草津
天環へ戻り山下はゴーグルを外し、スーツを脱いだ。
そのときだった。
風が吹いた。
正確には、空気の流れが変わった。
山下は何かを感じた。
「……?」
嗅いだことのある匂い。
臭い。
なのに、どこか嬉しい。
侘び寂びを感じるような。
冬休みを感じるような。
ワクワクを感じるような。
「……草津だ!」
「何?」
ウィが聞く。
「ウィ!」
山下は叫んだ。
「硫化水素だ!」
「硫化水素?」
「そうだ!」
山下は研究室へ走った。
「地球には硫化水素を利用する生物がいる!」
「なにを言っているの?」
山下は端末を開いた。
「僕はさっき、防護スーツから匂いを感じた」
「匂い?」
「硫化水素だ」
「君たちが排出した汚染物質は地球では硫化水素と呼ばれている。」
「温泉なんかで発生する」
「温泉?」
「地面から硫化水素が出てくる場所があるんだ」
「それを地球の生物が利用している?」
「そう」
山下は紅色硫黄細菌のデータを表示した。
「こいつらは硫化水素をエネルギー源として利用できる」
山下は続ける。
「そして、近赤外線を使って光合成ができる」
「つまり、この星でも?」
「この星なら、むしろ地球より条件が合う可能性がある」
ウィは画面を見つめた。
「じゃあ、」
「ウィのお父さんが言っていたのはこいつらのことだ」
「私たちの争いによってうまれた有害物質を、地球の生物が食べてくれる…?」
「そう」
「その生物が硫化水素を減らしてくれれば」
「トラピスト1eの植物を戻せる」
「植物が戻れば」
「ルポルムが戻る」
「ルポルムが戻れば」
「君たちが、この星でまた普通に暮らせる」
ウィは二体の身体を思い切り震わせ、笑った。
「じゃあ、地球へ行こう」
「いやまて。地球に行くには何年かかるんだ…」
山下はまた地面にたたきつけられた気分でブツブツと計算を始めた。
「山下」
「これじゃあ寿命が足りないよ」
「山下。寿命足りるわ」
「あ、そうだった」
なぜ光速を超える移動が可能な高度な技術があって、ウィは、1e人は、自身の生態のことを解明しないんだ。とふと山下は思う。
「紅色硫黄細菌を持って帰る」
「うん」
「そしてこの星を救う」
山下は頷いた。
「ただし」
「何?」
「一つだけ覚えておいてほしい」
「何?」
「地球の生物を持ってきたからって、地球と同じ星にする必要はない」
ウィは黙って山下を見る。
「この星には、この星の植物がいる」
山下は言った。
「この星には、この星の生き方がある」
「……」
「僕ら地球人がするのは君たちの星が、もう一度自分のやり方で生きられるようにすることだ」
ウィは笑った。
「やっぱり山下は強いね」
「ありがとう」
「かわいい」
「それは関係ないだろ」
「かわいいは強さよ」
「そうだった」
「さあ、地球に飛び立つ前に最後の食事よ」
「そういえば僕らは食べる前に手を合わせるよね」
「これは食糧をありがとうって意味よ。植物に、分解生物に、すべての生き物に感謝をするの」
「奇遇だね。意味も全く一緒だ」
「父が教えてくれたの」
ウィは太陽を見ながら言う。
「お父さんは日本に来たのかな、なんてね」
山下は笑う。
「日本?」
「僕の故郷の国さ」
「手を合わせながら『いただきます』っていうんだよ」
「いただきます?」
「そう」
「一緒に言ってみる?」
「言ってみる!」
『せーの』
『いただきます』




