第二十二話、そういうところだと思うよ
第二十二話です。
結衣から告げられた別れの言葉。
理由を聞きたい。引き止めたい。納得したい。
けれど、その瞬間、蒼汰の中に古い記憶が蘇ります。
かつて、正しさと解決を信じて、大切な人を追い詰めてしまった雨の夜。
今回は、蒼汰がなぜ「理由を聞くこと」を恐れるのか、その原点に触れる回です。
——やめろ。
その瞬間、古い記憶が割り込んできた。
雨の降る夜だった。街灯の下だけが、白く濡れている。
通学路のアスファルトは冷たく光り、靴の裏に水の感触が残っていた。向かい合っていた彼女は、傘の柄を両手で握っていた。
「……ごめんね。もう、別れよう」
あのときも、同じだった。
理由はあった。彼女は、ちゃんと説明してくれていたはずだったけれど、自分は納得できなかった。
なぜ。どうして。
何がいけなかった。どこを直せばいい。
何を変えればまだ続けられる。
そうやって、ひとつずつ問いを重ねた。そのときの自分は、間違ったことを言っているつもりなどなかった。
理由を知ることが誠実で、問題点を明らかにすることが、関係を守るために必要なのだと思っていた。
正しく聞いているつもりだった、冷静に話しているつもりだった。
けれど、彼女の顔から少しずつ言葉が消えていった。
最初は答えてくれていた。
それが、だんだん短くなりやがて、何かを言いかけてやめるようになった。
そして、雨の音だけが二人の間に残った。
それでも自分は、まだ理由を求めた。
納得できる形にしたかった。
終わるなら終わる理由が欲しかった。
どこが間違っていたのかを知れば、まだやり直すことができると思っていた。
――だが、
その考え方自体が、もう彼女を追い詰めていることに気づかなかった。
最後に彼女は、泣きそうな顔で言った。
「……そういうところだと思うよ」
それだけだった。
そのあと、彼女はもう何も言わなかった。あのときの泣き顔だけが、今も頭の片隅に残っている。
必要以上に理由を求めた。
必要以上に正しさを並べた。
必要以上に、相手の言葉を奪った。
自分は解決しようとしていたけれど、彼女にとってはそれが、逃げ道を塞がれることだった。
結局それは、解決という形をした暴力で、彼女を追い詰めていただけでしかなかった。
――もし同じ言葉を、ここで使えば同じことになる。
理由を聞くことはできる。けれどそれは、彼女が選んだ終わり方を、こちらが納得できる形に作り直させる行為に近い。
彼女の決断を尊重しているようでいて、結局はこちらの納得を優先しているだけだ。
――それは、違う。
息をひとつだけ吐いて、言葉を引き戻す。
「……分かりました」
電話の向こうで、かすかな音がした。吐息とも、嗚咽ともつかないその微かな震え。
はっきりとは聞き取れなかったけれど、それでも何かが崩れたことだけは分かった。
――――
責められた方が、まだ楽だったのかもしれない。想像していた反応とは、少しだけ違っていた。
もう少しだけ、彼から何か言われると思っていた。
理由を聞かれること、引き止められること。あるいは、責められること。
そのどれも、少しだけ覚悟していたけれど、何も来なかった。
「……分かりました」
ただ、その一言だけだった。その静けさが、思っていたよりも深く胸に落ちた。
分かってほしかったわけではない、引き止めてほしかったわけでもない。
自分で終わらせると決めた。そのはずだった。
それなのに、こんなに静かに受け入れられると、自分の選んだ言葉だけが、そのまま返ってくる。
誰にも責められていないのに、責められているよりも苦しかった。
何かを言おうとして、言葉が出ない。
さっき、自分で終わらせたはずなのに、どこかだけが追いついていなかった。
泣くつもりはなかった。けれど、声の端がわずかに震える。
―――
「……勝手なことを言って、本当にごめんなさい」
電話の向こうで、彼女の声がわずかに震えた。
謝る必要があるとは思わなかった。
少なくとも、こちらが責めるべきことではない。それでも彼女は謝った。
その一言だけで、彼女がどれだけのものを抱えたまま、この言葉を選んだのかが伝わってくる気がした。
「朝比奈さんが謝ることではありません」
できるだけ静かに、そう返した。
慰めるための言葉でも、許すための言葉でもない。ただ、彼女が必要以上に自分を責めることだけは、違うと思った。
そう言ったあとで、わずかに遅れて思う。
――本当は、違う。
言うべき言葉はいくつか浮かんでいた。
引き止める言葉、理由を尋ねる言葉。
それでも会いたいと伝える言葉。
けれど、どれも選べなかった。
選べば、彼女が差し出した終わり方を、こちらの都合で別の形に変えてしまう気がした。
口にしてから、わずかに違和感が残る。
正しい言葉ではあったけれども、今この瞬間に必要なものを、すべて満たしているわけではなかった。
それでも、それ以上の言葉は続かない。だから何も言わなかった。
ただ指先を動かし、静かに彼女との通話を終わらせた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、蒼汰の過去と、結衣との別れの場面でした。
理由を求めること。問題点を明らかにすること。どうすれば続けられるのかを考えること。
それらは一見すると誠実な行為に見えます。
けれど、相手がもう終わらせるための言葉を選んでいるとき、その問いは相手の逃げ道を塞いでしまうこともあります。
蒼汰はかつて、それを間違えました。解決しようとして、正しさを並べて、相手の言葉を奪ってしまった。
だから今回、彼は理由を聞けません。引き止める言葉も選べません。
「分かりました」
「朝比奈さんが謝ることではありません」
その静かな言葉は、冷たさではなく、彼なりに過去と向き合った末の誠実さです。けれど、その誠実さは同時に、蒼汰自身を深く傷つけるものでもあります。
次回は、通話が終わったあと。二人がそれぞれ、自分の選んだ言葉の重さと向き合う時間へ進みます。引き続き読んでいただけると嬉しいです。




