表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/34

第二十六話、後からじゃ間に合わないこともある

第二十六話です。


結衣が入院していることを知った蒼汰。

職場に戻れば、そこにはいつも通りの忙しさがあり、やるべき仕事も残っていました。


関係はもう終わっている。

そもそも、男女としての交際をしていたわけではない。

聞く立場でも、会いに行く義務があるわけでもない。


それでも、映画館で触れた冷たい指先と、結衣が入院してるという事実、佐伯から聞いた病院名が、蒼汰の中で消えずに残り続けます。


今回は、蒼汰が「聞かないこと」と「何もしないこと」の違いに気づき、迷いを抱えながらも動き出す回です。

 職場に戻ると、相変わらずの忙しさだった。


 人手は足りておらず、各自が自分の持ち場で手一杯になっている。


 やるべきことはある、今抜けるのは非効率だ。そう判断する材料はいくらでも揃っていた。


 それでも、入院しているという言葉だけが同じ場所に戻ってくる。


 専門医のいる病院。

 少し前から体調を崩していた。

 面会できるかは分からない。

 それらの言葉を順番に並べても、うまく処理できなかった。


 ふと、映画館の暗闇を思い出す。

 座席の境界で一瞬だけ触れた、彼女の指先。

 驚くほど冷たく、汗を帯びていた。


 あのとき、理由は聞かなかった。


 聞かないことが、その場ではいちばん彼女を壊さない選択だと判断した。それは、間違っていない。


 しかし――

 聞かないことと、何もしないことは同じではない。

 そこだけが、うまく切り分けられなかった。

 

 病院名をもう一度、頭の中で反芻する。


 終業後に向かえば、面会時間に間に合わない可能性がある。

 しかし、この時間に出ればまだ間に合う。


 会えるかどうかは分からない。彼女がそれを望むかどうかも分からない。

 会えなければ帰ればいい。

 拒まれれば、それ以上踏み込まなければいい。

 そこまでは整理できる。


 それでも、なぜ行こうとしているのかだけが分からなかった。


 関係は終わっているし、連絡を取る義務もない。

 見舞いに行くような間柄でもない。

 理屈としては成立している。


 ――だが、

 成立していることと、完了していることは別だ。 

 その結論だけが、静かに残る。


 なぜそこまで気になるのかだけが、どうしても説明できなかった。

 

 やがて、区切りのついたタイミングで、顔を上げて近くにいた先輩に声をかけた。


「……すみません、早退したいのですが」 

 言ってから、少し遅れて気づく。

 理由を考えていない。


 説明しようと思えばできる。

 知人が入院した。

 面会時間に間に合わないかもしれない。

 少し様子を見に行きたい。


 どれも間違いではないけれど、どれを口にしても後から貼りつけた理由にしかならない気がした。

 

 先輩は、すぐには返事をしなかった。

 こちらの顔を見る。それから、ほんの一瞬だけ視線を外した。


「……そういう日もあるよな」

 小さく息を吐いてから、続ける。

「いいよ。行ってこい」

「理由を考えるより先に動いたほうがいいこともある」

「……後からじゃ、間に合わないこともあるからな」

 それ以上は何も言わなかった。 

「いつも助けてもらってるからな。そのかわり今度、メシ奢れよ」

 と軽く言った。

「感謝します」

 それだけで、動くには十分だった。


 更衣室へ向かい作業着の上着を脱いで、鏡に映った自分を一瞬だけ見る。

 ——本当に行くのか。

 問いに対する答えはもう出ているはずなのに、どこかでまだそれを言葉にしきれていなかった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


今回は、結衣の入院を知った蒼汰が、職場に戻ってから早退を決めるまでの場面でした。


やるべき仕事はある。

今抜けるのは非効率。 関係は終わっている。

見舞いに行くような間柄でもない。

理屈としては、行かない理由はいくらでも成立します。


けれど、蒼汰の中では「聞かないこと」と「何もしないこと」が、同じではなくなっていました。


踏み込まないことは、相手を尊重するための選択です。 でも、相手が危うい場所にいると知ったとき、何もせずにいることが本当に誠実なのか?


その問いが、蒼汰を動かします。

そして今回は、そんな蒼汰を後押ししてくれる先輩の存在も大事に書きました。

理由を細かく聞かず、「そういう日もあるよな」と送り出してくれる人。


蒼汰がこれまで誰かにしてきた距離感を、今度は彼自身が受け取る場面でもあります。


次回、蒼汰は病院へ向かうために動き出します。

けれど、その前にもうひとつ、彼の前に立ちはだかるものがあります。


引き続き読んでいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ