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第二十八話、合理性を追い越して

第二十八話です。


麻倉部長たちを振り切り、結衣の入院する病院へ向かう蒼汰。


車と電車を乗り継ぎ、時間と距離を計算しながら、最短の経路だけを選んでいきます。


けれど、ひとつだけ計算できないことがありました。


なぜ、自分はそこまで急いでいるのか。


一方、病室では、結衣が蒼汰から届いたメッセージを見つめていました。


思考より先に動いた蒼汰と、終わらせたはずの関係にもう一度手を伸ばす結衣。


二人の時間が、再び動き始めます。

 携帯電話をポケットにしまうと、車のキーを取り出して急いで車に乗り込んだ。


 キーを回すとエンジンが低く唸りはじめた。

 回転数が安定した瞬間にクラッチを切り、ギアをローに入れて発進。

 余計な確認はしない、必要なものだけを拾う。


 駐車場から出たと同時に速度を乗せていく。

 ……二速。

 ……三速。

 ……四速。

 ……五速。

 クラッチを蹴り、シフトを吸い込ませる。矢継ぎ早のギアチェンジで、瞬時にオーバートップまで加速を叩き込み、直線道路を切り裂くようにして更にアクセルを踏み込む。

  

 回転数が落ち着く前に、思考はすでに目的地までのルートを組み立てていた。

 

 ――車で病院まで直行すれば、時間がかかり過ぎる。

 この時間帯の高速道路は、トラックが多い。

 インターまでの距離。

 合流の渋滞。

 病院周辺の駐車場。

 不確定要素が多すぎるので除外。

  

 ――病院の最寄り駅は、京神電鉄華町駅。

 だが、ここから近い燕丘駅では特急が止まらない。しかも、車を置く場所がない。これも除外。


 ――ふたつ隣の小鳥遊駅。

 特急車両も停車する。

 駅からすぐの場所に駐車場もある。

 そこに車を停めて、そこから電車に乗る。

 

 ――途中の、中洲川駅で同駅に連結している、京神電鉄の車両に乗り換えて、華町駅まで向かう。


 その際に、病院から最も近い東改札口に素早く降りるため、車両に乗り込む際には最後尾の車両に乗り込む。


 マップ検索をしたら、徒歩で向かう場合の駅から病院までの時間は約五分となっていたが、自分の歩行速度なら約半分で到着できる。

 

 ――ここを右。

 減速と同時に素早くハンドルを切り、その次の二つ目の信号の手前のパーキングを目指して、ふたたび車を加速させる。


 ――空きはある。

 迷わず駐車場に車を滑り込ませ、ギアを抜く。

 サイドブレーキを引いてエンジンを停止させる。


 ドアを開けた瞬間、外の空気が肌に当たる。

 足はもう駅の方へ向いていた。

 

 車を駐車させると、足が自然と駅までの最短ルートを選ぶ。呼吸が少しだけ荒くなる。それでも、止まる理由はない。


 改札でICカードをかざして、駅のホームまで走る。

 ――間に合ってくれ。

 

 ちょうど、電車が滑り込んでくるところだったので、そのまま乗り込む。


 通勤通学の時間帯からは外れていたおかげで車内は、思っていたよりも空いていた。 

 空いている席には目もくれず、ドア付近に立つ。

 

 扉が閉まり、アナウンスと共に電車が動き出す。

 窓の外の景色が、そこにあるもの全てを置き去りにしていくかのように、流れていく。


 規則的に並ぶ建物と、線路沿いのフェンスが線のように見えていた。

 

 それらを、ぼんやりと目で追う。

 ――ここまでは、順調だ。

 いつもどおり最短で動き、無駄を省き、必要なことだけを選んでいた。


 身体は止まっている。

 だが、思考だけはまだ走っていた。

 

 ――なぜ動いた?

 思考が遅れて追いついてくる。


 彼女が入院していると聞いた。

 その場所も分かった。

 距離も時間も、計算すればすぐに出る。


 だから向かう。

 それで成立しているはずだった。


 だが、その説明に納得していない自分がいる。

 もし本当に“必要な行動”なら、もっと早い段階で判断していたはずだ。


 業務を優先するか、後日に回すか。

 いつも通り、最適な順番を組み立てて終わっていたはずだ。


 なのに、今回は考えるより先に、動いていた。

 最短ルートを組み、無駄を省き、時間を削る。

 やっていること自体は、いつもと変わらない。

 

 ――それでも、その起点だけが説明できない。

 いつもと違っていたのは、そこに至るまでの起点だった。


 なぜ行くのか。

 なぜ、今でなければならないのか。

 なぜ、返信も待たずに動いているのか。

 そのどれもが、きれいに説明できない。


 ――合理的ではない。

 そう結論づければ、それで済むはずだった。

 だが、その非合理を選んだのが自分である以上、切り捨てるだけでは終わらなかった。


 分からないままでも、足は止まらない。

 むしろ、止めようとする思考の方が遅れている。


 窓に映る自分の顔を見る。

 ——いつもと同じ顔だ。

 そう判断した瞬間、わずかに違和感が残る。


 同じであるはずなのに、どこか噛み合っていない。

 その正体に名前をつける前に、思考を切り上げる。

 考える意味がない。

 そう結論づけるのが、一番早い。


 ―――

 病室の中は、静かだった。


 白い天井。規則的に鳴る空調の音。

 カーテン越しに差し込む、薄い午後の光。

 ベッドの上で、携帯の画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。


『突然の連絡、失礼します。今、病院に向かっています。もし負担でなければ、少しだけお時間をいただけますか』


 彼から届いた文を何度も読み返す。

 責める言葉ではなかった。

 理由を求める言葉でもなかった。

 ――ただ、来ようとしている。


 その事実だけが、胸の奥に静かに落ちてくる。

 会いたくないわけではない。むしろ、その逆だった。

 だからこそ、すぐには返せなかった。


 終わりにしたのは自分だ。

 これ以上近づかない方がいいと決めたのも、自分だ。


 それなのに、画面の中の文面を見ていると、あの日の車内の静けさや、差し出されたあざらしのぬいぐるみの軽さが、順番に戻ってくる。


 ――来てほしい。

 そう思ってしまった。

 でも、その言葉をそのまま打つことはできなかった。


 だから代わりに、必要な情報だけを入力する。

『◎◎◎号室にいます』


 送信ボタンの上で、指が一度だけ止まる。

 これを送れば、彼は来る。

 分かっていた。

 分かっていて、それでも指を押した。

 ―――

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


今回は、蒼汰が結衣のいる病院へ向かう途中の場面でした。


最適な交通手段。

車を停める場所。

乗るべき電車。

乗り換える駅。

病院に近い改札口。

駅から病院までの所要時間。


蒼汰は、いつも通り無駄を省き、最短の経路を組み立てています。


けれど、今回だけは、その行動の起点を説明できません。


なぜ行くのか。なぜ今でなければならないのか。

なぜ返信を待つことすらできないのか。


合理的ではないと分かっていながら、それでも足は止まりませんでした。


そして結衣もまた、すぐには「来てほしい」と言えません。


彼女が送ったのは、病室番号という必要最低限の情報だけです。


けれど、その短い返信は、結衣なりの精いっぱいの「会いたい」でもあります。


言葉にできないまま動いた蒼汰と、言葉を削ることで彼を受け入れた結衣。


蒼汰の疾走は次回も止まりません。

結衣から返信が来たことで更に加速していきますので、見ていただけたら嬉しいです。

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