父
「そういえばウィ」
山下は思い出した。
「見せたいものがあると言ったな」
「そう」
ウィは研究施設へ山下を案内した。
ここまで来て、山下はようやく、この星を救うための具体的な手がかりを見ることができるのだと思った。
植物が絶滅し、大気が変わり、二千万人もの人々が生きることさえ難しくなっている。
それでもウィは、地球までやってきた。
きっと、何か方法があるのだ。
「これよ」
透明な容器の中で、奇妙な生物が動いている。
山下は容器を覗き込んだ。
地球で見たどんな生物とも違う。
それでも、生きているということだけは不思議と分かった。
「これは、私たちがルポルムを吸って吐き出すガス、ポルルムを使って生きる分解生物」
「そしてこの分解生物の吐き出すテポトラウムが植物のエネルギー源になるの」
山下は容器の中の生物をじっと見つめた。
植物だけを見ていては、この星の生態系は理解できない。
植物がいて、分解生物がいて、ガスがあって、そのすべてがつながっている。
地球であたりまえだと思っていた生態系も、きっと同じなのだろう。
「つまり、植物が絶滅したのはそいつら分解生物の数が極端に減少したから?」
「どうやらそうではないみたいなの」
「見ての通り分解生物はこんなにいる、私たちが戦争によって出したサルミナルが蔓延する前とさほど数は変わっていないわ」
「じゃあ先に植物が絶滅したのはサルミナルのせいだな」
「そう。でもね当初サルミナルは害のある物質じゃなかったの。ちゃんと数十年にわたってそのことが証明されたうえで兵器を作っていた」
山下は少し眉をひそめた。
「しかもルポルムだけじゃない。なぜか大気中のサルミナル濃度も年々低下している」
「そこで分解生物をもう一度調べたの。そうしたら八分の一の確率でサルミナルを取り込んで何か別の有毒物質を吐き出す個体に変わっていた」
ウィはデータを山下に見せた。
画面には、いくつもの数字とグラフが並んでいる。
戦争によって生まれた物質。
それを取り込む生物。
そして、その生物が新たに生み出した物質。
山下は画面を見ながら、頭の中でそれらをつなげていった。
「環境適応が早いな」
「でも植物はその未知の物質に適応できなかった」
「まて、サルミナルが減っているならその変異個体が絶滅するのも時間の問題なんじゃないか」
「だとしても無理よ」
ウィの声が少し低くなった。
「この有毒物質が大気からなくなるまでに膨大な年数がかかるわ。その前に私たちが絶滅する」
山下は黙った。
数字だけを見れば、いつかは解決する問題なのかもしれない。
しかし、その「いつか」まで生き残れる保証がない。
それが、この星の現実だった。
「でも地球ではなぜかこの有毒物質が普通に存在している。そうでしょう?」
「なんでそんなことがわかるんだ?」
「とにかくそこにはその有毒環境で生きている植物がいるはずだわ!」
ウィの声に、少しだけ希望が戻った。
「ウィ、待って。ちゃんと教えてくれ」
「……ウィが聞いたのはこれだけよ」
「どういうことだ? 誰に聞いた?」
ウィは黙った。
さっきまで画面を指しながら説明していた二体の身体が、ぴたりと止まっている。
そして、しばらくしてから口を開いた。
「化学チームにいたウィの父よ」
山下は何も言わなかった。
「二年前に突然亡くなった。この星は父が救ってくれるはずだった」
「そうだったのか……」
ウィが父のことを話すのを、山下は初めて聞いた。
これまでウィは、いつも笑っていた。
惑星が滅びかけていても、地球人に会えても、配信で何百万人を相手にしていても。
そんなウィが、父の話をした瞬間だけ、子供のように小さく見えた。
もしかしたらウィがやけに大人びいた口調で話すのは、結構幼い固体だからなのかもしれないな、と山下は思った。
「父は地球に行ったことがあると言っていたわ」
「地球に?」
「そう、だから地球の植物を連れてくればこの星は助かるかもしれないって」
山下は目の前の生物をもう一度見た。
父親は、何を知っていたのだろう。
いつ地球へ行ったのだろう。
なぜ?
今となっては、その答えを知っている者はほとんどいない。
少なくとも、山下が知る限りでは。
「何の物質で何の植物のことかわからないが、ウィ。それは無理だ」
「なぜ?」
「僕らはどうやら見ている世界が全然違う」
「?」
「この星はウィたちにとってとても鮮やかなのかもしれないが、この世界は僕には暗い」
「どういうこと?」
「さっきウィが都市を見てカラフルだと言っていて分かった」
「君には僕のこともカラフルにみえているだろう? ここの生物と同じように」
山下はゴーグルをかける。
「君はそんなに鮮やかな色をしていたんだね」
「山下何してるの?」
「さっき、ウィが地上をカラフルだと言っていて思い出した。僕と君では色の見え方が違うんだ」
「色の見え方が違う?」
「そう」
「それが地球の植物にどう関係するの?」
山下は研究室の中を見回した。
ここにある生物も、植物も、そして大気も。
すべてが自分たちとは違う世界を見ているのかもしれない。
同じ場所に立っていても、同じものを見ているとは限らない。
「つまりこの星の光で地球の植物は生きれないんだ」
山下は生物を観察した。
「地球の植物は、基本的に可視光線を使って光合成をする」
山下は研究データを表示した。
「トラピスト1eの太陽には、近赤外線が多い」
「近赤外線?」
「鮮やかに見えるのは近赤外線の波長によるものだ。そして僕らの目では、ほとんど見えない光だ」
ウィは力が抜けたようにドサッと足をしまった。
「どうしたらいいの……」
「しかも植物はもうないんだろう?」
「いや、あるわ」
ウィは顔を上げた。
「植物はたしかに絶滅したわ。でも、遺伝情報まで全部失われたわけじゃない」
「ここは?」
「保存庫よ」
「まさか」
山下は部屋の奥を見る。
そこには、長い時間を超えて残されたデータが並んでいた。
科学チームが残した、かつてこの星に存在していた植物の記録。
それは、この星が完全に過去を失ったわけではないことを意味していた。
「ここで今は十分な量ではないけれど、人工的に食糧となる植物を培養している」
科学チームがかつて残した、植物の遺伝情報。
それを培養する技術は、まだ残っている。
ウィは研究室を見回した。
「山下、この星を救える?」
「それは……わからない」
山下とウィは地面に叩きつけられた気分だった。
「とにかく植物の遺伝情報があるなら何か手があるかもしれない。それを地上に適応させるとか」
「本当?」
そんなことができたら、ウィの父が既にやっているはずだ。
山下はそう思った。
それでも、今ここで「無理だ」と言うことはできなかった。
父親が残したものがある。
この星の植物の遺伝情報がある。
そして、地球にはまだ知らない生物がいる。
分からないことばかりだった。
しかし、分からないからこそ、探査する意味がある。
「ウィ、そして僕。諦めるな」
山下は暗くどんよりとした地上を見て言った。




