第二十四話、鳴り続けるもの
第二十四話です。
別れの通話が終わったあとも、蒼汰の中には処理しきれないものが残ります。
結衣の沈黙は、何を意味していたのか。彼女の言葉には、本当にこちらを動かそうとする意図があったのか。
臨床心理の視点から冷静に分析しようとする一方で、車内にはあの日と同じ紅月の楽団のディスクが流れ続けています。
変わったものと、変わらないもの。終わったはずなのに、まだ鳴り続けているもの。
今回は、別れのあとに残る静かな余韻を書きました。
――本当にそうか?
ただ、言わなかっただけで中身は同じではないのか。
それらの言葉を使わなかった可能性はいくらでも挙げられる。
臨床心理の観点からもう一度、先ほどの出来事を頭の中で反芻する。
言葉の選び方、沈黙の長さ、息を整えるまでの間。
謝罪の前に、ほんのわずかに滲んだ声の震え。
――沈黙には種類がある。
相手の反応を待つ沈黙、責任を預ける沈黙。言葉にできないものを、どうにか抱え込むための沈黙。
先ほどの彼女の沈黙は、少なくともこちらを操作するためのものではなかった。
彼女は、許してもらおうともこちらに何かを背負わせようともしていなかった。
ただ、自分で選んだ終わりを自分の手で置いていっただけだった。
――だから、分類できない。
切り捨てるための理由が成立しない。それが、いちばん厄介だった。
時計の運針、冷蔵庫の駆動音。意識しなければ拾わない程度の日常のノイズ。部屋の物理的な静寂に変化はない。
それなのに、今の自分にとっては、もはや以前と同じ静けさではなかった。
違いがあるとすれば、さっきまで手の中にあったものが、もうないということくらいだった。
連絡先の削除画面まで進みながら、結局、指は動かなかった。消せば終わる、終わらせる理由も作ろうと思えば作れる。
——無理に理由を探す必要はない。
いくら考えても、自分自身を納得させるだけの理由が見つからなかったので、今すぐ処理しなくてはならない事ではないと判断し、そのまま画面を閉じて連絡先も写真もそのまま残すことにした。
そう割り切ったはずなのに、どこか一箇所だけ、処理できないまま残っていた。
翌朝もいつもと同じように、車に乗り込みエンジンをかけ、いつも通りの手順で発進する。
しばらく走ってから、音が鳴っていることに気づいた。再生されていたのは、あの日に流したままのディスクだった。
数曲が過ぎたところで、硬質なギターの音が車内に滑り込んできた。
曲名は、『黒曜の残響』。
最初に鳴る音は、懐かしいはずなのに、どこか別のもののように聞こえた。
以前どこかで触れたはずの旋律が、削られ、磨かれ、余計な熱を失ったまま、もう一度こちらへ差し出される。そんな感じだった。
――美しい、とは思う。
けれど、その美しさは柔らかいものではない。触れれば、指先に細い傷が残るような種類の音だった。
あの日、彼女が助手席に座っていた時間と、直接つながっているわけではない。それでも、その曲が流れ始めると、車内の空気だけが少しだけ変わった。
終わったはずのものが、別の形で鳴り直している。そう感じても、不思議と違和感はなかった。
彼女の声が聞こえるわけでも、横顔が浮かぶわけでもない。ただ、消したはずのない何かが、音の奥でまだ息をしていた。
差し替えなければならない理由は特にない。だから、そのまま止めなかった。
音だけが、あの日と変わらないまま続いている。それがそこにあること自体、いつの間にか日常の一部になっていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、通話が終わったあとの蒼汰の内面を中心に書きました。
蒼汰は結衣の言葉や沈黙を、臨床心理の観点からもう一度見直します。言葉の選び方、沈黙の長さ、息を整えるまでの間、声の震え。
それらを拾い直した結果、彼は結衣の沈黙が「こちらを操作するためのもの」ではなかったと判断します。彼女は許してもらおうとしたわけでも、何かを背負わせようとしたわけでもなく、ただ自分で選んだ終わりを置いていっただけでした。
だからこそ、蒼汰の中では彼女を切り捨てる理由が成立しません。
そして翌朝、車内ではあの日のまま、紅月の楽団のディスクが流れ続けています。関係は終わったはずなのに、音だけは変わらずそこにある。けれど、その音の聞こえ方だけは、もう以前とは同じではない。
変わるもの。変わらないもの。変わらないはずなのに、意味だけが変わってしまうもの。
この回では、別れたあとの蒼汰の中に残る、そうした静かな違和感を書いています。
次回からは、日常へ戻ったはずの蒼汰が、まだ処理しきれていない感情と向き合っていく時間へ進みます。




