21 やりますね
薬師管理組合を出て、ポイード薬局へ向かう道を歩いているのに、胸の奥のざわざわがどうしても消えなかった。
王都の空気は乾いていて、人の流れは絶えないのに、あちこちから咳の音が聞こえる。
ごほ、ごほ、と苦しそうな音が風に混じるたび、胸がぎゅっと縮んで、足を止めたくなる。
止まっている暇なんてないのに。
隣を歩くホースシューのリーダーが、ちらりと私を見た。
さっきまであんな重たい空気の中にいたのに、この人はもう少しだけ普段の顔に戻っている。
「こんなに簡単に許してよかったのかい?」
その問いに、私は前を向いたまま小さく息を吐いた。
「よくないです。ほんとは、ぜんぜんよくないです。言いたいこと、いっぱいありますし」
免許を破られた日のこと。
祖母の家に帰って泣いた夜。
村でひそひそ言われたこと。
どれも、きれいさっぱり消えたわけじゃない。
それでも、今は。
「でも、いまは薬が大事だから。ほんとはね、お願いされたら“やりません。やれませんのよ。おほほほ”って言うつもりだったんです」
言いきる前に、リーダーが吹き出した。
「ぶはーー」
私は思わず足を止め、顔が熱くなる。
「ちょっと、最後まで言わせてください」
「悪い悪い。いや、似合わないなと思って」
「わかってますよ」
そう返すと、リーダーはまた笑った。
その笑い方は、馬鹿にするようなものじゃなかった。
少しだけ、胸が軽くなる。
◇◆◇◆◇
ポイード薬局に着くと、店の前にも中にも人がいた。
咳をしている人、疲れた顔の人、不安そうに順番を待つ人。
前にここを追い出されたときとは、まるで違う気持ちで扉を見上げる。
それでも、足はほんの少しだけためらった。
ジェフ様が先に入り、事情を説明し始める。
張りつめた空気を振り払うように、私は見習いの作業場へ向かった。
ここだ。
毎日使っていた場所。
秤の位置も、棚の高さも、窓から入る光の角度も、全部覚えている。
でも、戻ってきたのは見習いとしてじゃない。
そのことが胸にちくりと刺さった。
埃っぽい作業場を見て、私は袖をまくった。
まずは掃除だ。
祖母がいつも言っていた。「場を整えないと、いい薬はできない」と。
リーダーが桶を持って入ってくる。
「水を汲んできた」
「ありがとうございます」
桶の水に手を添え、私は心の中でそっとつぶやく。
きれいになれ。
声には出さない。
昔からそうしてきたみたいに、ただ静かに願う。
雑巾を絞り、作業台、棚、床、秤、すり鉢、瓶の台……触れる場所を一つずつ磨いていく。
拭き終えるころには、空気が少し変わっていた。
「うん、さすがのお部屋だ」
思わずつぶやくと、リーダーが肩を揺らした。
「自分で言うのかい」
「掃除した人の特権です」
***
ジェフ様の指示で薬草が運ばれてくる。
咳に効くもの、喉を守るもの、熱を和らげるもの。
見ただけで、だいたいの状態がわかる。
「手順も分量も、自由にメモしてください。独占するつもりはありません」
薬師たちが驚いた顔をする。
「本当にいいのか?」
「はい。困っている人が多いんでしょう。だったら、早いほうがいいです」
自分でも不思議だった。
前なら、もっと意地を張ったかもしれない。
でも今は、謝罪の言葉より、苦しんでいる人の咳のほうが大事だった。
鍋に水を入れ、薬草を量り、刻み、火にかける。
湯気が立ち、薬草の匂いが広がる。
喉の奥にすっと通る、あの匂い。
「この配合で?」
「はい。でも火加減は見てください。煮立てすぎると香りが飛びます」
「なるほど」
「この葉は最後です。飲んだ人がほっとする匂いが残るから」
祖母ならもっと上手く言ったかもしれない。
でも、薬師たちは真剣に聞いてくれていた。
鍋が一つ終われば次へ。
冷まして、こして、瓶に入れ、また次。
手を止める暇はない。
途中で味と香りを確かめた薬師が、小さく息をのんだ。
「これは……」
「夜に咳がひどい人向けです。喉を乾かしすぎないように」
比較の言葉が出かかった薬師もいたが、私は聞かなかったことにした。
腕はだるくなっていたけれど、まだ作れると思った。
次は眠りを助ける薬を――そう思ったとき、リーダーが近づいてきた。
「後は任せても大丈夫だ」
「でも、まだ足りないかもしれません」
「今日は宿に泊まろう。明日も手伝って、それから村へ帰る。パーシーが知らせに行った」
祖母の顔が浮かぶ。
心配するだろうけど、知らせが届くなら安心だ。
それでも、鍋を見つめる。
まだ作れる。まだ動ける。まだ――。
そんな私の気持ちを見抜いたように、リーダーがやわらかい声で言った。
「ダイアナ。おまえが倒れたら意味がない」
言い返しかけて、やめた。
その通りだった。
「……わかりました」
免許は破られた。
でも、この手は残っている。
薬草の匂いも、祖母の知恵も、ちゃんと覚えている。
だったら、まだ終わっていない。
「明日も作ります」
「頼む」
私は小さくうなずいた。
きれいにした作業場。
並ぶ瓶。
書き写される手順。
忙しく動く人たち。
あの日失ったものは大きかった。
でも今日、同じ場所で、少しだけ取り戻せた気がした。
桶の残り水にそっと触れ、心の中でつぶやく。
きれいになれ。
水も、薬も、人の気持ちも。
胸にたまっていた口惜しさも。
全部は無理でも、せめて今夜、少しでも多くの人が眠れますように。
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