた。
真っ白な薄布越しから、隔たりのない彼を見る。
見上げた、青空色の瞳。
「あなたの目は隻眼ではなかったのですね。……良かった。一つでも、あなたが怪我を負っていなかったことが知れて、……良かった」
心から、安堵した。
笑えたと思う。
笑顔で告げられたと思う。
ヴェールをめくり上げ、私の顔を見た彼が驚きに息を呑んだのが分かった。
「……そんな…」
絞り出すような呟きが溢れて、それきり彼は言葉を失った。
「伯、口づけを」
こっそりと神父様に急かされ、我に返った彼は戸惑いながら私に唇を寄せた。
ほんの微かに、唇が触れ合う。
少し厚めの唇の感触。
恋い焦がれた、一年以上ぶりの口づけだ。
土と草木の匂い。狩りの後のような血の匂い。私にはとても、馴染み深い匂い。
離れていく。
至近距離だった眼差しが、距離を持つ。
「ここに二人を夫婦とする」
遠慮がちに神父様が宣言した。
同時に、私の恋は終わった。
祝いの拍手も起こらない。
明日からは辺境伯夫人として、貴族らしい愛のない生活の中で責任を持って民と領地と向き合って生き……。
ガバッと抱き上げられた。
「ひゃあっ?!」
驚きすぎてそれ以上声が出ない。
少ない参列者たちも絶句している。
私の頭が彼の頭を越える高さに抱き上げられ、逃げ出す行動など取れるわけもなく、ただただ驚くしかできない。
汚れた鎧に触れて、彼の大きな手が危なげなく私の身体を抱き支えて、純白のウエディングドレスはあっという間に汚れた。
ヴェールは邪魔だと投げ捨てられ、床に残る。
彼は一言も言葉を発せず、誰にも有無を言わせず、私を連れて教会を出た。
そのままの勢いで城へ向かい、あれよあれよと彼の自室だろう、立派な部屋に連れ込まれる。
「あの? なに……? 辺境伯様?」
ベッドに投げ下ろされ、わけも分からず戸惑って彼を呼ぶ。
今までに呼んだことのない、彼の身分を示して。
明らかに、彼の機嫌を、気分を、害したのだと分かった。
端正な顔に怒りが飛んで、青い目の奥に燃えるような欲望が灯って、次の瞬間には噛りつかれるように唇を奪われていた。
「んーーーーっ!!」
口を塞がれたまま、呻いて、叫んでみたが全く意味をなさない。
至近距離で怒りに満ちた青い目がギラリと輝く。
それはまさしく、獲物を得た狼の眼差しだった。
そして、私は朝まで離してもらえなかった。
ついでに言うなら、彼が次の戦いに出るまでの三日間、全部の夜を。
私が知っている『白い結婚』って、子作りというか夫婦生活的なものを何もしないものなんだけど?!
それとも何か別の『白い結婚』ってあるの?!
貴族のルール、やっぱりまだ全然分かんないよ!!
好いた女性が他にいるんでしょう?
私を愛さないんでしょう?
甘い夢を見ていたのは私。
全部すっぱり諦めてここまで来たんだから、期待なんてさせないで。
リオノーラ・エルトフォードの夫は辺境伯だけれど。
魔女リオが愛したのは辺境伯じゃない。
片目に眼帯をはめた、狼を思わせる冒険者ステラ。
それは決して、辺境伯アステライト・ウォルフィンリードではない。
……私の恋は、とうに終わったのだ。
不器用同士の恋がどう結実するか、見守ってください。
ダブル主人公のため、視点が入れ替わります。
誰の視点であるか、今後前書きにて一言入れさせていただきます。




